遂行を誓う赤から緑のランプに変わったスマートフォンを、充電器から引き抜く。
慣れた動作でアプリを起動させ、目当てのフォルダを開いた。
画面を眺めながら、つぅ…と目を細める。
「…………約束を」
**
授業の復習と、鍛練で真希さんに実演で以て指摘された改善点を省みて、明日からはこう直していこうかと脳内であれこれシュミレーションをしている内に、時計の針は23時を過ぎていた。
そろそろ寝ようかなと、ぼんやり考えていた時だった。
チャラリラポ~ンと、軽快な電子音が響いたのは。
音源はスマートフォンであった。着信を告げる画面に表示されているのは「五条先生」の文字。
『おつかれサマンマー!憂太、眠いだろうトコ悪いんだけど、今すぐグラウンドに集合ね☆』
「はい?」
用件を伝えるだけ伝えて、電話はすぐに切れてしまった。
ええええ?頭の中は疑問符でいっぱいだった。
無情にも通話終了の文字が並ぶスマホを、瞬きも忘れて凝視していたのは一分ほどであったか。
ふぅと長い息を一つ吐いて、椅子を引いた。
ここであれこれ悩んでいても仕方ない、行けば分かるのだからと部屋を後にしたのだった。
「お、きたきた!ゆうたぁ~、こっちだこっち」
「しゃけしゃけ!」
指定されたグラウンドには、先生だけでなくパンダくんと狗巻くん、そして真希さんまでいた。
「こんばんは!みんな、今帰ったの?」
「ああ、ちゃっちゃと祓ってきてやったぜ!」
「こんぶ!」
三人は、夕方から任務に赴いていたのだ。
元気にサムズアップするパンダくんと狗巻くんに、目立った傷がないのを認めてほっと胸を撫で下ろす。真希さんも、髪一本乱れていなくて流石だと感嘆の息がもれる。
「こんな時間にごめーんネ☆寝てた?」
「あ、いえ起きてました。それより、何かあったんですか?」
「うん、実は……」
おいでおいでと手招かれるまま、駆け寄ると先生は抱えていた大きなビニール袋を、僕に見えるように開いた。
ちょうど外灯の下だったのではっきりと見えた袋の中には、細長い赤紫色の物体がみっしりと詰まっていた。
「いっぱいおイモもらっちゃったから、折角だし焼きイモパーティーでもしようかと思ってさ♡憂太も棘たちも明日はみんな任務入ってないし、学校も休みだからちょっとくらい夜更かししても大丈夫でしょ☆」
「焼きイモ……あ、これサツマイモ、ですか?」
「そ!安納芋って種類で、すっごく甘くて美味しいんだよ♡」
楽しみにしててね~♡
これが所謂深夜テンションというものなのだろうか。やたらと語尾にハートや星マークを多用する先生に続いて、グラウンドへと下りる。
先に指示を受けていたらしい、パンダくんと狗巻くんが枯れ枝や枯れ葉をこれでもかと積み上げていた。
先生は袋をごそごそと探ると、パッケージに踊る広告文字も派手なポケットティッシュを発掘し、それを何枚かずつ細く捻ると枯れ枝や枯れ葉で構成された山の下へと差し込んでいく。
「やっぱり、焼きイモといったら焚き火ででしょ!」
「正道に怒られないか?」
「バレなきゃ大丈夫だって♡学長、明後日まで京都校へ出張中だし☆」
ティッシュを着火材にして火を点ける。ぽぉと燃え上がる炎に、誰からともなく歓声が零れた。
焚き火で焼きイモなんて、規制が厳しくなり気軽に庭先で焚き火ができなくなった昨今。僕たちには、漫画やドラマでしかお目にかかれないシチュエーションであったのだ。
わくわくしているのは自分だけではないようで。みんな、きらきらと期待が宿る瞳でゆっくりと勢いを増していく炎を見つめていた。
くるくる手早くサツマイモをアルミホイルで包み、等間隔に焚き火に投入して先生はさて、ぱんと手を鳴らした。
くるりとこちらを振り返ると、にぱっと大きく口を開いた。
「焼けるの待ってる間に、花火大会でもしよっか~!」
「お、いいね~!でもよ、花火なんてどこに……」
「ふっふっふ、そこは抜かりなく☆」
じゃーんと、サツマイモの入っていた袋の底から取り出されたのは、夏になるとよくスーパーで見掛けた記憶のあるお徳用の花火セットだった。
おお~と、パンダくんと狗巻くんがテンションを上げる。うっせ、小さく舌打ちして真希さんが耳を塞いだ。
成程。サツマイモの数に反してやけに袋が大きかったのは、他に花火も入っていたからか。つい、苦笑が零れた。
こういうことには、驚くほど用意周到なんだよな、この人は。
みんなに比べると長くはないけど、短くもなくなってきた付き合いでだいぶ先生の人となりは把握できてきていたのだった。
「何からやる?やっぱり、景気づけに打ち上げ花火からか?」
「ツナマヨ!」
「落下傘は回収が手間だからな~、やるなら最後だろ?」
やはりというか、いの一番に花火の元に走ったのは狗巻くんとパンダくんだった。
花火なんて何年ぶりだろう。最後に遊んだのは、あれは、夏休みだったっけ?里香ちゃんと一緒に、妹もいたかな……遠い記憶を辿っていた僕の眼前に、ぬっと差し出された大きな手は何本かの花火を握っていた。
「いやいや、最初こそ王道の手持花火でしょ!はい、憂太はこれねススキ♡真希はこっちのスパークね☆」
「あ、ありがとうございます?」
「は?私はやるなんて──」
困惑や抗議の声なんてどこ吹く風。強引にチョイスした花火を全員に渡し終えると、先生は高く腕を掲げた。
「みんな花火は持ったね~?それじゃあ、ドキドキ☆深夜の花火大会スタートぉ♡」
それからは大騒ぎであった。
両手に手持ち噴出花火を構える先生に、対抗してこちらも手持ち噴出花火を両手にパンダくんが狗巻くんを肩車する。
「くらえ、必殺☆花火二刀流!」
「ならばこちらは四刀流だ!行くぞ棘」
「明太子!」
「……くっだらね」
「あはは、みんな元気だね」
悪ノリできる性格ではないので、大はしゃぎて走り回る友だちと先生を見守るポジションに甘んじる。
「ほら憂太。終わったんならそれ寄越せ!次のに火点けるから」
「う、うん。ありがとう」
「はぁ、早く消費してこのばか騒ぎを終わらせるぞ」
同じく騒ぎには加わらないポジションを選択したらしい真希さんは、悪態を吐きながらも、花火を見つめる瞳は真剣だった。
もしかして、結構楽しんでる?
浮かんだ疑惑は言わぬが花と飲み込んだ。真希さんの性格も、だいぶ理解してきていたので。
「っ、わぁ」
「ごめーん☆目測誤っちゃったぁ♡」
僕と真希さんの間に突然、ネズミ花火が飛び込んできた。
謝罪の声に視線を巡らせば、離れたところでてへっとウインクしている先生がいた。この人が犯人か。
「邪魔しちゃったな~悪かったな真希ぃ~」
「危ねぇだろ、悟!あとパンダ!何ニヤニヤしてんだシメるぞ」
「あ、やるか?ワシントン条約が黙ってないぞ!」
そこからはお決まりの流れだった。
パンダくんが何か、真希さんを煽るような発言をして、それに怒った真希さんがパンダくんに飛び掛かっていく。側では狗巻くんが、焚き付けるように手を鳴らしていた。
取っ組み合いをはじめたふたりに、おろおろ狼狽える、時期は過ぎていた。
しょうがないなぁ、肩を竦めて真希さんに押しつけられた花火を持ち直した。
先に僕のが、少し遅れて真希さんのだった花火が終わりかけた頃、頭上からすっと影が落ちた。
「ゆーたぁ~!ちゃんと楽しんでる~?」
先生だった。指の間に挟むようにして持てるだけ花火を持っている、誰よりも全力で楽しんでいるのが明らかな姿に思わず小さく吹き出してしまう。
「はい!楽しいです、すっごく」
声が弾んでいた自覚はあった。
全部が全部、初めての体験なのだ。
友だちと、夜中のグラウンドで焚き火をして花火をして焼き芋をするなんて。
友だちと、遊んで、騒いで、笑うのなんて。
去年の僕に話したとしても、決して信じられないだろう。
それほど楽しくて、夢のような時間を過ごせている事実に、心が震えていた。
「僕、今日のことは忘れません!一生の思い出にします」
強く拳を握りこんで断言する。
興奮を隠しきれない様子の僕に、先生は呆けたように目を瞬かさせていた。いや、包帯に隠されていて実際には見えないのだが、何となく雰囲気でそうと分かったのだ。
沈黙すること暫し、微かな吐息に続いてくつくつと喉を鳴らした。
「……オーバーだねぇ」
くしゃりと、伸びてきた大きな手が頭を撫でた。
わしゃわしゃとかき回し、ぽんと優しく叩いてから先生はふわりと、柔らかく口元を綻ばさせた。
「そっか……そんなに、楽しかったか~。じゃあさ──」
**
結局、花火に熱中しすぎたせいで、すっかり忘れられたサツマイモは悲惨なことになっていた。
「ほぼ炭じゃねーか!」
真希さんを筆頭に、ぶーぶー文句を言いながら食べたサツマイモは真っ黒焦げで、無事な部分を探すのに苦労した。
ほとんど苦い、つまりは炭の味でサツマイモの味なんてしなかった。だけど。
──美味しかったのだ。とてもとても。
『当機は着陸態勢に入りました。シートベルトをご確認下さい』
ポーンポーンという独特の音に続いて流れた、シートベルトの着用を促すアナウンスに、回想に浸っていた意識が引き戻される。
窓から見下ろせば、懐かしい日本の明かりが雲の隙間に見て取れた。
ぎゅっと、より強くスマートフォンを握る。飛行機を降りれば、次はいつ充電できるか分からない。少しでも長く保たせるために、使用頻度は控えるべきであろう。
スリープモードへと移行する、前に、もう一度だけ。網膜に焼きつけるべく画面を見つめる。
焚き火を背景に、焦げたイモを持って満面の笑顔でピースする狗巻くんとパンダくん、鬱陶しそうに片目をしかめる真希さんと眉をハの字にして笑う僕が、そこにはいた。
「……約束を、しましたよね先生?みんなでまた、花火をしようって」
耳の奥に、鮮やかに甦る声があった。
じゃあさ、またしよう!
え?
次はもっといっぱい、もっと派手な花火もたくさん用意するから♡あ、タイミングが合えば真希たちだけじゃなくて秤ら2年のヤツとか、七海とか伊地知も誘ってさぁ☆
……いいんですか?
うん!先生嘘つかな~い♡約束するよ、絶対にまたみんなで花火をしようね!
「絶対にだって、言いましたよね?だから……」
消し炭になったイモを片手にかっこよくポーズを決める五条先生を、そっと指で撫でる。何度も、何度も。
「守って、もらいますからね……『絶対』に、守らせます」
約束です。指を離し、代わりに唇を落とす。画面の中の先生へと、誓うように。
──直後、どんっと着陸を伝える衝撃が全身を走った。