Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    たんば

    進捗など
    X:tnb_tenarai/pixiv:1510754

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 7

    たんば

    ☆quiet follow

    父とのデュオ結成後、水木初めてのソロコンサート(シネコン父水)
    ※支部でも公開中

    #父水

    シネコン父水(2)「みずき〜、どうしてもいかんのか?」
    「だから駄目だって言ってるだろ。しつこいぞ」
    「何故じゃあ、何故いかんのじゃあ」
    「もう締め切っちまったんだって」
    「では関係者席とやらに呼んでくれたらいいじゃろう」
    「そんな大仰なもんはねぇよ」
     週の始まり、月曜の午後。開け放ったアパートの窓から、どこかの部屋の誰かの演奏が風に乗って微かに運ばれてくる。
     まだまだ物言いたげなゲゲ郎の視線を受け流しながら、俺はソファに腰掛けて念入りにチェロの手入れをしていた。ゲゲ郎と組んでから初めてのソロコンサートを控え、ここのところその準備と練習に追われている。常に時間が足りないが、悪くはない忙しさだった。
     ありがたいことにチケットは早々に完売して、あとは関係者との細かい打ち合わせと、ひたすらに練習あるのみ。当日に最高のパフォーマンスを披露するため、一分一秒も無駄にできない。
     今回の仕事が決まったとき、真っ先にゲゲ郎に報告した。でも客席に招待する気は端からなかった。
     ゲゲ郎は当然呼んでもらえるものと思っていたらしいので可哀想なことをしたけれど、ゲゲ郎に聴きに来られたらお忍びだろうがちょっとした騒ぎになりそうだし、こちらはこちらで普段の何倍も緊張もする。常日頃一緒にて俺のチェロを聴かせているのとは訳が違う。聴きに来てほしいが、聴きに来てほしくないという相反する気持ちが正直なところだった。
     当日まで有耶無耶にしておくつもりだった「ゲゲ郎の席は用意していない問題」がこのたびうっかり明るみに出てしまい、以来ゲゲ郎には毎日毎日ごねられてる。
     気を紛らわせるため、俺はまだまだ諦める気配を見せない相棒兼恋人にひとつ提案をした。
    「たまにはお前もやったらどうだ、ソロコンサート。聴きたがってる奴は大勢いるぞ」
    「嫌じゃ。儂はもうお主が一緒でなければ舞台には立たぬ」
    「俺が聴きたいって言ったら?」
    「……それならば――考えてやらんこともない」
     ぷいとそっぽを向くゲゲ郎の横顔に浮かんだ決心が、あっさりと揺らいだ。こういうチョロくて俺に甘いところが、いつも可愛くて困る。
    「今日は帰りが遅くなるから、先に寝てていいからな」
    「何故そのように頑張るのじゃ……。この頃の水木は忙しなくていかん」
     ぶつぶつと文句を垂れるゲゲ郎の言う通り、俺のアパートで半同棲のような生活を送るようになってから久し振りに、一緒に過ごす時間はめっきりと減っていた。連日、早朝から借りられるスタジオに籠もり、朝が弱いゲゲ郎が目覚める前から練習に出掛ける。昼頃になるとゲゲ郎もバイオリンを持って様子を見にくるが、集中するあまり殺気立っている俺に気を遣って演奏の邪魔はしない。気分転換に何曲か合わせたあとで、大人しく退散する。
     納得していない顔をしつつも、理解を示して結局は俺のしたいように自由にさせてくれるところはありがたかった。疎かになりがちな家事を引き受けてくれたり、相談すればアドバイスをくれたり、なんやかんやで応援してくれているところも。
     だからこそ、この舞台は絶対に成功させたかった。
    「これからもお前の隣で演奏するのに恥ずかしくない自分でいたいんだよ。俺はまだまだ経験が足りないから、いい機会だと思って」
    「水木……」
    「じゃあな、打ち合わせと練習いってきます!」
    「水木ぃ〜!」
     大袈裟に追い縋るゲゲ郎を一人残して、俺はチェロと共に家を出た。

     そうして迎えた、コンサート当日。
     ――で、いるんだよなあ……。まあ、予想はしていたが。
     開演早々、俺は客席の中にマスクをしたゲゲ郎の姿を見付けてしまった。今朝はやけに明るく聞き分けよく見送ってくれたので、何か裏があるとは思っていた。何かしらの伝手を頼ってちゃっかりチケットを入手したのだろう。
     俺が口を酸っぱくして絶対に来るなよと釘を刺したからか、本人なりに変装しているつもりらしかった。しかし座っていても分かる背の高さ、目立つ色をした髪、そして何よりどうしても滲み出る一般人とは違う雰囲気のせいで、口元を隠した程度ではバレバレだ。舞台からやや距離があってもすぐに分かった。
     オープニングを飾る厳かな一曲目、その流れを汲んだ古典の二曲目と、どうにか平常心を装ってプログラムを進めていく。ゲゲ郎との時間を削ってまで徹底的に練習を重ね、身体に叩き込んだ旋律が淀みなく会場に響き渡る。
     ところが重厚感のある曲から繊細で叙情的な曲、明るくアップテンポな曲へと曲調と会場の空気が変わっていくにつれ、自分が集中できていないことを認めざるを得なくなった。
     ゲゲ郎がそこにいると思うと、どうしても意識がそちらに向いてしまう。まだまだアマチュアに毛が生えたようなものだが、これではプロ失格だ。金を支払って時間を割き、わざわざ俺の演奏を聴きに来てくれたその他大勢の客よりも、ゲゲ郎だけに俺の音を届けたい。俺のチェロで、何度でも惚れ直させてやりたい。
     ゲゲ郎が今どんな顔で、どんな思いで演奏を聴いているのか、知りたくもあり知るのが怖くもあった。

     若干の後ろめたさを抱えたアンコールにも応えた終演後、楽屋に戻ってチェロを拭いていると、予想通りの訪問者が扉をノックした。入室を許せば、恐らく顔パスで客席からすんなりと通されたゲゲ郎がマスクを外しながら部屋に入ってくる。
    「やっぱり来てやがったな!」
     俺は怒ってやるつもりでいたのも忘れ、立ち上がってゲゲ郎を見上げた。マスクの下の表情がほとんどなかったことには気が付かず、ミスやトラブルもなく無事に公演を終えた達成感で気分が高揚していた。
    「で、どうだった? 自分で言うのもなんだが、今日は調子がよくて――」
     ゲゲ郎もきっと褒めてくれると思ったのに、返ってきたのは労いの言葉などではなく今にも押し倒さんばかりのキスだった。よろめいて後ろにあった化粧台に半分乗り上げたところへ、ゲゲ郎は尚も体重を掛けてきた。
    「ンっ……ぅ、げげ、ろ」
     待て、と上手く言葉にならない静止を無視してゲゲ郎の舌が性急に絡んでくる。
     二人して演奏後に盛り上がってしまうのはいつものことだが、流石に楽屋でおっ始めたことはない。今日舞台に立ったのは俺一人で、ゲゲ郎は客席でじっと聴いていただけのはずがやけに強引だった。
     珍しく余裕の感じられないゲゲ郎の息遣いと、俺の頭をがっちりと固定する掌に腰が引ける。
    「失礼します、水木さん」
     突然、こぢんまりとした楽屋にノックの音が響いて混乱していた俺は飛び上がった。
    「……ッは、はい! あの、ちょっと待ってもらえますか!」
     不自然に裏返った声のまま、どうにか扉の向こうへ返事を返す。訪ねてきたのは会場のスタッフのようだった。
    「おい、お前本当いい加減にしろよ……!」
     息も絶え絶えに小声で悪態をついてゲゲ郎を押し退けようとするが、びくともしない。ゲゲ郎は全く引き下がる気がないらしく、あろうことか俺の両脚の間に身体を滑り込ませてきた。俺の唇を解放するのと引き換えに今度は首筋へ歯を立てる。
     これじゃ出ていけない。
    「すみません、今手が、離せなくて――このまま伺います」
     手が離せないとは一体どういう状況なんだと自分で突っ込みを入れながら、相手の出方を待つ。
    「それでは、この後の打ち上げのことなんですが」
    「ああ、はい」
    「申し訳ありませんが、車の用意にもう少し時間がかかりそうなのでお待ちいただきたくて……またお声掛けしますので、よろしければゲゲ郎さんも是非」
    「分かりました、ありがとうございます」
     足音が遠ざかっていくのを確かめてほっと胸を撫で下ろす。ひとまずの危機は乗り越えたが、尚もゲゲ郎は離れていかない。部屋に入ってからずっと黙っていたゲゲ郎が、ここでようやく言葉を発した。
    「打ち上げ?」
    「付き合いだよ。世話になったんだから、それくらいは――」
     言いかけて、俺の前に跪きベルトに手をかけてきたゲゲ郎に息を呑む。
    「ちょ、ちょっと待て、何してる」
    「何って言わんでも分かるじゃろう」
    「なんでそんなに不機嫌なんだよ、お前も一緒に来ていいから……っ」
    「要らぬ、お主は儂と帰るんじゃ」
    「馬鹿、やめろって!」
     ゲゲ郎はどんなときでも、俺が本気で嫌がることは無理強いなどしなかった。つい本心でない抵抗を示してしまったときでさえ、すぐに動きを止めて顔色を窺うだけの気遣いがあった。しかし今はまるで別人のようだ。声の調子からして別に怒っている訳ではなさそうなのに、すこぶる機嫌を損ねていることは分かる。
     意に沿わぬ奴なら問答無用で指の一本や二本折ってでも止めてやるが、相手がゲゲ郎ではそうもいかない。必死だった俺は掌に触れたゲゲ郎の髪を思い切り引っ張った。たとえハゲたとしても知ったことか、やめろとはっきり言っているのにやめない方が悪い。
     流石に情けない悲鳴を上げて、ゲゲ郎の手がやっと止まった。俺は溜め息をつき、つい引っ張ってしまったところを今更ながらに撫でる。
    「お前、何だよ、どうしたんだ」
    「……水木が悪いんじゃ」
    「はあ?」
    「隣に儂がおらんのに、あのように楽しげに……」
     眉根を寄せ、への字に唇を曲げて呟くゲゲ郎の姿に堪えきれず、ぽかんとしたあとで短く息が漏れてしまった。咄嗟に手で口を塞ぐもゲゲ郎にはすぐにばれて、恨めしげな眼差しが肩を震わせる俺を見上げている。
    「水木ぃ……」
    「悪いっ……、でも……」
     あからさまに拗ねるゲゲ郎の顔がおかしいやら可愛いやら、俺は暫く笑いが止まらなかった。とうとう声を上げての大笑いに発展して、ゲゲ郎の視線が更に突き刺さる。
    「馬鹿にしよって……水木は儂などいなくとも平気なんじゃな」
    「……まさか」
     一頻り笑い飛ばして涙を拭ってから、ゲゲ郎の髪をもう一度撫でた。指の間を銀色の筋が流れていく。明かりの落ちた客席の中でも、一際目を引いていた。
    「演奏してる間、お前のことばかり考えちまった。あの場所で、お前さえ満足してくれたらそれでいいって……。やっぱり俺には経験が足りない。プロとしての自覚も足りない。お前の隣に相応しくないって言う奴もいるだろうけど、俺は絶対に譲らないからな。もっともっと上手くなってやる」
     既に人気を確かなものにしていたゲゲ郎と組んで以来、これまでとは全く違った景色が見えるようになった。未だ嘗てないほどの注目を浴びて、俺の音楽を評価してくれる人間も否定する人間も格段に増えた。誰に何を言われようが、念願叶って手に入れたこの場所を明け渡す気はない。
    「今日の演奏は今の俺にできる精一杯だった。プロ意識に欠けてたのは反省してるが、自分では満足のいくチェロが弾けたと思ってる。お前は楽しんでくれたか? それともよくなかったか」
     そう尋ねると、ゲゲ郎は俯いて暫し身震いをしたあとで、勢いよく立ち上がった。
    「よかったに決まっておる! 儂の相棒は世界一じゃ!」
    「だろっ?」
     手放しで褒められて、嬉しくなった俺は抱きついてきたゲゲ郎の脊中をばしばしと力任せに叩いた。素晴らしかった、よくやった、たくさん練習したものなあと、何故かゲゲ郎の方が達成感に満ち溢れて涙声になっている。ゲゲ郎の心を動かすことができたのなら、今日のコンサートはそれだけで大成功といえた。

     そして打ち上げは、申し訳ないことに結局行けなかった。

         *

    「やっぱり来てやがったな!」
     楽屋を訪ねると汗の粒が浮かぶやりきった笑顔に迎えられ、気付けば熱くなった身体を強く抱き締めていた。困惑しながら腕の中に収めた温もりにひどく安堵を覚えた。
     舞台の上でたった一人、胸を張ってチェロを奏でる水木は眩しかった。眩しいあまり、随分と遠い存在のように感じられた。
     水木はチェロが好きだ。
     自分の影響を受けて習い始めたと言っていたが、ここまで上達した長い道のりにあったのはただの憧れだけではないだろう。幼い水木に切っ掛けを与えたことは確かかもしれない。しかし本人が自覚できていないほどに、純粋にチェロという楽器が好きなのだ。
     水木のチェロはまだまだ若々しくて、直向きで、野心が滲んでいて面白い。いくら聴いてもまるで飽きなかった。
     この男を独り占めにしたい。誰よりも傍にいる癖に、何度でもその想いを新たにする。いつの間にこうも嫉妬深く狭量になったのか、まるで人間のようではないか。水木を通して人間の世に長く身を置きすぎた。呆れてしまうが、後悔はない。
     愛おしいからこそ、愛しているからこそ、暗く濃い影が落ちるのも必然なのだと今では痛いほど分っていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works