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    nekoyamanagi

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    POIPOI 24

    nekoyamanagi

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    過去作品「そうしてきみと恋をする」から嘘部分のみ抜粋。
    シリーズは此方より【https://www.pixiv.net/novel/series/9116130
    前提条件として、本編組のドラルクとロナルドが喧嘩をしたその夜、ぽんち吸血鬼の能力によりいつの間にか銀河の中を走る列車に、ロナルドだけが押し込まれていた。
    別世界のドラルクと出逢いながら、列車は空を駆ける。

    嘘と苹果りんごさそりの火と


    ◇◆◇
    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    真っ暗の中を、煌々と。アルコールか電気なのか。ゆらゆらと心地よく揺れるその揺れに合わせて、たたん、たたん、たたんたたん、と。
    その心地よい揺れに身を任せ、微睡む意識が、ゆっくりと浮き上がっていく。

    ……また、いつの間にか。眠っていたらしい。
    もう既に見慣れてしまった狭い列車の中。
    伽藍堂の客車の中に、いまだに自分一人だけを乗せて。
    真っ暗なそらの中を、たたん、たたん、たたんたたん、と。
    心地良い揺れと一緒に、走っていく。
    寝ている間にいつの間にか頭からずり落ちたのか。視界の端に映る赤い帽子の鍔が、煌々と輝くランタンの光を遮って、心地の良い暗闇を落としていた。
    ずり落ちていた帽子を戻しながら、眠気にぼやける視界を、何度か瞬いて。
    今まで見ていた夢を反芻する様に、だらりと体の側に転がしていた腕を持ち上げた。
    真新しい包帯と、消毒液の匂い。
    出掛ける前にドラルクが巻いた、治療の跡。

    視界が真っ黒に塗り潰される前に見た、青い顔をしたドラルクの姿。
    必死に何かを叫んでいた気がする。

    それを思い出して、思わず包帯で覆われた手で、顔を覆った。
    深く、深く、胸に溜まっていたものを吐き出す様に、一つ深呼吸をする。
    ふわりを鼻腔を掠める消毒液の匂いに、少しだけ鼻の奥がツンとした。

    「……あー……ずっと〝ジョバンニ〟だと思ってたけど……俺、もしかして〝カムパネルラ〟の方、だった……?」

    夢で見た最後の光景を思い出しながら、深く、溜息を吐いた。
    これはまさか、紛れもなく臨死体験なのでは……というか、ちゃんと帰れるのか、これ。と。
    たたん、たたん、たたんたたんと。揺れる列車の音に、思わず不安が心を歪ませた。
    最初に出会ったドラルクは、カムパネルラが持っていた黒い盤を持っていたし、本人もその役目を背負っていた。
    配役としてはやはり自分はジョバンニで、あのドラルクは確かにカムパネルラだった筈だ。
    そしてその後出会った車掌役のドラルクも、こちらをジョバンニだと言った。
    不安に揺れそうになる思考を振り払う様に、ふるりと一度だけ頭を振るった。
    ……ちゃんと、〝私〟の下に帰るんだよ、と。
    この列車で出会ったドラルク達は、口々にそう言っていた。
    大丈夫。大丈夫だ、と。
    自分はちゃんと、ジョンやメビヤツ、キンデメや死のゲーム、みんながいる場所に、帰るんだ。
    ちゃんと、アイツがいる……あの事務所に。
    絶対帰るんだ、と。自分に言い聞かせる様に、深く、息を吐いた。

    ――と。カツン、カツンと。
    自分以外存在しない筈の列車で、微かな靴音が聴こえた気がした。
    けれど、それはすぐに聴こえなくなり、空気がピリリと凍り付いたのを肌で感じた。
    それにすぐさま、床を蹴り付け、座席の影に身を隠した。

    ――――何か、来る。

    直感は直ぐさま確信へと変わる。
    気配を押し殺した存在が、唐突にガラリと客車の扉を開け放った。
    瞬間、向けられた殺気に胸元のガンホルダーから銃を外し、列車の床を蹴り付けた。
    ダァンッと銃声を響かせて、引金を引く。
    けれど、客車に飛び込んできた相手は、直ぐさま身を翻し、座席の影へとその身を躍らせた。
    ひらりと揺れる赤い影しか姿を捉える事が出来なかった。
    だが、すぐに此方へも銃口が向けられる。
    ダン、ダンッと撃ち返してくる相手の銃弾を避け、瞬時に列車の床を蹴って。別の座席の影へと飛び込んだ。
    此方の位置は、初手の射撃位置から正確にバレている。
    ヒュンッと座席の頭を掠めて、銃弾が列車の中を駆け抜けていく。
    この狭い空間での銃撃戦は、余りにも不利である。
    ならば、と。
    ずれた帽子をくいっと被り直しながら、銃弾が止んだその一瞬を狙い。
    だんっと相手の射撃位置目掛けて、座席の背を蹴って跳んだ。

    「――――ッ⁉」

    相手もまさか上から来るとは思っていなかったのか。
    瞬間的に息を呑む微かな音が聞こえた。
    「オラァッ‼」
    座席を飛び越え、上から振り下ろした蹴りを、赤い影が直ぐさま床を蹴り付けて隠れていた座席から転がり出る事で避けてみせた。
    相手も中々の身体能力を持っているらしい。先程の射撃精度といい、只者では無いかもしれない。
    赤い外套と共に、ひらりと揺れる白い布の先に、小さな十字架が微かに見えた気がした。
    だんっと音を立てて、床に着地して。けれど、距離を詰めたこの好機を逃す訳にはいかないと、直ぐさま床を蹴り付け、相手を追撃する。
    相手が何であれ、殺気を向けて来る以上、敵性存在である。
    ぶんっと勢いに任せ振るった拳は、けれど相手を捉える事なく、するりと避けられた。
    その瞬間、ぶわり、と黒い霧の様な何かが視界を塞いだ。
    目の前に広がった黒い霧に、一瞬だけ相手の姿を見失った。
    ひゅんっと、空気を震わせる僅かな風の音と、相手の息遣い。
    半ば野生の感と、培われた危険回避能力で、本能的にザッと身を引いた。
    その刹那、頭のすぐ側を、相手の回し蹴りが通り過ぎていった。

    「――ッぶね」

    ひゅっと。思わず息を吸い、背筋を冷たい汗が濡らした。ずれた帽子が、ぱさりと音を立てて床に落ちた。
    自ら放った回し蹴りの風圧で、身を隠していた黒い霧が僅かに流され、その姿が霧の向こうにちらりと見えた。
    目隠しからの攻撃を、避けられるとは思っていなかったのか。
    蹴りを避けた体勢から、一気に腰を落とし。だんっと床を蹴り付け、一瞬で距離を詰めたロナルドの動きに、相手が僅かに動揺した息を吐いたのが聞こえた。
    けれど、相手もまた蹴りを避けられ、崩れた体勢からそのままもう一度くるりと身体を捻り、ロナルドを迎え撃った。

    ――カシャンッと鋭い音を立てて。互いの銃口を、互いへと突き付ける。
    一瞬の緊迫。揺れるランタンの光で煌めく銃口が、きらりと冴えた輝きを放った。

    「――ッ⁉」

    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    遠ざかっていた列車の音が、戻ってくる。
    どちらの指も、引き金に掛かってはいたが、互いに引く事はなかった。
    下から相手の顎に向けて銃口を向けていたロナルドは、黒い霧が晴れた相手の姿に、思わず目を見開いた。
    目と鼻の先に銀色の銃口を突き付けてくるその相手は、自分と似た赤い外套を羽織り、赤い瞳を細め、此方を見下ろしていた。
    その顔には見覚えがあった。

    「……な、んで……俺……?」

    先程まで被っていた筈の赤い帽子は、戦いの最中列車の床に落ちていた。その下から現れた白い髪は、きらきらとランタンの光を反射して。精悍な印象を受ける、自分と同じ顔立ちのその青年は。けれど、自分とは唯一違う赤い瞳で、ロナルドを見下ろしていた。
    「……その、赤い眼……お前、吸血鬼……なのか?」

    何も言わない相手に、問いかける様に声を掛ける。
    見下ろすその瞳は確かに吸血鬼を思わせる真紅の赤を携えているが、その耳も牙も、尖ってはいなかった。
    ダンピールではないロナルドには、気配でその素性を知る事は叶わない。
    その言葉に、ロナルドと同じ顔をしたその青年は、一度だけぱちりと瞬きをして。
    小さく息を吐くと、ピリついた空気を収める様に、ゆっくりと銃口を下ろした。

    『……どうやら、敵性吸血鬼の何かの幻覚、とかでは無いらしいね。君はもしかして、ロナルド君……なのかな?』

    ぱくり、と。口を開いたその青年は。
    だが、予想した声とは違い、良く聞き知った別の声がその青年の唇から発せられた。
    ふわりとその赤い瞳を細め、何処か優美さを含んだ所作で、銃を仕舞うその姿に。思わず、脳がバグを起こしそうになった。

    「……そ、の……声……ドラ……公?」

    ぽかん、と。思わず口を開けて。銃口を下ろして、ロナルドに似た青年を見上げた。
    神父が着るカソックの様な赤い外套と、肩から掛けられた白いストラに十字架が付けられている。
    その左胸に赤黒く煌めく、ハートの様な結晶を携えて。
    赤い眼のその青年は、そんなロナルドの反応に、顎に手を当ててくすりと笑った。
    その仕草は、よく見知った同居人と同じ仕草だった。
    『そうだよ、ロナルド君。私だよ。ドラルクだ。今は訳あって君の身体を借りている。……君の顔をこうやって向かい合って見るのは、随分久し振りだ』
    やはり、君には青い瞳が良く似合う、と。
    赤い眼をした〝ロナルド〟は、懐かしむ様にその瞳を僅かに細めてみせた。
    それに目の前の事が信じられなくて。
    ロナルドは思わず手と手で、Tの文字を作り出して。

    「……た、タイムッ‼」

    と、目をぐるぐるさせながら、相手に提案したのだった。
    そんなロナルドの様子に、また目の前の〝ロナルド〟は、くすりと顎に手を当てて笑った。



    たたん、たたん、たたんたたんと。暗いそらの中を、煌々とランタンを揺らす列車が駆けていく。
    ゆらりゆらりと、規則正しく揺れるランタンの光が、列車の床で踊っている。
    それをぼぅっと見つめながら、先程隣の男から話された内容を、反芻する様に思い返す。
    隣の男曰く、彼らの世界は此方の世界とは違い、吸血鬼と人間の対立が激化した世界で。吸血鬼が支配するその世界には朝が来ないのだと。
    人間達を支配しようとする吸血鬼達から、朝を取り戻すべく、自分達は戦っているのだと。
    その戦いの最中、向かいの男……いや、今はその身体の方、か。
    その世界のロナルドは、心臓を失った、と。
    だが、彼が死に絶えるその前に、向かいの男……ドラルクが、彼の心臓となったのだと。
    そうして、二人は一つの身体を共有し、夜を終わらせるべく夜を駈けている。
    ……余りにも、想像し難い別の世界の物語。
    壮絶な争いの中に身を置くその境遇に、思わず深い、深い溜息を吐いてしまった。
    頭が混乱する。
    確かに今まで色々な世界のドラルクに出逢ってきた。
    けれど、此処まで世界情勢が違うドラルクには出会わなかった。
    何だかんだで、吸血鬼と人間が仲良く手を取り合い、騒々しくも楽しい世界で平和を謳歌している。
    時々ぽんちじゃない吸血鬼がとんでもない騒ぎを起こしたりもするけれど、それでも、此方の世界は平和なんだ。
    それに少しだけ罪悪感の様な何かが、針の様にちくりと胸を刺した気がした。

    『……まーた。くだらない事考えているでしょう。ロナルド君?』

    ふっと、向かいの男が、此方を覗き込んで、くすりと笑った。
    赤い瞳を細め、笑うその男は、何処からともなく黄金と紅で美しく彩られた苹果りんごを取り出した。
    ふわりと薫る甘酸っぱい匂いが、途端に列車の中に広がった。
    『……苹果りんごでも、如何かね。どうやら、この旅はまだ先が長いようだ。あの夜をなぞりながら、ゆるりと歓談するのも悪くはない』
    誰かとゆっくり話をするのも、久し振りだ、と。
    紅く色づく苹果りんごを、少し無骨な手で撫でながら、赤い男はそう笑った。
    「……随分立派な苹果りんごだな。どうしたんだよ、それ」
    『んー。そうだねぇ。此処らでは大抵は自分の望む種子さえ蒔けばひとりでに成るらしいよ。そういう〝約束〟なのだそうだ。便利なものだよねぇ……』
    そう言って、胸元に忍ばせていた小さな銀製では無いナイフを手に取って、器用に剥き始める。
    くるくると、コルク抜きの様な形になって、剥かれるその紅は。
    列車の床へと落ちるまでの間に、すぅっと灰色の光となって、さらりと溶けていく。
    光に溶けるその最中、ふわりと豊潤な甘さを含んだ香りだけが辺りに満ちた。

    「……俺の姿してんのに器用に苹果りんご剥いてんのが、なんか違和感あんな……」
    『それは仕方ないだろう? 身体は君だけど、今動かしているのは私なんだから。というか、料理下手な君だって、流石に苹果りんごくらい剥けるだろう?』
    「…………ジュースにするなら得意です」

    それ、握り潰すやつでしょ、と。
    他愛なく交わされる会話の間に、するりと綺麗に剥けた苹果りんごを、赤い男は切り分ける。
    つぷりと沈むナイフの先から滴る甘い蜜が、苹果りんごの豊潤さを物語る。
    『はい、どうぞ』
    そうして、切り分けたそれを、分け合う様に差し出してくる。
    それを一つ、手袋を外した手に取って。しゃくり、と噛み締めた。
    口に広がる甘酸っぱさと、豊かな苹果(りんご)の香り。噛み締めるとじわりと溢れる雫は、まるで甘露の様だった。
    「……うめぇな、これ」
    ぽつりと素直に零すその言葉に、赤い男はくすりと笑い、自分もまた一つ取って、しゃくりと口に含んだ。
    『うん。確かに美味しいね。私達の世界では中々巡り会えない上等で良い苹果りんごだ』
    もくもくと咀嚼して、しっかりと飲み込んでから。
    美味しいと笑う赤い男の姿に、思わず、ぱちりと瞬きを返した。

    「……お前が物食ってるとこ、初めて見たわ」
    純粋な驚きに、思わず言葉が漏れた。
    自分の知るドラルクは、血や牛乳を飲んだりはするけれど、物を食べている姿は見た事がない。
    勿論、味見程度の少量を口に含む姿は知ってはいるが。
    けれど、ちゃんと口に含んで、咀嚼するというその姿は、一度も見た事がなかった。
    身体がロナルドのものなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、それでも味の感想まで言ってくるその姿に、ただただ驚いてしまったのだ。

    『まぁ、身体は君のものだからね。君は放っておくとすぐ不摂生に走りがちだから。時々こうして、無理矢理食べさせたりしているのさ』
    案外、物が潤沢にある世界ではなくてね、と。
    赤い男はふわりと苦笑してみせた。

    『でも、君と身体を共有するようになって、初めて君達が口にしていたものの味をちゃんと知る事が出来たよ。ジョンや君が私の作ったものを喜んで食べるその気持ちを、本当の意味で理解できた事は僥倖だったと思うね』
    しゃくり、と。また一つ、苹果りんごを噛み締めながら、赤い男は笑う。
    差し出された苹果りんごを受け取って、ひょいっと口の中に放り込んで。
    ロナルドはうーん、と考え込む様に小首を傾げた。
    「なぁ、その今の状態ってどうなってんの? ドラ公が俺の体動かしてるけど、〝俺〟って意識あるの?」

    まるで幼子が問いかけるかの様に、純粋な瞳を向けて、ロナルドが問う。
    その言葉に、赤い男は胸元の赤黒いハート型の結晶へと手を翳し、小さく首を振った。
    『私が外に出ている時は、〝君〟は眠っているよ。どうやら、この列車に招かれたのは私だけの様だしね。いつも無理をしがちな君には、休める時にはしっかり休んで欲しいのだけれど、そうもいかない事も多くてね』
    そう語る赤い男の姿に、ロナルドは先程の身のこなしを思い出し。語られぬ言葉の端の意味を理解して、一人納得した。
    「……成程なぁ。道理で、クソ雑魚の癖にあれだけ動けた訳だ」
    『まぁ、身体自体は君のだからね。動かし方は身体が覚えているよ。……けれど、やっぱり君が動かした時とでは、私は君に到底及ばない。私に出来る事は精々、無防備になった〝君〟を護る事だけさ』
    あれだけ動けておきながら、よく言う、と。
    先程対峙した時の事を思い出しながら、ロナルドはふぅん、と小さく相槌を打った。
    それだけ、過酷な世界を生きているのだ、この目の前の〝男達〟は。
    『……君が気に病む事じゃないよ、ロナルド君。これは私達の世界の事だ。ちょっとしたボタンの掛け違いで、分かれてしまった、一つの世界の物語でしかない。君達の様に、人間と吸血鬼が手を取り合い、仲良く過ごす世界。大いに結構じゃないか』
    それに引け目を感じるなんて、馬鹿げた事だ、と。
    目の前の男は、瞳を細めて笑った。
    口には出さなかった後ろめたさに似た感情を、意図も容易く見抜かれて。
    ロナルドはぽりりと頬を掻いて、誤魔化した。
    そんなロナルドの様子に、目の前の男も何も言わず、ただ笑っていた。
    「……それ、別のドラ公にも言われたわ」
    お前ら、ほんと、何処の世界でも変わらないのな、と。
    苦笑にも似た笑いを零せば、何を今更という様に。一度だけきょとりと瞬いた男が、顎に手を当てて、くすりと笑った。
    『君だって、きっと変わらないさ。少なくとも、君も〝彼〟も、その為人はそう違いはないと思うけれどね』
    そう言って、男は自らの胸にそっと手を翳し、静かに瞳を伏せた。
    その瞳が伏せられる間際、愛おしさにも似た色が浮かんでいた事を、ロナルドは見た。

    たたん、たたん、たたんたたんと、列車は揺れる。
    そうして考える。こんなにも近い場所に居るのに、それでも触れ合えないその葛藤は、何と言葉にしたら良いのだろうか、と。
    けれども、自分がもし、彼等と同じ立場であったならきっと同じ選択をしたのだろう、と。
    夜を終わらせる為の闘いを、人々に請われたのなら。どれ程身を削る事になろうとも、どれ程周りから心配されようとも。
    きっと、止まる事は無いのだろう、と。
    そうした時、きっとあの同居人もまた、この目の前の男と同様の判断を下す事になるのだろうか、と。
    あの夜の様に、執着に塗れたその瞳で。はっきりと自分を射抜いた同居人の姿を思い出して、僅かにふるりと頭を振った。
    正直、わからない。
    あの同居人は、目の前の男の様に。自らの心臓を差し出してまで、自分を生かそうとするのだろうか、と。
    他に選択肢が無かったとして、それを本当に実行するのだろうか、と。
    思い出すのは、先程の夢。
    聞いた事が無い程の悲痛な声で、自分の名を叫んでいたあの声を。
    それは本当に夢だったのか、それとも現実だったのか。今の自分では分からない。
    けれど、あの夜あいつは確かに言った。
    自分を失っては、長い夜を生きられない、と。
    その悲痛なまでの想いは、願いは、どう叶えてやれと言うのだと。
    自分は所詮人間で、同居人と同じだけの時は生きられない。
    だからといって、もし転化したとして、自分はその長い生に耐えられるのだろうか。
    いまだに出ない答えを抱えて。
    ただ、たたん、たたん、たたんたたんと。
    見知らぬ列車の中で揺られているという事実があるのみ。
    あの同居人が今何を考え、今どうしているのか。
    それを確かめる術を、今は持っていないという、ただそれだけだった。

    ふっと、思考から意識を持ち上げる様に、列車の外へと視線を投げる。
    暗いそらの中を走っていると思っていたのに、いつの間にか、木々が生い茂る川の側を走っていた。
    その河岸の向こう側。ちらり、ちらりと赤い光が揺れている。
    それが暗く黒い水辺を照らし、きらきらと光っていた。
    「何だ? あの赤い光」
    『……あぁ、さそりの火だね』
    ぼそり、と。零すロナルドの言葉に、向かいの男はゆっくりと顔をあげ、僅かに瞳を細め応えた。
    まだ少し遠く見えるその赤い光は、開けた野原の真ん中で、黒く染まる空を朝焼けの色に染めて、高く高く、燃え上がっていた。
    「……さそりの火って……あれだろ。さそりが焼けて死んで……それが空で燃え続けてるっていう」
    『そうそう。案外博識じゃないか。バルドラの野原にいた一匹のさそりが、イタチに追いかけられて、井戸に落ち。死を前にして自らの行いを悔い、神に祈ったっていう、神話の一つだね』
    「……へぇ……本当に燃えてんだな……」
    たたん、たたん、たたんたたんと。走る列車はゆっくりと、対岸で燃える赤い火柱へと近づいていく。
    薄暗かったそらは、轟々と燃え上がる赤い炎に照らされて。舞い上がる小さな火の子達がちりちりと音を立て、そらを自由に泳いでいる。
    暗くて見えなかった川が、赤い光を反射して、ゆらゆらと揺れていた。
    その光景は、とても美しかった。

    『……〝君達〟はまるで、さそりの火の様だね』

    不意に零された男の言葉に、思わずきょとりと瞬いて。
    何を言いたいのかと、視線を列車の中へと戻せば。
    外からの赤い光に照らされた、赤い瞳が真っ直ぐと。此方を見ていた。
    その少し痩せた頬に、さらりと揺れる銀色の髪に。赤い光が反射して、良く見知った筈の存在なのに、思わず人では無い別の〝何か〟に見えた。

    「……何が言いたいんだ?」

    思わず気圧されそうになるのを必死に押し隠しながら、真っ直ぐ見つめてくる赤い瞳を睨み返した。
    それに、目の前の男はくすり、と小さく笑った。そして、ちらりと視線を動かして、包帯が巻かれたロナルドの左腕へとその瞳を落とした。
    それに居心地の悪さを感じて、思わず包帯が巻かれた腕をぎゅっと握り、悪戯を隠す子供の様に、ふいっと思わずその手を引いた。
    『君も、私のロナルド君も、さそりの火の様だ、と思ってね。自分の幸せには決して手を伸ばさず、周りの人々の為に、その身の全てを躊躇いなく捧げる。みんなの幸福の為に、どうぞこのからだをお使い下さいと云ったさそりと同じ。夜の闇を照らす、赤い炎だ。……そんな儚い人生で、本当に良いの?』

    それで、本当に幸せなのか、と。
    下へと落とされていた視線をゆっくりと上げて。
    赤い瞳が真っ直ぐと、問いかけてくる。
    たたん、たたん、たたんたたんと。列車は揺れる。
    その揺れに合わせて、右へ左へ。揺れるランタンが、僅かにキィと小さな音を立てていた。
    それに一度だけ瞬きを返し、ロナルドはそっと唇を開いた。
    「……儚いかどうかは知らねぇし、そんな排他的に生きてるつもりはねぇんだけどな……でも、仕方ねぇじゃん。目の前で困ってる人がいたら、手、伸ばしちまうんだ。きっと、それはずっと変わらないんだ」
    例えそれで、周りにどんな心配をかけようとも、きっと変えられないモノなんだ、と。
    咄嗟に女性を庇って、吸血鬼の能力を受けた。
    そうして耳にした、同居人の悲痛な声を思い出しながら。
    けれどそれでも、そこで手を伸ばさなかったのなら、きっと自分を自分で許せなくなる。
    退治人である兄に憧れ、自分もまた理想を胸に退治人となった。
    その理想には、どう足掻いたって届かないし、もし、届いたとしても満足する事なんか有り得ないのだ。もっと最良の結果があった筈、と。
    求めてやまないその渇望は、きっと尽きる事は無いのだ。
    言葉にしてことりと胸に落ちるその〝何か〟は、自分を自分足らしめる、大事なものなのだと、改めて気付く。
    〝それ〟を、手放す事は出来はしない。

    今まで揺れていた瞳を、一度だけ伏せて。
    そうしてゆっくりともう一度開く。
    問いかけてくる赤い瞳に応える様に、蒼天の瞳でただ真っ直ぐと、男を見た。
    これが、自分の〝答え〟なのだと。

    「……だから、悪い。お前にはずっと心配かけてばっかだ。でも、これが俺なんだ。そこは、諦めてくれよ」
    ……と。男に重ねた何処かの同居人に伝えるかの様に。
    ロナルドはくしゃりと顔を歪めて、何処か泣きそうな顔で笑った。
    その蒼天の瞳に先程まで揺れていた迷いは、いつの間にか消えた様だった。
    『……うん、そうだね。それが、〝君達〟の生まれ持った為人だ』
    厄介なものだけれど、ね……と。
    先程まで揺れていた弱さが消えた青い瞳を見つめ、目の前の男は僅かに瞳を細めると、苦笑にも似た笑みを浮かべた。
    その笑みには何処か、諦めにも似た色が浮かんでいた。
    それが、自分が愛した形なのだ、と。

    『それでも、〝私達〟は想ってしまうんだよ。君が、君達が、自分の幸せに少しでも良いから、手を伸ばしてくれたのならば、と』
    もっと、我儘で良いから。
    そんな、祈りにも似たそんな想いに駆られてしまうんだよ、と。
    目の前の男は、静かに笑った。
    その深い、慈愛に満ちた瞳を受けながら。それでも、譲れないのだと、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、ロナルドは笑う。

    「……何がそいつの幸せかなんてそんなの人に寄って違う事だし、少なくとも俺は、自分が不幸せだなんて思った事ねぇよ。兄貴とヒマリに愛して貰って、マスターやヴァモネさんに世話になって、サテツやショットや退治人のみんなとも仲良くやってるし、最近じゃ吸血鬼の連中とだって上手くやってる。時々馬鹿やるから退治すっけど……」
    そこまで口にして、ロナルドは一瞬だけはっとした顔をして、慌てて口元を押さえる。
    吸血鬼との攻防に明け暮れる目の前の男達に対して、余りにも無神経な言葉だったかもしれない、と。焦る様に瞳を揺らすロナルドの気遣いに、男は小さく笑って、そっと首を横に振った。

    『良いよ。君の話、私達に聞かせてよ』

    君の物語を、教えてよ、と。
    赤い瞳を細め、笑う目の前の男に促され、ロナルドは口元を押さえていた手をゆっくりと下ろした。
    ちらりと視界に入る包帯が巻かれた腕。消毒液の匂いがする、手当ての跡を見つめ、僅かに瞳を細めた。
    あんなにも怒っていたのに、とても丁寧に巻かれているそれは、ロナルドへの気遣いに溢れていた。
    それに今更気がついて、思わず自嘲が漏れそうになった。

    「……俺、お前がシンヨコに来なかったら……きっと、兄貴とも和解出来なかったし、退治人ギルドにもあまり行かなくなってたかもしれない。事務所に半田とかヒナイチとか、ショットとかマナーとか武々夫とか、みんなが気軽に遊びに来る事もなかったと思う。……当たり前みたいに、家に帰ればジョンがいて、メビヤツがいて。キンデメや死のゲームがいる。お前が来てから、俺の周りはうるさくなった」

    ぽつり、ぽつり、と。
    零される言葉を一つずつ、うん、うんと頷きながら、目の前の男は静かに相槌を打ってくれる。
    それに甘えながら、ロナルドは言葉を零す。
    隠していたものを、大切な心を、吐き出す様に。

    瞳を閉じれば思い出す。帰っても誰もいなかった真っ暗な事務所の事を。
    一人ヘトヘトになって疲れて帰っても、誰もいない伽藍とした部屋に。
    壁に染み付いたタバコの匂いと、澱んだ空気。泥だらけのコートをただ脱いで。風呂に入る気も起きなくて、ただソファーに寝転んで。気が付けば寝落ちていたそんな生活。
    それが当たり前だったし、それで良いんだと思ってた。
    事務所なんて帰って寝るだけの所。決して心地の良い場所なんかでは無かった。
    それでも、自分一人で築いた自分だけの城。それを守るのに、何処か必死だった。
    けれども、それがいつの間に変わっていた。
    あの煩い同居人が来てから。
    自分達の周りには人が溢れ、頻回に事務所に誰かしらが訪れたし、いつだって騒がしかった。
    家に帰れば、真っ暗な部屋なんか一つもなくて。ふわりと香る食べ物の匂いが、いつだって出迎えてくれた。
    ビビ、ビビ、と帽子をかければ嬉しそうに笑ってくれる優秀な門番と。お帰りと鳴いてくれる愛しい丸と。何かあれば相談に乗ってくれる常識魚とゲーム機が いて。
    ――遅いぞ、若造、と。
    湯気の立つ料理を用意する同居人の声が。

    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    暗いそらを駆ける車輪の音が、響く列車の中で。
    聞こえる筈のないその声を聞いた気がして、思わず瞳を瞬いた。

    ――嗚呼、駄目だ。俺はもう、とっくに駄目になってたんだ。

    そう、気が付いた瞬間に。ぽろり、と頬を何かが零れ落ちていく。
    それは次から次へと零れ落ちて、ぽろぽろと、揺れる床へと落ちていった。
    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    静かに揺れる列車は、暗いそらを走る。
    空高く燃え上がっていた赤い光は、僅かに遠く。そらの端へといつの間にか流れていた。
    ぽろり、ぽろりと音もなく零れ落ちる涙が、床に染みを作る。
    それを何処か他人事の様に見つめながらも、止まらない涙はひとつ、またひとつと、零れ落ちていく。

    〝やっぱり、一人ぼっちで寂しくなっちゃいましたか? 五歳児君?〟

    先程出逢った三十年後のドラルクの、今はもう聞こえる筈の無いその声が耳の傍で響いた気がした。
    今更になってその言葉が痛い程に胸を刺す。
    ちくちく、ちくちくと。痛くて堪らない。
    あぁ、そうだよ馬鹿野郎、と。
    ちくり、ちくりと身を刺す様なその痛みに、思わず叫びたい衝動駆られそうになった。
    ひぐっと、息を吸う喉が僅かに掠れて、変な音を立てる。
    いきなり泣き出したロナルドの様子を、目の前の男は何も言わず、ただ見つめている。

    鏡の向こうの自分の様な。
    けれども違う、穏やかな色を浮かべたその赤い瞳で。
    何も言わず、ただ見つめてくる。
    見知った筈の、見知らぬドラルクと。
    言葉を交わして、暗いそらの中を旅をしてきた。
    けれども、埋められない寂しさは。この空虚さは。
    一体どうしたら埋まるというのだろうか。

    ――会いたい。ただ、会いたいんだ。

    俺の、俺だけのドラルクに。
    ただ、会いたいのだと。
    その気持ちだけが溢れてきて、止まらない。
    良く見知った同居人の、耳に馴染んだその声で。
    名前を、呼んで欲しい。
    いつもの罵倒でも良いから。
    声が、聞きたい。
    あんな、似合わない悲痛な声じゃなくて。
    いつもみたいに、みんなと馬鹿騒ぎするように。
    楽しげなあいつの声が、ただ、聞きたかった。

    労わるように、これ以上、傷が広がらないように。
    丁寧に、丁寧に巻いてくれた包帯だらけの左手をぎゅっと右手で抱き締めて。
    あいつの気遣いを無碍にした愚かな自分を、今更呪った所で、あいつの所へはまだ帰れない。

    「……っ……ドラ……こぉ……」

    何で、此処にいねぇんだよ、と。
    理不尽な怒りが、ふつりと湧き上がる。
    あいつの忠告を無視して、ぽんちな吸血鬼の能力に勝手に引っかかって。
    こんな訳のわからない世界で、ただひたすらに暗いそらの中を、旅する列車に詰め込まれて。
    今、あいつがどうなっているのか。自分がどうなっているのか。
    本当に元の世界に帰る事が、あいつの所へ帰る事が。
    出来るのかも分からないまま、それでも列車は走り続けていく。
    もしかしたら、本当にこのまま。実は自分はもう、死んでいて……これが永遠の別離わかれになるとか。もし、そんな事になったのならば。
    あいつは一体どうなるというのだろうか。
    自分を失っては、長い夜を生きられないと、泣いたあいつは。
    自らの意思で、その生を終えてしまうのだろうか。

    ……そんなのは嫌だ、と。心が悲鳴をあげる。

    漠然と。何時かは別離わかれの時が来ると思っていた。
    けれども、それは当たり前の事で。自分が居なくなったって、世界は何一つ変わることはないと。
    シンヨコはいつだって騒がしいし、世界のニュースは何一つ変わらない。
    そんな中を、あいつはジョンと、一人と一匹で。他の吸血鬼達や新しい人間達と一緒に、変わらず楽しくやっていくんだろう、と。
    漠然と思っていた。
    自分が居なくなった所で、世界もあいつも、変わることはないと。
    ……けれど、けれども。

    それを、嫌だな……なんて、想うなんて。

    自分は所詮、人間で。あいつやジョンと違って。
    いつか居なくなる筈の、人間で。
    それで良いんだと、思っていた。
    想って……いたのに。

    離れたくない、なんて。……そんなの我儘、だ。

    蒼い宝石の様な瞳から、ぽろりと零れ落ちるその雫を掬い上げる様に。黒い手袋の手がそっと頬に触れる。
    傷つけないように、壊さないように。
    優しく親指で頬をなぞり、零れ落ちる宝石の様なその涙を受け止めて。
    目の前の男は、そっと赤い瞳を細めて笑った。

    『ケンタウル、露をふらせ』

    愛を囁く時の睦言の様に。甘く、優しい声で、男が言う。
    それに思わず、……え、と。瞳を瞬いた。
    瞬いた事でぽろりと零れ落ちる宝石が、また男の黒い手袋を濡らした。

    『ケンタウル、露をふらせ。……星祭の掛け声だね。そんな、星屑の様な綺麗な涙を流すものだから、ついつい、言いたくなってしまったよ。私ではない、別の私の為に、流す君の涙は……とても、美しい』
    少しだけ、羨ましく思ってしまうよ、と。目の前の男は静かに笑った。
    たたん、たたん、たたんたたんと。揺れる列車の窓の外には。
    気が付けば沢山の青い三角標が立ち。生い茂る木々に、幾つもの星の飾りが飾り付けられた雑木林が広がっていた。
    列車はいつの間にか、ケンタウルの村へと差し掛かっていた。

    『その涙を受け止めるべき私は、別の〝私〟だけれども。泣いている君を放っておくなんて、紳士協定ジェントル違反だからね。……君の今の気持ちを、どうか、大事にして欲しい。誰かを想う気持ちは、どんなに我儘だって良いんだよ。君の幸せは、君だけのものだ。それに手を伸ばす事に、罪は無いんだよ』

    だから、どうか。恐れずに手を伸ばして、と。
    もう一度優しく目元を拭って、そっと黒い手が離れていく。
    その指先を濡らした涙が、布に染み込む僅かな間、揺れるランタンの光を反射して、静かに煌めいた。

    たたん、たたん、たたんたたんと。揺れる列車の音が、ただ静かに響く。
    唐突に言われた言葉に驚いて。思わず涙が引っ込んでしまった。
    それを少しだけ気恥ずかしく思いながら、少し俯きがちにずずっと鼻を啜る。

    「……俺の顔で、そういうキザったらしい事言うなよ……馬鹿。思わず鳥肌が立ったわ」
    自分では絶対に言わないであろう、そんな言葉選び。
    慰められた事が気恥ずかしくて、俯いて悪態を吐くロナルドの様子に。目の前の男は顎に手を当て、くすりと笑った。
    『……凄いでしょう? 君の顔の破壊力。案外これでコロッといく人もいるんだよ?』
    勿論、そんな事許さないんだけどね、と。
    何処か悪戯げな笑みを浮かべて、男は軽口を叩く。
    和ませるように軽口を叩くその様子に、内心では感謝しながら。ロナルドは少し乱雑に袖で顔を拭った。



    たたん、たたん、たたんたたんと。列車は暗いそらを走る。
    同じリズムを刻んで、ゆらりゆらりと揺れるランタンを眺めていたが、不意に列車が速度を緩め始めていた。
    それに目の前の男は、あぁ、と窓の外を見て。座席の横に置いていた赤い帽子を手に取った。
    『……どうやら、終点のようだね』
    降りる準備をしなければ、ね、と。目の前の男はゆっくりと立ち上がって。
    ランタンの光を反射する銀色の髪を隠す様に、赤い帽子を被った。


    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    列車はゆっくりと速度を落としていく。そうしてやがて、ききぃと甲高い音を立てて、停車した。
    窓の外へと視線を向ければ、広い川の向こうに、白く白く輝く巨大な十字架が、夜の向こうに聳え立っていた。
    その十字架に向かって黒い人影達が、ゆっくりと川を渡っていく様子が見てとれた。
    白い十字架に照らされた夜空は、夜明けの様な薄紫に染まり。遠く遠くまで続く海の様な川は、きらきらと光を反射していた。
    ゆらり、ゆらりと揺れる水面が、白い光を反射して。時折ぱしゃりと何かが水の中で跳ねる。
    川を渡る人々を歓迎するかの様に。
    その光景は余りにも非現実過ぎて。自分が死んだ時、最後に見るのがこんな光景なのだろうか、と。
    思わず呆然と、その十字架の聳える終着駅を見ていた。
    『……南十字サウザンクロス。……何時か、君達が逝く世界だ』
    私では、この川を越える事は、出来ないかもしれないけれど、ね、と。
    男は赤い瞳を細めて、静かに笑った。

    「……なぁ、お前。このままあそこへ逝くのか?」
    見上げた男の様子に、ふっと一抹の不安を覚え。ロナルドは僅かに顔を曇らせた。そんなロナルドの様子に、目の前の男は静かに笑い、ふるりと首を横へと振った。
    『いいや? 私達にはまだ征かなければならない場所がある。それはまだ此処ではないよ。……征かねば、はるか倫敦に。〝あの人〟を倒す為に』
    そう言って、男はふっと遠くを見る様に、窓の外へと視線を投げた。
    その視線の先に、一体何を見ているのか。
    赤い瞳はただ真っ直ぐと、前だけを見つめていた。

    『短い語らいではあったけれど、久々に話せて楽しかったよ、ロナルド君。……君の行く道が、まことの幸いである事を心より願おう』

    では、と。僅かに帽子を上げて。紳士の様な挨拶をする赤い男。
    牧師の様なカソック姿のその男は、まるで敬虔な神の信徒の様に見えた。
    そして、ロナルドに背を向けて。ゆっくりと客車の出口へと向かっていく。
    それに何か答えなくては、と。思わずロナルドは座席を立って。
    「……お、俺も……話せて良かった。……ッ……死ぬなよ‼」
    何を言えばいいのか、思わず混乱して。
    これからまるで死地へと向かおうとするかの様なその背に、短く声を掛けた。
    その言葉に、男はゆっくりと振り返る。
    その瞳に、青い光を宿して。

    「……当たり前だろ。俺のしぶとさは〝俺〟が一番良く知ってんだろ。……お前も良い加減、腹括れよ。うだうだやってると、あっという間に色んなものが零れ落ちるぞ。……後悔だけは、すんなよな」

    ――なぁ、俺? と。
    蒼天の瞳を細めて、目の前の男は不敵に笑った。

    そして、ひらりと十字架のついた白い布を閃かせ、男は踵を返して躊躇う事なく列車を降りていった。
    また、誰もいなくなった列車の中。
    伽藍堂になった列車は、ロナルド独りを乗せて。
    ゆっくり、ゆっくりと。再び走り出す。
    たたん、たたん、たたんたたん、と。
    段々と速度を上げていく列車の窓の向こう。空を夜明けの色に染める白い十字架が横へと流れていく。
    そうして、段々と。それは遠ざかっていった。
    それを何処か呆然と眺めながら、どさり、と。座席に座り直した。
    視界の端に揺れる赤い帽子が、僅かにかさりと音を立てた。
    たたん、たたん、たたんたたん、と。列車はいつものリズムを刻む。
    その音を聞きながら、視線を窓の外からゆるゆると。丁寧に包帯が巻かれた左手へと落とした。
    そして、確かめる様に、ぎゅっと拳を握る。
    ……この手は、まだ大丈夫だ、と。
    労わるように、これ以上傷つかないように。
    大事に大事に、巻かれた包帯が。
    早く帰っておいで、と言った様な気がした。



    ◇◆◇
    嘘と苹果りんごさそりの火と
    ◇◆◇


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    Replies from the creator

    nekoyamanagi

    DONE読ドロwebオンリー開催おめでとうございます。
    こちらはイベント限定、新規展示小説となります。
    とある吸血鬼により、千年眠りにつく読ロさんの話となっております。全年齢です。
    話の都合上、完結はしておりません。前編扱いとなります。
    前後編合わせて、6月のイベント、星に願いをにて新刊でお出し出来ればと思っています。
    千年先の揺籠でカナリアは愛を唄うガウン、と響く銃声と夜闇に立ち昇る硝煙の香り。風に翻る赤いマントを靡かせて、銀色の銃を構えた男は、その冷たい青の双眸で目の前の吸血鬼を見下ろした。
    顔の横すれすれを撃ち抜かれ、その後ろの壁には銃弾が突き刺さっている。
    普段であれば人懐っこい態度で飄々と笑う男であると言うのに、今はまるで見る影もない。
    温度の無い冷え切ったその青の瞳は、ただただ絶対零度の視線を恐怖にへたり込んだ吸血鬼へと注いでいた。
    「……おみゃあ、“紡ぎ車の魔女”を知っとるか?」
    低く、感情を押し殺した様な声で、その赤の退治人は問いかける。恐怖に絡め取られた吸血鬼は、その問いかけに直ぐに応えられるだけの度胸は持ち合わせていなかった。
    あ、とか、うぅとか呻くだけのその吸血鬼の様子に、レッドバレットは冷えた瞳を更に細め、その銃口を容赦なく吸血鬼の眉間に突き付けた。
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    nekoyamanagi

    DONE赤い退治人webオンリー開催おめでとうございます。
    展示小説、読切ドロで口内炎の話となります。
    年齢制限は設けていませんが、一部ぬるい事後表現を含みます。ご注意下さい。
    パスワード公開となっております。パスワードはスペースお品書きにて。
    (ヒント:年数二桁とロ君誕生日(半角)です)
    去年の夏口内炎で非常に苦しんだので、同じ苦しみを推しにも味合わせたい、と歪んだ癖です。読ロさんは泣かせたい!!(待て
    塩とレモンと飴玉と昼はじりじり。夜はもわり。
    風も吹かない窓の外は、生い茂る木々すら揺らさない。
    ぴたりと窓ガラスに触れれば、伝わるのはじんわりとした生ぬるさだけ。
    ただでさえ温度の低い吸血鬼の掌には、それはまだ熱く感じられた。
    日の入りと共に棺桶から起き出して、最初にスマホで見たwebニュースの見出しに、でかでかと。梅雨明け、梅雨明け、と。
    いくつもの気象系のニュースが並んでいた。
    きんきんきらきら、眩く太陽が煌めく夏到来。
    これが一年を通して話が進行するタイプのシミュレーションゲームだとするならば。
    ジメジメした雨の季節が終わり、夏本番!期末試験に学期末。夏休みに入って開放感溢れる部活に、青く煌めく海でのきらきら水着スチル。
    8757

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