だってあんたはピンクが好きっしょ?「燐音くん〜」
外は生憎の土砂降り。新台に並ぶ予定が流れて降って湧いた時間を目的もなく動画サイトを見ることで潰していると、呑気なアホ声が聞こえてきた。
「ンだよ。燐音くん今忙しいんですけど〜」
「寝っ転がってスマホいじってるだけにしか見えないんすけど。んもう、暇だったら買い出し手伝ってくれたらよかったのに」
フローリングの上をぺたぺたと踏みしめながら歩いてきたニキは風呂上がりの髪をガシガシとタオルで拭く。いーっと歯を剥き出しにして威嚇してくる様はなんともマヌケだが、しっとりとあたたまった肌は妙に色気がある。
ニキはどうやら天気予報を見ていなかったらしく、買い出しの最中に雨に降られてびしょ濡れになって帰ってきた。そのまま風呂場へ直行したニキが玄関に置きっぱなしにしたエコバッグの中からとりあえず冷凍冷蔵のものだけ救出してやったってわけだ。俺ってば本当に優しい。
ぶつぶつ文句を言いつつもニキはエコバッグの残りの中身をテキパキと片付けている。どうでもいいけどおまえそのハーフパンツ、中学の頃のやつだろ。小さすぎてちょっとケツ見えてんだけど。
好きな女のケツから無理やり視線を逸らした俺ってばなんて紳士的なんだろう。っつーか、こいつが四六時中無防備なせいで反射的にそうするのに慣れちまったっていうのが正しい。
そんな人の気も知らねェアホは食材の片付けを終えて改めて俺の方に向き合うと、後ろで手を組んでアホみてェにデカい胸を強調しながらニコニコ笑う。マジでこういうところなんだよなァ……。
「燐音くん、昔着てた服ってまだ持ってるっすか?」
「あ? 昔っていつのだよ」
「んーと、燐音くんがこっち来たばかりの頃のやつ」
というと、四年くらい前の服か。故郷を飛び出す前の準備段階で調達したあの頃の俺にとっての一張羅だ。
もう今とは随分体格も背丈も違ェからしばらく袖を通していないが、捨てた記憶はない。まだこの家のどっかにあるはずだ。
「ニキが処分してねェならあるんじゃね」
「まじっすか。んじゃもしかしてこの中に〜?」
クローゼットを開け、二段に積まれた衣装ケースの下段をニキは嬉々として漁った。割とすぐに奥底に目当てのものを見つけたのか、「あった!」と弾んだ声を上げる。
「あったっす〜! いやあ、こうして見ると懐かしいっすねぇ」
ニキが広げたのは少しシワの付いた白いTシャツだ。シンプルな柄がプリントされたそれは保存状態が良かったおかげか黄ばみや虫食いなども見当たらない。しっかり洗濯してアイロンをかければ普通に着られそうだ。
しかしTシャツを広げて自分の身体に当てて無邪気に笑うのは勘弁してもらいたい。マジでかわいいんだよ、こいつのこういうところ。
「で、その懐かしの燐音くんTシャツを引っ張り出してきてどうすんだよ」
「えーっとですね……実は最近部屋着のサイズがちょっと合ってないな〜と思いまして……」
そりゃ合ってねェだろうよ。ハーフパンツもそうだが今着てるTシャツも中学の時のやつだろ。ピチピチの服がムチムチの身体に張り付いてるのを毎日見せつけられてンだよこっちは。
……とは言えないので「今更気付いたのかよ」と表向きは呆れるポーズを取っておく。馬鹿なニキちゃんが無料でオカズを提供してくれるのを受け取るべきか否か馬鹿みてェに悩んでた俺の葛藤は俺だけが知っていればいい。
「おめェ、この前女の子向けのルームウェアの案件貰ってただろ。撮影に使ったやつも貰って帰ってきたんじゃねェの」
「ん〜、あれはちょっともこもこすぎて落ち着かなかったんすよ。僕ぁもっとシンプルな着心地の服が好きっす」
クソッ。一回しか拝めなかったのはそのせいかよ。かわいかったのに、あのミントグリーンのもこもこ……。
記憶の片隅に残るニキの貴重なもこもこルームウェア姿は大事に取っておくとしよう。しかしファッションに無頓着なくせに妙なところでこだわりやがるな、こいつ。
「そんでね、燐音くんが昔着てた服なら部屋着にちょうどいいかな〜って思ったんすよ。サイズはぴったりって感じじゃないかもだけど、ゆったり着られそうでよくないっすか?」
「は?」
この「は?」は突然の彼シャツの提案に止められなかった動揺が発した「は?」だ。
正直に言おう。俺の服を着ているニキなんてそんなの見たいに決まってる。しかも本人が自主的に着たいと言っているのだ。こんなに嬉しいことはない。
まあ、実際は服代をケチってるだけなんだけどよ……賭博師は細かいところには拘らないので良しとする。
「ねね、駄目っすか? 減るもんじゃないから別に良くない?」
「駄目っつーか……」
「っつーか?」
「……駄目じゃねェけど」
駄目だ。好奇心とスケベ心にはどうしても勝てねェ。だってそりゃ見てみたいだろ、彼シャツのニキ。今の俺たちは別にカレカノでも夫婦でもねェから厳密には彼シャツじゃないかもだけど、細かいことはいいんだよ。
あくまでも【仕方なく譲ってやるポーズ】を取るとニキは両腕を上げて喜んだ。喜びもひとしおといった具合に乳もばいんっと景気良く揺れる。
……駄目だ、俺の思考が馬鹿になってやがる。
「んじゃ、さっそく頂戴するっす〜!」
「あ? 今着んの?」
「だってもうこの服キツくって」
うん知ってる。キツそうだもんな。
身体のラインを浮き上がらせるぴっちりした部屋着を嫌そうに摘んだニキは、俺のTシャツを抱えてまた風呂場に戻っていった。
狭いアパートの中では着替える音だってダイレクトに伝わってくる。もうニキの生活音には慣れたつもりなのに、やべェくらい緊張する。
そう時間が経たないうちにニキはまた戻ってきた。「ただいまっすっす〜♪」なんて浮かれながら。
「どっすか燐音くん。ちょっと肩のところとか緩いけどなかなか良いサイズ感っしょ」
「でっ……」
「で?」
で………っっっっけェ。
危ない。もう少しで思ったことそのまま口にするところだった。
確かに肩周りはかなり持て余している。メンズの服を着ているからそれは仕方ない。しかし裾や袖は丁度いい余裕があって部屋着にするなら良いかもしれない。
問題はそこではなく、ちょうど柄がプリントされた部分をグイッと押し上げて強調しているデカすぎる胸だ。ゆったりした服を着ているはずなのにピチピチの服を着ている時よりもデカく見える。何故だ。
好きな女が自分の(四年前のだが)服を着ているだけでもだいぶアレなのに、こうも強調されると見ない方が失礼なんじゃねェかと思うよ。マジで。
そんで例によって馬鹿で無防備なニキはブラジャーの上に何も着ていないらしく、白いシャツから柄が透けて見える。
こいつ、妙に気合の入ったプロデューサーちゃんの完璧なプロデュースのおかげで下着はかわいいの着けてンだよ……さっきは色の濃い服を着ていたからわからなかったが、今日はピンクだ。
あーーーー、まずい。いい加減目を逸らさないとまずい。でも見ちまう。見るだろこれは。白T押し上げてるピンクだぞ?
「…………出掛ける時はやめろよなァ、それ。さすがにゆるゆるでみっともねェっしょ」
「バイト行く時でも駄目っすか? ほら、ES着いたら着替えるし」
「駄目だ馬鹿ニキてめェこの野郎。着てったらマジで締める」
「ひぇっ……! き、着ないっす!」
殺意に似たモンを込めて脅してやるとニキは素直に首を横に振った。
だがこいつはマジのアホで馬鹿なので今言ったことを忘れて彼シャツコーデで出掛ける可能性も大いにある。しばらくは警戒してねェと……。
心労と興奮と、その他諸々の複雑な感情でドッと疲れが襲ってくる。そんな俺を嘲笑うかのように強まった雨は、結局一日中降り続いたのだった。