秘密の関係 「……おや、もう朝が来てしまうね、ロイエ」
ロイエの肩に寄りかかり、まだ眠たそうな目を窓の外に向けたエーテルネーアがそうぽつりと呟いた。
「そうですねエーテルネーア様 名残惜しいですが、僕はそろそろお暇しないと」
「あぁ、そうだね 長々と引き止めてしまってすまない」
すまない、と謝罪の言葉を述べているが、エーテルネーアの手はロイエの右腕を離そうとはしない。そんなエーテルネーアを見て、ロイエは少し困ったような顔で答えた。
「僕の事を帰そうと思っているようですが、身体の方は逆のことをしていますよ」
「……君、分かってて言ってるだろ」
「だっていつもの事ですから 貴方が僕の事を離さないのは」
「……」
心の奥底を見透かされていると分かったエーテルネーアは、恥ずかしさでいたたまれなくなったのか顔赤らめた顔をロイエの腕に押し付けた。顔を見られたくないのか、ロイエが名前を呼んでもなかなか顔を上げない。
「ふふっ、こんな事を言うと不敬だとミゼリコルドに怒られてしまいそうですが、貴方は本当に愛らしくて、可愛い人ですね」
「─っ、か、可愛くなど……」
「可愛いですよ 僕にだけこんな姿を見せてくれる貴方が、愛おしくてたまらないです」
ロイエは、エーテルネーアの前髪を上げると額にそっと口付けた。ほんのりと色付いていたエーテルネーアの頬が、より赤く染まる。その姿を見て、ロイエはまた彼の事を愛おしく思った。
初めて二人が話したのは、ロイエがミゼリコルドに用があるからとナーヴ教会を訪れた時の事だった。ミゼリコルドを探し教会内を彷徨っていたロイエに、エーテルネーアが声をかけたのだ。
『ミゼリコルドなら、今は席を外しているよ 彼に渡す物があれば、僕が預かろう』
『そう、ですか 助かります では、これをお願いします』
その時は、一言二言会話しただけで、それ以上の関わりはなかった。しかし、何度かそういったやりとりを重ねていたある日、エーテルネーアがロイエにこう言った。
『ねぇ、ロイエ隊長 もし時間があるなら、僕の話し相手になってはくれないだろうか』
突然の申し出に、ロイエは言葉が出なかった。エーテルネーアは、ナーヴ教会の最高峰に位置する人物で、いわば神に最も近い存在だ。故に、彼と直接関わる人物は一握りだと聞いていたロイエは、彼の言っている言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまった。
『……僕が、貴方の話し相手に、ですか?』
『あぁ、そうだよ ……嫌だったかい?』
『えと、あの、そうではなく……僕なんかでいいのかな、という意味で……』
『いいんだよ 君がいいんだ、ロイエ隊長』
そう言って、エーテルネーアは優しく微笑んだ。そして呆気にとられているロイエの手を引いて、自室へと彼を招いた。窓際に置いてある椅子に彼を座らせ、誰かに用意させたであろう簡単なお茶会セットをテーブルに運んできて、ロイエに勧めた。ロイエは勧められるがまま紅茶とお茶菓子を口に含むと、小さく破顔した。それを見て、エーテルネーアも嬉しくなった。
その日から、二人の秘密の時間が始まった。ミゼリコルドとの用件が終わった頃を見計らってエーテルネーアがロイエの前に現れ、そのまま彼の自室へと招いて話をする、それがいつしか日課になっていった。
そんな不思議な関係が続いていたある日、ロイエが帰ろうとすると、エーテルネーアが彼の服の裾を掴み歩みを止めさせようとした。
『あの、エーテルネーア様?僕帰らないと流石に怒られるので……』
そう言って多少無理矢理にでもエーテルネーアの手を離そうとしたのだが、ロイエが動く前にエーテルネーアが口を開いた。
『……かえらないで』
『え……』
幼子の様な言い方と声で、エーテルネーアがロイエに訴えかける。
『エーテルネーア様……』
『お願い……』
マゼンタの瞳が、真っ直ぐロイエを見つめる。ロイエはエーテルネーアの懇願する視線に屈し、軽くため息をつきながら笑った。
『しょうがない御人だ ミゼリコルドに何か言われたら、一緒に怒られてもらいますからね』
そう告げると、エーテルネーアは嬉しそうに笑った。いつも見せる優しく笑みとは違う、少年のような笑顔だった。
昼間だけの逢瀬が夜から早朝にかけての長い逢瀬に変わったのは、この時からだった。罰当たりな事だと分かっていながらも、自分を深みに陥れようとするエーテルネーアの誘いに負けたロイエは、彼に触れてその内側を暴いた。ロイエもエーテルネーアも、悪い事だと分かっていながらも肌を重ねる甘い時間に溺れていった。もう何も知らなかったあの頃には、戻れなくなってしまったのだ。
「エーテルネーア様、僕本当に帰らないと……」
「……そう、ですね いつもごめんなさい」
離れ難いのは、ロイエもエーテルネーアも同じだった。だが、表向きはユニティーオーダー隊長とナーヴ教会のトップという関係。ビジネスパートナー以上の関係がそこにあるとはとても思えないし、あってはならない。だからこそ、こうして人目を避けて逢瀬を繰り返している。いつバレてもおかしくないという、危うい状況の中で。
「では、エーテルネーア様 また」
「うん、また来てね、ロイエ」
ドアを開ける直前、二人が元の関係に戻るギリギリの瞬間に、そっと触れるだけのキスをした。このキスは、別れのキスだ。この扉を出たらただのビジネスパートナーに戻らねばならないのだから。
ギィ、と音を立ててエーテルネーアの部屋の扉の音が鳴る。ロイエは部屋の中にいるエーテルネーアに、エーテルネーアはドアの向こうに消えていくロイエに、それぞれ手を振るのだった。
出来ることなら帰りたくなかったし、帰したくなかった。そんな思いを胸に秘めたまま、二人はあるべき場所に帰った。この世界の平和を、均衡を保つ為に。