Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    B13546_267CA7

    @B13546_267CA7

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    B13546_267CA7

    ☆quiet follow

    椎名、キスマークついてますよ。という話

    roast coffee beans キャラクター付けの一環として『名探偵』などと名乗り始めたのはいつのことだったか。
     ライブのMC中に「推理が得意だ」という切り口で次の曲を謎かけ風に紹介したのが始まりだったのかもしれない。推理が得意なのは本当のことだが、アイドルとして活動していく中でそれを前面に押し出すことになるとはさすがに予想していなかった。
     悪ノリをしがちなリーダーを筆頭に『名探偵メルメル』などというふざけたあだ名で呼ばれるのは不服ではあるけれど、生きていくために身に付けた人間観察の癖をそのまま今の仕事に活かせるのは悪いことではない。
     コンマ1秒単位の視線。呼吸の深さ。物を持つ際の手指の動き。歩き始めの足の出し方。
     誰かに『成る』には外見だけではなくそういった些細な動作でさえもよく観察し己のモノにしなければならない。今更HiMERU以外の誰に成るつもりはなくとも、身に付いた術を衰えさせる気はなかった。
     身近な人間の動きに何か変化が起こればすぐに気が付く自信がある。不本意ながらもここ数年で距離が近付きすぎたユニットメンバーのことなら尚更だ。
    「食後のコーヒーお待ちしました〜。いつものように砂糖もミルクも抜き、本日はコロンビア産北部の豆を中煎りに。柔らかな酸味とコクをお楽しみくださいっす」
     カウンターの向こう側から香り豊かなコーヒーを一杯差し出したニキがにっこりと笑う。カフェタイムとディナーの間のゆるやかな時間帯にシナモンでくつろぐ客は今のところHiMERUだけだった。
     軽く礼を言うとニキは手を振り、それからすぐ後ろを振り返って調理に戻ってしまった。近々新しいデザートメニューを追加するらしく、客のいない時間は試作に勤しんでいるのだと先日聞いた。
     そんなニキがふと、首元を気にするように手を遣った。
     調理中だからか直接襟元や肌に触れることはないけれど、スッと手の甲をこちらに向けてそこを覆い隠すのはこれで三度目のことだ。
     ある意味では調理の工程に組み込まれているかのような動作だ。ブラウンシュガーの瓶を取ったあとに、陶器の皿を並べて見比べたあとに、コーヒーをサーブしてドリップポットを片付けたあとに。ごく自然な流れで首元に手を遣るものだから、ほとんどの人はニキのその仕草を気にも留めないだろう。
     だが名探偵の目は誤魔化せない。
     首元に手を遣るほんの一瞬、ニキは何かから怯えているような気配を醸し出す。誰かに見られたらまずいものが紫色のシャツの内側に存在していることは明白だった。
     そこに何があるのかは大体想像がついたのだが、業務用の食洗機がビービー音を立ててニキを呼び付けた際に簡単に答え合わせができた。
     カウンター席に背を向けたままヨイショと中腰になったニキの首筋は食洗機から湧き出た蒸気ですぐに覆い隠されてしまう。しかしほんの一瞬、小さな赤色がチラリと見えた。
     それを虫刺されだと認識するほど初心ではない。他者の明確な意思を持って付けられた鬱血痕……つまりはキスマークだ。
     ニキがしきりに気にしていた首筋に何が隠れているのかがハッキリした途端、ソレに至るまでのあらゆるピースがパチリパチリと埋まっていきHiMERUは思わず溜息を漏らす。こんなこと別に知りたくもなかったのに、染み付いた癖というものは恐ろしい。
    「椎名」
    「ほぃ?」
    「屈む時は注意してください。角度によっては簡単に目に付きますよ」
     己のうなじをトントンと叩いて淡々とそう述べれば、わかりやすく「しまった!」と顔に描いてリアクションをとったニキはしばらくあたふたした後、大袈裟に肩で息をした。
    「うう、すんません……気を付けるっす……」
    「まあ、あなたひとりが気を付ける問題でもないですけどね。こればかりは」
    「いやほんと……返す言葉もございません……」
     シュンと項垂れるニキを尻目にひと口コーヒーを含むと程よい苦味が舌を刺激した。酸味の少ないコクのあるコーヒーはHiMERUの好むところで、好みを熟知している人に淹れてもらう特権はシナモンでしか味わえなかった。どんな状況であってもプロとして食を提供することに一切手は抜かないニキの矜持ももちろん好ましく思う。
     しかしアイドルとしては、彼の首元に鎮座する執念深いキスマークに苦言を呈さざるを得ない。
    「それで、犯人は何か反省の弁を?」
    「あー……まあ一応ヤバいと思ってたみたいっすね。誘惑してくるおまえが悪いとかなんとか因縁つけてきたんで無視したっすけど」
    「当たり屋じみていますね」
    「マジで当たり屋っす。ヤクザ屋さんっす。ほんっとに悪質なんすよあの人。そんで僕にはタートルネック着てバイト行けって言うんすよ!? この暑いのに嫌っすよ、首元ぽかぽかにすんの」
     ニキの口ぶりから察するに彼が自発的に首筋へ誘導したのではなさそうだ。となると、過失の8割はキスマークを付けた人物になる。
     以前ニキがサークルでキャンプに出掛けた結果見事なゴーグル焼けを作って帰ってきた時はHiMERUと一緒になって散々説教をした間柄だが、今回はどう考えても説教をされる側だった。
    「しばらくは撮影とか配信の仕事ないからいいっすけどね。でもあんまり他の人に写真撮られるなって。オフショットとか上げる時は俺の検閲を通せだって」
     理性の通った偉そうなもの言いだが、そんなことをわざわざニキに言いつける羽目になったのは自分が理性を手放したからだと他ならぬあの男自身がいちばんよくわかっているだろう。
     メンバー同士がどんな関係になろうが仕事に支障が出ない限りはHiMERUにとってどうでもよかったが、彼の慌てふためく様は少しだけちょっとだけ見てみたかった気もする。
    「椎名も厄介なのに捕まりましたね」
     ふた口目を啜りながらそう言えば、ニキはきょとんと目を丸くして、それから瞳を細めて微笑む。
     普段の賑やか幼い印象からは想像もつかないような、グッと大人びた笑顔だ。
    「そう思うっすか?」
     余裕をたっぷりと含んだ表情にセリフを付け加えるとしたら「愛されていますが何か?」といったところだろうか。観察眼を働かせるまでもなく手に取るようにわかってしまう。
     長い年月をかけて育てた大事なものをじっくりと煎って淹れたものが今のニキを魅せている。アイドルの仕事に使えばとても強力な武器になりそうだけれど、きっとそれはしないだろう。
     それをさせない独占欲だって他ならぬニキの身体に刻まれている。
     これ以上は突っ込むだけ野暮だと曖昧に笑みを返してコーヒーを飲む。目の前でふわりと香った甘さも愛おしさもすべて流し込んでしまう深みのある味わいを、HiMERUは静かに飲み込んだ。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺☺☺💖💖🇱🇴🇻🇪👏☕💖💖💖💯☕☕☕💘💘💘💖💖💖💖💖☺🙏💖💖☕💖👏👏👏👏☕☕☕☕☕😎💙💖❤👏👏👏👏👏💖💖☺
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works