140ssまとめ①『父の日』
普段なら飲み過ぎだとか口煩い暁人が今日は俺が要求する前からビールを用意し、笑顔で酌をしてくれる。
「お疲れ様。いつもありがとう、KK」
それが本来は俺に向けられるべきものでは無い事は分かっている。分かっていても俺はそれを受け入れてしまう。こんなにも邪な気持ちを抱えたままで。
玄関のドアに手をかけた瞬間、向こう側から押し開かれる。間一髪避けたが、危ねぇじゃねえか、と文句を言おうとすると
「お帰りなさい!KK!もうすぐ帰って来そうな予感がしたからそこまで迎えに行こうと思ったんだよ」
嬉しそうな笑顔に一先ずそれは呑み込んで、暁人をキスで室内に押し込んだ。
酷暑の外から帰ると部屋は良く冷えていて暁人が冷たい麦茶のグラスを差し出す。受け取る時に触れた指先がひんやりと心地好く、一気に麦茶を呷ってその勢いで抱き締める。「冷やし暁人」呟くと「すぐに熱くなるよ」と赤くなった耳の下から聞こえた。
くだらない事で喧嘩した。こういう時、俺は必ず意地になって絶対自分からは謝れない。飯時になっても続く重い憂鬱の中で食器の音だけが響く。よりによって食卓には俺の好物。「旨い」思わずこぼれた言葉に暁人は微笑して自分の皿から一つ取って俺の皿にのせた。
優しくする気力もない、でも優しくされたい。身勝手なのは分かってる。求めるばかりで与えなければ、誰からも相手にされなくなることも。身に染みている。
「KK」
甘い声で絡みついてくるしなやかな腕が、俺を甘やかし、どうしようない深みに落としていく。
KKに再会し、彼の生きている姿を見て、一番最初に目に入ったのは、彼の左手薬指の指輪の跡だった。それはまだはっきりと線を残していて、つい最近まで、そこに嵌められていたことを示していた。
あの時、右手は僕のものだったけれど、左手はまだ違うんだと、そう感じた。
僕の名前を呼んでくれる声。頭を撫でてくれる優しい手。それだけが全てだとしても、それ以外の全てを失ってもいいから手離したくなかった。この夜が終わるまでの間だけだというなら永遠に朝なんて来なければいい。壊れそうな心に染み込んだ感情は、その罅割れを広げてやがては粉々に砕くのだろう。
『逃がさないでね、僕のこと』
俺の煮え切らない態度が原因だろう。毎日のようにあった訪問が急に途絶えた。電話にもでない。言葉にしたら、あいつを縛り付けてしまいそうで出来なかっただけだ。なのにこのまま、俺から離れていってしまうのか?縁を辿って捕まえたあいつに、堪らず恋着を白状すると、あいつは俺に抱きついて囁いた。
『はじめまして、を繰り返す』
脳裏に浮かぶのは叩き込まれた最短ルート。行く手に転がる物は容赦なく蹴散らし、地に足を着ける間も惜しんで、ただひたすらに同じ時空を繰り返す。今度こそはと、期待をしては失望し幾度となく繰り返された会話は、もう暗誦出来る程だ。それでも運命を変えられない。そしてまた、あの瞬間が来る。
『愛される覚悟をしておいて』
どうして僕の目を真っ直ぐに見ないの?こんなに優しく僕に触れるのに、すぐに目を逸らすのは何故?僕の言葉を遮らないで。ちゃんと聞いて最後まで。僕の未来を言い訳にしないで。僕の気持ちはもう決まってる。何があっても僕は絶対にこの手を離さないから。覚悟を決めて。
死が二人を別つまで、なんて誓いの言葉があるけど僕たちの関係に永遠なんて望まないからまた明日もこうやってあんたと笑っていたい。少しでも長く同じ未来を過ごしたい。僕が願えばあんたは叶えようとしてしまうからこれは僕だけの秘密の願い。欲張りな僕にいつか天罰が下るまでは、どうかこのままで。
死が二人を別つまで、なんて誓いをたててもそんなものはあっさりと破られる。人の気持ちなんてそんなもんだ。神とやらの力なんて当てにもならない。結局はどう行動するかだ。あいつが何を考えてるかは分からないが何があっても俺の手元から離すつもりはない。どうすればそれがあいつに伝わるんだろうか。
『本気にしないよ、それでいい?』
KKが時計に目を向けたのを合図に「そろそろ帰るね」と腰を上げた。が、手首を掴まれて戻される。まだいいだろ?薄笑いを浮かべて言う腕の中に引き込まれ、耳元で囁かれる愛の言葉。そんなありふれた台詞じゃ僕の心には響かない。どうせ寂しいだけでしょ?そんな簡単に僕で埋めようとするなよ。
『強い人』
僕らが出会うずっと前からあんたは何でも自分一人でやってきた。あんたは強い人だ、誰かの助けなんて必要としない位に。それが良い事かは僕には分からないけど、今はソファに座る僕の腰にしがみついて何やら唸っている。その頭を撫でると嬉しそうに腑抜けた声で僕の名前を呼ぶ姿は何とも幸せそうだ。
『別れてください』
「もう終わりにしたいんだ」
暗い瞳でそう告げた暁人に頷く事が出来ない。手放す位ならいっそ、とその首に手を掛けた瞬間に目が覚めた。耳元で聞こえる寝息に安堵して温もりを腕に閉じ込める。楽しい夢を見ているのか寝ている暁人の口元が綻ぶ。その夢の中に俺がいるようにと願いながら目を閉じた。
『時々、面倒くさいけど。』
やっちまった、と思った時にはもう遅かった。止める間もなく部屋から出て行く。そもそもオレとアイツとでは何もかもが違う。同じ体に居た時には何となく分かっていた感情も別たれた今ではさっぱりだ。それでもアイツがオレの側に居ない状態など耐えられる筈がない。何があっても絶対に逃がさねぇ。
『結局は、君に辿り着く。』
「よぉ、久しぶりだな」
僕にとっては長い長い時間だったけど彼にとってはそうでもなかったのか、その口調はまるで昨日別れたかの様だ。
「ずっと会いたかったよ」
いつかは必ずくるこの日のために今まで頑張ってきたんだ。
「オレもだよ、暁人」
一面の彼岸花の中、こちらに差し出された手を取った。
『聞こえなかった告白』
妹までも見送って独りになって、それでも生きていくのも悪くないと思えるのはきっと存在証明の様に戦い続けた相棒のおかげだ。ろくにお礼も言えなかったけど約束するよ。終わりの瞬間まで必死に生きていくって。あんたのように。
『オマエのおかげだよ、オレが最後まで戦えたのは。ありがとうな相棒』
『口説き落としてみせる、って』
「『オマエがいないとダメだ』ってKKに言って貰いたいんだよ」ほろ酔い口調で言うと、
「なんだ口説いてんのか?そういうのは素面の時に言えよ」
「そういう意味じゃないよ…」
相棒としてだよと付け足す。
「なんだよ、つまらねぇな。仕方ねぇ、じゃあオレからいくか」
覚悟しろよ、と腕を掴まれた。
『春に誘惑、桜に恋を』
「桜、綺麗だね」
あの雨の夜とは違う春風の吹く青空の下で暁人が言う。舞い散る花片を受けるように掌を伸ばすと数枚が競うようにその手に落ちる。まるでその寵を望むように。桜の精にでも気に入られたか。
「桜もいいけどオレはこっちだな」
暁人の腰を抱き耳元で囁いて手の上の花片を払い落とした。
『駄目にならない程度でお願いします。』
「今日もお疲れ様。無事に帰って来てくれて嬉しいな」
柔らかい声が鼓膜を擽り、抱きついた温かい手が背中を撫でる。未だに何かが繋がってでもいるのか、暁人は帰って来たオレの表情を見ただけでオレがその時一番求めているものをくれる。聞きたい言葉、して欲しい事。オレを甘やかし囲い込むように。
『嘘だけ、うまくなっていく』
環境が変われば気持ちも変化する。社会人になったら今までみたいにおっさんの身の回りの世話なんて出来ないよ。それもそうだと少し寂しそうに笑う顔に胸が痛くなる。でも楽しい夢はいつか終わるものだから。抜け出せなくなる前に自分で終わりにすると決めた。僕の中で長く続いた雨の夜が今終わった。
『好きだって言ったら殴る』
言葉にしたら駄目な想いなんだって分かっていて、心の底に押し込んで蓋をしていつかは忘れるつもりだったのに。どういう訳か今日はいつもより距離が近い。
「なぁ暁人、」
掴んだ手を離して欲しいし、僕を壁に追い詰めるのも止めて欲しい。それは半端な気持ちで軽々しく口にしていい言葉じゃないだろ?
彼の事を想うと呼吸が苦しくなる。まるで首を絞められてでもいるかのように。息が詰まって胸が痛くて哀しくてなのに忘れることも出来ない。もう会えないと分かってるのに。まるで彼が最後に残した呪いのようだ。ならばどうかその呪いで僕を縛り続けて欲しい。僕の息が止まった時に彼と繋がるように。
『最近可愛くなりまして、』
風呂上がりのKKが台所に来た。冷蔵庫から目当ての物を取り出すと僕の背後で缶を開ける。作業中はあまりうろついて欲しくないけど料理をする姿を見るのが好きだと言われると無碍にも出来ない。味見を、と鍋の中身を菜箸で摘まみ取り冷ましてKKの口に運ぶ。大人しく口を開ける姿はまるで雛鳥のようで。
風呂上がり缶ビール片手に料理をする暁人を眺める。オレのために甲斐甲斐しく動く姿は最高の肴だ。 たまには手伝ってやりたいが下手に手を出すと怒られそうで実行出来ていない。味見してくれる?と息を吹きかけて冷ますと口元に差し出される。咀嚼するオレの答えを待つ姿は健気な飼い犬のようだ。
『共犯者』
年上ってだけで自分だけに責任があるみたいな考えはやめて欲しい。KKの事を好きになったのは僕だし、こういう関係になったのも自分で決めた事だから。自分が身を引けばあっさりこの関係が終わると思ってるならそれは大きな勘違いだ。納得すると思ってるのか?
「僕は被害者じゃない、共犯者なんだよ」