抱き枕の安眠効果について 門倉がそれを目にしたのは偶然だった。
新しい机が欲しくて見に行った北欧発の家具店で出会ってしまったのだ。大きなカゴに乱雑に積まれたそれを手にしたのはただの気まぐれだった。決してつぶらな瞳に絆された訳ではない。しかし、なんとも言えない表情と大柄な門倉に対しても小ささを感じさせないそのサイズに思わず購入してしまっていた。
帰宅後、それをショッパーから取り出すとソファに座らせる。衝動的に購入したはいいがそれなりのサイズだ。なかなかに場所をとる。それでも門倉が寝ころべる程のソファとなれば邪魔にはならないだろう。
食後にソファに横になれば手慰みにそれを抱いてみる。何となく収まりがいい気がする。流れてるテレビをぼんやり眺めているうちに門倉は気づけば朝まで熟睡していた。
元来門倉は寝つきが良い質ではない。その上、眠りが深い訳でもないのである。その門倉がこうも眠ってしまうとは、と朝まで腕の中にあったそれに視線を向ける。ソファでこれなのだからちゃんとした寝具であればより効果的に違いない。
そうして門倉のベッドにサメのぬいぐるみが鎮座するに至ったわけだった。
サメを抱いて寝るようになってから早一週間。良質な睡眠を取れるようになった門倉は機嫌が良かった。急な遠方の立ち会いが入り、宿が取れなかったからと別の立ち会いで近場にいた南方と同じ部屋に押し込められても即座に苦情の電話を入れない程度には機嫌が良い。当然、後ほど苦情は入れたのだが。
「なにが悲しゅうておどれと同じベッドに寝らんといけんのじゃ」
「それはこっちの台詞じゃ、南方」
部屋にひとつしかないベッドを前にして、男二人立ちすくむ。苦情の電話の相手曰く、賭郎の経費で落ちるホテルはここしか取れず別に泊まりたいなら自費で取ってもらうとのことだ。しかし、観光でもない場所の金曜の深夜ともなれば今から探しても見つかるか危うい。せめてもの救いはベットのサイズがキングサイズであることだ。これならば体格のいい男二人でも寝れてしまう。
「はぁ……どうせならもう少し嵩張らんやつの方がよかったわ」
「おどれかて変わらんじゃろうが」
門倉がため息をつきながら文句を言えば南方が反論してくる。その反論を聞き流して門倉はベッドへと寝転んだ。
「寝るんなら先に風呂入れ、あとジャケット皺なるぞ」
ジャケットとスラックスを脱いでラックへと掛けた南方はソファに座るとホテルへと入る前に買っていた缶ビールを開ける。門倉が居ようと遠慮せずに寛ぎ過ぎではなかろうか。だが南方の言う通り、流石にジャケットに皺が着くのは避けたいと渋々起き上がった。
脱いだジャケットとスラックスを南方のものの隣にかければ、先に風呂を済ませるかと脱衣所に向かう。南方の言葉に従うようで少々癪だが、明日も早い為出来るだけ睡眠時間は確保したい。あのぬいぐるみもない中、寝つきが悪い門倉は早く布団に入ることくらいしか対策のしようがないのだ。
入浴を済ませた門倉は、南方が風呂に入っている間に髪を乾かし、寝酒を引っかける。なかなか出てこない様子から南方は結構長風呂らしい。別に待つ理由もないかと先にベッドへと潜り込む。いつもと違いサメのぬいぐるみがないため手持ち無沙汰だ。
「門倉……?もう寝たんか?」
横になってしばらくすると、風呂から出たらしい南方の声が聞こえる。まだ眠気は来てないが相手をするのも面倒だと放って置けば、寝たと勘違いしたらしくそれ以上は何も言われない。ドライヤーの音がしたかと思えば南方もすぐ寝るつもりなのか掛け布団が捲られ、隣へと入ってくる。
「なんじゃ、まだ起きとるやないか」
ベッドの中で目が合えばはよ寝ろと言ってくる南方に小さく舌打ちして背を向ける。そんな門倉に南方はそれ以上はなにも言わず、ベッドサイドの電気を消した。
電気が消えて一時間。なかなか眠れない門倉は困っていた。
明日の立ち会い自体は寝不足でもこなせる程度のものではあるが、完璧の側に立つ立会人としては万全の体調で挑みたい。試しに頭に敷いた枕を抱いては見たものの、今度は枕がなければ寝れないということに気付き効果はなかった。
ごろりと何度目かも分からない寝返りを打つ。目の前には南方の背中がある。どうやら門倉は寝返りを打つ間に真ん中の方へズレていたらしい。
気まぐれを起こした門倉は何となく南方の身体に腕を回してみる。ぬいぐるみより暖かく、少々どころではなく固いが収まりは悪くない。それにサイズがある分足まで絡めて寝れそうだ。気付けばうとうととしだした門倉は南方を腕に抱いたままそのまま眠りについたのだった。
夜中。南方は寝返りを打とうとして動けずに目を覚ます。寝起きの頭でなぜ動けないのか分からないままぼんやりとしていると、背中に感じる温かさ。なんだ門倉か、と今度は逆方向に寝返りを打とうとするとがっちりと固定されているかのように動けない。
少しずつ覚醒してきた意識で自身の状況を確かめれば門倉の腕と足がそれぞれ腹と腿のあたりに絡み付いている。
「……は?」
状況を飲み込んだ南方の目は一気に覚める。一体これはなんの悪夢だ。なんとか門倉を振りほどこうとするも、動くほど食い込む手足に本当にこれは寝ているのか?と疑問が過ぎる。
それでもなんとか逃げようとする南方の後ろから不機嫌そうな低い声が聞こえた。
「……動くな」
びくりと南方が動きを止めると再び寝息が聞こえてくる。
(嘘じゃろ……?この状況で寝るか?)
寝たのを確認して再度動こうとすると、腹に回っていた門倉の腕が首に移動する。これは下手に動けば寝ぼけて手加減出来ない門倉に絞め落とされる。控えめに言って命の危機だ。
背後から門倉に抱きすくめられたまま動けない南方はこの後一睡もすることが出来なかった。
「ふぁ……」
結果的に数時間しか寝れず、身動きも取れなかった南方はバキバキとなる身体を伸ばし欠伸を漏らす。
「何じゃ南方、寝不足か?」
元凶である門倉は南方の気苦労も知らずによく寝たと朝から上機嫌だ。そんな門倉にカチンときた南方はついつい声を荒らげてしまう。
「誰のせいじゃと思うとる!おどれのせいで全く寝れんかったわ!」
南方の剣幕に驚きながらも心当たりがないとばかりに門倉は首を傾げる。
「もしかして人がおったら寝れんタイプじゃったか?」
見当違いな門倉の言葉に大きく溜息を吐く。もしかしたら自分を抱いて寝ていたことに門倉は気付いていないのかもしれない。それであれば責められないし、今後はこちらで対策を取れば問題ない。そう思った南方が気を取り直したのと同時に門倉が続けて言葉をなげかける。
「あ、そうじゃ南方。おどれ抱き枕として優秀じゃったけぇこれからもたまに頼むな」
「確信犯じゃったんか!二度とおどれと寝んわ!!」
怒って先にホテルを出た南方は知らなかった。このやり取りが門倉の配下の黒服に聞かれ、拡散されることを。
そして、南方立会人って門倉立会人に抱かれたんですかと年下の先輩立会人から聞かれる羽目になるのはもう少し先の未来である。