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    燐ニキ60min/コーヒー

    コーヒー 念願のコーヒーメーカーを手に入れた。背の低いテーブルの上に恭しい手つきで置いたばかりのコーヒーメーカーを見つめるニキの目尻は下がるばかりだ。
     椎名家に置いてあるキッチン用品の中ではいちばんの新顔だが、まったくの新品というわけではない。「買ってみたはいいけど淹れるのが段々面倒くさくなった」とコーヒーメーカーを手放そうとしていたバイト先の人から破格で譲り受けたものだ。そしてなんと、ミル付きである。
     ボトルコーヒーやインスタントも決して嫌いではないのだが、挽きたての豆の香りはニキの心をやさしくくすぐり虜にする。あたたかく深みのある香ばしさを堪能するため今日の朝食は気合いを入れて仕込んだフレンチトーストだ。
     バターを敷いたフライパンでじゅうじゅうと蒸し焼きにされている食パンと、ごぽごぽと音を立てて香り高い湯気を漂わすコーヒーメーカーが奏でるハーモニーのうつくしいこと。音楽には疎いニキでもこのメロディならいつまでも聴いていられそうな心地よさだった。
    「……なんかいい匂いする」
     音につられたのか、匂いに起こされたのか、それとも単に脳が覚醒したのか、むくりと起き上がった同居人の重たい声がそこに重なった。ふわあぁ、とおおきな欠伸をした燐音がのそのそとベッドの上で起き上がった気配に「おはよっす」と声をかけながら、ニキは食事の準備を続ける。
     ツテを辿ってとある芸能事務所に所属することになった燐音はここのところレッスンだのドラマ撮影のエキストラだので大忙しだ。スポットライトを浴びるにはまだ程遠い、卵の殻にヒビすら入っていない存在だけれど、毎日くたくたになって帰ってくる燐音はいつだって夢にひたむきだった。
     そこまで焦がれるほどの何かを抱えたことのないニキにとっては理解のできないがむしゃらさではある。だけど頑張っている燐音を応援するのは好きだった。
     一緒に住んでいるからとか、情が湧いたからとか、そういう理由とはまた違った場所に立って燐音のことを応援したくなる。まだデビューもしていない、何者でもない少し世間ズレした年上の男は「アイドル」とは何かをニキに少しだけ教えてくれる存在だった。
     独りで生きるために作っていた食事に「燐音を応援する」という意味が加わると腕の奮い甲斐もあるものだ。
     よほど眠いのかふたたびまどろみの中へ帰っていった燐音を起こして顔を洗わせている間にフレンチトーストを皿に盛り付け、マグカップにコーヒーを注ぐ。黒黒とした綺麗な液体がとぷとぷと波打ち、朝の匂いを部屋中に行き渡らせてくれる。
    「燐音くんってコーヒーにお砂糖とミルク入れましたっけ」
    「……コーヒーってなんだ」
     ところが朝食をぜんぶテーブルに運び終えてあとは手を合わせていただきますをするのみとなったその時、問題が発生した。知識欲も吸収欲も人並外れている燐音の口から久しぶりに飛び出た「◯◯ってなんだ」にニキは頭を抱える。彼が異世界じみた故郷を飛び出してから半年以上、もうずいぶん都会慣れしたと思っていたのにまさかのコーヒーを知らないときた。
    「くうぅ、メジャーな飲み物すぎて盲点だったっす……! あ、えっとね。コーヒーっていうのはコーヒー豆と呼ばれるコーヒーノキの種子を焙煎して砕いた粉末を」
    「いや、ニキペディアはいい。たぶんこの飲みもんのことだろ? どんな味がすんだ?」
     自分のマグカップを手に取り、飲み口に鼻を近づけ匂いを嗅いだ燐音は「けっこう好きな香りだ」と目を細める。ひとまず香りはお気に召したようでニキはホッと胸を撫で下ろした。
    「あれだ、お前のバイト先行く途中でこの匂い嗅いだことある」
    「ああ、カフェが何軒かあるっすからね。ああいうお店では定番の飲み物っすよ。苦くて酸味があってコクもあって、飲むと元気が出るやつっす! 目覚めをシャッキリさせる効果もあるんすよ」
    「ふぅん……」
     ニキのその言葉にすっかり警戒心を解いてコーヒーを口に含んだ燐音だったが、その端正な顔はすぐに歪むことになる。「にがっ!」と顔をくしゃくしゃにして舌を出す燐音は普段とても大人びているのに、どうやら苦味を美味しいと感じるにはまだ味蕾が育っていないようだ。
    「故郷の山ん中に生えてる薬草よりにげぇ……!」
    「ありゃ、ブラックはキツかったっすね。ごめんね、燐音くん。ちょっと待ってて」
     ほかほかの湯気が冷めないうちにコーヒーとフレンチトーストをいただきたい気持ちはあるけれど、目の前のものを美味しく楽しんでもらえないのは駆け出し料理人としての矜持が許せない。
     すぐさま冷蔵庫から取り出した牛乳を鍋にかけて人肌にあたため、燐音のマグカップにそっと注いだ。黒に溶け込んだ白色がマーブル状の模様を描き、最終的にはやわらかなブラウンに落ち着く。そこへはちみつをひと匙加え、底に固まらないようゆっくりと混ぜた。
    「ほい。ニキくん特製ハニーミルクコーヒーっす」
     苦味を中和させたドリンクを燐音の元へ返してやると、彼はふたたび迷いなく中身を啜る。さっき「にがっ!」と顔をくしゃくしゃにしていたばかりなのに、嫌がる素振りすら見せずに自分のひと手間が加わったコーヒーを飲んでくれることが素直に嬉しい。
    「ん、うまい」
    「よかったぁ〜! 今度から燐音くんのにはミルクとはちみつ入れるっすね」
    「お前は入れなくてもいいのか?」
    「僕は今日はブラックの気分なんで」
    「あ? ニキのくせになんか生意気だな」
     むすっと唇を尖らせつつも、フレンチトーストを切り分ける燐音の手つきは軽やかだ。おおきな口を開いてこんがり焼けたトーストを頬張り、美味い美味いと言わんばかりに何度も頷く。それからまろやかに仕上げたコーヒーをゆっくりと飲んで、満足そうに息を吐く。
    「コーヒーって美味いんだな」
    「でしょ? 朝の楽しみが増えたっすよね〜」
    「うん。また飲みてェ」
     その言葉をニキは何よりも嬉しく思う。燐音を応援するはずがいつのまにか自分の方が元気をもらっていることが多いのだと気付いたのは最近だ。胃袋が満たされた人からの「また食べたい」「また飲みたい」は料理人にとって最高の褒め言葉だ。
     本人に言うとまた気が大きくなって横暴な態度を取られるから自分だけの秘密にしているけれど。燐音がブラックでコーヒーを飲めるようになったら教えてあげてもいいかな、なんて考えながら口に含むコーヒーは特別な味がした。
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