スタンド・バイ・ミー※6期ベース。ゲ謎エンディング~6期1話までの、どこかの話(鬼太郎は人間基準で18歳以上。水木は普通の人間だけど、年齢不詳な見た目)
※鬼太郎が妖怪ポストの活動を一時的にやめたり、消極的だったりする描写があります。6期に比べて、経験が浅く、未熟なところがあります。そんな彼が精神的に成長する話です
※裁判シーンは、かなり省略してます。粗が目立つかと思いますが、大目に見ていただけるとありがたいです…
◇ ◇ ◇
水木さん、僕といっしょに逃げてくれませんか?
どこか遠くの、誰にも見つからないところへ。
そこで、ふたりっきりで暮らしましょう。
……なんてね。
◇ ◇ ◇
幸せな日常「?」
誰かに話し掛けられた気がして、水木は目を覚ました。
鬼太郎は水木の顔を覗き込んだ。
「気が付いたんですね……。良かった」
「鬼太郎?」
水木は自宅で、寝間着姿で布団に寝ていた。鬼太郎が額の汗を拭ってくれているところだった。
「来てたのか。俺は、いったい……?」
「覚えてないんですか?」
「うーん……。駄目だな、頭がぼんやりしちまってる」
水木には、鬼太郎がほっとしたように見えた。
「無理に思い出さない方がいいかもしれませんね……。家の近くで倒れていたところに、僕がたまたま通りがかったんです。医者からは命に別条ないと言われたんですが、なかなか意識が戻らなかったので心配しました」
鬼太郎は早口で言った。
そして、水木が次に気にするであろうことが分かっていたようで、付け加えた。
「そうだ。会社には、しばらく休ませてほしいと言っておきました」
「なにからなにまで、すまないな」
「水木さんには、いつもお世話になってますから。あの、お世話になりついでにお願いが……」
「ん? どうした?」
鬼太郎は水木の顔色を窺った。
「しばらく、ここに置いてもらえませんか?」
「今日はひとりなんだな。もしかして、親父と喧嘩でもしたのか?」
「まあ、そんな感じです」
気まずそうに目を逸らした。
ははっ、と水木は笑い声を上げた。
「お前も存外子どもっぽいな。居るのは構わねぇが、あとでちゃんと仲直りしろよ」
そうして、鬼太郎と水木、二人の生活がはじまった。
◇ ◇ ◇
その日、鬼太郎と目玉おやじの家に、いつもの面々が集まっていた。
ねこ娘の友達の話をきっかけに、誰々が誰々を好きだ、誰々と誰々が付き合っている、という話で持ちきりになった。
うんざりとした顔の鬼太郎には気に留めず、ねこ娘が尋ねる。
「ねぇ、鬼太郎は好きな人いないの?」
「いないよ、そんなの」
「なーんだ。つまんないの」
目玉おやじも、茶碗風呂から参加した。
「鬼太郎、わしはお前が心配じゃ。年頃のくせに、恋のひとつでもせんと……」
鬼太郎は「はいはい」「顔を洗って来ます」と適当に返事をすると、立ち上がって、家から出た。
「おい! まだ話は終わっとらんぞ!」
「逃げたわね」
「二人きりになってしまったとはいえ、名門の幽霊族。おやじ殿の理想は高そうじゃ」
「いやいや、わしは真剣な恋なら、どんな相手だって応援するぞ」
(みんな、勝手なことばかり)
池に映った顔は、不安そうだった。
「水木さん……」
愛しい相手の名前を呟いた。
鬼太郎は己を抱き締めた。かつてそうしてもらった時の感触を思い出すかのように。
(あの頃は、良かったなぁ……)
幼い頃はなにも気にせずに済んだ。しかし、成長するにつれ、人間社会で妖怪の子どもが暮らすのは、どうしても無理が生じた。
三人で話し合った末、鬼太郎と目玉おやじは、出て行くことになった。
その後も関係は良好で、時々父親とともに、水木のもとへ顔を出していた。
会いに行くと「元気にしてたか?」と、自分に笑いかける水木。いつからだろうか。その笑顔を見ると、嬉しさだけでなく、切なさも感じるようになったのは。
頭を撫でられると、胸が苦しくなってしまうし、顔が熱くなっているのに気付かれたくなくて、水木が素振りを見せただけで、反射的に避けるようになってしまった。「悪い。もう子どもじゃないもんな」と言いつつ、寂しげな水木に、罪悪感を覚えるのだった。
思いを伝えて断られたり、気取られて距離を置かれたりするくらいなら、今の関係のままで充分だ。誰にも気付かれないよう、自分の気持ちをひた隠しにしてきた。
(もし僕が「好きな人がいる」と言ったら、みんなどんな顔をするんだろう)
はっとして、鬼太郎は目を覚ました。
(夢か……。そんなこともあったな)
隣の水木を観察した。規則正しい寝息が聞こえる。
鬼太郎はそっと彼の布団に潜り込んだ。
(せめて、今だけはこうしていたい)
背中同士をくっつけると、水木の体温が伝わってきた。
◇ ◇ ◇
トン、トン、トン、……。
鬼太郎が朝食の準備をする音が響く。
「いたっ!」
「どうした?」
水木が後ろから声を掛ける。
「包丁で切ったのか」
鬼太郎は指先から流れる血を、じーっと見つめていた。
「こんなのツバつけときゃ治る」
そう言って、水木はペロッと舐めた。
「!」
鬼太郎は驚いて、ビクッと体を振るわせた。
水木から顔を背けると、「倒れたばかりなんだから、座っていてくださいよ」と、強引に居間へ追いやった。
水木はしぶしぶ、ちゃぶ台の前に座ると、新聞を広げた。
(すっかり回復したみたいだな)
鬼太郎は安堵した。
そして、水木がこちらを見ていないのを確認してから、自分も傷跡を舐めてみたのだった。
新聞から顔を上げた水木は、鬼太郎の背中を見つめていた。
(泊まりなんて、何年ぶりだろう)
時々は顔を見せてくれるものの、いつも長居はしなかった。
前に酔った目玉おやじから聞かされた話だが、幽霊族というのは、妖怪の中でも名門らしい。
加えて、長命で博識な目玉おやじを頼りにする者も多く、いわばゲゲゲの森の顔役も同然。息子の鬼太郎も同一視されて、なにかと頼られるそうだ。噂は人間界にも知られるようになり、バラバラに持ち込まれるよりはと、仲間たちと「妖怪ポスト」の活動をはじめてからは、忙しそうだった。
昨晩、ふと目を覚ますと、自分の布団の中に鬼太郎がいた。驚きつつも、肩がはみ出ていたので、布団をかけてやった。
ここ数年は頭を撫でるのも嫌がっていたくせに。いつも一緒にいる父親がいなくて、心細いのだろう。
少し心配になるくらい、素直で良い子だ。親と喧嘩して家出、大いに結構。年相応じゃないかと、水木は微笑ましく思った。
思索に耽っていた水木だが、視界の隅で鬼太郎がぶるっと体を震わせた気がした。
(なんだか寒そうだな。でも、あいつは体温調整できるから関係ないんだっけ?)
一緒に暮らしていた頃は、人間の町では冬に薄着だと目立つし、見ていて寒そうだというおふくろに合わせて着込ませていたけれど……、と懐かしくなった。
手際よく調理するその背中に、小さかった頃の姿を重ねていた水木は、ふと違和感を覚えた。
(あれ? ちゃんちゃんこを着ていないじゃないか?)
そういえば、昨日から、見ていない。
昔は鬼太郎が着忘れていると、目玉おやじは口をすっぱくして「ご先祖様の霊毛を編み込んだ大切なちゃんちゃんこだ。肌身離さず身につけるように」と言っていた。会社員が休日にスーツを見ると、つい仕事のことを思い出してしまうように、今は妖怪たちのことを忘れたいのだろうか、と水木は考えた。
「できましたよ」
声を掛けられたので、水木は考え事をやめ、新聞を畳んだ。
食事のあと、食器を片付けながら、鬼太郎は言った。
「そうだ。良かったら、あとで体を拭きましょうか? 風呂で倒れたら大変でしょう?」
水木が「頼むよ」と言うと、鬼太郎は蒸した手ぬぐいを用意した。
「倒れた時に背中を打ったみたいですから、少ししみるかもしれませんよ」
その夜、水木が熟睡しているのを確認すると、鬼太郎は自分の布団をめくり、隠していた風呂敷を取り出した。
包みを脇に抱えると、そっと襖を開けた。
物音を立てないように注意を払いながら、表へ出た。
◇ ◇ ◇
鬼太郎が朝起きると、すでにスーツ姿の水木がいた。
「一度、会社へ顔を出そうと思うんだ」
「まだ休んでいてください」
「そうもいかないだろ」
玄関へ向かう水木を、鬼太郎は追う。
「倒れたばかりなのに、なにかあったらどうするんですか」
「なんともないって。このとおり」
水木はぐるぐると腕をまわしてみせた。
その腕に、鬼太郎はしがみついた。
「どこにも行かないで」
「おいおい、甘えん坊か?」とからかおうとした水木は、鬼太郎の顔を見てうろたえた。
「行かないで……助けて……」
はぁはぁと苦しそうにしている。
「鬼太郎?」
全身から力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「おい! どうした」
頬を軽く叩くが、反応がない。額に触れた水木は、反射的に手を離した。
「すごい熱だ」
水木は鬼太郎を抱え上げた。ちらりと見えた足の裏は傷だらけだった。
唖然として三和土を見回したが、どこにもゲタがない。
(鬼太郎……?)
鬼太郎は目を覚ました。
額がひんやりと気持ちいい。吊るされた氷嚢が見えた。
体が重く、布団に沈み込んでしまいそうだ。
「気分はどうだ?」
ちょうど様子を見に来た水木が尋ねると、鬼太郎はこくっと頷いた。
上半身を起こそうとする鬼太郎を、水木は手伝ってやる。
「水木さん、会社は?」
「お前を放っておけないよ。体調が悪いなら、言わないと駄目だろ」
「……ごめんなさい」
「まぁ、いい。食えそうか?」
水木はフォークに刺したりんごを差し出したが、鬼太郎は首を横に振った。
「朝から食ってないだろ? なんか腹に入れた方がいい」
鬼太郎は受け取る気力もなく、水木の手に握られたフォークから直接りんごを食べた。
まだ、ぼうっとしている鬼太郎の頭を、水木は撫でた。
「こうしていると、なんだか小さい頃に戻ったみたいだな」
りんごがなくなると、水木は部屋を出て行き、鬼太郎は再び床に就いた。
目をつむっても、鬼太郎はしばらくは寝付けなかった。
まぶたを閉じると真っ暗なはずなのに、ぐるぐるとまわっているような感覚になった。
(これが病というものなのだろう)
朝起きた時から、体の熱っぽさと怠さを感じていた。しかし、それらの兆候の示すところが、よく分からなかった。
これまでは怪我をしたり、妖怪から攻撃を受けたりしても、すぐに回復した。
(病でさえこんなに苦しいなら、死ぬのはもっと苦しいんだろうな)
ふと指先を見ると、昨日の傷跡はまだ残っていた。
人間や妖力の弱い妖怪って、こんな感じなんだろうか? これまで想像したこともなかった。想像してみようとも思わなかった。
自分がやってきたことは正しかったのだろうか? 疎まれたり、恨まれたりすることも多かった。
幽霊族だから、妖力が強いから、目玉おやじの息子だから、みんな自分を慕っていただけだ。ただ期待されている役割を、こなしていただけだ。
先程、水木に頭を撫でてもらった感触を思い出す。
平凡な毎日。それでいいじゃないか。
それでいいはずなのに、心の奥底から「違う」という声が聞こえてくる。
◇ ◇ ◇
翌朝、表でカラスたちの鳴き声がする。
もしやと思い、水木は玄関の扉を開けた。
「目玉!」
自分の体より大きな風呂敷包みを背負っていた。
「鬼太郎か? うちにいるぞ」
「ここにおったか……」
ひと安心したようだった。
水木は荷物を預かると、しゃがみ込み、自分の肩をあごで示した。
「あいつ、風邪ひいちまったみたいで寝てるよ」
目玉おやじは動こうとせず、まるでその場でかたまってしまったかのようだった。
「まぁ、大したことない。昨日よりは熱も下がったし、心配ないさ」
水木は励ましたが、いっこうに動こうとしない。
目玉おやじは、ようやく声を出した。
「妖怪は風邪なんかひかない」
「随分、体の丈夫な子だねぇ」
水木は、数年前に亡くなった母親の声を思い出していた。
好奇心旺盛なのか、這い回っては小さな傷を作ったり、なにかにぶつかって泣いたりするもんだから目が離せなかった。
だから、そこまで気が回らなかったのだが、今思えば鬼太郎は赤ん坊の頃から、病気ひとつしなかった。
我に返ると、目玉おやじの姿はなかった。
廊下を駆け、鬼太郎の寝ている部屋を見つけると、入っていった。
水木も慌てて追いかける。
鬼太郎は、騒ぎで起きたらしい。寝起きのぼんやりとした頭で「父さん……?」と言った。
目玉おやじは両手で息子の襟元を掴んだ。小さな体だ。ようやく掴めるかどうかといったところだったが、迫力があった。
「鬼太郎!」
「おい、なんの騒ぎだ!」
水木の声は、目玉おやじには届かなかったようだ。
「なにがあった? ちゃんちゃんこはどうした」
「とにかく今は休ませてやれ」と、興奮する目玉おやじを、水木は無理やり引き離した。
尋常ではない様子に、親子喧嘩などではないと察し、話を聞くことにした。
目玉おやじの話によると、鬼太郎は妖怪ポストの依頼で出かけたきり、戻らなかったそうだ。
数日がかりになるのは珍しくないから、しばらく様子を見ていたが、なんの連絡も寄越さないというのは鬼太郎らしくない。
ところが、昨日の朝、目玉おやじが起きると、家のちゃぶ台の上に風呂敷が置かれていた。
中には、鬼太郎のゲタ。それに「ごめんなさい 鬼太郎」の走り書きが添えられていた。
急いで仲間を呼び寄せ、手分けして方々を探した。
その夜のことだった。
「ごめんください」
表で声がした。
決して大きいわけではないのに、よく通る声だった。
「こんな時間に誰だ?」
水木は、ちゃぶ台の上の目玉おやじと顔を見合わせた。
聞き覚えのない声だ。少なくとも近所の者ではない。
「ごめんください」
もう一度声がする。
ふらふらとした影が水木の頭上にかかる。
「鬼太郎? 起きたのか」
鬼太郎は玄関まで歩いていき、裸足のまま三和土へ降りると、扉を開けた。
「あ、おい」
そこには、山伏装束を身に纏った二人組が立っていた。
「烏天狗……」
目玉おやじは驚いたが、鬼太郎は彼らをじっと見つめていた。
「ゲゲゲの鬼太郎、妖怪大裁判の呼び出しだ」
「来てもらうぞ」
ひとりがなにか書類を見せ、もうひとりが鬼太郎の手に縄をかけた。鬼太郎はおとなしく従っている。
「妖怪大裁判じゃと なにかの間違いではござらんか?」
「妖怪……裁判だって?」
「おい、鬼太郎! お前なにをした!」
水木は「ご先祖様に申し訳が立たない」と、泣き出す目玉おやじを慰めることしかできなかった。
烏天狗は、ひとりずつ鬼太郎を挟むように立ち、促す。鬼太郎は頷いた。傷だらけの足で外へ出るところだった。
振り返った鬼太郎と、一瞬だけ水木は目が合った。
「?」
水木には彼がほっとしているように見えたのだ。
パタン、と扉の閉まる音が、やけに響く。二人はその場に取り残された。
息子の名を何度も呼び、泣き叫ぶ目玉おやじ。
「おい、目玉! しっかりしろ!」
と、水木が声を荒げると、ビクッと体を震わせて泣き止んだ。
「妖怪の裁判も、人間のと同じようなもんか」
「あぁ、大きくは違わないと、昔聞いたことがある。とにかく、ゲゲゲの森のみなに知らせないと……」
かろうじて質問には答えたものの、心ここにあらずといった様子だった。
「俺も入れろ!」
「水木?」
「このままじゃ、鬼太郎に不利になっちまうぜ。そんなの見過ごせねぇ」
「……」
「力じゃお前らにかなわねぇが、知恵なら人間に分があるはずだ。きっと役に立てる」
「しかし……」
「地獄でもなんでもいい! 俺を連れてけ!」
カラスたちに運ばれ、二人が到着すると、話はゲゲゲの森じゅうに広まっており、大騒ぎになっていた。
「おやじさん!」
家に入ると、すでに仲間たちの姿があった。
目玉おやじは事情を話した。みな水木とは初対面だったが、以前から話には聞いていたので、驚く者はいなかった。
鬼太郎がなにも言わずに行ってしまったので、事情が分からないままだったが、手分けして証拠・証人集めをすることになった。
◇ ◇ ◇
開廷! 妖怪大裁判「人間だ!」
「人間がいるぞ!」
「あの珍妙な服はなんだ?」
「『すーつ』っていうんだぞ」
裁判は開廷する前から、混乱を極めていた。
検察側には、烏天狗が控えていた。いかにも経験豊富といった年配の者と、若者の二人組だった。
弁護側は、目玉おやじと水木だ。
そして、真ん中には被告人・鬼太郎。落ち着いた様子だったが、騒ぎで水木が来ていることに気付くと、狼狽した。
裁判官である閻魔大王が入廷した。水木を一瞥した。
「人の子よ、なぜ来た」
「水木、と言う。勤め人をしている」
(閻魔大王……!)
内心の動揺を隠すように、水木はひとことひとこと噛みしめるように言った。
「俺は、目玉おやじとともに鬼太郎を育てていた時期がある。裁判にかけられると聞いて、居ても立っても居られなくて、無理を言って連れてきてもらったんだ。どうか、ここにいさせてくれ」
目玉おやじも頼み込む。
「この者は、いわば鬼太郎のもうひとりの父親じゃ。わしからも頼む」
「許可する」
閻魔大王が尋ねる。
「開廷にあたり、確認する。被告人は、『ゲゲゲの鬼太郎』に、間違いないか」
「……」
「被告人」
「……ただの『鬼太郎』だ」
鬼太郎は、少しためらってから、そう名乗った。
「鬼太郎……?」
その様子に、水木は違和感を覚えた。
鬼太郎の前に、宝玉が運ばれてくる。
「被告人、宣誓を。本法廷で偽証すれば、罰せられる」
促されて、鬼太郎は玉の上に手を置いた。
「……真実を述べることを誓う」
年配の検察官が、起訴状を読み上げた。
「被告人・鬼太郎を『世界に脅威を与えた罪』で起訴する」
「!」
鬼太郎、閻魔大王、烏天狗たち以外の、その場にいた者すべてが息を呑んだ。
水木は挙手した。
「弁護人の発言を許可する」
水木は動揺しつつも、できるだけ落ち着いた声を出すように努めた。
「俺たちは鬼太郎からなにも聞かされていない。事情も知らないまま、裁判に臨むことなんてできない。少しでいい、話す時間をもらえないだろうか?」
閻魔大王は頷いたあと、鬼太郎に尋ねた。
「被告人はどうだ?」
「このまま進めてもらって構わない。話すことも別にない」
閻魔大王は咳払いすると、宣言した。
「では、このまま続けることとする」
「鬼太郎! どうしてなんだ」
水木はその場から身を乗り出して叫んだ。目玉おやじは衝撃で落ちないよう、水木の体にしがみついた。
「弁護人は静粛に」
係の者たちに取り押さえられた。
水木は下唇を噛み、血が滲んだ。
◇ ◇ ◇
検察官が書類を読み上げる。
「被告人・鬼太郎は自身の与える影響の大きさを考えず、安易な行動に走り、世界を脅威にさらした」
検察側は、鬼太郎のちゃんちゃんこと、真っ赤な液体の入った容器を、証拠として提出した。
目玉おやじは、動転した。
「ちゃんちゃんこ! どうしてあやつらが持っている……?」
水木は舌打ちした。
「見つかったのは良かったが……。証拠となると、厄介だな」
年配の検察官は、鬼太郎にちゃんちゃんこを見せる。
「これは、ある妖怪から押収した、ちゃんちゃんこだ。被告人の物に間違いないか?」
鬼太郎は頷いた。
今度は若い方の検察官が、液体の入った容器を持って来た。
「同じく、押収した血液だ」
二人は鬼太郎に近付いた。
年配の鳥天狗が、ちゃんちゃんこを鬼太郎に近付ける。何も反応しない。
若手の方が持っている血液の入った容器に近付けると、今度はちゃんちゃんこは反応した。
「この通り、被告人は幽霊族の強大な妖力の源である自身の血と、ちゃんちゃんこを他の妖怪に渡した」
「!」
水木は肩の上で、目玉おやじが愕然としているのを感じた。衝撃からなにも言えないようだった。
傍聴席は驚きと非難の声に包まれた。
弁護側の証人として呼ばれた妖怪たちは、口々に語った。
「鬼太郎は、良い奴だ」
「世話になった。なんだかんだいって面倒見が良く、力になってくれた」
「今回のことは、なにか事情あったのでは?」
俯いていた鬼太郎は、顔を上げた。
続いて、水木は妖怪ポストに届いた手紙を読み上げた。
この手紙は、鬼太郎たちの家に残されていたもので、さまざまな感謝の言葉が綴られてきた。
「鬼太郎さんのおかげで、妖怪の友達とは今でも仲良しです」
「あなたのこと最初は怖そうだと思ったし、少し嫌そうに見えたけど、僕が妖怪に襲われそうになったら、体を張って助けてくれましたね」
「時々様子を見に来てくれてますよね? ご迷惑かなと思い、声は掛けなかったのですが……。あれから結構経つのに、気に掛けてくださって、ありがとうございます」
鬼太郎は噛みしめるように聴いていた。
法廷の空気が和らいだように感じ、水木たちは胸を撫で下ろした。
「被告人、前へ」
鬼太郎は証言台に立った。
肩に目玉おやじを乗せた水木が、鬼太郎の前に立つ。
「鬼太郎、何があったのじゃ?」
「……」
「なぜ何も言わない? 不利になるぞ」
「黙秘する」
閻魔大王は口を開いた。
「お前と取引した妖怪は逮捕した。また、妖怪大裁判での発言は、妖怪同士の契約に影響を及ぼさないことになっている。この閻魔が保証する」
閻魔大王自ら宣言したので、傍聴席にざわめきが広まった。
「なにか事情があるなら、話してくれんか」
目玉おやじは懇願するように言った。
水木は息苦しさに、ネクタイをゆるめようとした。このネクタイは以前、鬼太郎が贈ってくれたものだ。家を出る時、たまたま目に入り、願掛けのように握ってきたのだった。
「」
ネクタイには、引っ掻いたような小さな傷がついていた。お気に入りのネクタイだ。日常的に使ってはいたが、大切にしていたし、傷があればすぐ気付くはずだ。しかも、なぜか居間に置きっぱなしになっていた。だから、今締めているのだが……。そもそも、なぜあんなところにあったのだろう。
思い返せば、不思議なことはいろいろあった。例えば、鬼太郎は水木に自分の背中を見せないようにしていた……。
目玉おやじは、自分の足元がぐらぐらと揺れるのを感じ、慌てて相棒の首元にしがみついた。
「まさか……俺のためなのか?」
鬼太郎はビクッと肩を震わせたが、なにも言わなかった。
ただ、手の平に爪が食い込むほど、きつく握っている。
「何があったのか、教えてくれ」
「……」
「話せ、鬼太郎! 俺は知るべきだ!」
鬼太郎は数秒間目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
ついに鬼太郎は、語り出した。
◇ ◇ ◇
その日、鬼太郎は人間の町にいた。
妖怪に困っている、助けてほしいという手紙が届いたからだ。
追い詰められた妖怪は、しおらしく「もうしません。勘弁してください」と言うので、止めは刺さず、立ち去った。
鬼太郎がひとりで依頼をこなしにきたのには、理由があった。
(そろそろ帰ってくる時間だ。ちょうどいい)
依頼者の住所が水木の家に近かったのだ。それに、これくらいなら、他の者の助けを借りずとも、対処できるという自信もあった。
家の近くまで行くと、仕事帰りの水木が歩いていた。
「水木さん!」と呼び掛け、手を振る。少し距離があるので、聞こえないのは承知の上だったが、視線を感じたのか、水木はこちらに気付いた。
水木も大きく手を振り返してくる。向こうもなにか言っているようだが、内容までは聞き取れない。
しきりになにかを言いながら、こちらへ走り寄ってくる。
「?」
鬼太郎の後ろを指差す。
妖気に気付くと同時に、自分の影に大きな影が重なった。振り返ろうとした時だった。
次の瞬間、地面に倒されていた。
状況が分からず、混乱している鬼太郎の目に入ったのは、ぐったりと横たわる水木と、先程見逃した妖怪の姿だった。
「水木さん!」
水木は呼び掛けに応じない。シャツの背中側は裂け、傷口から血が流れている。
鬼太郎は歯を食いしばると、指鉄砲で妖怪に止めをさした。
「水木さん! 水木さん!」
止血したものの、シャツは真っ赤に染まっていた。
「どうして……?」
見覚えのあるネクタイが目に入る。端に小さな傷があった。鬼太郎をかばって妖怪に襲われた時についたのだろう。
「妖怪は死なないし、怪我だってすぐ治る。あなたがかばうことなんかなかったのに。僕のことなんか、助けなくて良かったのに」
ネクタイを握り締めながら、鬼太郎は慟哭した。
その目からこぼれた涙は頬を伝い落ち、水木の体に染み込んでいった。
再び妖気を感じた鬼太郎は、水木を自分の背で隠しながら、きっと相手を睨んだ。
相手は両手を胸の前で挙げ、攻撃の意思がないことを示した。
「誰だ!」
「わたしは、妖怪病院の医者だ」
「医者?」
「その人間を助けたいか?」
鬼太郎を訝しんだ。
「助けられるっていうのか? お前妖怪だろ?」
「いかにも。普段は人間は診ないが、妖怪から受けた傷なら打つ手はある」
鬼太郎は警戒を解き、すがるような目で見上げた。
「助かるのか?」
医者は頷きながら「ただし、条件がある」と言った。
「条件……?」
いつの間にか意識を失っていたらしい。
自分の体がぶるっと震える感覚で、鬼太郎は目を覚ました。
「終わったぞ。この人間もじきに目を覚ますだろう」
水木の顔には生気が戻っていた。鬼太郎は一安心した。
「!」
来た時のように水木を背負おうとして、体勢を崩し、危うく地面へ落としそうになった。
今度は注意を払いながら背負う。家へ送るくらいなら、なんとかなりそうだ。
鬼太郎は、妖怪病院をあとにした。
◇ ◇ ◇
「どうしても、水木さんを助けたかった」
鬼太郎が語り終えると、法廷は静まり返った。
「鬼太郎……そんな……」
水木は顔を押さえて、その場に屈み込んだ。
目玉おやじは水木の肩から飛び降りると、息子と閻魔大王の間に立った。
「倅はまだ若く、経験不足じゃ。大切に思う者の命が危うい中、急な選択を迫られ、動揺していた。きっとその妖怪に騙されたのじゃろう。どうか寛大なご判断を」
閻魔大王も聴衆も、目玉おやじの訴えに聞き入っていた。
閻魔大王は、鬼太郎に尋ねた。
「被告人は、事件当時、正常な判断力を失っていたのではないか?」
鬼太郎は、弁護人の二人を見た。目玉おやじは小さく頷いた。水木は視線に気付くと、顔を上げ、じっと見つめ返した。
一度深呼吸してから、はっきりと答えた。
「いいえ」
鬼太郎は続けた。
「確かに僕は、未熟なところがあるだろう。動揺してもいた。でも、血とちゃんちゃんこを渡したらどうなるか、想像はついた。分かった上で、自分の意思で渡した」
聴衆が騒がしくなったので、閻魔大王は「静粛に!」と諌めた。
「鬼太郎、なにを言い出だすんじゃ……」
目玉おやじはよろめき、水木に支えられた。
水木は立ち上がると、考えを探るかのように、鬼太郎を見つめた。
鬼太郎は、医者とのやりとりを話した。
◇ ◇ ◇
鬼太郎は「条件ってなんだ?」と、医者に訊いた。
「三つある。鬼太郎、お前の血とちゃんちゃんこを差し出すこと」
鬼太郎はごくっとつばを飲み込んだ。到底受け入れられない条件ではあるが、まずは話を聞いてみることにした。
「そして、代わりに人間の血を入れること」
「人間の血……?」
「ただ血を抜くだけでは、幽霊族の血は再生されてしまう。それでは意味がない。お前には、この人間の血を培養して入れる」
鬼太郎は黙っている。
「最後に、このことを誰にも言わないこと」
「本当にそれだけか? あとで覆したりしないか?」
「これですべてだ。お前がこの条件を呑むなら、代わりにこの者の命を助けよう。約束する」
「……」
鬼太郎は下唇を噛みながら、水木と医者を交互に見た。
水木の顔からは、血の気が失せていく。
「応じなくてもいいが、時間は限られているようだぞ」
鬼太郎は地面に拳を強く打ち付けた。
そして、絞り出すような声で言った。
「分かった」
ちゃんちゃんこを脱ぐと、医者へ渡した。
自分の病院へ案内すると言うので、水木を背負ってあとをついて行った。
◇ ◇ ◇
検察官は、鬼太郎に尋ねた。
「被告人は、影響を充分に理解した上で渡した、ということだな?」
鬼太郎は頷いた。
「理解していたし、引き起こされるかもしれない事態についても、覚悟はしていた」
もし世界が脅威にさらされた時は、止めに行こうと思っていた。妖力は失っても、時間稼ぎくらいならできるはずだ。
または自分が捕まったり、殺されたりする可能性もあったが、それは構わなかった。取引の条件が自分の命と引き換えだったとしても、応じただろう。
でも、すぐに烏天狗が自分のもとに来たので、医者が捕まったのだと悟った。大事になる前に発覚し、自分が罰を受けるだけで済みそうだったので、安堵した。と、鬼太郎は語った。
水木は、連行された時の鬼太郎の表情を、思い出していた。
「永久に地獄につなぎ止められたり、魂を消滅させられたりしてもしかたがない。それだけのことをした」
そう鬼太郎は言った。
検察官の追求は続く。
「なぜそこまで、その人間に肩入れする? お前は妖怪だろ」
「……恩がある」
鬼太郎は、検察官から目を逸らして言った。
「それは本心か?」
「……」
「言えないのか? 何か都合の悪いことでも?」
年配の検察官が付け加える。
「その人間に弱みを握られてるとか?」
鬼太郎はカッとして、ほとんど怒鳴るように言った。
「水木さんのことが、大切だからだ! 僕の命や世界なんて、どうでも良かった」
水木の方を向いて付け加えた。鬼太郎はなかば自棄になっていた。
「この人さえ生きていてくれれば、それで良かったんだ! 愛してるんだ。それの何が悪い」
あたりは水を打ったように静まり返った。
そのうち、耐えきれなくなった者同士が顔を見合わせ、囁きだした。
「え? 今のって」
「キャー」
水木は妖怪たちが騒ぎ出した意味が分からず、キョロキョロとあたりを見回していた。鬼太郎は赤くなった顔を隠すように、下を向いていた。
「鬼太郎、お前はとっくに恋を知っていたのじゃな」
目玉おやじは、しみじみと呟いた。
「?」
水木はそれを聞いて、すぐには理解できなかった。しかし、だんだんと意味が分かると赤面した。
「静粛に! 静粛に!」
いくら閻魔大王が呼びかけても混乱は収まらず、休廷となった。
◇ ◇ ◇
「妖怪大裁判を、再開する」
閻魔大王は宣言した。
休廷している間、捜査への協力のため、水木は別の妖怪の医者に診てもらうことになった。
件の医者から受けた医療行為は、人間の水木にとって、健康上の問題はなかったようだ。ただ、当時水木は大量に出血していたものの、元来丈夫な方で、命に関わるほどの傷ではなかったのではないか、というのがその医者の見解だった。
それを聞いて、鬼太郎は安堵するとともに、己の認識の甘さを痛感し、膝から崩れ落ちた。
鬼太郎が落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がるのを見届けてから、閻魔大王は言った。
「判決の前に、被告人から言いたいことはあるか?」
なにも隠す必要がなくなった鬼太郎は、心情を吐露した。
幽霊族の末裔として、強大な妖力を持って生まれたこと。また、父は多くの妖怪に慕われており、自然と他の妖怪の手助けをしたり、妖怪同士の諍いの仲裁をしたりするようになったこと。その流れで、妖怪ポストの活動をはじめたこと。それ自体は嫌ではなかったし、責任も感じていたが、どこかで「自分の意思ではじめたことではない」という気持ちがあったこと。
でも、すべてを失って、自分にとって大切だったと気付いた。
恨み節を言われたり、厄介事に巻き込まれたりすることもあったが、それ以上に感謝されていたことを思い出せた。妖怪と人間が共存するのは難しいが、仲良く暮らす者たちを見た時の嬉しさはたまらなかった。
何でもないような毎日は、ひとりひとりが守り、作り上げているものだと実感した。自分のしたことの意味を、分かっているつもりだった。でも、さまざまなことを見落としていた。
「どんな罰でも受ける」
鬼太郎は最後にそう言った。
閻魔大王が口を開いた時だった。
「ちょっと待て!」
水木は声を上げた。弁護人席から立ち上がると、ずんずんと歩いていき、傍聴している妖怪たちの前に立った。
「本人が納得してたようだから、これまで口を出さなかったけどな! 鬼太郎はまだ若いのに、それに見合わない力と役割を背負わされて、いつも忙しそうだった」
「水木さん……?」
鬼太郎は、不安げに水木を見た。
「今回のことは良くなかったかもしれねぇ。でも、追い詰められるのもしかたがないと、俺は思う。お前らだって、鬼太郎のことあてにしてただろ! 頼ってばかり。誰かあいつのことを守ってやろうって奴はいたか? ちったぁ、自分たちで解決しろ!」
水木は閻魔大王の方へ向き直った。
「閻魔大王! あんたにも協力してやったことがあるって聞いたぞ!」
水木は係の者たちに捕らえられ、弁護人席へ戻された。
「水木さん、あなたって人は……!」
鬼太郎の頬を、一筋の涙が流れた。
◇ ◇ ◇
愛しい世界 「今夜は、鬼太郎が帰ってくる日か……」
妖怪大裁判から十数日後、水木は目玉おやじとともに、自宅で鬼太郎を待っていた。
目玉おやじは、普通の人間でありながら、地獄まで来た水木の身を案じて、念のため付き添っていたのだ。
判決では、実際の被害がなかったこと、鬼太郎がまだ若いこと、事件当時の精神状態、誠実な態度、そして、これまで多くの妖怪や地獄での問題解決に協力してきたことが考慮された。
目玉おやじがしっかり監督すること、有事の際は手を貸すことを条件に、今回に限り、当面獄卒の手伝いをすることで決着した。鬼太郎は自分の血と、ちゃんちゃんこを取り戻した。
医者への取り調べによると、どうやら具体的な目的や計画があったわけではなかったようだ。鬼太郎を疎ましく思っており、以前から隙あらば力を奪ってやろうと狙っていたらしい。
地獄で働く間、鬼太郎は妖怪たちから非難されることを覚悟していたが、意外にも好意的に受け入れられた。
もちろん、心ない言葉を掛けられることもないわけではなかったが、同情の声の方が大きかった。前より親しみを覚えたと、声を掛けてくれる者もいた。
仲間たちは、代わる代わる地獄に顔を出してくれた。
砂かけばばあは、鬼太郎に言った。
「頑張っているお主を傷付けるやもと言えなかった。お節介と言われても、口を出すべきじゃったな。もっとわしらを頼ってくれ」
「いつも助けてもらってるよ。裁判の時だって、証人探しに駆け回ってくれたそうじゃないか。みんなには感謝してる」
横で聞いていた子泣きじじいは、口を挟んだ。
「だいたい妖怪なんて変わり者の寄せ集めじゃ。こんなこと珍しくもない」
「これ! なんてこと言うんじゃ!」
怒られた子泣きじじいは逃げ回った。それを追いかける砂かけばばあ。
(僕は、本当にいろいろなことを見落としていたんだなぁ……)
鬼太郎は二人の小競り合いを見ながら、微笑んだ。
カラスたちの鳴き声がする。
水木と目玉おやじは、顔を上げた。
玄関の方から物音がする。扉の鍵は開けたままにしていた。
「ただいま戻りました」
目玉おやじは水木の肩に乗り、水木は急ぎ足で玄関へ向かう。
二人は鬼太郎を出迎えた。
「お帰りなさい、鬼太郎」
「水木さん、父さん、ごめんなさい」
鬼太郎は、二人にそれぞれ頭を下げた。
水木はガシッと鬼太郎の肩を掴んだ。
「お前、死んでたかもしれないんだぞ! 本当に……本当に……」
その声は震えていた。
「無事で良かったよ」
鬼太郎を引き寄せると、抱き締めた。
目玉おやじは、おいおいと泣き出した。
三人は居間へ移動した。目玉おやじはちゃぶ台の上に立ち、向かい側に、鬼太郎と水木は座った。
「とにかく、お前になにごともなくて良かった」
そこで目玉おやじは、一度言葉を区切ると、
「水木の言ったことも、もっともじゃ。わしには言いづらかったのじゃろう。鬼太郎、気付いてやれなんで、すまなかった」
と、頭を下げた。
「父さん、頭を上げてください。これまで積極的になれなかったのは事実です。でも、今は続けたいし、誰かの力になれるのが嬉しいって思ってます」
そして、水木の方を見て付け加えた。
「もちろん、無理のない範囲で、ですけど」
水木は頷いた。
そして、優しく諭すように言った。
「俺はやわじゃない。ちっとやそっとのことじゃ死なねぇから、心配すんな。もうあんなことしないな?」
「……」
返事がないので、鬼太郎の顔を見た。
「今回のこと、心から反省してます。僕の甘さが招いたことです。でも……」
鬼太郎は、水木を見た。
「でも、もしまた水木さんの身になにかあれば、僕は同じことをします!」
平然と言ってのけたので、二人はほぼ同時に鬼太郎を叱った。
水木はあきれていた。
「お前、さっき言ったことはなんだったんだよ」
鬼太郎は水木の目をまっすぐ見て言った。
「僕の気持ち、知っているでしょう?」
裁判での一件を思い出して、水木は耳まで赤くした。
「あなたのことが、何より大切なんです」
水木はふーっと大きく息を吐くと、鬼太郎に近づき、その肩を掴んだ。
「俺のなにもかもやるから。自分を犠牲にするのは、やめてくれ」
「……やめてください」
鬼太郎に静かな口調で言われ、水木は虚をつかれた。
「え」
「同情で言ってるなら、やめてください。そんなの嬉しくない」
鬼太郎は絞り出すような声を出した。
やれやれ、と水木は頭をかいた。
「そこまで思われるのも悪くねぇ。そう思っただけさ」
と、ニカッと笑った。
「!」
鬼太郎は目を見開き、頬を染めた。
目玉おやじはゴホン、と大きく咳払いをした。
はっとして二人は、そちらを見た。
「少し外すから、話し合え。二人で出した結論なら、わしから言うことはない」
「おい!」
「待って……」
水木と鬼太郎は、反射的に立ち上がり、そそくさと立ち去る目玉おやじの背に声を掛けたが、部屋を出て行ってしまった。
ゴホン、と今度は水木がわざとらしく咳払いした。
「お前はどうなんだ?」
鬼太郎は深呼吸してから、その場で片膝をついた。高鳴る鼓動を抑えるように、自分の胸に手を当てた。
「水木さん……いや、水木、愛してる。あなたのすべてが欲しい。どうか僕と一緒に生きてくれ」
そう言って、水木を見上げた。
きらきらとした、恋する瞳。それが自分に向けられたものだということを、水木は嬉しく思った。
(いつの間に、そんな顔できるようになったんだ?)
鬼太郎のことは赤ん坊の頃から知っているが、目の前にいるのは、一人の男だった。それを意識した途端、自分の体温が上がるのを感じた。
鬼太郎は、片手を水木へ差し出した。
震えるその手が、水木には愛しかった。体を屈めると、手を取り、甲に口付けた。
「約束しろ。もう自分を犠牲にしないと」
鬼太郎は頷いた。
「鬼太郎、この命ある限り、お前といると誓うよ」
鬼太郎は立ち上がると、水木の顔を引き寄せた。
二人は、しばし見つめ合ってから、誓いの口付けをした。
顔を離すと、どちらともなく照れ笑いをした。
ふふっと笑う水木に、鬼太郎は胸が締め付けられた。
水木を軽く押し退ける。
「頭冷やしてきます!」
真っ赤な顔でそう告げると、家を飛び出してしまった。
「あ! おい……」
水木も慌てて、あとを追う。
隙間から覗いていた目玉おやじ。その目は潤んでいた。
「もう心配ないじゃろう。親の知らぬ間に、子は成長していく」
(約束は守るけど……)
駆けながら、鬼太郎は考えていた。
(もしも選ばなきゃいけない時が来たら、あなたとこの世界のために、僕はどんな代償でも払うよ。たとえ、この身に代えても)
鬼太郎は目を細めた。
(やけに眩しいな)
いつもと変わらない景色のはずなのに、今日は輝いて見えた。それは、あたりが明るくなりはじめたからだけではないだろう。
なにもかもが愛おしく感じ、自然と口角が上がってしまう。
「鬼太郎!」
追いついた水木が、声を掛ける。
鬼太郎は、振り返った。