冷たい風がびゅうと吹きつけて硝子窓をかたかたと鳴らした。
氷河高校野球部寮にも年の瀬は否も応も無く迫り来て、年末年始の閉寮を直近に、部員達は帰省の荷作りに部屋の清掃と忙しなく駆け回っていた。
窓の外では厚い雲が、見渡す限りの空いっぱいに敷き詰められたように広がり、まだ昼飯時を少し過ぎたばかりというのにどんよりと薄暗かった。時折冷たい風が吹いて、寮舎の脇に立つ木の乾いた枝を揺すっていた。
「かー! 寒ィー!」
勢い付けて部屋のドアが開く音とほぼ同時に、やけに大きな声がした。声の主がスリッパを脱ぎ散らして駆け込むと、どたどた床を踏み鳴らす足音と一緒に彼が右手に提げたコンビニ袋もがさがさ鳴った。
部屋の二段ベッドの上段で仰向けに横たわって文庫本の文字をつらつら追っていた桐島は、溜息を吐いて身を起こした。
「巻田クン声デカ……ほんでもうちょっと優しぃにドア開けられへんの」
「桐島はもうちょっと俺に優しくしろよ!」
せっかく買ってきてやったのによ、とぶつぶつ文句を垂れる声は急に小さく、それが滑稽で桐島は思わず吹き出した。
「トランプで負けたほうが飲み物買いに行くー言うて仕掛けてきたん、巻田クンやん」
部屋の掃除も大方終わりかけた頃、休憩がてらにカードゲームでの勝負を挑んだ巻田は、桐島に一泡吹かせてやるつもりであったらしいのだが、あっさりと負けた。
桐島は梯子を降りて、蹲み込んでコンビニ袋の中を探っている巻田の傍に立った。普段なかなか見ることのない巻田の旋毛に、つい視線を注ぐ。
「桐島のってコレだよな? ほれ」
顔を上げてコンビニ袋から炭酸飲料を取って寄越す巻田の手を、桐島の左手がそっと下へ押し退けた。
「やっぱええ。巻田クンにやるわ。そん代わりこれで許したる」
矢継ぎ早に言い連ねると、桐島は巻田の唇まであと僅かのところまで、ぐっと距離を詰めた。
巻田は一瞬身を竦めたが、一度唇を固く引き結んでからその緊張を解くと、目を閉じておずおずと唇を重ねた。
途端、巻田が連れて帰ってきた外の空気の匂いが、桐島の顔をふわりと撫でた。
巻田の唇は外の冷たい空気に晒されて冷たくなっていた。それもやがて、重ねた桐島の唇から徐々に伝わってくる温もりで、元の温かさと血色を取り戻していった。
――突然、巻田の唇に鋭い痛みが走った。
「ッ痛ェ」
思わず跳び退いた巻田が痛みのしたところを指で触ってみると、指先には赤い血が僅かに付着していた。唾液に混じってほんのりと薄まった鉄の味が口の中に広がる。
「何にすンだよッ! 急に!」
ひりひりと熱を帯びた唇の上下を舐めたり擦り合わせたりしながら涙目で桐島を睨んだ。
「いや巻田クン唇カッッサカサやねんもん。チクチクすんねん。なんぼゴリラや言うたかてリップクリームぐらい塗らなアカンよ」
むぐむぐと口を動かして、桐島は一切悪びれる様子もなく言い放つ。
「いやだからってヒトの唇の皮毟り食うかよフツー」
巻田の抗議もどこ吹く風と、桐島は「やっぱ貰うわなぁ」と一方的に断って今し方巻田にやると言ったばかりの飲料で喉を潤した。
「ンだよもう……ムードもクソもねェな」
やりたい放題の桐島の振舞いに頭を抱えて、巻田は溜息を吐いた。そういえば桐島はこんなヤツだったと思い出しながら。
「まあええやん。巻田クンかて唇バリバリに乾いとるし外の変な空気の味したで。あの味何やろな、空気汚いんかなァ」
「ムードとか無ォてもええやん、俺らは」
そらあったほうがええけどな、と付け足して笑うと、桐島はベッドの梯子を登って、枕元に伏せてあった文庫本を拾い上げた。
外では相変わらず、冷たい風が吹きつけて窓を鳴らした。昼下がりの太陽が、空一面の雲の僅かな切れ間から小さく覗いて、薄黄色い陽光を注いでいた。
後でもう一度コンビニに行ってみようか――巻田は乾いた唇を指先で摩りながら、桐島の柔らかな唇の感触を思い出していた。