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    恋のキューピッド AIメラックの奮闘記 / 現パロ
    ※3話一気読み用
    ※4話までまとめて後日Pixiv公開、最終話までまとめて6月の新刊(予定)です。

    あれもこれもぜーんぶ、メラックのおかげ『 午前0時 』


     秒針が時を刻む音のみ響く、仄明るい寝室。アナログなその音さえ耳に入らぬ宵のひとときに、アルハイゼンがしていることと言えば当然読書である。
     明日もこれといって予定はない。本は半分を折り返したばかりで読み切るにはまだまだ時間がかかるが、夜更かしをしたところで起きる時間を遅らせるだけだ。アルハイゼンはまた一つ頁を捲ると、薄ら眠気を催す瞳で次なる文字を追う。
     それから少し読み進めた頃、視界の片隅でスマートフォンの液晶がパッと光った。同時に、鳴り始める陽気なメロディはいつだったか酔っ払いが勝手に設定し、そのままにしていたもの。静かなる寝室とは不釣り合いの音楽は、通知画面を横目で見るアルハイゼンを急かすように主張を続けている。
    「はあ……。久々だな、この感じ」
     ルームシェアをしていた頃は度々あった、終電を逃した同居人からの甘ったれたお呼び出し。タクシーを使えば良いだろう。そう言わずとも、本人にも自覚はあったため二回に一回無視を決め込めば自分で帰ってきていたものだ。アルハイゼンを家主とする家に。
     さて。迎えに行くかどうか、電話に出るかはどうかはいつも気分次第だった。でも、今宵は。
     仮に迎えに行ったとして、送り返す先はどこになるのだろう。この家か、それとも彼の家か。思案しているうちにも、0が並んでいた画面の数字の一つは1に変わる。それでもまだ、着信音は鳴り止まない。表示されている名前も消えない。もういつぶりに見たかも分からない『カーヴェ』の文字から目を逸らすことはできない。
     アルハイゼンはようやくスマートフォンを手に取った。少ししつこいくらいだから、別の用事かもしれない。もしかすれば、伝えたいことがあるのかもしれない。そういえば今日は誕生日なのである。つい一分前に、誕生日が訪れたのである。気づいてしまえば、らしくない淡い期待がむくむくと育っていく。
    「夜分に何だ」
     カーヴェからの声を聞く前に、気づけば自分から一声かけていた。しかし電話の向こう側からは声はおろか、喧騒さえ聞こえない。
    「おい。イタズラ電話か? 建築デザイナー様」
     耳を澄ませてみても、次なる一言を飲み込んでみても手応えは同じ。言い淀んでいるのか。焦らしているのか。いや、それにしたって静かすぎる。
     声が聞こえないとなると途端に聞きたくなるどうしようもなさを感じながら、アルハイゼンは探るように名を呼んでいた。
    「……カーヴェ?」
    「ん……」
     そこに突如として、声になり損ねた微かな音が無防備な耳を突く。おそらく、カーヴェであるからこその威力だろうが、存在を感じ取るにはあやふやな響きだった。
    「油断も隙もないな……。はあ、君は『カーヴェ』か? それとも『酔っ払いか』?」
    「……あぅ、はぃぜん?」
     皮肉を告げるとようやく電話口の声が人の形を成す。
     けれども紡がれた声はひどく、くすぐったいもので。あまい、と表現するのも間違いではなく。
    「……酔っ払いだな」
    「う……ん? あるはいぜん? どうした?」
    「それはこっちの台詞だが。呼び出しでないなら百歩譲って許してやろう。でもあと一時間遅い時間にかけていたら誠意を見せてもらうところだった。俺の心の広さに感謝するといい」
     連絡の相手が誰なのかさえ、そしてそもそも電話を自分でかけたことさえ認識できていないのだ。そんな元同居人にアルハイゼンはため息をつく。とはいえ久々に聞いた声に満足し、自身の言葉数が増えている自覚も、他の人間にかけていない安堵も、多少は理解していた。
    「ん。んん……? あぁ……ぼくが、アルハイゼン、に。ぼく、が? ん……つまり……」
    「ようやく迷惑をかけている相手を認知でき——」
    「もう……勝手にかけるなよ。だめだって言ってるのに。ごめん、ぼくのせいで起きたんだ、よな……ん……」
    「何、……なに?」
    「……んぁ。だめだ……ぼくもねむくて……ごめん、おや……おやすみ」
     程なくしてちゅっというリップ音と共に「ほら、切って」と告げる甘い一声がまたしても耳を襲う。襲われたのは確実にアルハイゼンだったが、その音と声がアルハイゼンに向けられたものかどうかは何とも不確かで。むしろカーヴェのそばにいる『誰か』に向けられたものだと考える方が自然だろう。でも、誰。いや、知る由もない。一緒に暮らしていないのだから。連絡も、殆ど取れていなかったのだから。
     こうして、めでたいはずの男の一日は寝不足不可避の衝撃から始まるのだった。本を読み切ることも出来ずに。



    『 午前7時 』


     ピポピポとリズミカルに鳴るメロディは毎朝お馴染みのアラーム音。鳴り始めの音量こそ控えめだが主が起きなければ徐々に大きくなっていき、最終的には家中の家電や電子機器が大合唱を始める。これがひょんなことから『AI:メラック』と過ごすようになった建築デザイナー、カーヴェの日常である。
    「おきた、おきたよ……メラック……。ん………、んん……お、起きたって! ストップ、ストップだ! ほら、起き上がってる! くぅ〜っ、もう出るって!」
     カーヴェは目を擦りながら体を起こし、しばらくの間はうとうととしていた。けれどもそれでは許さないのが賢いメラックである。今日の天気は、今日の予定は。コーヒーメーカーを起動してくれ。次の指示もなければ、主が寝室から移動する気配もないためまるで戦闘が始まるかのような音楽に切り替えていた。大音量で。
    「……はあ。だんだん僕に厳しくなってきたな。今日は休みだろう? スケジュールに入れてなかったっけ」
    『ピッ!』
     メラックはタブレットを起動するとカーヴェに今日の予定を提示する。ふむふむ、やはり丸一日何も入ってないじゃないか。カーヴェは画面を操作して、昨日までの詰まりに詰まった予定に苦笑いを落とす。
    『ピッ! ピッポッ!』
     過去へ過去へと遡り、本日を休暇にするため激務を熟していたことを振り返るカーヴェにメラックは現実を見せる。強制的にカレンダーを二月十一日に戻せば、画面に表示されるのは『アルハイゼンの誕生日』の文字。寝起きでよく見えない、と言い訳されないようにバースデーソングのBGM付きである。
    「……知ってるよ。知ってるけど、誘えなかったんだから今日は何もない日! もう少し寝てても良かった」
     ふぁ、とひとつ気の抜ける欠伸をするとカーヴェはキッチンに移動する。行動を予測してメラックが湯を沸かし始めれば、カーヴェはスマートフォンを弄りながら仕事のメールをチェック——するつもりが、覚えのない発信履歴に思わず固まった。
    「は!? なに? え!?」
    『ピッ?』
    「あっ! メラックだな! 勝手にかけたのか!?」
    『ピポッ』
     再度流れ始めるのは追い打ちをかけるバースデーソング。素直な肯定にカーヴェは青くなり、赤くなり、それからその場でうずくまった。
    「ぜんぜん、記憶にない。五分? かけてすぐ切られたにしては長すぎる……うぅ、何話したんだ僕」
     落ち込んでいる理由は覚えてないことにある、そう認識したメラックは録音機能を使用していなかったことに反省はすれども、カーヴェが教えた『日付が変わる時に誕生日を祝う』風習をサポートしたことがまさか失策だとは思うまい。
    「ど、どうしよう。変なこと言ってないよな? 聞く、べき? いや、まずは謝る……って、いやいやいや、何を! 遅くに連絡して? 前は気にせずわがまま放題してたのに、急にしおらしくしてどうしたってなるじゃないか。でも、もしかしたら僕がかけたせいで、日付が変わる時に連絡欲しかった人との電話ができなかったかも。……ははっ、アルハイゼンにそんな奴、いるわけない、と、思いたい、だけで……ハッ! こらっ、メラック!」
     スマホを握りしめたまま項垂れていると、いつの間にやらメッセージアプリが起動され、送り先をアルハイゼンに選択した状態で文字が入力されていく。
    「ぼ、ぼくが! かける時は自分でかけるし、送る時は自分で送る! これはやっちゃいけないことだぞ!」
     そんなことは『賢い』メラックは初期から知っている。けれども主は自分では何もしないのだ、アルハイゼンという男のこととなると。抗議の意を込めて、そして油断をさせるため、酔っ払ったカーヴェの『アルハイゼンの好きなところの歌』を再生すると、メラックは手短に『ごめんなさい』の可愛らしいスタンプをアルハイゼンへ送った。
    「うわー! メラック! ぐわー! メラックっ」
    『ピポ〜』
    「ひっ! 既読ついた。ぎゃーっ! 電話きた!」
     今をときめく建築デザイナーは雑誌で取り上げられることもあるが、落ち着き払ったあの写真とは雲泥の差である。と、どちらの顔も好きなメラックは涙目のカーヴェの写真をこっそり保存し、電話の邪魔をしないようサイレントモードに移行する。
    「ア、アル、アルハイゼン」
    「おはよう、カーヴェ」
    「お、おはよう。す、清々しい、朝だな?」
    「うん? 珍しいじゃないか、君が酒を引きずらずに朝を迎えているなんて。泥酔状態だったようなのに」
    「何の話だ。僕は昨日、飲みに行っては……」
    「家に招いて飲んでいたのか?」
    「いや、何で飲んでるって決めつけてるんだよ。疲れて異様に眠かっただけさ。呂律が回ってなかった、か?」
     それはそれで恥ずかしい。泥酔と間違えられる寝ぼけた状態とは。
    「では——いや、いい。もういい」
    「なっ、なんだよ、意味深に。寝てるところ起こしたのかもしれないけどたった五分程度だろう。……そんなに、怒ることか? 僕、何か変なこと、言った……?」
    「いいや? 別に怒ってはいない。まあ……そうだな、以前依頼人にメッセージツールを使った簡素な謝罪をされた時、憤慨していた建築デザイナー様が通話機能さえ使わずに、その上今まで俺に使ったこともないスタンプでふざけた謝り方をするからどういう心境の変化かと」
    「それは、その、僕が送っ……えっと、気安い間柄ではスタンプ送るからつい、いつもの癖、みたいな」
    「……ほう」
    「で、電話は! 君ならまだ寝てる時間かもしれないと思って!」
    「そうか。今日は目覚めていたよ。だから気を遣わずに言いたいことは言葉にしてくれ」
    「ご、ごめんって! 夜のことは悪かったよ。君の悠々自適な生活を邪魔するつもりはなかったんだ。謝る気がないわけじゃないのも、君だって分かってるだろう」
    「ふん。それだけか?」
    「えっと……?」
     迎えに来させた日の翌日は好物を作る。家での小言を少しだけ控える。以前はあったちょっとした口喧嘩のあとのご機嫌取りを知らないメラックは経緯からの提案をすることはできない。けれども。
     カーヴェの視界に映る場所でタブレットに表示するのは肉料理屋のマップ、新刊が発売された本のリスト、筋肉質な男に似合いそうな服のコーディネート画像といった、一度は削除した閲覧履歴。どう見てもアルハイゼンの誕生日に向けてカーヴェが自ら検索したあれそれ。
    「う……、あ……、きょうは……あいてるか……?」
    「何?」
    「予定だよ……!」
    「……何故」
    「何故ってその、君、自分のことなのに忘れてるのか? 誕生日だろう。僕が何か奢ろう。出掛けたくないのなら欲しい物だけ教えてくれたら家に送るよ」
     アルハイゼンは黙り込んだ。期待させて——勝手に期待したとも言うが——誕生日おめでとうの一言もなかったのだから、その言葉はないのか。そんなことを思おうとも、さすがに電話の向こうの男の思考回路は賢いメラックにも分からない。残念ながらカーヴェにも。
    「アルハイゼン?」
    「俺は欲しいものは自分で買える」
    「し、知ってるよ! 欲しいけど自分で買うほどではないものとか——」
    「だから食事だ。十二時でいいか? 店は俺が選んでいいな? 決めたら情報を送る」
    「え、あ、え!? 昼??」
     ものの数時間のうちにやってくる、二人での食事の時間にカーヴェは狼狽えるも、アルハイゼンの発言は既に決定事項だった。
    「夜も奢ってくれるのか? 自立できるようになった先輩は太っ腹だな。君は夜景の見える店で記念日を祝うのが好きそうだが相手は俺だ。時間を気にしなくて良い居酒屋で良いだろう。……まあ、君の予定も配慮するが」
    「僕は今日一日……大丈夫……だけど」
     そうと決まれば話すことはもうないらしい。要件人間アルハイゼンはそそくさと通話を切り上げた。
    『ピッ!』
    「誇らしげだなぁ。僕はちょっと怒ってるんだぞ、勝手なことばかりして」
    『ピポ〜。——ピッ!ピッポ!』
    「メラック……それはデート服だ。もっといつも通りのもので良い」
    『ピ……?』
    「デートじゃないって。ご飯に行くだけ。ルームシェアしてた時にも普通にしてた——って、うぐっ」
     思っていることと別のことを口にすれば正す、あるいは自覚させるのが『AI:メラック』の仕事らしい。インカメラで映った自分の顔を見せられたカーヴェはその赤い顔でデートと思っていないのか、と問われたことに気づき降参の手を挙げた。

     家の中では楽しげな音楽が流れ、今日の帰宅が遅いことを考慮したメラックの指示で家電たちはカーヴェを祝い、即座に店の情報を送ってきたアルハイゼンにはまたしても勝手に『了解』の可愛らしいスタンプが送られていたのだった。



    『 午後0時 』


     充てがっては入れ替え、充てがっては入れ替え。その身を着せ替え人形にしていたならば今頃クローゼットの中は空っぽで、鏡の前には服の山が出来ていただろう。
     しかし、カーヴェの住まいでそのような事態は起こらない。何故ならこの家にはメラックが存在し、手持ちの服を用いたコーディネートは全て画面の中で完結するからだ。
    「うーん、派手過ぎないか?」
    『ピポッ?』
    「……いかにもデート服だ。次」
    『ピポッ?』
    「却下。絶対に被る。黒ばっかり着るんだよ」
    『ピポッ?』
    「そういうのは……あいつにはウケが悪い、と思う」
    『ピポッ!』
     あれもダメ、これもダメ。外出先で似たような状況に置かれた者であればそろそろ辟易としてくる頃だろう。けれども、会う相手のために思い悩むカーヴェというのはメラックからすれば最も力添えせねばならない対象である。優秀な相棒はとことん付き合う想定で未だ嬉々として主人のために候補を挙げ続けていた。
    「もう、服はそれでいいよ。いいけど、小物はさぁ……違うんじゃないか?」
    『ピッ!』
    「いや、別のがいいって意味じゃなくて。そこまで張り切るのは……って、そんな些細な色味の違い、拘ってもあいつには分からないぞ」
     そう、相手はアルハイゼンなのだ。全体のバランスがどうの、小物の差し色がどうの、ばっちり決めて身なりに気遣ったところで見た目に対する感想を持つはずもない。……待てよ。では逆に、とことん好きに着飾ってもいいのではないか。『浮かれたおでかけ服』で挑んだとして、それに気付けるわけもないのだから。
    「この眼鏡がいいって? メラックが勧めるなら、つけていこうかな」
    『ピポ〜ッ!』
    「ん? やっぱりこっち? いいよ、メラックカラーだな。どうだ、似合うか?」
    『ピポッ!』
     カシャリ。格好良いカーヴェメモリーを勝手に増やすメラックに対し「また撮って……」とカーヴェは小さく呆れを漏らした。時計を見れば約束の時間は徐々に近づいている。そろそろか、とソファに腰掛けのんびり構えていたカーヴェの耳には突如としてけたたましい機械音が飛び込んできた。
    「わッ!! なんだよ!?」
     デートの待ち合わせには絶対に遅れてはならない、とのことである。アラーム代わりの大合唱に急かされながらカーヴェはいそいそと自宅を後にするのだった。
     メラックはと言えば、メインデバイスを本体からスマートフォンに切り替えて、カーヴェに同行の元、特別プログラム『デート見守りモード』を始動させていた。



     逸る気持ちが歩幅に現れ、気づけば小走りになる道すがら。カーヴェはアルハイゼンから「着いた」と簡素なメッセージを受信して、急ぎ足に明確な建前を用意することに成功した。
     ——本日の主役を待たせている。だから仕方ないんだ、早く行かなければ。
    「あ、いた」
     そこには想像通りの黒いコートに身を包む、銀髪の癖っ毛。後ろ姿でも分かる、久方ぶりの元ルームメイト。
     この男相手に会えて胸が高鳴る、そんな気恥ずかしい状況には陥りたくないのだが、カーヴェの心情を表す言葉は他には見つからなかった。
    「ひ、ひさしぶり。……えっ」
     ひょこりと背後から顔を出し、よそよそしい挨拶を今し方終えたばかりのカーヴェはアルハイゼンの顔を見るなり固まる。早速「なんだ、その他人行儀な挨拶は」と小言をぶつけられても、他人なのだから他人行儀で当然だの一言も返せずに面食らったままであった。
    「ど、どうしたんだよ、それ」
    「何?」
     眼鏡だよ、の指摘にわざわざ「格好つけちゃってさ」などと付け加えかったことは正解だったようだ。アルハイゼンからは単純に視力が落ちただけとの説明がなされ、カーヴェは余計な一言を飲み込んだお陰で後輩を格好良いと思ってしまったことをバラさずに済んだのだった。
    「どうせ陽が落ちてきてるのに不精して照明をなかなかつけない、ってのを繰り返してたんだろう。本を読み耽る君はいつもそうだった。会わないうちに、はあ……」
    「暗がりで過ごすのは作業に没頭する君も同じだろう。今にその常に新しくなる伊達眼鏡が伊達ではなくなるさ」
    「ふんっ、その心配はないね。僕の部屋はもう僕が点けなくても点くんだよ」
     暗くなれば自動でだ、と説明するより早く。アルハイゼンはカーヴェの言葉に被せるように自分が気づいた指摘を返した。
    「会わないうちにと言えば、君は少し太ったんじゃないのか?」
    「ふとっ……!?」
     むにっ、と。無遠慮な指先はやわらかな頬をつねる。カーヴェは顔を振って逃れたあと、行き場を失ったアルハイゼンの手のひらをぺしりと叩いて咎めてやった。
    「適当なことを言うな。体重は確かにちょっと増えたけど、筋肉をつけたんだ。顔は丸くなってないぞ」
    「丸くなったとは言っていない」
    「じゃあなんでひっぱったんだよ」
    「なんとなくだ」
    「なんとなくでひっぱるな!」
     言い争いから急な出番を察知して、メラックはこっそり慌てながらもカーヴェが参考にしていた筋トレメニューのリストや体重管理のアプリを起動させておいた。
     ……が、当然意味はなかった。何せポケットの中まで聞こえる腹の音——照れもしないアルハイゼンが鳴らした音だ——を皮切りに、二人は二、三言葉を交わして戯れついたあと、直前の口論もどきなどなかったかのように店に向かい始めたのだから。
     主人が好意を寄せるアルハイゼンという男、聞かされていた以上に癖が強そうだが……関係は意外と良好、らしい? メラックは二人の動向を絶賛窺い中である。



    「デラックスバーガーのポテトセットがふたつ。トッピング全種の、量は二倍」
     職業柄、興味を惹かれる内装にカーヴェが目を輝かせていることものの数秒。気づけば向かいではアルハイゼンが流れるように注文を決めていて。
    「はやい、はやい。一応他のメニューも見させてくれ」
     初めて行く店は大抵メニューに悩んでしまうため、決めてくれるのは確かにありがたい。とはいえ、せめて一言くらい意向を聞いてくれてもいいのに、とカーヴェはアルハイゼンが手にしていたメニュー表に手を伸ばした。
     そうすれば。
    「君はこちらだろう」
    「ん?」
     大きめのメニュー表をパタリと閉じ、アルハイゼンはテーブルに置かれていた限定品用のメニュー表をカーヴェの側にスッと差し出す。そうして「ゆっくり決めるといい」などと気遣いの一言を聞かされれば、カーヴェは頭に沢山の疑問符を並べた。
    「え?」
    「何だ」
    「……あっ、二つ食べるつもりか」
    「うん? いくらでも奢ってくれるんだろう?」
    「いくらでも……まあ、うん。いくらでも、それはもちろん、そのつもりだけど」
    「ならば遠慮はしないよ。ちなみに、俺と同じものが食べたいのだとしても、やめておくことを勧める。どうしてもと言うなら一口くらいは分けてやるから、君は大人しくその中から選ぶべきだろう」
     言いたいことはいくつかある。とりあえず、アルハイゼンがよく食べると知っていたのに食事を共にしなくなっただけで一瞬忘れてしまっていたことは反省しよう。
     それはそうとして……。
    「僕はホットドッグにする」
    「口の周りを汚して、それを俺に拭いてもらいたいのなら止めはしないが」
    「馬鹿を言うな。先輩を子供扱いしやがって」
    「この店は全体的にサイズが大きいから言っているんだ。限定のサンドイッチから選べばいいじゃないか。君の好みかと思っていたんだが?」
    「うぐ……」
     その大きなサイズを二つも食べている男の前で、控えめなサイズを手にするのが少しばかり癪だというのに。当然のように好みを把握され、上手く誘導されては何も言い返すことができない。
     追い討ちをかけるように、震えたスマートフォンを覗けばメラックからは『デートの極意』の検索結果が表示されている。それは食べ辛いものは避けるだの、服を汚さないように気をつけるだの、食べるペースを調整できるものを選ぶだの……悔しいが有難いご指導には間違いがない。はあ、と一つため息を落としてカーヴェは自分が失敗しないようにただただ従うのだった。


    「相変わらず、建築デザイナー様は仕事が忙しいのか?」
    「んむっ?」
    「今日も度々連絡が来ているようだから」
     はぐ、と最後の一口を咀嚼しかけたところで。アルハイゼンの言葉にカーヴェは思わず喉を詰まらせる。
    「んっ、……す、すまない」
    「俺は気にしないが」
     その声音からも察することができるように、本当に気にしてはいないのだろう。恐らく。ただ、アルハイゼンでも話題に出すくらいだから関わりの浅い人間が見れば気に障っていたかもしれない。尤も、今日が特別なだけで普段はスマートフォンもといメラックからアクションが起こることもなければ、通知を確認することも殆どないのだけれど。
    「そ、そうだ、アルハイゼン」
     カーヴェはこそこそとメッセージを確認するより堂々としている方が良いと判断し、スマホを目の前に取り出しておき、とある話題を振ることにした。
    「君もスタンプを使い始めたらどうだ? アルハイゼンが使えそうなやつもあったんだよ」
     こんな時のメラックの出番である。カーヴェが言っているのはこれのことだろうと『悠々自適に暮らすユキヒョウくん』を画面に提示すると、先の先の、それまた先を読んでちゃっかりスタンプをアルハイゼンに贈った。
    「あっ、メラッ、ん……コホン。僕からのプレゼントだ、プレゼント」
    「食事代はなしにしようと?」
    「しないって。こんなデザート代より安いものだけで君を祝いきれるわけないだろう」
     ——ピコンッ。
     このタイミングでメラックからのアクションかと視線を落とせば、液晶上では贈ったばかりのユキヒョウが首を傾げているではないか。
    『なに?』
     少し素直な言葉を選べばいつもこうだ。すぐに何度も言わせようとする。意地が悪いと思うのに今日ばかりはユキヒョウが可愛くて、それを使ってみたアルハイゼンが可愛らしくて、怒る気も失せてしまう。
    「……ふはっ。ダメだ、思ってた以上にこういうの似合わないな、君」
    「失礼な奴だ」
    「似合わないけど使ってくれよ、せめて僕には。せっかく贈ったんだから」
    『却下だ』
    「くっ、ふふふ、ふっ……」
    「何がそんなに面白いのだか」
    「何が、だろうなぁ。格好良いと可愛いが揉みくちゃになって押し寄せてくるところが、だろうか。なあ、せっかくだからメッセージのアイコンもユキヒョウにしないか? 君から何かが来ることは今まで通り殆どないんだろうけど、何が送られてきてもかわいい毛玉が言ってると思えば全部許せる気がする」
     そういえばユキヒョウの赤ちゃんの写真を保存していた気がする、と。カーヴェは直前に口を滑らせていることさえ気にかけず、アルハイゼンからの視線までも気に止めず呑気にカメラロールを遡っていた——のだが。
    「やけに自撮りが多いんだな」
     ギギギ……と。機械にでもなったかのようにカーヴェの体は錆びつき、ようやくアルハイゼンと視線を合わせたところでギョッとして跳ね上がる。
    「ち、ちが、これは僕が撮ったんじゃなくて」
    「ああ、よく見ればそのようだな。それはそれで、わざわざ自身が被写体のものを保存しているのか、となるわけだが」
    「ファイルの共有って知ってるか!? 連絡先を知っていれば簡単に」
    「かつ一方的に送りつけることができるとして、消さずに置いておくのか。君は自分の寝顔を?」
    「わーっ、見るな見るな! 僕の変な写真ッ」
     スッと伸びてきた指先がイタズラに画面をタップする。よりによってそれはカーヴェの腑抜けな寝顔だったり、ぽやぽやとした寝起きだったり……こんな時に限ってメラックの『格好いいカーヴェメモリー』とは毛色が違うものなのである。
    「一緒に暮らしていた俺が知るものより、プライベートなものはないだろう」
    「ある! あるんだよぉ。あるからやめろ!」
    「ほう?」
     三徹後の眉間に皺を寄せて寝ている極悪ヅラ。酔っ払ったまま無機物に話しかけ続けているときのだらしない顔。まあこのあたりはアルハイゼンでも知っている表情だろう。カーヴェには不本意だが。
     では。歯ブラシを咥えていたり、髪を乾かしていたり、スープの味見をしていたり、映画を見て泣いていたり……その顔だってまあ、隠すほどものではない。ただアルハイゼンが見て何の感情も生まれないものをわざわざ進んで見せる必要もない。
     そして何より。少し大きめの服を着て「あいつはこれくらいの体型だったか?」と思い返している姿は? 誕生日が近くなってきたなぁ、と何度もカレンダーを眺めている姿は? メッセージが来るわけでもないのに初期設定のままのアイコンを見つめている姿は? 見せられるわけがない。そういったものまでいくらでも出てくるのだ。もう、何から何まで。何故撮っている! という話なのだけれど、多分『愉快な挙動シリーズ』は複数存在するのである、相棒の手によって。
    「君に、全てを曝け出している近しい存在がいたとはな。知らないことが増えたものだ」
    「ち、違うんだ。これはその、僕の、僕の……」
     新しいルームメイトが。最近できた恋人が。いやいや、そんな存在はいない。カーヴェと過ごしているのは。
    「君の、何だ? 華々しい活躍を支えている存在、とても興味がある」
    「…………うぅ」
    『ピポ〜〜〜ッッッ!』
     ぐすん。カーヴェが項垂れるのとメラックが激しい主張をするのはほぼ同時のことであった。



    「……と、いうわけだった」
    『ピッポ』
     洗いざらい吐く——と言うほど話は難しくなく、単にメラックという存在にもたれかかって生活をしていると説明すればアルハイゼンはすぐに納得をし、今やもう二人は食事終わりの会計待ちの状態である。
    「何を隠されていたのかと思えば。言い淀むことだったのか?」
    「だってさ……、僕は自立できるからって今の暮らしを始めたのにAIに頼り切って生活を成り立たせてるんだぞ。君は僕が意外と一人でやっていけてるって思ってたかもしれないけど、実のところ自分で起きることさえしないんだ。その上、メラックが日頃の話し相手で……恥ずかしいだろう、アラサー独り身男がこんなの」
    「別に。文明の発達で人が楽をするのは当然のことだろう。君はただでさえ忙しいのだから負担が軽減するならいくらでも頼ればいい。AIが話し相手というのも意思疎通が完全でない犬猫に話しかけているのと大差ない。その優秀過ぎるAIからはあまり公にできない匂いが立ち込めて来ているが」
    「そ、そこは深掘りしないでくれ。この世にもファンタジー要素はあるはずさ。ふわっと、ふわっとな?」
    「とりあえず、元同居人から別の同居人の存在を匂わされるより害はないと思うよ」
     アルハイゼンは意味深にカーヴェを見つめたが、その真意については皆目見当もつかなかった。
    「鳴っているが?」
    「え?」
    「メラック。それとも元の機能か?」
     スマートフォンでの支払いを前にしてカーヴェの手元はささやかなアラートが主張を繰り返す。
    「あ、これは使い過ぎ防止の出金アラートで」
    「なんと。ここは俺が持ちましょうか、先輩」
    「いい、いいって! 今月は解除できるんだ。ここのところは貯蓄しようと思って予め厳し目に設定をだな……」
    「なるほど、よく管理されているようで。人間の方が」
    「君ねぇ、言い方……」
     揶揄うような物言いをしながらも、アルハイゼンは出口の扉を開けて会計を済ませたカーヴェを先に行かせていた。それはそれは流れるような所作で。
    「入ってくる時も思ったけど、君って案外デートの極意を熟知しているよな……」
     それはメラックがこっそり熱心に送り続けていたからこそ出てきた発言だったのだが。……失言である。見守りモードについて何も知らないアルハイゼンは、目の前で珍しくぽかんと少し間抜けな顔をしている。
    「今のは! あくまで例えとして言ったんだ! デートをする時、何が大事か知ってるんだろうなって感じただけでこれをデートとは当然だが思ってな——おい、笑うなよ! 僕を見て笑うな! くそ、その眼鏡、何も見えなくさせるぞ」
    「ふっ……誕生日の男を捕まえて一日仏頂面でいろとでも言うのか? これはデートではない、分かっているよ。俺の祝いの回なのだろう。ほら、カーヴェ。まだ祝い足りないはずだ。夕食までは何をして過ごす? 君では思いつかないのならご自慢の相棒に候補を出してもらおうではないか。協力し合って是非とも良い一日にしてくれ。もうすでに……いや? っふ……」
    「メラック、こいつの口を縫い付ける方法を教えてくれないか……!」
    『ピポッ!?』
     あれほど楽しませたいと願っていた相手が、これほど分かりやすく楽しんでいるのに? 難しい要求を前にメラックはひとまず唇と唇の接触——要はキスについての検索結果を提示してあげた。



    ——そのままおうちデート編に続く
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