二人でいること モモと喧嘩した。最愛の片割れであり唯一の家族であるあの子と、本当に些細な事で言い合いになってしまった。
別に僕だってあの子を傷付けたかった訳じゃない。むしろ大事にしたいし、彼自身にも自分を大事にするという事を覚えて欲しかった。ただそれだけなのに、どうしてもこうも上手く伝わらないのだろうか。
モモは、人間だった頃から自分の身を犠牲にする事に躊躇いがなかった。それが村で生きていく為に身につけていた知恵なのかは分からないが、僕と共に暮らすようになってからも、彼の自己犠牲は変わらないままだった。彼は僕の身に危険がおよぶと分かると、なんの躊躇いもなく自分の身を差し出し、結果としてモモばかりが傷を負う事が続いた。
僕としてはもうあの子が傷付く所なんて見たくないし、そうならないように僕自身も行動しているつもりだった。だけどモモはそんな僕の動きを阻止するかのごとく、いつも自分の身を危険に晒してしまう。
大切な人を守りたいという気持ちがお互いにあるというのは分かっている。でも、だからといってそれでモモが傷付いていいという理由にはならないだろう。
「ねぇ、モモ。どうしてお前はいつも自分を犠牲にしてしまうの」
治りかけの傷口を優しく撫でながら、彼に問いかける。するとモモは、何故そんな当たり前の事を聞くのだろう、といった表情で答えた。
「そんなの、オレがユキさんの眷属だからですよ。眷属は主がいないと生きていけない、だから貴方を守るのはオレの役目、役割なんです」
「……確かにそれはそうだ。でも、それを理由にしてモモが傷付くのを、僕は見たくない……」
自分でも、矛盾した事を言っているという自覚はある。従者が主を守るのは当然だと言いながら、その従者に傷ついて欲しくないと自分は言っているのだ。自分が圧倒的な権力者であれば、無理やりにでもモモを従わせる事も出来たかもしれない。だが、これまで散々苦しんできたこの子に、そんなことはしたくなかった。でもその結果として、僕は彼を苦痛から解放する事が出来ずにいる。我ながら情けないことこの上ない。
「……えと、ユキさんの望みを叶える為に、オレはもっと強くなればいいんですか?強くなれば、傷つかずに済みますよね」
「いや、それは違うよモモ。僕はそういう事が言いたいんじゃないんだ」
「?」
大切な人に、こんな言葉をかけるべきでは無いことは分かっている。だけど、多分今の彼にはこのぐらい言わないと伝わらないと考えた僕は、意を決して口を開いた。
「確かに僕はお前の主で、お前は僕の眷属だ。眷属は主がいないと生きていけないというのも正しい。それは間違ってない。でもね、モモ、お前は眷属が主の盾か何かだと勘違いしてるんだ」
「勘違い……?」
「そうだよ。盾は主を守るものだから傷付いても構わないって、思ってるだろ」
「それは……その……」
「お前が生きていく為に僕を守ろうとするのは分かる。だけど、それでお前に何かあったら僕はどうなる?また僕にひとりぼっちになれというのか?」
「違う、そんなつもりじゃ──」
「……僕はモモの居ない世界でなんて生きていても意味が無いんだ。モモを失うぐらいなら、僕なんて守らなくていい」
モモの行動を真っ向から否定するような言葉を突きつけ、結果として彼は何も言えなくなってしまった。俯いていて表情は見えないが、彼を言葉で傷つけてしまったのは確かだろう。
優しくしたいはずなのに、どうしてこうも上手くいかないのか、と考えることが彼と暮らしていく日々の中で増えた気がする。誰かと生きていくということは、自分が思っていた以上に難しいことだと実感する。
僕とモモの間に、重い沈黙が流れる。少し言いすぎたとは思うが、彼には自分が大切に思われているということをちゃんと理解して欲しかった。だから、例えそれがモモにとって聞きたくない言葉だったとしても、受け止めて欲しかったのだ。
「……オレ、……ってた?」
ふと、モモのか細い声が、重い沈黙を破った。しかし僕がその言葉を聞き返す間もなく、彼は城の扉を開けてそのまま飛び出していってしまった。本当はすぐにでも後を追いかけたかったのだが、バタン、という扉の閉まる音があまりにも力強く、そしてその音の大きさと強さから僕への拒絶が感じられてしまい、僕はその場から動く事ができなかった。
(……僕は、またあの子を傷つけてしまった)
謝って許してもらえるだろうか、と思いながら僕は彼を探す為に森の中を歩いていた。
モモになんて言おうかと考えているうちに時間だけが過ぎていき、気が付けば夜明けが近かった。それなのに、モモがまだ戻ってきていないという事に気が付いて、僕は慌てて城を飛び出した。きっとあの子は自分で飛び出して行った手前、そのまま帰るのは気まずいとでも思っているのだろう。だが、僕達吸血鬼は夜に生きる種族だ。太陽の光は眩しすぎるし、長時間その光を浴び続ければいずれその肉体も朽ちてしまう。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。例え彼が帰りたくないと言ったとしても無理やりにでも連れて帰るつもりで、僕は彼の元へと急いだ。
森の奥地までたどり着くと、そこには予想通りモモが居た。彼は木の幹を背もたれにしてその根元に座り込み、膝を抱えて泣きじゃくっていた。
「……モモ」
僕は彼の隣に座ると、震えている背中に手を添えてそっと撫でた。そしてゆっくりと顔を上げたモモと視線が交差する。彼の大きくて丸いルビー色の瞳は、涙でいっぱいになっていた。
「ゆき、さん……」
「こんなところにいたの、モモ。もう朝になっちゃうから一緒に帰ろう」
「……」
まだ先程の事を気にしているのか、モモは素直に返事をしてくれなかった。モモは基本的に素直だが、こういう時だけは意外と強情なのだ。
「モモ、さっきは…その…強く言いすぎた。ごめん。あんなこと言ったけど、モモに守って欲しくない訳じゃないんだ。モモがいつも僕の為に頑張ってくれているのは分かるし、嬉しいよ。でも、僕もモモが大事なんだ。だから、大事な人が傷付くのは辛いんだよ。…僕の気持ち、分かってくれる?」
未だ止まることのない涙を流しながら、モモは小さくこくん、と頷いた。そして、震える声で彼も言葉を紡いだ。
「……っおれ、ゆきさん、に、っいらないって、言われたような気がして、こわかったんです…でも、ちがったんですね。本当に、おれの、かんちがい、っだった……っ……うぅ……おれこそ、ごめんなさい……あなたのこと、何も分かってなかった……」
モモの手が、控えめに僕の服を掴む。僕はその手を自身の手で優しく包み、彼の背中に添えていた手を自分の方に引き寄せると、モモを身体ごと抱きしめた。腕の中に閉じ込められたモモは、うわ言のように謝罪の言葉を繰り返していた。
モモが泣き止んだ頃を見計らって彼を立たせ、彼の手を引きながら森をぬけて城への帰路に着く。しばらく互いに何も言葉を発しないでいたが、ふいにモモが口を開いた。
「……ユキさん、あの、迎えに来てくれてありがとうございました」
「礼を言われるほどの事じゃないよ。そもそも、モモが城を飛び出すきっかけを作ってしまったのは僕なんだし」
僕はすぐに追いかけることをしなかったのだから、礼を言われるどころかむしろ彼に呆れられたり怒られたりしてもおかしくないというのに、僕が迎えに来たことに対して感謝の言葉を述べてくれるモモは、やはり優しい子だ。
「いいえ、そうだとしてもユキさんが来てくれなかったら、オレは多分ずっとあそこに居たと思います……」
「どうして?自分から帰ってくるのは気まずかったから?」
僕からの問いにモモはゆっくりと首を横に振ると、消え入りそうな声で呟いた。
「……オレ、あのままユキさんが来なかったら、消えちゃおうかなって思ってたので」
「なっ……!」
「さっきユキさんに守らなくていいって言われて、あぁ、オレって役立たずだったのかなぁって思って……だから、それならもういっそ消えてもいいかなって考えてました。……あっ、もう今はそんなこと、思ってないですけどね。だからユキさん、オレの手、そんなに強く握らなくても大丈夫ですよ。どこにも行きませんから」
「っ!……ごめん、つい……」
モモの話を聞きながら、無意識のうちに彼の手を強く握りすぎてしまっていたらしい。でもまさか、自分の言葉ひとつで彼をそこまで追い込んでしまっていたなんて、想像もしていなかった。改めて探しに来て良かったと思うのと同時に、この子にはちゃんと思った事をはっきりと伝えてあげないといけないのだと分かった。
「ねぇモモ、もう二度とそんなこと言わないで……いや、言わせないように頑張るから、お願い、僕を一人にしないで」
掴んでいた手を引っ張って身体ごと彼を引き寄せると、そのまま腕の中に閉じ込めてぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめた。彼に自分が愛されていると自覚してもらう為の言葉はもう伝えきったはずなので、他に出来ることというと、もうこれぐらいしか思い付かなかった。
腕の中に閉じ込めたモモは、苦しいですよ、と言いながらも先程とは打って変わって柔らかく微笑んでいた。そしてモモからも、僕の事を優しく抱き返してくれたのだった。