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    tako__s

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    うぇぼでいただいた『千冬に片思いしてる場地さんがアピールしても伝わらない話』を書かせていただきました✍️♡

    ※千冬に意識をして欲しい場地さんが一生懸命アピールしてます。力技です。
    ※エマちゃん友情出演。害のないモブ(女子)が数名出てきます。
    ※当たり前にハッピーエンド✌️

     勉強は好きじゃない。でも、お前が興味を持ってくれるなら頑張ってみよう。そう、思ったのに。

     壁とオレに挟まれた千冬は逃げ場を奪われたにもかかわらず見開いた目をきらきらと輝かせた。ガラスのように澄み切った昼間の空に星が散っている。強欲な怪盗が独り占めしたくなるような非現実的な絶景。見るなという方が無理だ。
     千冬が唇を開く。そこからどんな言葉が出るだろう。今日こそは、と淡い期待を抱いて見つめる。
    「か、カッケェ……」
     ふるえる声で告げられた言葉に肩が落ちる。間違いなく褒め言葉ではあるけど、これはダメなやつだ。知ってる。何度も聞いた。その回数分ガッカリした。これで何連敗だ?わかんねぇ。もう数えるのもイヤだ。
    「あ……」
     壁から手を退かして体を離すと、名残惜しそうな声がした。目を向けると声の主はしゅんと眉尻を下げている。寂しげな顔に、胸が締め付けられる。
    (あー、クッソ)
     触れたいと思った。好きだと思った。堪らず伸ばしかけた手に力を入れる。まだ消えない期待を握り潰すように、ぎゅっと。
    (……そんな顔、すんじゃねぇよ)
     また、勘違いするだろうが。
     
    「だーかーらー、千冬は鈍いの!だから押す、押す、押す!なの!」
     力強く、エマが断言する。常に思うわけではないけど、ふとした瞬間、例えばこんな風に強気でものを言うときなんかはどことなくマイキーと似ている、ような気がする。
     筆記体で書かれた、なんとかっていう名前のカフェはどこを見ても女ばかりで落ち着かない。オレが抱いている違和感は周りも持っているのだろう。刺さるような視線をあちこちから感じる。
     それに気付かないフリをして、コーヒーに口をつける。たまに家で飲むものよりも濃くて、苦い。これが大人の味ってやつなのだろうか。本格的なコーヒーはオレにはまだ早い。
    「あいつ、自分は勘鋭いって言ってたけど」
     渋い顔のままそう言うとエマはやれやれと首を左右に振った。
    「鈍い人はみんなそう言うの。あと、オレは優しいって言う人は大抵優しくない」
     呆れ声の中に怒りがちょっと混ざっている。なにかイヤなことでも思い出したのだろうか。これ以上の深追いはやめろと本能がいう。
     言葉に悩んで、誤魔化すようにカップに口をつける。そのタイミングでエマはケーキを口にした。棘ついた表情が一瞬でとろける。余程うまいのだろう。千冬も美味いものを食うとこんな風に顔全部をつかって喜ぶ。あまり好みじゃないときは、黙々と食うのが分かりやすくて面白い。
     ニコニコしながらエマがイチゴのてっぺんにフォークを刺す。もし千冬だったらそのイチゴをオレにくれると言うだろうとぼんやり思う。千冬はいつもとっておきをオレにくれようとする。気が引けるからオレはいつもそれを半分だけ貰う。そうすると千冬は嬉しそうに笑う。半分なくなったのに、二個食ったみたいな顔をして、おいしいですね、と同意を求めてくる。思わせぶりで憎たらしい顔が、オレは好きなのだ。恋しい。そう思っているうちにエマはイチゴを一口で食った。
    「場地はさ、千冬に意識してほしいんでしょ?」
     口を開けば余計なことを言いそうなので首の動きだけで返事をする。してほしい。めちゃくちゃ、してほしい。
    「へぇ、場地にしては珍しく素直じゃん」
    「うるせぇ」
    「場地ってさ、何考えてるか分かんないこと多いから、そうやって思ったことは素直に言った方がいいんだよ」
     カップを揺らしながらエマがにやにやと笑う。もう一度うるさいと釘を刺せば「照れるなよ」と揶揄うように言われた。
     昔からよく分からない奴だと言われることが多かったが、クラスの連中はオレのことを大人っぽいと言う。実際はどうなのだろう。
     コーヒーを飲む。喉は潤わないし、やっぱり苦いだけだ。大人っぽくなんてない。考えていることもきっと他の奴らと大して変わらない。
     授業よりも休みの日の予定を決める方が大切だし、勉強もテストも大嫌いだし、将来のことなんて聞かれても曖昧にしか返せないし、母親は大切だけど小言はちょっと鬱陶しいし、どうしたら好きな子に振り向いてもらえるのかを必死に考えてる。蓋を開ければ余裕も魅力もない、ただのガキだ。
    「もうね、押すしかないよ。任せて!ウチが力になってあげる!」
     エマがぐっと拳を握る。小さな背中の後ろにはメラメラとやる気の炎が見えるが、頼もしいかと聞かれると返答に困る。
     つい先日、長い片想いが実ったエマは幸せで幸せで仕方ないようだ。こうしてオレに協力してくれるのもお裾分けってやつだろう。もしかしたら恩返しかもしれない。ドラケンと常に一緒にいるマイキーの相手をして、二人きりの時間をつくってやったことに対しての。
     とはいえ、それはエマに頼まれたわけじゃない。千冬に言われてしたことだ。いいムードだから二人きりにしてあげましょうよ、と必死にねだられて。
    「……お前はオレと二人きりにならなくていいのかよ」
     そう言ったのは脳内のオレで、実際口には出していない。いや、出せなかったの方が正しい。ただの友人にそんなことを言われても困惑するだけだ。ヘタをしたら気味が悪いと引かれる可能性だってある。
     千冬のなかでオレは友人の域を超えていない。尊敬とか、憧れとか、そういう色は多少ついているだろうけど、オレが千冬に抱いているものとは全然違う。他の連中といるときも、オレといるときも、千冬はいつだって同じ顔をしている。夏の太陽にも負けない眩しい笑顔は千冬らしくて好きだけど、他のヤツに見せるのはちょっとモヤモヤする。
     ひとりの男として意識をしてほしい。切なる願いだ。でも、具体的にどうしたらいいのかはさっぱり分からない。恋愛なんてしたことなかったし、興味もなかった。
     長い付き合いだ。どんなことをしたら千冬が喜ぶかはなんとなく分かる。だけどそれだけではダメらしい。
    「好きってね、嬉しい、楽しいだけじゃダメなの。ドキドキしたり、不安になったり、ちょっと悲しくなったり、そういういろんな気持ちが混ざって、できるものなの」
     いい夢を見ているようなうっとりとした顔でエマが言う。オレは首を傾げる。
    「……つまりカレーみたいなモンってことか?」
    「バカ!」
     この後も恋愛についていろいろ語られたけど、難しくてよく分からなかった。オレは国語も数学も化学も苦手だ。でも千冬のいろんな顔を見れるのはいいことだ。誰にも見せたことのない顔。それが見れたとき、どんな幸せを味わえるのだろう。
     話がひと段落ついたタイミングで「わかった」と返事をする。教えてくれよと続ければエマがぱっと表情を明るくした。どうしてそんなにはしゃぐのか、嬉しそうな顔をするのか分からない。女子は自他を問わず恋愛話をするのが好きな生き物なのだろうか。確かに、うちのクラスも放課後になるとあちこちから恋愛話が聞こえてくる。その登場人物の名前は聞いたことのないものばかりだ。
     佐野家で大きな紙袋をふたつ渡された。それなりに重さがあったのでいい筋トレになったが、もちろん筋トレの道具を借りたのではない。
     紙袋の中身は全部少女漫画だ。千冬が好きそうなジャンルの、千冬が持っていない漫画を選んだとエマは言った。
    「だって、これ漫画でなんとか君がやってたの見ました!って言われたらイヤでしょ?」
     間を空けずに首を縦に振る。殆ど無意識だった。他の男と重ねられるなんて真っ平御免だ。例えそれが現実に存在しない男だとしても。
     床に置いた紙袋から適当に数冊抜き取って押し入れに向かう。オレの部屋にあるのは少年漫画や動物関連の本ばかりだ。少女漫画を読んだことは殆どない。
    「んー、んー?」
     馴染みがないせいか、ページを捲っても捲っても心は踊らない。それどころか目を細め眉を寄せるの繰り返しだ。絵はついているが内容は理解できないことばかりで、授業中の教科書を読んでいるのと大差ない。
     自分の意思で読もうとは到底思えない。でも、このなかに千冬が振り向いてくれるヒントがあるのなら、読んでやろうじゃないか。学んでやろうじゃないか。そう意気込んだオレは押し入れと床を何度も行き来し、合計十二冊の少女漫画を読んだ。途中で力尽きそうになったが、気合いで乗り切った。
     この日読んだのは高校生活を舞台にした話だった。学校で一番人気があるという男に好意を持った主人公が自分磨きを重ねて、少しずつ男との距離を縮めていく物語。幼馴染の手助けもあり、話は順調に進んでいる、と思っていたのに最終的に恋人になったのは当初好意を持っていた男ではなく幼馴染の方で、オレは軽くパニックになった。なんだ?なにがどうしてそうなった?
     最終話に出てくる人物は全員が幸せそうに笑っていたがどうにもしっくりこない。でももう一度読み返そうとは思えなかった。そんな気力はないし、明日も学校がある。携帯で時刻を確認すると日付が変わる直前だった。
     この漫画でオレが学んだのは後ろから服の袖を捲ると心に響くらしいということだ。エマの言い方を真似るのであれば、ときめくってやつ。セリフの何倍もの大きさでドキッと書かれていたのだから、威力は相当なのだろう。酷使した目と頭は疲労の限界だったらしく瞼を伏せると眠りにつくのはすぐだった。
     次の日、目を擦りながら階段を降りるとポストの前で千冬が待っていた。おはようございます、と元気いっぱいに挨拶をする千冬の笑顔が眩しくて一気に意識が覚醒する。同時に、忘れていた漫画のワンシーンがぽんっと頭の真ん中に戻ってきた。そうだ。オレは今日、千冬にアレをしなければいけない。
     今日から一日ひとつ、漫画の真似事をしようと決めていた。一日も早くオレを意識してもらえるように。
     オレと千冬は同じ高校に通っているが、クラスは違う。つまり一緒にいれるのは登下校か昼休み。今日のノルマは『後ろから袖を捲る』だが、これを実行するチャンスは昼休みの方がありそうだ。
     午前最後の授業。終わりを知らせるチャイムが鳴って一分も経たずに千冬はオレの教室に来た。しかしこっちはまだ授業が終わったばかりで、勢いよく開いたドアを見た先生は教科書を片しながら「松野、流石に早すぎるぞ」と軽く千冬を窘めた。その声にクラスの女子が小さく笑う。
     そんなのは全部関係ないと千冬は満面の笑みでオレの元に駆け寄ってくる。場地さん、場地さんと弾むような声につられて口元が緩みかける。隣の席の女子が「松野くんって可愛いね」と耳打ちしてきたので「そうだろ」と小声で返してやった。
     弁当だけを持ってオレ達はいつも通り屋上に向かった。その間もオレはチャンスを探し続ける。廊下を歩きながら、あちこちに目線を散らすオレを千冬は不思議そうに見ていた。「どうしたんですか」と聞かれて、被せるように「なんでもない」と返す。何度かそれを繰り返しながら足を進めているとようやく手洗い場を見つけた。嬉しくて、分かりやすく反応してしまう。
    「千冬」
    「はい?」
    「手洗おうぜ」
     オレの脈絡のない提案に千冬はぱちぱちと大きな瞬きで返した。そのままじっと見つめられて、言葉が詰まる。なにか言いたそうな雰囲気に背中に変な汗がつたう。千冬の態度は尤もだ。昼飯前とか体育の後とか、手を洗うことは多々あったけどわざわざ声に出して誘ったことは一度もない。おかしいことを言っている自覚はある。
    「そ、っすね」
     それでも千冬はオレの言うことを否定しない。消えない不思議を抱いたままの千冬は全部の感情が中途半端という感じの、はじめて見る顔をしていた。新鮮だ。風船をつけたみたいに気分がふわりと浮く。周りには誰もいない。この珍しい顔の千冬はオレが独り占めしてるってことだ。
     やや強引だけど、ここまでは順調だった。誤算だったのは、今日が四月の割に気温が高かったことだ。半袖で快適に過ごせそうなこの時間、オレと同じように千冬は袖を捲っていた。七分丈になった袖から男にしては細い手首がしっかり見える。どうして気付かなかったのだろう。バカかオレは。いや、バカだけど。
    「場地さん?」
     顔を向ければ千冬の手は既に蛇口に触れていた。本当はもう手を洗う意味なんてないのだけど、言い出したオレがしないのは不自然だ。ワリィ、と一言挟んで隣に並ぶ。
     ポケットに手を突っ込んで取り出したハンカチの端を咥える。オレが蛇口を捻ったのを確認してから千冬が手を動かす。手を洗うくらい待っていなくてもいいのに。千冬の律儀さに驚かされることは多い。まあ、嬉しいけど。
     この手洗い場はあまり使われていないのか、蛇口から勢いよく出る水は浮かれた心を落ち着かせるのにちょうどいい冷たさだった。
     水の音が止まったので隣を見てみる。千冬が苦しそうな顔をしていたので、思わず「どうした」と聞く。ハンカチを咥えているせいで間抜けな音になった。
    「ハンカチ、カバンの中に置いてきました……」
     しょんぼりと眉を下げた千冬が言う。なんだそんなことかとホッとする。腹でも痛くなったのかと思った。理由を知ってからもう一度顔を見る。昨日の動物番組で取り上げられていたミニチュアダックスフンドを思い出した。お出掛けだと思ってそわそわしていたのに、留守番を命じられたときの顔もこんな感じで、スゲェかわいかった。
    「つかう?」
    「え」
    「これ。まだ、つかって、ねえから」
     予想ができる、強めの口調の「いいです!」を言われる前に顎を前に出してハンカチを揺らす。口を、い、の形にしたまま千冬が固まるのを見て、やっぱりと思った。オレはこの学校の誰よりも千冬のことを知ってる。知っていたいと思う。
    「あ、う」
    「ほら、はやく」
     千冬は頑固なところがあるけど、オレがここまで言って譲らないタイプではない。これも予想通り、千冬は戸惑いながらもハンカチの端を掴んだ。念のため、落とさないように手に顔を近付けてから口を開く。オレの口から千冬の手にハンカチが移る。余程申し訳ないと思っているのか、それともハンカチを忘れたことが恥ずかしいのかは分からないけど千冬は頬を薄ら赤くして、小さい声で「ありがとうございます」と呟いた。どういたしましてと軽い調子で返して、目線を手元に戻す。
     水が勢いよく落ちる音に雨の日の休日を思い出す。どこにも行けなくてつまらないと千冬は言うけど、オレは案外好きだったりする。部屋で二人きりになれる口実はいくつあってもいい。
     水を止めると千冬がハンカチを差し出してくれた。受け取って手を拭う。そういえば、昨日読んだ漫画のなかに雨の話があった気がする。
     通り雨に降られたふたりは古びた建物の屋根の下に逃げ込んだ。全身ずぶ濡れになった女を見て、男はカバンからスポーツタオルを取り出し、そっと女の頭に乗せた。
    『風邪ひく』
     そう言って手を動かす男に見えない位置で女は頬を赤く染めた。読みながら、こんなことでときめくのかよと驚いた。
     布の大きさも、濡れてる範囲も全然違う。だけど、これは四捨五入をしたらあのシーンにならないだろうか。ふたりして濡れてるし、千冬が使ったハンカチはオレのなのだから。
    (さて、どうだ)
     柄にもなく緊張する。オレが動揺してどうするとうるさい胸を叱りながら千冬に目を向ける。
     結論からいうと、あの女のような反応はなかった。ガッカリだ。ときめくどころかさっきまでほんのり赤く染まっていた頬もいつも通りのなめらかな白色に戻っている。もう一度言う、ガッカリだ。
     照れてはいない。でも、よく見ると表情がさっきと違う。喧嘩を称賛するときのような煌めきが瞳の奥に見える。他の奴じゃきっと分からないくらいの些細なものだ。でもオレには分かる。全く同じ表情なんて実はないのかもしれない。どんな変化も逃したくなくて、じっと見つめ返す。
    「場地さんって、ちゃんとハンカチ持ってるんですね」
    「は?」
    「なんか、ギャップって感じでいいっすね」
     瞳が無邪気に細まる。少年と青年の中間みたいな笑顔。これも見たことがない。こんな布切れ一枚で見れるなんて、ハンカチも捨てたもんじゃない。やるな、お前。毎朝おふくろが忘れずに持って行けとガミガミ言う理由が少しだけ分かった。後ろから袖を捲ることはできなかったけど、違う真似事はできたし、何よりも千冬の珍しい顔をたくさん見れたからよしとしよう。
     その日からオレは漫画で得たものを千冬を相手に試みた。例えば髪にゴミがついていると言って顔の近くの髪を摘んでみたり(本当はゴミなんてついてなかったけど)、今日あった出来事を話す中で千冬が誇らしい顔をしたときには頭をぽんぽんと撫でてみたり、誰に聞かれてもいい内容なのに耳元でこそこそ内緒話をしてみたり、交通量の多い道を歩いているときに腕を掴んで内側にエスコートしてみたり、偶然(を装って)廊下で会った千冬が持っていた二つの段ボールのうちの一つを奪い取ってみたりもした。その全部に千冬はカッケェと目を輝かせ、はしゃいだり、ありがとうございますと嬉しそうに笑ったけど、漫画で見るようなリアクションはなかった。
     エマ曰く、千冬が見せるそれはときめきではないらしい。ときめきは胸のうちに秘めるものであって、本人に告げるものではないという。なんでだよ。言った方が分かりやすいだろ。露骨に顔を顰めるとエマは溜息を吐いた。
    「場地って、本当に乙女心分かんないよね」
     知るか。乙女心なんて、知らなくていい。オレが知りたいのは千冬の心の中だけだ。
    「でも千冬も相当鈍いね。んー、もっと分かりやすいのやらないとかなぁ」
    「分かりやすいのってなんだよ」
     暫しの間。エマがキリリと真剣な顔をする。
    「……ちゅーとか?」
    「バカ」
     キスは付き合ってからって決めてんだよ。
     
     解決策が出ないままエマとの会議を終えた帰り道、偶然千冬に会った。どうしたらいいかを考えていたせいで気配に気付けなかったオレに向かって千冬は全力の声と速度で向かってきた。普通にびっくりした。
    「ば、じ、さーん!」
     ゆるやかな坂道をアクセル全開で走る千冬は途中でブレーキが壊れてしまったらしい。クラクションを鳴らすように、わわわ、と焦る声をあげながら突っ込んできた。避けるわけにもいかないので、背中に手を回して抱き止める。それに倣うように千冬がオレの背中に手を回す。反射的なものだと分かっているのにドキッとした。心は嘘を付けない。
    「あ、っぶねーな、オイ」
    「へへ、すみません。場地さんが見えたから、嬉しくて」
     見えない位置でくすくすと千冬が笑うたびに金色の髪が頬を擽る。風に乗ってふわりと千冬の匂いがしたので慌てて息を止めた。漫画は女目線でしか描かれていないけど、男も女と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上にドキドキしてるのではないだろうか。
    「用事終わったんすか?」
     団地までの残り僅かな道を並んで歩く。
    「おう」
    「今日はもう会えないかと思ったんで、ラッキーです」
    「学校でも会っただろ」
    「まあ、そうなんすけど」
     面白くないと唇が尖る。その反応にオレはまた胸を鳴らしてしまう。千冬はいつもそうだ。こうやって人を惑わせる。ときめいてなんてないくせに。オレのことなんて、これっぽっちも意識してないくせに。
     そう思うとなんだか腹が立ってきた。いつの間にか体の向きを変えていた。千冬に向き合う形をとり、そのまま一歩前に出る。人通りの少ない、車が一台ギリギリ通れるほどの細い道は腕を伸ばせばすぐ壁に手が届く。気が付けばオレは昨日漫画で見た壁ドンとやらをやっていた。短気なのは昔からだけど、自分の行動に驚く。
    「ば、じさん……?」
     自覚はなかったが、険しい顔をしていたのかもしれない。不安そうに名前を呼ばれた。そりゃそうだ。なんの前置きもなくこんなことをされたら誰だって驚くだろう。
     漫画でも、やるぞ、なんて一言はなかった。でもその直前に不穏な空気は流れていた。女が嬉しそうに楽しそうに他の男の話ばっかりするから、男は我慢の限界を迎えたのだ。読んでるときは強引な奴だと思ったが、もしかしたらこのくらいしないと鈍感な心は動かないのかもしれない。
     そろそろ意識をするだろうという、淡い期待。でも、それもあっさり砕かれる。
     いつも通りの反応を見せて、後ろをついてくる千冬がはしゃぐように語る。格好いい、俳優なんて目じゃない、なんて色々言われたが嬉しくない。だって口に出したということは、ときめいてないということだから。無意識に溜息が出る。
    「場地さん、さっきのどこで覚えてきたんですか?」
    「しらね」
    「場地さんにあんなことされたら、少女漫画のヒロインは全員イチコロっすよ」
    「そーかよ」
     全員ってなんだよ。イチコロにしたいのはお前だけだよ。喉元まで出かけたその言葉は悔しいから告げずに飲み込んだ。

     翌日、事態は急転した。
     最後の授業を終えて、二十分待っても千冬は姿を現さなかった。珍しいと思いながら千冬の教室に向かうと賑やかな声が聞こえた。廊下まで響くそのなかに千冬の声を見つける。
    「あ!場地さん!」
     ドアの前に立ち、声を掛けようとしたところで千冬がオレの存在に気付いた。乾いた夜空に咲く花火みたいな明るい顔がこっちを向く。周りにいる数人の女子も一斉に振り向くので、驚いて半歩後ろに下がる。ちょっと怖い。
     帰ろうと言おうとしたが、千冬が大きく手招きするので結局その言葉は口に出せなかった。渋々教室の中に入る。
    「今ね、場地さんのこと話してたんです」
    「は?オレ?」
    「松野が、世界で一番格好いいのは場地くんだー!って言い張るんだよ」
    「疑ってんじゃねぇよ!本当のことだっつの!」
    「あー、もう、うるさいうるさい」
     虫を払うように手を動かされて、千冬がキツく目を細める。だが子犬の威嚇と同じくらいに効果は薄い。
    「場地くんねー、格好いいけど、ミナトくんの方が神じゃない?」
     さっきとは違う女子が会話に入ってきた。聞こえてくるミナトという名前に覚えはない。
    「場地さんの方がカッケェだろ!そりゃ、まあ、ミナトくんも確かに格好いいけど」
    「あ?誰だよ、ミナトって」
     聞き覚えも興味も一ミリだってなかったはずなのに、千冬が格好いいなんて言うから興味を持たざるを得なくなった。食いつくように聞くと、女子が勢いよく携帯の画面を突きつけてきた。ひょろっこい男がよく分からないポーズをとっている。
    「これがミナトくん!格好いいでしょ!」
     うきうきとそう言いながらさらに携帯を寄せられる。近過ぎてぼんやりとしか見えないが、ミナト自身に興味はないからなんでもいい。格好いいの種類は豊富だと思いながら、曖昧に返事をする。人の好みに口を出すのは趣味じゃない。
    「てか、場地くんってちょっとアキラに似てない?」
     違う女子が、また新しい名前を出す。それが誰なのか考える気力もなくなったオレは一番近い席の椅子を引いて腰を下ろした。
    「うーん……」
     全員が品定めするような視線でオレを見下ろす。なんだかオークションにかけられた品物の気分だ。
    「あー、確かに?」
    「でしょ?!あの映画のときのアキラっぽくない?」
    「はぁ!?似てねぇだろ!ぜんっぜん!場地さんの方が十倍、いや、百倍はカッケェ!」
    「松野うるさーい」
     頭上の賑やかなやり取りはいつまで続くのだろう。長引く気配を感じて、早く帰ろうと口を開く。今度は高い声につぶされた。
    「モエって確かアキラのファンじゃなかったっけ?」
    「そーだよ、もはや信者。結構ガチめの」
    「じゃあモエに聞いてみようよ!」
     ぶっとんだ話の内容に、面倒くさくなったと眉を寄せる。また帰宅が遠くなった。どうしてくれるんだと横目で千冬を見る。しかし千冬もこの展開は予想外だったらしい。さっきまでのノリの良さは消え、神妙な顔をしている。なんでお前がそんな顔するんだよ。お前が蒔いた種だろうが。
    「ねえ、場地くんこれやってよ」
     名前に反応して顔を戻すとまた携帯を突きつけられた。だから、近いって。
    「なんだよ、これ」
    「これはね、一世を風靡したアキラの壁ドンよ」
     壁ドン、と声に出して繰り返す。無性に牛丼が食いたくなった。
    「そう。壁ドンって片手でやるのが多いんだけど、このときのアキラはなんとなんと両手でしたの!」
    「そうそう。誰もいない教室で、完全に腕のなかに閉じ込めて」
    「上からじっと熱い眼差しを向けながら、いい?って聞くんだけど、その声もやたら色っぽくて!」
    「それでそれで、焦ったくゆーっくり顔を近付けて、そのまま……」
     三人の女子が、きゃー、と悲鳴を揃える。観たことない映画だが、話の流れ的にそのままキスでもしたのだろう。ありがちな展開だ。オレはそうはならなかったけど。片手だからか?両手だったら、そうなっていたのか?
     勝手に盛り上がってる三人を無視してもう一度千冬を盗み見る。会話に混ざると思っていたが、千冬は黙ったままだ。表情も強張っていて変化はない。この手の映画はしっかりチェックしてると思っていたけど、流石に全部は追いきれないのだろうか。つーか。
    「しねーよ、ンなの」
    「なんで?いいじゃん!キスしろなんて言わないよ。壁ドンだけしてくれればオッケー!」
     満面の笑みで親指を立てられる。なにがオッケーだ。
    「やだよ」
     即答すると、女子はコロリと声色を不満そうなものに変えて、えー、と唸った。三人分の声に耳を塞ぎたくなる。
    「つーか、急にそんなことされたらビビるだろ」
    「大丈夫!モエはサプライズ好きだから!」
     そういう問題か。いよいよ言葉を返すのも面倒くさくなってきたので、ふーん、と適当に流す。そういえば昔、千冬もサプライズが好きだと言っていたような気がする。
     ぼんやりしている間に上では話は進み、モエを呼ぼうと女子が携帯を弄り始めた。止めようと言う人間はいない。面倒くさいがどんどん加速する。
    (もう好きにしてくれ)
     背凭れに体重をかけて全身の力を抜く。床に向かって腕がだらりと伸びる。
     目を閉じたら眠れそうなくらいに投げやりな態度で虚ろに天井を眺めていると、ポケットが震えた。メールだろうと放っていたが、暫くしても震えは止まらない。電話だ。こんな時間に?一体誰だ。腕を動かすのも億劫で、そのうち切れるだろうと更に放置するが震えは止まらない。あまりのしつこさに渋々手を動かして、ポケットに突っ込む。
    「……ん?」
     取り出した携帯を見た瞬間だった。急かすように震え続けていた携帯が動きを止めた。電話に出ることはできなかった。でもサブディスプレイに表示されていた名前はしっかり見えた。電話をかけてきた人物は予想していたおふくろでもマイキーでもなく、千冬だった。この二文字をオレが見間違えるわけがない。
     でも、なぜ。すぐ隣にいるのに。不思議で視線を送ると、千冬は見たことのない顔でオレを見ていた。
    「な、」
    「場地さん!おふくろさんから買い物頼まれてましたよね!?」
    「は、いや、え」
    「今の電話も、きっとそれっすよ!ほら、早く行きましょう!売り切れちゃいます!」
    「お、おう」
     いきなりどうしたとか、さっきの電話はお前がかけてきたんだろうとか、なにが売り切れるんだとか、そもそも買い物なんて頼まれてないとか、思うことは色々ある。でも千冬に腕を掴まれるとオレはその全てを消して従うしかできない。ふらつきながら立ち上がり、千冬のペースに飲み込まれたまま教室を出る。後ろで騒いでいる女子の声は全無視した。
     大股、早足で歩く千冬の後ろをくっついて廊下を歩く。途中、ひとりの女子とすれ違った。いそいそとオレ達が出てきた教室に向かっている。もしかしたらあいつがモエなのかもしれない。けど、そんなことはどうでもいい。
    「千冬」
     一分ほど歩いたところでぴたりと足を止めた。つられて千冬も足を止めたが、振り返ることも、どうしたとオレに聞くこともしない。
     買い物の予定なんてない。だから、急ぐ必要もない。今すぐに、でもゆっくり話を聞くのならここが手っ取り早い。真横にある社会科準備室はこの時間誰も使っていないはずだ。貴重なものなんて置いてないから鍵はかかっていない。だけど、内側からはかんたんに施錠ができる。
     手を掛けるとやっぱりドアはすんなり開いた。そのまま千冬を引き摺り込む。抵抗はない。
     カーテンが閉じ切った室内は薄暗かった。ここだけ空間を切り離して夜まで時間を進めたみたいに静かだ。
     オレが開けたドアを千冬が後ろ手で閉める。ぱたんと小さな音が響く。
    「あ、の」
     動く、話す、そんな当たり前のことがうれしい。さっきまでの千冬は反応がなくて、まるでネジ巻き式の人形みたいだったから。オレはコロコロと表情を変える千冬が好きなのだ。
    「買い物なんて頼まれてた?」
    「……ない、です」
     千冬が俯く。表情を隠そうとしているのだとすぐに分かった。そうはさせない。顔にかかる邪魔な髪を掬って耳にかける。指先で肌を掠めるのが擽ったいのか、千冬は小さくふるえた。恐る恐る顔が上がる。目が合う。叱られた子供のような顔に心がじりじりする。
    「……怒ってねぇから、ンな顔すんなよ」
     慰めるように後頭部を撫でると千冬は消えそうな声で「はい」と返事をした。違う。オレは、そんな湿った声を聞きたいわけじゃない。
    「あの電話は、なに。助けてくれたん?」
    「あ、え、っと……助けた、っていうか」
    「うん」
    「……オレが、嫌だったんで」
    「イヤ?」
    「はい」
    「……なにが?」
     ふたりだけの静かな空間は色んなことを気付かせる。チクタクと時計の針が動く音が聞こえて、ここに時計があることをはじめて知った。ここへは何度も来ているのに。いつも千冬が隣にいて、バカな話で笑ってるから、こんな小さな音にはきっと気付けなかったのだ。
    「なぁ、なにがイヤ?」
     秒針の音より大きく自分の心臓の音が聞こえる。目の前にいる千冬にまで聞こえていないか不安で息を止めると、息苦しくて余計に鼓動が速まる。
    「……場地さんが、女子に壁ドンすんのが」
     間を空けて、小さな声で告げられた言葉に心を握られた。もしかしたら潰れてしまったかもしれない。千冬はオレと同じで力加減が下手だから。どろどろと溢れる熱をときめきと呼ぶのかもしれない。どうして、と聞き返した声は喜びでふるえている。
    「どうして……って、言われても」
     困り果てた顔をした千冬が耐えられないと目を逸らす。逃してたまるか。即座に手を伸ばし、顎をつまむ。メンチを切りたいわけではないから圧を掛けないように注意しながら、上を向かせる。余裕なんて本当はない。でも、冷静さはかろうじて残ってる。次なにかが起こったら消えてしまうくらいに、ちょっとだけ。
    「なあ、なんで?」
    「あ、え」
    「イヤなの、なんで?」
     覚えたての言葉を自慢する子供のように繰り返す。いくら問いかけを重ねても千冬は固まったままだ。小さく開いた唇から、あ、とか、う、とか意味のない声だけが漏れる。焦ったい。言葉を出せないなら、いっそ塞いでやろうか。キスは付き合ってからって決めてたけど、そっちの方が手っ取り早い答え合わせになるだろう。
    「……アイツらとグルになって、何させられんのかと思った」
    「ぐ、グルって……そんな、悪者みたいに」
    「千冬はさ、オレが喜んでやると思う?」
     あんなこと、とゆっくり呟けば千冬は頬をぶわりと赤く染めた。一体どんなことを想像したのだろう。千冬発信の下ネタは聞いたことがないけど、案外千冬もスケベかもしれない。それはそれでたまらない。
    「……わかんねぇ、っす」
    「あ?」
    「だって場地さん、昨日オレにしたし、あれだけじゃなくて、他にも、色々……ドキドキするようなこと、するから」
     まさかのカミングアウトに目を開いて驚く。ドキドキしてたのかよ。言えよ、ドキドキしましたって口に出せよ。オレが言わなきゃ分からないくらいにバカなの、お前が一番よく知ってるだろうが。
    「だから」
    「うん」
    「好きなのかと、思って」
     控えめな声で告げられた言葉に、好きだよ、と即答したくなった。口まで開いた。それなのに。
    「……ああいうことすんの」
     続く言葉に声を失う。オレのセンサーが盛大な勘違いを察知する。
    「場地さんって、無自覚で人たらしこむから、タチ悪いです」
     拗ねたように言われて、色んな感情がごちゃ混ぜになる。どうしてそうなるんだよ、とか、気付けよ鈍感とか、無自覚で人をたらしこむのはお前の方だ、とか。言いたいことを積み上げたらきっと小さな山ができるだろう。
    「……オレ、怒られんの覚悟で言っていいですか?」
     でもたくさんあるそれよりも、お前が好きって気持ちの方が桁違いに大きいわけで。
    「ああいうこと、他の人にはしないで欲しい……です」
     その気持ちを重ねたら富士山に負けねぇくらいの高さになると思う。富士山が何メートルだったか忘れたけど、多分いける。いや、絶対大丈夫。
     顎から手を離すと目の前の肩がびくりと跳ねた。殴られるとでも思ったのだろうか。殴んねぇよ、バカ。
    「千冬」
     感情を隠すのをやめたら声が柔くなった。出したことのない甘い声に千冬が瞳を開く。青色はいつも通り澄んでいて、拒絶の色はない。
     色々やってみて、分かったことがある。
     ひとつ、少女漫画は難しいこと。ひとつ、現実は漫画のようにスムーズにいかないこと。ひとつ、漫画のなかの行為はオレには似合わないこと。
     そして、もうひとつ。
    「オレも千冬に言いたいことあんだけど、いい?」
     首の後ろに手を回し、形に沿うように手のひらを後頭部に添える。千冬の短い声が聞こえた。今オレは意識されている。嬉しい。顔が見たい。でもそれ以上に今のにやけてる顔を見られたくない方が強くて、手に力を入れて千冬の額を肩に埋めさせた。ワイシャツ越しに千冬の体温がじわりと染み込んで、オレの熱と混ざる。ふたり分の熱を含んだ声で、問う。
    「オレ、お前のこと好きなんだけど、どーしたらいい?」
     唇が触れそうな位置にある耳がぶわりと赤くなる。ほら、やっぱり。頭の良くないオレ達には、間接的な行為より直接的な言葉の方が向いている。
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