居酒屋以蔵繁盛記(仮)①面接
『土佐居酒屋以蔵』は閉店時刻を〇時としているが、実際は二十三時頃までにはだいたいの客は捌ける。この時間まで残るのは、遠慮のない常連くらいだ。
遠慮のない常連の一人である高杉はスマホをタップして、
「わははははは」
と腹を抱えて笑った。
「ほたえなや」
高杉がキープしている一升瓶から土佐の大吟醸酒を猪口に注ぎながら、以蔵は吠える。店長である以蔵は、当然カウンターの内側にいる。
「どうしたんだい」
カウンターのスツールには高杉と、やはり遠慮のない常連の龍馬が着いている。
「どうしたも何も、見たまえよ坂本くん。この店の悪評を」
高杉からスマホを渡された龍馬は画面をスクロールさせて、
「……まぁ、ねぇ」
とつぶやいて意味深に以蔵を見た。
「何が言いたいがじゃ。悪評ってなんじゃ」
酒が入っているから、普段に増して沸点が低い。
「君にも見てもらった方がいいな、君の店のことなんだから」
高杉は龍馬から返されたスマホをそのまま以蔵に見せる。
画面には飲食店のクチコミサイトが開かれていた。
タイトルに表示されているのは、『土佐居酒屋以蔵』の文字。
投稿日が新しい順になっているのか、一番上に表示されているのは三日前のものだ。
『★』
という採点が腹立たしい。何が不満だと言うのか。
『友達と来店。なすのたたきといも天はおいしかったけど、店長っぽい人に「カシスオレンジないですか」と聞いたら乱暴で怖くて汚い言葉で「そんなものあるわけがない、お前うちの看板見てないのか」と言われた。ありえない。極道みたい。二度と行かないし女性は行かない方がいい』
「『ありえない。極道みたい』らしいな岡田くん!」
「嘘じゃ、わしはがいにもだきにもしちゃぁせん」
確かに先週末、女性同士のグループの一人から、「カシスオレンジはないですか」と聞かれた覚えがある。
この店は狭い。カウンターが八席とテーブルが三卓で、カウンターの内側も二人すれ違えるかどうか。壁には高杉の大吟醸をはじめとした、常連のキープした瓶が並んでいる。厨房の広さも推して知るべしで、土佐の地酒を置いたらとてもリキュールの場所などない。
以蔵はこの店で、土佐の地酒や料理を売りにしている。郷土の味を懐かしみたい高知出身の客だけではなく、一度は高知に足を運びたいもののなかなか機会がないという客も来る。
どこででも飲める酒が欲しいのなら、駅前にはいくらでも洒落たバーがある。フルーツや造花を飾った、『映え』るカクテルが出て来る店の方が客の望みに叶っているだろう。
何ごとにも適材適所がある。
そう言い含めたはずなのだが。
「確かに以蔵さんは土佐弁の『怠惰(ごくどう)』ではあるけど、そっち系の人じゃないよねぇ。高知じゃ普通のいごっそうだ」
「フォローになっちゃぁせんぞ」
「君たち、相当麻痺してるな? 初対面で岡田くんの土佐弁は相当怖いぞ。僕はどうってことないが、特に女性などは生きた心地もしないだろう」
「ほうかえ?」
「そうかな?」
「君たちときたら……これも見ろよ」
高杉は更にスクロールさせた画面を見せる。
(以下略)
②子ども食堂
土佐居酒屋以蔵で働き始めてから、二週間が過ぎた。
ホールスタッフの経験があったから、新しい環境にもなんとか順応できている。
店内のローカルルールや土佐の特産品の特長など、覚えることはまだまだ多いけれど、少しずつ慣れていければいい。
以蔵は人柄も悪くはない。包丁を握っている時はぶっきらぼうだが、その合間にも笑顔を見せてくれることがある。
初出勤の時に聞いてみた。
「なんて呼べばいいですか? 店長とか?」
「店長はちっくと硬っ苦しいの……客は大将ち呼んじゅう」
「大将?」
「なんやようわからんけんど誰かが呼んで、勝手に定着した。わしも慣れちゅうき、ほいで呼んどうせ」
立香は素直にうなずいた
今日も開店準備と合わせて五時からの勤務である。
一度注文が落ち着いた八時過ぎ、カウンターに立っていた立香へ以蔵が声をかけてきた。
「藤丸さん、おまん唐揚げにレモンはかけるタイプかえ」
『おまん』という二人称は関東の者にはきつく聞こえるが、以蔵と同郷だという常連の坂本によれば高知では親しみの籠もった呼びかけらしい。
それはさておき、
「好んではかけないけど、食べられます」
「ほうか」
立香の返事に、以蔵は目にも留まらぬ速さで手を動かして丼を差し出した。
「まかないできたきこっちで食いや、十五分ばぁならホールもやっちゃれる」
つまり十五分で食べ終えろ、ということだ。
割り箸も渡され、厨房の隅の小さいテーブルに着く。
渡された丼には鶏の唐揚げが盛られ、その上には大根おろしとひとつまみのおろししょうがが乗っている。回しがけされたぽん酢のような液体が、さわやかな香りを放っている。
「いただきます」
手を合わせ、割り箸を割って唐揚げを口に運ぶ。
「……おいしい!」
ゆずの香りが、厭味(いやみ)ではない酸っぱさと風味を与えている。大根おろしのきりっとした辛味が、唐揚げの脂とよく合う。それらの旨味が染み込んだ白米も進む。
結局十分(じっぷん)ほどで完食し、丼を食洗機に入れる。作業台の前の以蔵は微笑みかけてきた。
「どうじゃった」
「おいしかったです! あのゆずみたいなぽん酢があんなに唐揚げに合うなんて思わなかった」
「ぽん酢やないぞ。手作りゆずドレッシングじゃ。絞ったゆずにしょうゆと砂糖とオリーブオイルを合わせちゅう。ゆずの酸味があるき、酢の類は入れちゃぁせん。毎日今日使う分手作りしちゅう」
知らなかった。昼過ぎから熱心に仕込みをしているのは察していたが。
「毎日手作りして、余った分はどうするんですか?」
「余らんように作るがが腕ん見せどころじゃ。世間様の景気や天気もニュースらぁで見て、今日はどればぁお客が来るか読む」
プロの料理人らしい気概を感じる。自分の仕事に誇りがなければ、なかなか言えないだろう。
「……もっとも、わしも最近ちっくとわかってきたばぁじゃけんどの。ほいじゃき、いまだに読み違(ちご)うて余らす時もある」
「そうしたらどうするんですか? 廃棄ですか?」
当然の立香の問いに、以蔵は不敵に笑ってみせた。
「ほがなことしたら神さんに叱られる。神さんに嫌われたら徳がのうなって、お客が来んようになってしまうかもしれん」
「でも、次の日には回さないんですよね」
「ちっくと早いかもしれんが、おまんにも教えちゃった方がえいの。今度の日曜、都合よかったら昼前に来とうせ。バイト代も出しちゃるき」
不思議なことを言う。
しかし、日曜に何かしらがあることは確かなのだろう。
(以下略)