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    sorano_yuume

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    sorano_yuume

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    プライベートゆるゆる女子と天然オカン月島さんの話②
    Pictsquair内で開催中オンラインイベント『いとしげラブ!』の書下ろしとして製作しました。
    頑張りすぎる話。彼の握るおにぎりはみちっとしてそうですね。
    ヒロインがちょっとズボラですので、何でも許せる方向けです。

    圧倒的オカン属性月島さん②「おはようございます、これから出勤ですか」
    「お、はようございます!すいませんちょっと急いでるんで…!」
     月島さんが隣人と分かって一ヶ月。出くわした日以降彼と会うことは全くなく、仕事上でもやはり関わりがないので穏やかな日々が続いた。部屋でズボラなのは変わらずだが、時折月島さんが頭によぎって、リビングも寝室も、乱雑な状態にしておくことはなんとなく避けるようになった。変わったのはそれくらいで、すっぴんスゥエットでぐーたらするのは至高のままだ。
     今日、起きたらいつも家から出る時間だった。真っ青になって飛び起きて、『緊急のときにだけする爆速メイク』で顔面を誤魔化し、最低限の身支度で部屋を飛び出した。ら、月島さんにばったり出くわしたのだ。そういえば車出勤と言っていたから、この時間でも余裕で間に合うのだろう。むしろ早いくらいではないか。
    「遅刻ですか、良ければ送りますよ」
    「へ…!?」
    「今日、そちらの会社方面へ行く案件があるので。嫌じゃなければですが」
    「お、お願いします!」
     チャリ、と車の鍵を見せながら月島さんが提案してきた。願ってもないことだ。電車だと乗り継いで一時間はかかるが、車なら30分で着く。会社のロッカーに化粧ポーチを置いてあるから、今のメイクから少しマシな状態にも直せるだろう。
    「じゃあこっちです」
     エレベータで1階に降り、いつも出る方向とは逆の駐車場に向かう。月島さんが指差した先にあったのは、国産のセダンだった。なんとまぁ、想像通りというか。
    「どうぞ」
     助手席を開けてくれる月島さん。セダンの中でも高級車といわれるそれに少し緊張しながら助手席に滑り込んだ。パタン、と扉を閉め、一度後部座席の扉を開けて荷物を置き、それから運転席に回った月島さんは、エンジンをかけてシートベルトを締めた。それを見て私も慌ててシートベルトを締める。車に乗るの久しぶりすぎて忘れてた…。
    「では出発しますね」
     そう言った後すぐ車は動き出す。慣れた様子で小道を進み、主要道路に入ると後は流れに任せて車は進む。
    「こっち方面の道も慣れてらっしゃるんですね」
    「仕事柄、あちこち行きますから…社用車使っていくよりも、自家用車作って家から向かえるようにした方が楽だったので」
     なるほど、月島さんらしい考えだ。営業の頃から忙しく走り回っていた彼だが、異動した先でも色々忙しいらしい、というのは風の噂でも聞いていた。ダイナナグループの出世株に気に入られ、あちこち連れ回されているとかなんとか。月島さんが凄い人なのは分かっているので、今も色々任されているんだなぁ…と小並な感想しか出てこない。
    「それより、随分顔色が悪いようですが」
    「え、そうですか?慌てて出てきたから化粧のり悪いかもですね」
    「いや、そうでなく…朝ごはんちゃんと食べてます?」
    「オカンですか?」
    「月島です」
     相変わらずの母親っぷりに思わず口に出してしまう。そして全うな答えが返ってきた。妙にツボに入ってしまい笑うのを必死で堪えた。信号で車が止まり、シフトレバーをPに合わせた月島さんは、後ろにおいていた鞄を取り、中から小さな塊を取って鞄を後ろに投げるように置くと、塊を私の膝の上に。そしてすぐ体勢を直してシフトレバーをDに変えた。
    「それ、良かったらどうぞ」
    「え」
    「おにぎりです。朝食用に握っておいたのを持ってきたんです」
    「え、でも…」
    「俺は出る前に一個食べたので。人が握ったのが嫌でなければ」
     信号が青に変わり、車が動く。アルミホイルに包まれたそれは、まだほんのりと温かかった。
    「…いただき、ます」
    「どうぞ」
     月島さん、料理できるんだな…という好奇心で、アルミホイルをはがした。つやつやとした白米が、海苔にくるまれている。しっかりと握られたそれは美味しそうで、おそるおそるひと口。
    「お、いしい…!」
     塩の加減も、握り具合も絶妙なそれは、おにぎり専門店とかで食べるものと大差がない…それ以上かもしれない。
    「口に合ったなら良かった。実家が新潟なもので、米には少しこだわりがあるんです」
    「そうだったんですか…」
     無意識にもうひと口、ふた口と進めていく。真ん中に埋められた梅干も、甘酸っぱさが際立ってお米に合う。気付いたらあっという間に食べきってしまっていた。持ってきていたお茶のボトルで喉を潤す。
    「ご馳走様でした…おいしくてあっという間でした」
    「それは良かった…普段から朝は食べないんです?」
    「あー、そうですね…支度が間に合うぎりぎりに起きちゃうので…」
    「なるほど…朝は少しでも食べた方が良い。一日の源ですからね」
    「…やっぱりオカンですか?」
    「…月島です」
     2度目の私の問いかけに、小さく笑った月島さん。気遣いが実家の母と変わらないのだから、そう思っても仕方ないじゃない。月島さんの反応を見て、私も思わず笑ってしまった。
    「そうですね…ちょっと検討します」
    「そうしてください」
     おにぎりが包まっていたアルミホイルの皺を伸ばして小さく折りたたむ。月島さんはあまり話しかけてこないから、車が走る音だけが響く。いつも、仕事のときだったら話題を考えたり、間が空かないようにと頭をめぐらせるけれど、彼とは、この何も話さない時間も嫌だとは思えなかった。むしろ心地良いくらいで、そっと目を瞑る。車の芳香剤だろうか、ほんのりと優しい香りが鼻をくすぐった。

    「着きましたよ」
     目を瞑っている間に少し寝てしまったらしい。声をかけられてはっと目をあけると、うちの会社の通りから一本外れた小さな通りに、ハザードをつけて車が止まっていた。こういう気遣いの出来る人だった…ありがたい。
    「すみません、寝ちゃったみたいで…」
    「かまいませんよ。…さっきより顔色は良くなったみたいですね」
    「え」
    「そちらは今繁忙期でしょう、無理はし過ぎないように」
     何度か一緒に仕事をしていたからか、繁忙期を覚えているようだ。本当、優秀な人だ。がむしゃらに『外面』を作っている私とは大違いだ。
    「ありがとうございます…今日で一区切りの予定なんで、気合入れます」
    「いやだから…まぁ、気をつけてくださいね」
     更に口を出そうとして、すっとやめた月島さん。言っても無駄だと思われたんだろう。
    「ありがとうございました。おかげで助かりました」
    「いえ。お役に立てたなら良かった…あ、ちょっとまって」
    「え?」
     シートベルトを外し、ドアノブに手をかけて扉を開く。月島さんのほうを向いて会釈し、そのまま出ようとした私に彼が声をかけた。片足を地面についたまま振り返ると、自分の口元を指差す月島さん。
    「ここ、海苔ついてます」
    「!」
    「…いってらっしゃい、気をつけて」
     ここ、と言われたあたりを手でパン!と押さえた。ふっ!と笑った月島さんは、ごまかすようににっこり笑って手をひらりと振った。恥ずかしさで顔が熱くなるけれど、そのまま車を出て、手で口元を隠したまま一礼して会社の方に向かった。窓の向こうで、月島さんがくつくつと笑っているように見えたけど、きっと気のせいだ。
    「…もう…」
     そのままトイレに駆け込んで鏡を見た。確かについていた海苔に恥ずかしさが増す。はぁ、と溜息を吐いて海苔をふき取った。それからロッカーに向かい、ポーチを取り出して化粧の調整をする。
    『いってらっしゃい、気をつけて』
     最後に月島さんが言った言葉が妙に忘れられなかった。誰かに見送ってもらったのはいつ振りだろうか。大学に入って一人暮らしを始めてから数度恋をしたけれど、そのときすら見送りの言葉をかけられた記憶はなく、自分が言ってばかりだったような気がした。
    「…よし、もうひとふん張りしますか!」
     メイクを手直しして、血色の良い顔を取り戻す。ねぎらいをかけてくれた彼の言葉を反芻して気合を入れなおした。今抱えている案件は今日で一区切り。これを終えれば今回の繁忙期は終わりと言って良いだろう。週末まで諸々の後始末をして、久しぶりにゆっくりと週末を過ごせそうだ。今日お世話になったお礼もしないと…と頭の中でやる事を考え優先順位を決め、今日の『外面スイッチ』をONにした。

    「…ま、こうなるよね…」
     土曜日朝の自室。予定通り、大きな案件を一区切り付け、わが社の繁忙期はひと段落。あれこれと残っていた雑務を終わらせた華の金曜日、張っていた気が一気に緩んだのか、家にたどり着いた頃にはふらふらになっていた。メイクもスーツもそのままにベッドにダイブして、気を失うように眠りについて、起きたらすっかり身体が冷えていた。まだ夜は冷える春先、エアコンもつけないまま何も羽織らず眠ればそうなるだろう。立ち上がって着替えようとして、ぐらりと視界が揺れて再度ベッドに倒れこんだ。頭だけじゃなく身体が重い。寒気はどんどんひどくなる。これは…。
    「風邪、か…」
     這いずるようにして寝室の棚から体温計を取って熱を測る。38.0と表示されたのを見て益々身体がだるくなったような気がした。寒気とだるさ以外の症状がないからひどいものではないだろう。重たい身体を何とか動かして部屋着に着替え、薬を飲むために何か腹に入れようと冷蔵庫を開けた。
    「…こんなときに限って…」
     繁忙期で食材調達をできていなかったことをすっかり忘れていた。ここ数日はコンビニ飯ばかりで、キッチンにもゴミをまとめた袋がいくつかそのままになっている。本当はこの土日で出来ていなかった家事をこなすつもりだったのに…と溜息を吐いて冷蔵庫の扉を閉めた。保存食と呼ばれるものは使い切ったし、これからコンビニ…はさすがに身体がだるすぎていける気がしない。正直『詰み』だ。仕方ないからもうこのまま寝てしまおうか、と思ったところにスマホが着信を告げた。寝室に置きっぱなしだったそれを取ろうとふらふらと向かい、掴んだ瞬間足がもつれてそのまま布団に飛び込んだ。寝転がったまま通話ボタンを押して耳に当てる。
    「もしもし…」
    『月島です』
     着信相手を見ないまま通話ボタンを押したことに気付かなかった。低く心地言い声が耳元に響く。
    「つきしまさん…?」
    『この間送り届けた日から見てなかったので、生存確認もかねてご連絡を…大丈夫ですか?息が荒いような…』
    「はは…よく気付きますね…やっぱりオカンかな…」
    『ちょっと、大丈夫ですか?具合悪いのでは?』
    「ねつ、あるみたいで…」
    『…薬は?』
    「あります、けど、何も、たべるものが、なくて…」
    『今そっち行きます。鍵あけてください』
     そういってぷつりと通話が途切れた。今行くって言ったよね、鍵あけなきゃ…そう思っても身体が動かなくて、瞼がどんどん重くなる。
    「…っと、鍵開いたままは危ないでしょう!いますか!?入りますよ!?」
     遠くで月島さんの声が聞こえる。起き上がらなきゃ、そう思うのに身体はまったく動いてくれない。目を瞑る瞬間、寝室に入って来て驚いた様子の月島さんが見えた気がしたけれど…そこから先はぷつりと記憶が途切れて真っ暗になった。

    「ん…」
     のろのろと瞼を開ける。見えるのは、見知った天井。私、また寝てた…?
    「気がつきました?」
     寝室の扉の方から声が聞こえた。目線だけをそちらに移すと、見知った顔がリビングから顔を覗かせた。
    「つきしまさん…?」
    「…入りますよ」
     眉間に皺を寄せて、月島さんが寝室に入って来て、手に持っていたものをベットのサイドボードに置いた。感染予防のためかマスクもしっかりつけている。抜かりないな…。
    「今日、俺と会話したのは覚えてますか」
    「すこしだけ…」
    「あなたを会社に送った日から、数日見かけてなかったので電話をかけたんですよ。今週で一区切りと言っていたから、土曜なら出るかと思って。驚きましたよ、出たと思ったら随分と息は荒いし、熱があるとか言うし、慌てて隣に来たら鍵は開いているし」
    「…昨日、かけ忘れたみたいです…」
    「…そうなるまで頑張るなと、言ったつもりなんだがな…」
     月島さんの眉間の皺が、更に深くなる。
    「ごめ、なさ…」
    「…今は怒ってる場合じゃないな…とりあえず、これを」
     これ、と言って月島さんがサイドボードから何かを取ってぱきりと開けた。
    「ゼリー飲料です。とにかく何か腹に入れて、薬を飲まないと…飲めますか?」
    「ん…」
     少し起き上がろうと身体を動かすと、月島さんの逞しい手が背中側に差し込まれて、ぐっと持ち上げてくれる。口元チューブを当ててくれるので、少量ずつゼリーを飲み込んでいく。昨日のお昼以降何も口に入れていなかった身体に、ほんのりと冷えたゼリーが染み渡っていくようだった。
    「…よかった、全部食べれましたね」
     月島さんが、安堵したような声でそう言った。もう一度サイドボードに手をやり、取ったのはペットボトルの水。パキリと開けて、またサイドボードに手を伸ばしてストローと薬を取り、ストローをペットボトルに差し入れた。
    「薬、飲めますか」
     そう聞かれて、手をのろのろと差し出した。パキ、と薬を手のひらに取り出してくれたので、ゆっくりと口元に持っていき、薬を含む。持ってくれていたペットボトルがすぐさま口元に来たので、ストローで水を飲む。こくりと喉が鳴ったのを見て、また月島さんは安心したように息を吐いた。そのままペットボトルをサイドボードに戻し、私をベットに寝かせなおしてくれた。
    「…色々話したいところですが、今はまず身体を休めて。色々足りてないものを買ってきます。家の鍵は?」
    「…鞄の、中…」
    「申し訳ないが鞄開けますよ。少ししたら戻ってきますから、それまで休んでいてください」
    「……」
     月島さんがリビングに向かおうとするのを、ぐっと手を掴んで引き止めた。
    「…どうしました」
    「…ひとりにしないで…」
     思わず漏れた言葉だった。こんな風に、誰かに看病されたのはそれこそ実家に住んでいた時以来で、母の優しくて温かな手を思い出した。離れようとする母に駄々をこねて、眠るまで隣にいてもらった事をおぼろげながらに重ねてしまう。うつらうつらとぼやける思考で、縋るように目の前のぬくもりを掴んだ。
    「っ、…」
     深く、息を吐く音がした。そのままベッドの傍にどすりと音がして、目の前のぬくもりは、おでこに移動した。
    「…どこにも行かないから、ちゃんと寝なさい」
    「…ん…」
     一番安心する言葉を貰った気がして、ふっと身体の力が抜けた。とろりと瞼を閉じて、おでこに熱を感じながら、眠りの底に沈んだ。

     再度目を覚ましたら、すっかり暗くなっていた。閉められた扉の隙間から、リビングの灯りが漏れている。さっきよりも大分思考がクリアになっている。ゆっくりと起き上がると、ぱさりと濡れたタオルが額から落ちた。
    「…起きましたか」
     気配を感じたのか、寝室の扉が空いてリビングから月島さんの声がした。ひょこ、と覗く月島さんに、さっき自分がやってしまった失態が脳内にフラッシュバックする。
    「…あの、月島さん、私…」
    「…その様子だと、大分良くなったみたいですね」
     ふ、と小さく笑った月島さん。もしかして今までずっと様子を見てくれてたのだろうか…だとしたら申し訳なさ過ぎる。
    「おかゆ作ってありますが食べられますか」
    「あ…はい」
    「じゃあこっちに。なるべく温かくしてください」
     そういってリビングの方に消えていく。布団から起き上がると、来ていた部屋着が汗でびっしょりになっていた。とりあえず着替えるか…と部屋着を脱ぎ捨ててベットの上に。クローゼットから新しいカップつきキャミソールと部屋着を出して身に着けた。それだけでも大分すっきりする。その上からカーディガンも羽織り、脱いだ部屋着を持ってリビングの方に向かう。
    「もうすぐ温めおわるので、そっちに座っててください」
     部屋着を洗濯機に入れて戻ると、そっち、とソファの方を月島さんが指差した。繁忙期で乱雑だった部屋は、見事に綺麗になっていた。目を見開いて彼を見ると、
    「明らかにゴミと分かるものだけまとめて捨てときました。衣類は洗濯カゴに。不快に思うかもですが、流石に放置も出来なかったので…」
    「いや、逆に月島さんに不快な思いさせてしまってますよね、すみません…」
     気まずそうな顔でそういう月島さん。せっかくの休日を、病人の世話と部屋の掃除に使わせてしまったことが申し訳なさ過ぎて俯いた。キッチンの傍で立ち尽くしたままの私に彼が近づき、背中に触れた。
    「まぁ、驚きはしましたが不快とかはないです。ほら、まだ治ってないんだから座ったほうが良い」
     そう促されて、ソファの前に座る。リビングに置いておいたブランケットをひざにかけてくれて、テーブルに温かいお茶が入ったマグカップが置かれた。そのままキッチンに向かう月島さんは、どう見ても母親の安心感を纏っていた。
    「どうぞ、熱いので気をつけて」
     しばらくして、土鍋がローテーブルにごとりと置かれた。我が家に土鍋はない。わざわざ持って来てくれたのだと分かり、申し訳なさがまた募る。小分けの器によそわれた卵がゆが目の前に置かれた。スプーンを差し出されたので、そっと掬ってふうふうと息を吹きかけて冷ます。
    「…いただきます」
    「はい」
     小さく呟いたのにそれにもきっちり返事をする月島さん。まだ熱いかな、とおそるおそる口に運んだおかゆは、やわらかすぎず、お米の食感がのこっていて、程よい塩気が丁度良い。ふんわりと卵の香りもして、何も感じなかったさっきよりも随分調子が良くなっていることに気付いた。
    「おいしい…」
    「それは良かった。食べれるだけで良いですから、ゆっくり食べてください」
     じっと私の様子を見ていた月島さんが、ほっと息を吐いた。自分用に淹れたお茶を啜りながら、また私をじっと見つめてくるので少し気まずい。
    「…どうしてあんなになるまで無茶したんです」
    「……すみません、自覚がなかったんです。ほんとに…忙しすぎてそこまで気が回ってなかったといいますか、気を張りすぎてたんだと思うんですけど…繁忙期が終わった、って安心した瞬間どっと疲れが出て…って感じで」
    「なるほど…」
     金曜の夕方、会社を出るまではいつも通りを貫けていたはずだ。同僚に、少し顔色が悪いことを心配されたくらいで、流石に疲れたからこの週末はゆっくり休む、といつもの笑顔で返してオフィスを出て、会社最寄りの駅から自宅方面の電車に乗った瞬間、身体がぐっと重くなったのだ。そこからどんどん重みは増し、自宅に着く頃にはふらふらになっていた。
    「自分でもこんなのは初めてで…自己管理不足でしたね」
    「いや…それだけ頑張ったというのは、悪いことじゃないでしょうが…部屋の施錠を忘れるほどと言うのは、良くないですね」
    「う…それは本当に反省してます…」
     普段からズボラであることは自覚していたが、とうとう施錠まで忘れる日が来るとは思わなかった。体調不良だったとはいえ、それは言い訳に出来ない。
    「まぁ、そのお陰ですぐに部屋に向かうことが出来たんですが…次からは気をつけてください。比較的治安が良い地域とはいえ、何もないとは言いきれないですから」
    「はい。もちろん気をつけます」
    「ん」
     私の返事に、納得したように月島さんが笑う。なるべく関わらないように、と距離を置いていたはずなのに、この数日でお世話になりっぱなしで頭があがらない。
    「食べ終わったら薬のんで、また休むと良い。酷い風邪じゃなさそうでよかった」
    「あの、本当にご迷惑かけてすみません、せっかくの休日を…しかも部屋の掃除までさせてしまって…」
     キッチンにまとめていたゴミまでなくなっていたし、リビングに雑においていた資料もきちんと整えられて壁際に置かれていた。忙しかったとはいえ、諸々乱雑だったのを親でも恋人でも、友人ですらない月島さんにお世話になるとは思ってもいなかった。来てもらえなければもっと酷い状態だっただろうから、あの時月島さんが電話をくれて良かった、とは思っているけれど。
    「気にしないでください、自分がやると決めてここにいるので。…困ったときはお互い様でしょう。俺が体調を崩したときは、頼みます」
    「…月島さん、風邪とか引くんですか」
    「今の会社に勤めてからは1回も引いてないですね」
    「強靭…」
     私がお世話をしに行く未来がまったくみえない、とぼやくとくつくつと笑いながらマグカップに口をつける月島さん。会話をするたびに、距離が近くなっている気がする。
    「まぁ、こうして隣人になったのも何かの縁だと俺は思ってますから、もう少し頼ってくれていいですよ」
    「…頼ったとして、私が返せるものがないんですが…」
    「気にしなくてもいいんすが…あ、じゃあ」
    「はい?」
     苦笑する月島さんが、何か思いついたような声を出す。彼の方を向くと、ことりとコップを置いてこちらを見た。
    「たまにで良いので、一緒に飯食べませんか」
    「へ?」
    「自炊、嫌いじゃないので良くするんですが…たまに食べきれない量作ってしまうことがあって。そういう時に協力してもらえると」
    「あぁ…」
     月島さんの言葉に、この間のおにぎりを思い出した。おにぎりですらあんなに美味しいのだ、他の料理もきっと上手なんだろう。
    「まだ量の加減に慣れなくて…食べきれないことはないんですが、正直同じものを大量に食べるのは飽きてしまうので」
    「あー、それはわかります」
     ほんの少し恥ずかしそうに言う月島さんに、クスクスと笑ってしまう。
    「私でよければ喜んで手伝いますよ」
    「助かります。作りすぎた時連絡させてください」
     その言葉にこくりと頷いて、器に残っていた最後のひとくちを掬って飲み込んだ。
    「ご馳走様でした。美味しかった…」
    「お粗末さまです。残ったのはこのまま冷蔵庫に入れますから、明日暖めて食べてください」
    「ありがとうございます」
     立ち上がった月島さんは、土鍋に蓋をして持ち上げキッチンに向かう。それからコップに水を注いで、風邪薬と一緒に持ってきてくれた。何から何まで手厚い…。
    「冷蔵庫にゼリーとか、簡単に食べれるものも入れておきました。もう酷くならないとは思いますが、週明けまで安静にしておいた方がいいでしょう」
    「そうします…」
     渡された薬を口に入れて水を飲む。随分楽になったとはいえまだだるさは残っているから、月島さんの言うとおりゆっくり休もう。
    「じゃあ私、ベッドに戻るので…」
    「…寝るまで傍にいた方がいいですか?」
    「! だいじょうぶです!!」
    「ははっ、冗談です…俺ももう少ししたら自室に戻ります。鍵は扉のポストに落としておきますから」
    「わかりました…」
     ニヤリと笑った月島さん。何も言ってこなかったから安心してたのに…熱にうなされていた自分の行動を思い出してまた恥ずかしくなってしまう。さっさと布団に戻ろう…と立ち上がって寝室に向かう。
    「おやすみなさい、お大事に」
    「…おやすみなさい、ありがとうございました」
     穏やかな声で告げられた言葉に、胸がとくりと高鳴った。そっと振り向いて返せば、目を細めて微笑んでくれる。そのまま寝室の戸を閉めて、ベッドに潜り込んだ。少しして、カチャカチャと食器を洗う音がして、目を閉じる。水の流れる音、食器のぶつかる音…それを発している無骨で優しい月島さんを思い浮かべて、また胸が高鳴る。
     母親みたい、と感じていた安心感に、何かが付け足されたような…そんな事を考えながら、私の思考はとろりと夢の中に溶け込んでいった。
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