初めての友達「うぅ……やっぱり夜の見回りは怖いな……」
一本の蝋燭を乗せた燭台を手に、オレはホテルの中を巡回している。宿泊してるお客様が寝静まった後でも、ホテルの従業員の仕事は終わらない。お客様がチェックアウトまで安心して過ごしていただけるよう、館内の戸締りや点検、設備の確認などやる事は山積みだ。しかもオレはまだ新人なので覚える事もやる事も沢山あり、忙しい日々を送っている。
オレが働くロイヤルレインボーホテルは歴史あるホテルで、今年で開業百周年を迎えるらしい。そんなホテルで働けるなんてとても素晴らしいことだ、と誰もが思うだろうが、このホテルにはちょっとした噂があった。それは、ここがゴーストの住みついているホテルであるという噂だ。ある時期を境に誰もいないはずの部屋から物音がしたり、キッチンにあった食べ物が人知れず消えていたという怪奇現象が頻発しているらしく、一部の従業員の間ではゴーストの仕業だという話が持ち上がっているという。だが誰もそのゴーストの姿を見たことがなく、あくまでも噂という事になっている。
オレは昔から霊感が強く、ゴーストといった人ならざるもの達の姿を認識する事が出来た。なのでゴーストの噂を聞いた時、オレならそのゴーストの招待を突き止めて、悪戯を辞めさせられるかもしれないと思い、進んで夜の見回りに立候補したのだ。
しかし、いざその時になってみるとこの任務に立候補したことを少し後悔した。寝静まったホテルの館内は本当に静かで、ちょっとした音にでも過敏に反応してしまうほどの静寂に包まれていた。だがこれは自分にしか出来ない仕事だ。先輩や同僚達、何よりここに泊まっていただくお客様のためにも、ゴーストの正体を突き止めねばならないと己を奮い立たせ、オレは一歩ずつ歩みを進めた。
一通り館内を巡回し、特に異常がない事が確認出来たのでほっと胸を撫で下ろした。だけど安心してもいられない。何も無かったという事は、つまりゴーストを、悪戯の犯人を見つけられていないということになる。それでは自分が見回りをした意味が無い。少し怖いけれど、犯人を見つける為に出来ればゴーストには何か悪戯を仕掛けて欲しいと心の中で願った。
すると、突然誰もいないはずの部屋から物音が聞こえた。夜の見回り用にと持たされていたマスターキーを使って部屋の中に入ってみるが、やはり誰もいない。荒らされた形跡もなく、従業員がベッドメイキングをした時のままになっているように見える。念の為部屋の中を一巡しておこうと歩き出した瞬間、何もなかったはずの空間に人間の顔が浮かび上がった。そして、一瞬ではあるがその浮かび上がった人物と視線が交わった気がした。
「え……もしかして、僕の事見えてるの…?」
オレの視線の先に居たのは、白髪の髪を持つ一人の少年だった。身なりからして育ちの良さそうな、美形の少年。そしてまだあどけない顔立ちの中に、どこか大人びた雰囲気があった。
「う、うん。見えてるよ。もしかして君って……」
何も無いはずの空間に突然現れ、自分の事が見えているのかと聞いてきたことから、この人物は人間ではない事が推測される。更に彼の事をよく観察してみると足元が半透明になっており、うっすら浮かんでいるようにも見えた。となれば、彼の正体は明らかだ。この人物こそオレが探し求めていた「ゴースト」に違いないと思った。
「そうだよ。僕はここに住みついてるゴースト。ひとりぼっちで寂しいから、君たちを脅かして楽しんでるんだ」
そう言って彼─ゴーストは笑った。外見からは大人びた印象を受けるのに、寂しいから悪戯をしていた、という子供らしい一面も持ち合わせているらしい。
「楽しんでるって……君が脅かすから皆怖がってるんだよ……?」
「そうは言ったって他にここでやる事もないし、話し相手も居なくて暇なんだ。別に誰の事も怪我させてないし、僕のせいでホテルから客足が遠のいてる訳でもないでしょ」
「それは……そうだけど……」
確かに、彼の言う通りだった。ゴーストの噂はあるものの、それを理由に宿泊客が減ったという話は聞いた事はなく、むしろそれを目当てに泊まりに来るというお客様もいるという話さえある。言ってしまえば、ゴーストを怖がっているのは従業員達だけで、お客様はあまり気に止めていないのが現状だ。しかし、だからと言ってこのままにしておく訳にはいかない。ゴーストを理由に従業員が減ってしまっては、今後のホテルの運営に関わる。オレはどうにかして彼に悪戯を辞めてもらうように説得する事にした。
「ねぇ、本当に悪戯を辞める気は無いの……?」
「ないよ。だってそれしか楽しみがないんだから」
やはりそう簡単には諦めてくれそうにない。それならば……とオレは彼に提案を持ちかける。
「……じゃぁさ、新しい楽しみが見つかればいいの?」
「……何かあるの?僕の寂しさを紛らわせることが」
オレの言葉に、彼が少し表情を変えた。その目は好奇心に満ち溢れ、キラキラと輝いているように見えた。
「うん。あのさ、オレと友達になろう」
「……え?」
突然の申し出に、彼は目を丸くした。そして燭台の火で照らされたその顔は高揚していて、まるで人間のようにほんのり赤く色づいていた。
「だって、君ひとりぼっちで寂しいんでしょ。オレはここの従業員だからいつでも君の事気にかけてあげられるし、一緒に遊べなくても話し相手ぐらいにはなれると思うんだけど……どうかな?」
寂しいから悪戯をしていると言うなら、その寂しさを自分が取り除いてあげることで、彼は悪戯を辞めてくれるかもしれないとオレは考えた。だけど、ゴーストと友達になれるかどうかなんて分からない。そもそも友達が欲しいわけじゃない可能性だってあるし、友達になる代わりに何かを差し出さないといけないかもしれない。彼の回答をドキドキしながら待っていると、彼は納得したような顔をして口を開いた。
「なるほどね。確かに君は僕が見えるし、こうして話も出来る。他の人には出来ないことだ。分かった、いいよ。君の提案を受け入れてあげる」
「ホント……!?よかった……これで皆安心出来るよ」
オレが喜びの声を上げていると、彼は少し困ったような顔をして笑っていた。
「そんなに僕の悪戯止めたかったの?」
「うーん止めたかったというか、皆が困ってるなら力になりたいって思っただけなんだ。オレまだ新人だし、出来ないことも多くて……だから、オレにも出来ることがあったんだって思うと嬉しくて」
「そう」
オレの話を聞きながら、彼は優しく微笑んだ。まるで、こちらを慈しむような暖かい笑みだった。やっぱり、彼は悪いゴーストなんかじゃない。ただ純粋に、寂しかっただけなんだと思った。
「ねぇ」
「うん?」
「僕はたった今君と友達になった訳なんだけど、僕は何をすればいいの?友達って居たことないから、どうしたらいいか分からないんだ」
「そうだなぁ……さっきも言ったけど、やっぱりおしゃべりかな。自分の事とか今日あった事とか、話す内容はなんでもいいんだよ。友達なんだし」
「なるほど……。でもその前に、まだ僕たちやってない事があるよね」
「やってないこと?」
「そう、僕たちまだお互いの名前、知らないでしょ。友達なのに」
「あ、確かに」
あまりにも普通に彼と話していたので、このまま友達として普通におしゃべりを続けようと思っていたのだが、そういえばまだオレはこのゴーストの名前を知らなかった。そして、友達になろうと言ったオレ自身も、彼に自分の名前を言っていなかった事に気付いた。
「なんかもう自己紹介したつもりになってたけど、そんなことなかったね。じゃぁ改めて…オレの名前は七瀬陸。このホテルの新人ベルボーイだよ。よろしくね」
「よろしく。僕の名前は九条天。このホテルに住みついてるゴーストだよ。ここには長く居るような気がするけど、もう時間の感覚がないからどれくらい長く要るか忘れちゃった」
そう言って、彼は少しだけ悲しそうな、寂しそうな顔をした。見た目からして彼はオレと年齢はあまり変わらないように見える。だけどどれくらいの時間ここに住みついているのかも忘れてしまうくらい長い時間を、彼はこの場所で一人過ごしてきたのだろう。そう思うと、オレはますます彼の事を一人にしておけないと思った。
「天…はオレと同い年ぐらいに見えるけど、本当はお兄さんなのかもしれないね」
「うん、多分そうじゃないかな。つい最近この姿になった訳でもないし、詳しいことは覚えてないけど、君よりは歳上だと思う」
「そっか。えっと、じゃぁ……天にぃって呼んでもいい…?」
「えっ…友達なのに?」
「やっぱりダメかな…?歳上の友達って意味でそう呼んでみたらどうかなと思ったんだけど……」
なんでこんな事を言い出したのか自分でも分からないが、咄嗟に出たその呼び方が驚くほど口に馴馴染んでいて、それでいて違和感がなかった。まるで、在りし日にその名を呼んだことがあるように。
「……まぁいっか。陸ってなんか弟みたいだし」
「えへへ…それよく言われる」
「僕が陸の兄なら、陸は僕の弟、そして歳下の友達。だから呼び捨てでいい?」
「うん、いいよ」
「ありがとう。改めて、これからよろしくね陸」
「うん。こちらこそよろしく、天にぃ」
こうして、オレはひとりぼっちのゴーストの、初めての友達になった。