エメ、トセルク、大好き!4 祈りを喝采に変え、花道を歩ませ 淡い期待を持っていた。信じて協力してもらえるかもしれないと。それは、話すほどに目の前で項垂れ、固く自身の手を握るエメトセルクの姿に、脆く崩れていった。
「……荒唐無稽だ、とても信じられたものじゃない」
このエメトセルクが、信じられるはずもない。あなたは星を飲み込んでいく絶望を知り、失う無念を知り、人類を背負った執念を知る。そして、うっすら使い魔もどきに斃されたのだと。
「……世迷言はもう十分だ。私は仕事に戻る、二度と邪魔をするな」
その目に、今までの触れ合いも全て謀りに過ぎないと吐き捨てられたようだった。刃物が音を立てて深く心臓に突き立てられ、思い出を裂くように。
友2人が背を向けて行ってしまう。
これでいいんだ。全て本当のことを話した。今までが夢のような時間だったのだから。
痛みなどないと精神に蓋をして、瞼の内に溜まる熱を必死に鎮める。
「大丈夫。これっきりにはなりませんよ」
ヴェーネスが微笑む。春風に包まれるような。その声には、気休めではない根拠があるように感じられた。
ヴェーネスに笑顔を返しながら、ボロボロと涙が零れた。調査を始めなければと立ち上がると、ヴェーネスが肩を撫でた。
「焦らなくても大丈夫。落ち着くまで一緒にいます」
促されたように、子供みたいに泣き出すとヴェーネスはハンカチを渡してくれた。花とハーブの優しく爽やかな香りの中に涙が染み込んでいく。
「エメトセルクのことが、大好きなんですね」
返事が嗚咽になってしまう。
「そんなあなたがエメトセルクを斃したなんて、嘘をついているとは考えられません。つかされているとしたら、とても非道です」
ヴェーネスは背中を摩ってくれる。
「アゼムを降りてから、こんなに可愛い人と出会えるなんて。未来の私も、あなたが可愛くて仕方がないに違いありません」
あやされている子供になった気分だけど、ヴェーネスの声に確かに落ち着きを取り戻していく。
「失った分だけ、きっと報われます」
そうハグをされて、ハイデリンの加護に包まれていると感じた。
◆◇
「私のことは、忘れろ」
ヴェーネスと2人で調査を進めていると、彼女の言った通りエメトセルク、ヒュトロダエウスと合流できた。4人でヘルメスを探して歩き回る中、エメトセルクがそう呟いた。ぎしりと心臓が軋み、なるべくその痛みを隠して彼を見遣る。
「お前は目的があってここに来たというなら、必ず未来に帰るのだから」
エメトセルクはこちらを見ない。
「託された使命を背負っているなら、余計な感情を持ち込むな」
彼の頬が少し赤らんだように見えたのは、きっと錯覚だろう。
「うっすら使い魔もどきが全て抱えられやしない。壊れないうちに、忘れろ」
そう言い捨ててエメトセルクは足を速めていった。止まりそうな足を鼓舞して進めてついていく。
あなたがそうやって永い役目を耐えたんでしょう。
それでも捨てきれず、善き時代には知らなかった感情もおぼえたことだろう。
やっぱり、未来のエメトセルクも、エメトセルクじゃないか。
◆◇
皆が「終末」の話をしています。何者かが天脈の薄い箇所から負のデュナミスを注ぎ、星を腐らせる。それにより彼女の世界では人が獣と変じ、人を食い荒らしている。
皆の、得体の知れないものへの不安と恐怖が感じ取れます。
「自我をシャットダウンし、共有意識に接続……。姉妹たちからの調査報告をお届けします」
姉妹たちの思いが流れ込んできます。
ああ、これはいったい? 全てが、喜びも悲しみも、今までの幸せも、姉妹からの思いと、絵の具の混ざるように濁り、黒くなっていく。
「こんなの、だめ!」
入ってこないで!
機能を無理矢理に停止し、押し込める時間を作ろうと逃げ出しました。
その間にも姉妹から、どす黒く、哀しく、虚しい思いが滲み込んできます。どれだけ閉め切ろうとも、どこかから黒い涙が溢れてくる。
私自身に恐怖という感情があるのか、わかりません。学習して、こんな時に恐怖が湧くと覚えたのかもしれません。
知らないものが、呼吸のたびに心臓に辿り着く。体に浸食していく。
未だ美しい星が醜い、息吹きに満ちた命が恨めしい、喜びが疎ましい。
ああ、みんなを、守って……。
◆◇
「恋しい人、美しいアーテリスの輝ける命たち。苦しいくせに意味のない、生の軛から解き放ってあげる……」
私を追ってヒュペルボレア造物院の最上階まで来た4人は、ヘルメスに拘束されている。
私を見る目は未だに生を灯している。その中で、一番激しく猛る光を見つめる。
「ねえ、あなたの恋も、なんて虚しいの」
私は、感じたものを思い出すように胸に手を当てた。
「苦しくて堪らない。エメトセルクを殺して、再会して、また、ぼろぼろに心が引き裂かれてる」
可哀想に、彼女は強い。一緒に歩いていた時には、小さな喜びにも悲しみにも、鮮やかに心を彩っていたのに。今は揺らごうとしない。
「裂いたのは誰……エメトセルクでしょう?」
エメトセルクが私を睨む。轟々と燃えるその心も、その優しさも、死する星の上で風に吹き消される火の粉に過ぎない。
彼女の心は未だ優しく、立ち向かおうともがいている。
「永久の恋も愛もありはしない。あなたは必ず悲しむ。苦しむ。嘆くことになる。……あなただって、知っているでしょう? お願い、あなたにもう、そんな顔をさせたくないの」
ああ、ほら、苦しい、痛い。傷を掻き毟られたよう。その涙さえ、枯れる星を潤しはしない。
どんなに苦しもうと、喜ぼうと、何にもなりはしないの。
「さあ……天の果てに巣をつくり、星という星から死と終焉を集めましょう」
お前に忘れろと言ったのは、仮にお前の話が真実だとして、死んだ男をいつまでも引き摺るのは、使命があるなら尚更、邪魔にしかならないと考えたからだ。
お前が好いたのは”私”じゃない。自分にもそう言い聞かせるために。
それは、苦しみから解放しようという終末と同じ理屈かもしれない。ヘルメスのお蔭で、この数日が本当に無に帰そうとしている。軟弱な考えをしてしまったものだと自分が嫌になる。
この苦しみが無駄だと、この数日が記憶から消えると、受け入れられるものか!
ならば意地でも抗おう。だから、
「”私”に託されたものを、投げ出すなよ」
お前が英雄なら、”私”を越えたなら、その苦しみも飲み込めると信じて。
これが私の、お前への最後の言葉になると信じて。
◆◇
「ああ……聞こえるわ……あなたの心が……長い旅の、記憶が……」
彼女と、星の人たちが、絶望に苛まれてもなお歩み、心を通わせ、希望が芽吹く。その小さな綻びが、なんと愛しくて、輝いていることか。
「いろんな形の歓びを拾い集めては、失って……また見つけながら生きて、生きて、生きていく……」
結末ではない。命が紡いでいくその姿が、こんなにも美しいものだったのに。
「花畑のようね。少しずつ、色を混ぜながら広がって……」
広い宙へと思いを馳せ、絶望ばかり集めてしまった私には、小さな星の足元に咲き誇った花が見えなくなってしまったのだと。
「あなたの想いは、こんなにも、あたたかかったのに……」
彼女から溢れた想いを、私の願いを思い出す。
私は青い鳥の姿をとり、彼女を導いた。
「難しいのは、わかってるけど……可能性は、いつだって想いを叶えようとしてる。奇跡だって、ときどきは、起きるかもしれないよね……?」
最後に、私のデュナミスを、奇跡を願ってもいいかな?
ずっといつまでも。そんな幸せはないと知った。
それでも謳いたい。あなたへの祝福を。
私が奪ってきたものを、少しだけ返したい。彼女も、彼も願うなら。
許してくれる? ヘルメス。
◆◇
終末は、人の希望を示して退けられた。ようやっと私の役も果たしたとエーテルの波にたゆたえば、あたたかい心地がした。
疑念もなく温もりを抱いて、ただまどろむ。
「困りましたね、こうも気持ち良さそうに眠っていては」
「彼のことです。きっと聞こえていて、寝てるふりを決め込んでいるんですよ」
寝てしまいたかったのに、その声に眉が歪む。ほら、と悪友が笑う。視界を開けば、ヒュトロダエウスとヴェーネスがこちらを見下ろしていた。訝しむと、
「エメトセルク、その子はまだ、こちらに来るべきではないかと」
「冥王に抱かれていては、帰るに帰れないよ」
2人の言葉に、自分が何を抱いているか気づかされた。私の腕を枕にして彼女がすやすやと安らいでいる。
「なぜここに……?!」
「キミの曾孫さんがずいぶん、大変、とても、やんちゃだったようで」
フフフと笑っている。
「まだ間に合います。仲間の元まで運んであげてください」
「……厭です。あなたが導いてやればいいでしょう」
ヴェーネスに指図されることも、星海に引込んだ自分が地上に戻ることも了承したくはなかった。ヴェーネスは少しも動じた様子がなく頷く。
「ええ、導くことくらいならできます。今はエーテルの残滓のようなものですけど。そのおかげで、メーティオンの指標が視えます。それをあなたにも視える形に整えることくらいなら」
「星海に落ちちゃった生者を地上に返すなんて、冥王らしくていいじゃない」
ヒュトロダエウスは昔のように、ただイベントを楽しみたいようだ。
いずれにせよ、生者が長居していい場所ではない。
「……わかった。全く……!」
彼女を抱き上げればヒュトロダエウスが喜んで拍手をした。ヴェーネスは微笑むと、遠くを見遣って掌を舞わせる。その先に光が現れた。
「最果ての”彼女”の元です。いいですか、元はデュナミスの指標ですから、帰りたいと願わなければ辿り着くことはできません」
「言われなくとも……!」
2人から逃げるように、急ぐように飛んだ。
こいつを返す決意が揺らぐはずもない。
景色はエーテルの海から漆黒の宙に変わっていく。光に近づいているようだが、どこまで距離があるのか。
辺りに煌めく片鱗から記憶を感じた。エーテルからデュナミス域に入ったようだと推測する。目的地まで近いはずだ。
道中には囁くように彼女の記憶が映し出される。酷い旅の記憶に紛れて、エルピスでの記憶も。
『エメ、トセル、ク、優しい。あなたが、そう思ってるから』
彼女に向かってメーティオンが話す。どうしてそんなふうに解釈できるんだ。優しいことなど、した覚えがない。
悪臭に向かって行った彼女の視界が回る。遠い記憶だというのに、思い出せばまた気分が悪くなってきそうで、頭を振った。
『万が一には……と……』
彼女は私の腕の中で赤い仮面を見上げる。
『わたしを閉じ込めてくれるつもりだったんだね』
まだ生温い男だったと思う。監禁するほどの決意などなく、使い魔のような相手に絆されていた。
思い出を辿りながら、ふと気づく。
光に近づいている気がしない。
「そういうことか……」
眠ったままの彼女を抱き直す。その魂はまだ鮮やかに輝き、あたたかい。
こんな罠を仕掛けたのは誰か。
彼女の心を喜んで歌っていたメーティオンか。私を苛めて楽しいと笑うヒュトロダエウスか。役割を果たすまで私を留め置いたヴェーネスか。それとも、別れを惜しんだ彼女か。
”私”が帰りたいと願わなければ、光に辿り着くことは叶わないというのか。
「私がこいつを帰したい思いは本物だ。それでも帰せないのか?」
振り返り、ヴェーネスあたりが聞いているのではないかと声を上げる。
「私に帰る気がなければ、こいつが死んでも構わないのか?」
自分の声は宙に吸い込まれていき、しんと静まり返る。相手がどこともわからないが睨み合うようにして耳を澄ませる。
それでも返事はなく、向ける相手のいない悪態を重く息に吐き出した。
「……この貸しは、お前に返してもらうぞ……」
眠る彼女に約束をつける。
「宇宙の最果てから星海まで、こんな長い旅路を、フラフラとよくも歩いてきたものだ……」
いつかもこうして、力無い彼女を抱えて歩いたな。
あの時と同じ、帰る場所は知っている。
◆◇
「君は今日、何をするんだい?」
石の家から出たところで、アルフィノがわたしにかけた言葉を合図とするように、暁の仲間たちがこちらを見る。親しい眼差したちを向けられて目を丸くする。
「英雄は、少し休ませてよ」
苦笑すると皆は笑ってくれた。
それぞれが別々の道へ歩き出していく。つぼみから花びらが綻ぶように。
わたしも皆の背中を見送って歩き出す。
背中を向けた黒衣の元に。
「お前が休むなら、私は寝ていよう。冒険に出る時には教えてくれ。多少は、見物だろうからな」
彼がひらひらと上げた掌を掴まえる。エメトセルクはなんだと疎ましそうに金色の目を向けた。
「今日も明日も明後日も、ずっとエメトセルクと一緒にいる」
笑うと彼は居心地の悪そうに目を逸らして空を見上げた。どこまでも澄み渡った空に、一羽の青い鳥が翔けていく。
自分がここにいるのは、誰かが、心当たりの幾人かが願ったせいだ。そうして未だ彼女の傍にいる理由をつくる。
「一生かけて借りを返してもらう。私を、退屈させるなよ」
ころころと笑う彼女は私の言葉の意味を理解しているのだろうか。まずは家に帰ろうと手を引かれる。
「エメトセルク、大好きだよ」
歩きながら、秘め事のような、つい声に出たような囁き。またこの言葉を身に浴びる日が来るのかと、体がむず痒くなる。紛らわせるように彼女の手を引き寄せる。
「……大好きだ」
名と共に耳元で囁く。彼女は驚いて跳び退いた。顔を紅くして、信じられないと言いたげに私を見上げる。
「メーティオンがうるさいほど謳っていたのをお前も覚えているだろう? あの気分を味わわせてやる」
逃げるように走り出す彼女と、手を繋いだまま。今日も明日も、また星に還っても。
――Fin――