賭郎本部の捕縛劇「そっちにいた?」
「いや、みつからない」
自分を追いかける黒いスーツの男たちの声に南方は息を潜める。不味いことになったと洗濯機の隙間に身を縮こませ隠れていた。
南方恭次はポメガである。
ポメガとはなにか。極限まで疲労が溜まるとポメラニアンになってしまう人類のことだ。人口の一割程度かポメガだと言われるこの世界。その一割に属するのが南方である。
そんな南方は現在ピンチの真っ只中だった。賭郎本部のビルの中にてポメラニアンに変化してしまったのだ。幸い変化する瞬間を目撃はされなかったのだが、服の中から這い出て事情を知る唯一の相手の元へ向かおうと廊下を歩いてた最中、たまたま本部に遊びに来ていたマルコに見つかってしまった。
そこから始まる追いかけっこ。立会人と比べても遜色ない身体能力のマルコに追いかけられるも、なんとか撒いてランドリールームに隠れたのが十分ほど前。そろそろ移動するかと耳をすませば正体不明の黒い犬を探す声が聞こえてきて動けなくなってしまって今に至る。
ポメラニアンになったことで鋭くなった聴覚によると、南方(犬)を探しているのはマルコに頼まれたのであろう銅寺立会人と真鍋立会人、そしてお屋形様の協力者梶の声も聞こえてくるのだから少なくとも四人……いや、ブレイン役としてお屋形様自身も噛んでいないわけがないから五人か。マルコだけであればなんとかなったかもしれないが、知も暴も持ち合わせた立会人二人と知に秀でるギャンブラーが二人、一筋縄ではいかないだろう。
こんな状況で頼れるのは紆余曲折を経て飼われてやることにした門倉ひとり。門倉に割り当てられた部屋までは人間の姿であればすぐだが、ポメラニアンの足ではそれなりに遠い。そもそもこの姿では扉を開けることすら適わなそうだが。
一応南方はポメラニアンへと変わったあと、門倉へ電話をかけワンコールで切っている。電話に気づけば門倉が体内のGPSを元に来てくれると約束していた。人のものよりだいぶ不器用な前脚で電話をかけるため南方の携帯は未だにガラケーだ。
後は門倉がその電話に気付いて対応してくれればと思うもそもそも本部に居るのだろうか。そう考えると南方は徐々に不安に苛まれる。無意識にきゅうんと鳴き声が漏れてしまっていることには気付かない。
「あっちから声がするのよ」
小さなポメラニアンの耳がマルコの声を捉える。徐々に近付いてくる足音に南方に緊張が走る。暗がりに身を隠しなるだけ息を押し殺す。
「聞こえなくなった……?」
マルコの声の近さからランドリールームへと入ってきたようだ。人数は足音から二人。
「意外と隙間に隠れてたりして」
もう一人は梶だ。的確に南方の隠れているところを言い当ててきた若きギャンブラーに歯噛みする。
「なら、マルコが見てくるよ」
少しずつ隠れている場所に二人が近付いてくる。緊張感と不安に南方はしっぽも耳もベタりと伏せてしまう。そこにさらに一人誰かが訪れた足音がした。
「おや、梶様、マルコ様ここで何を?」
「マルコが犬を見かけたと探しているんです」
聞こえてきた声は門倉だった。きっと南方の救援信号に気付いて来てくれたのだ。嬉しさに思わず先程まで伏せられていたしっぽがブンブンと揺れてしまう。揺れたしっぽが隣の洗濯機へと当たり鈍い音が部屋に響く。
「カジ!こっちから音した!」
すぐさま気付いたマルコにしまったと南方は慌ててしっぽの動きを止めるももう遅い。隙間から覗いたマルコとばっちり目が合った。
「いたよ!」
見つかったと慌てた南方は隙間から飛び出そうとして思い直す。この隙間なら奥にいればそう簡単に引きずり出されたりはしないだろう。こうなれば籠城戦だ。
マルコに呼ばれた梶が隙間を覗き込んできた。そっと伸ばされた手を前脚ではたきさらに奥へ逃げる。
「出てきそうにないね……」
残念そうに言う梶に南方の良心がやや痛むも、出ていって撫で回され戻りでもした方がよりいたたまれない。
「梶様、私にお任せ頂けないでしょうか?」
割り込んだ声に南方の耳はぴくりと反応する。戸惑うような梶とマルコの声が聞こえる中、門倉は言葉を続ける。
「犬の扱いは慣れておりますので」
「それならばお任せします」
少し安心したような梶の声とゆっくり近付いてくる足音に南方は小さく鳴き声を漏らす。門倉の隻眼が南方を捉える。その隻眼は口元を見ずとも分かるほど楽しげに歪んでいた。
(この状況を面白がりよって……!)
そんな門倉に思わず唸ってしまったのも仕方ない。唸り声に眉をひそめた門倉が南方にだけ聞こえる小さな声で文句を言う。
「……助けてやらんぞ」
流石にそれは困るときゅうんきゅうんと声を上げる。その必死さに気を良くしたらしい門倉は満足気に頷いた。南方のいる隙間から離れたと思えば二人へと説明する言葉が聞こえてくる。
「すみません、この犬は私の犬で所用のため本部に連れてきていたものです。隙間から呼び出そうにも人見知りするので申し訳ないですが私と犬だけにしてもらえないでしょうか」
なかなかに上手い言い訳に門倉は凄いなとまた緩くしっぽが揺れる。しかし、安心するにはまだ早い。重要なのはあの二人が立ち去ってくれるかどうかだ。
「そういうことでしたら……いいマルコ?」
「カジ、ひとみしりって?」
「知らない人間が怖いんだって」
「そっか、なら任せたよ!追いかけてごめんね?」
南方が拍子抜けするほどあっさり了承した上に、謝ってまでくるマルコにまたしても良心が痛む。そのうちバレない形でお菓子かなにか渡そう。そうして遠ざかる二人の足音を確認していると、門倉の声が聞こえた。
「南方。出てこい」
おずおずと隙間から出てくれば見下ろす門倉と目が合った。手間をかけてしまったと耳をぺしょりと伏せる。
「はぁー……そがいな目で見んな」
ベンチに座った門倉が来いと示せば、隣へと駆け登り腰をおちつける。
「後で言い訳は聞くけぇとりあえず戻れ」
門倉の大きな手が南方の頭を撫でればついつい目を細めた。隙間にいたことにより埃まみれとなった毛並みを整えるように梳かれるとべたりとベンチの上で伏せ、心地良い手の感触を楽しむ。
「まぁ、大方立ち会いで無茶したんじゃろ」
「わふ」
その通りだと小さく返事すれば門倉の口元が僅かに緩む。しっぽが思わずパタパタと揺れる。
「この貸しはちゃんと返して貰うけぇの」
そうは言いながらも優しい声色に南方が甘えるように擦り付けば、応えるように撫で回された。
そうしてたっぷり十分も撫で回された南方は無事に人間の姿へと戻ることが出来たのだった。
「ほら着替え」
門倉が持っていたランドリーバックを差し出す。中に入ってきたのはポメラニアンになった際に全て脱げた南方の服だった。
「おん、ありがとう」
礼を言って受け取るとすぐに衣服を身に付ける。流石に全裸のままというのはいたたまれない。
「で、なんでポメラニアンになっとんたんじゃ?」
ニヤニヤと楽しそうに聞いてくる門倉に南方は原因を思い出しため息を漏らしてしまう。
「今日着いた会員が癖もんでのぉ……」
あまり話したくはないのだが早く続きをと催促する門倉の視線に負けてぽつりぽつりと語り出す。
「セクハラはしてくるわ、イカサマはするわ、負けたらごねるわで粛清したろかと思うたけどお屋形様からはまだ殺すなと指示があって手出し出来んかって」
南方は思い出すだけでも腹が立つと零す。そんな南方を労わるように門倉は人の南方の頭を撫でてきた。
「それは大変じゃったのぉ」
そう言って笑う門倉の表情が犬に向けるものと同じで、あまりに優しいものだから南方は目を逸らしてしまう。無駄に高鳴る胸の鼓動を落ち着ける頃には、借りを返すためにこの後晩酌を奢る約束をさせられてしまっていた。
この一件以降門倉の飼う人見知りな犬の話は立会人の間で知れ渡り、門倉が犬用のおもちゃやおやつを貰って帰るようになってしまうのは少し先の話だ。