「好き」よりもっと「大切なお話があります」
そうブラックベリーに呼び出されたのは、屋敷の最上階の、さらに隠し階段を登った先にある、屋根裏部屋だった。幼い頃から秘密基地として使っていたこの部屋を、最近でも秘密基地として使っている。とは言ってもその秘密基地の示す秘密は、アンティーク瓶のコレクションではなく、引き出しの3番目の奥に隠されているゴムとローションなのだが。ブラックベリーからその秘密基地に誘われるのは初めてのことで、普通に考えれば期待してしまうところだが、誘いの言葉を口にするブラックベリーは下唇を少し噛み締め、目を逸らし、決まりの悪そうな表情をしていた。最悪の想像が頭を巡り、オレは深いため息をついた。
「やっぱり、そういうことだよなぁ…」
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「ブラックベリー、好きだ」
一生に一度の勇気を出して、ずっと一緒だった大切な執事に気持ちを伝えたのが3ヶ月前のことだった。ブラックベリーは目を見開いて(と言ってもぱっと見は仏頂面に見える)少し考え込んだ。そして、
「お付き合いをするということですか」
「え…そうだと嬉しいけど、でも、」
「わかりました。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるブラックベリーに合わせてオレも深く頭を下げたことを覚えている。あの屋根裏部屋を初めて「使った」時も、密かに隠していたゴムとローションをオレの目の前に掲げて、
「貴方は…したいのですか」
と真顔で問いかけるものだから面食らった。
「し、したいけど、でも」
「しましょう」
オレの生きてる年数のほとんどをブラックベリーと過ごしてきたが、いまだに彼女の考えていることを全て理解することはできない。その難しさと、その中に常に存在する伝わりにくい優しさがいつもオレをときめかせてきた。
しかし、気になることがある。
ブラックベリーは一度も「好き」と言ったことがない。
告白した時も、行為をした時も、彼女のペースに流されてしまっていた。もちろん本当に丁寧に丁寧に扱っているつもりだが、ブラックベリーは優しく、責任感のある女性だ。だからこそ、オレと付き合っているのが彼女の好意からではなく、オレがあくまで当主だからなのではないか、というか冷静に考えてそうに決まっている。その事実に向き合うのが怖く、そして今の幸せを手放すことができずにここまで来てしまった。今から告げられるであろう内容も、本来はオレが言わなければいけないことだった。「オレのわがままに付き合わせてごめん。もう大丈夫だ」言う練習は嫌というほどしてきたのに、最低だ…とまた深いため息をつく。もう屋根裏部屋の前まで辿り着いてしまっていた。コンコンコン、と3回ノックをすると、ガチャ、とブラックベリーが出迎えた。少し顔がやつれているように見えて、身体の内側がズキリと痛んだ。
オレの身長より少し高いくらいの低い天井の屋根裏部屋の左側には子ども用テントが当時のままそびえ立っている。今では1人しか入れない。その隣にあるかわいらしい木製のシングルベッドで幼いオレとブラックベリーは「おとまりかいごっこ」をしたものだった。他に座る場所もないのでベッドに2人並んで腰掛ける。
「急に呼び出してしまい、申し訳ございません」
「いや、気にしないでくれ。今日は暇だったから」
「そうですか」
思い空気が狭い空間を支配する。
「こ、ここに来るまでの階段も掃除してくれたのブラックベリーだろ?ピッカピカで手すりにオレの顔がくっきり映ってさー!」
「……大切な話があります」
「はい…」
太腿の上でぎゅっと拳を握り震えるブラックベリーの手を取りたかったが、我慢して次の言葉を待った。
「私はこれ以上貴方とこの関係を続けることができません」
やっぱりか。
「そっ、か……もし良かったら理由を聞いても、いいか」
「それは……あの……」
「ごっ、ごめん。無理に言わなくていいよ」
「いえ……話すと少し長くなってしまうのですが…」
オレは頷いた。
「私は…好きという気持ちがわかりません。しかし、貴方のお役に立てることが私の最大の喜びです。これは嘘偽りない私の本当の気持ちです。貴方に気持ちを伝えられた時も、貴方のお役に立ちたくて了承いたしました。恋人として、貴方を喜ばせることができるよう、精一杯努めました。ここでの行為も、気持ちよくなっていただきたくて……しかし最近は違うのです」
「うん」
「貴方に触れられるのが、嬉しくて…もっと触れてほしいと、思ってしまいます。貴方の気持ちよさよりも、私自身の気持ちよさを優先してしまうこともありました。これではいけないのです」
ん?
「…私は、貴方のお役に立つどころか、大切な貴方を利用しているのです。許されることではありません。大変、大変申し訳ございませんでした……」
そう言いながらベッドの上で美しい土下座をしたブラックベリーを、オレはぼんやりと見下ろすことしかできなかった。今ブラックベリーが言ったことを頭の中で反芻する。気持ちよくさせたかったのに、自分を優先した…利用した……と言ったはずだ。それならこれはもしかして、ひょっとすると。
「オレと同じ?」
「え?」
顔を上げたブラックベリーの目を見て、そのまま続ける。
「えっと、オレは、ブラックベリーのことが本当に好きで、大切にしたくて、喜んでもらいたいといつも思ってる。ここですることも、できるだけブラックベリーにも気持ちよくなってほしいなって思いながらしてるよ。大好きな恋人だから」
「だから、ブラックベリーが気持ちいい、と感じてくれて、オレは嬉しいよ。た、多分だけど男って大切な恋人が気持ちいいと感じてくれてることが一番、なんというか、興奮するんじゃないかな」
「私が気持ちいいのは、貴方がそうしてくれたから…なのですか」
「まあ、うん、そうだといいな」
「私はいけないことをしていなかったのですか」
「それはもちろん。全くいけないことじゃないよ」
「……よかった」
すん、と音がして大きな瞳からぽろりぽろりと涙がこぼれていた。すみません、と言いながらもその涙は止まらない。慌ててオレはハンカチを差し出した。
「……安心しました」
受け取ったハンカチで涙を拭いながら震える声でそうこぼした。
「ブラックベリーが悩んでいることに気付いてやれなくて、ごめんな」
震える背中をさすりながら謝罪すると、そんなことはないとブラックベリーは首を大きく振った。
「ありがとう。オレが嬉しいとブラックベリーも嬉しい。ブラックベリーが嬉しいとオレも嬉しい。気持ちいいもおんなじ。こんなに幸せなことってないよ」
そう笑いかけるとブラックベリーも少し腫れた目で微笑み返した。
「嬉しくなるためのお願いがあるのですが、聞いていただけますか」
「もちろん」
「抱きしめて欲しいです」
「よろこんで」
ブラックベリーの細い身体に腕を回しながら、これからの幸せなブラックベリーとの生活に胸を弾ませた。