とある民俗学者の研究資料【切っ掛け:元同級生の話】
えっ? 故郷の話? いや、まあ、あるにはあるんだけど……じゃあ、酒もいい感じに入ってるし、聞いてくれよ。
俺の地元は割と辺鄙なところというか、ぶっちゃけちゃうと田舎の方なんだ。列車の駅なんてなくて、役場の前に停まるバスが唯一の公共交通機関。といっても、隣町まで行けば電車には乗れるし、みんな車や自転車を持ってたから、そこに住んでる分にはそんなに不便じゃなかった。こっちに出てきてびっくりしたけどな。電車が十分に一本って、よく運営できるよな。
そんな俺の地元では、どこの家の子どもも絶対に聞く話がある。ほら、口笛を吹くと蛇が寄ってくるとか、夜に新品の靴を下ろす時は裏を汚せとか、なんかそういうやつ。雰囲気はそんな感じなんだけど、中身は昔話みたいなやつで、それっぽい言い方をすれば所謂民間伝承ってやつだ。
俺の地元はさっき言ったように田舎町で、決して大きくない。学校とかも全部隣町に通ってたし、色んな家の事情が筒抜けだったし、その分お裾分けとかも多かった。良くも悪くもザ・田舎って感じだ。で、そういうところって、地主さんとかお坊さんとかが牛耳ってるイメージないか? あるんだよ。ここの場合は宮司さんの家系がそうだった。いや、今も続いてるよ。初詣行ったし。温かい甘酒貰って、奥さんとも話したし。あ、そうそう。察しがいいな。俺らが子どものときに聞くのは、そこに祀られてる神様についてなんだ。とりあえず、この神様について説明するな。この神様は所謂土地神様ってやつで……なんだろう、豊穣神みたいな? 町一帯を守護して、ついでに実りを豊かにしてくれる、的な。実際山の幸は毎年籠いっぱいに採れるし、畑の野菜はめちゃくちゃ美味い。マジだって。贔屓目抜きで。今でも地元の神社のお社に住んでる。いや、本当に見たってやつは少ないけど、でも全く見ないって訳じゃないんだ。子どもの頃一緒に遊んだ、なんて話も結構ザラだし。
昔は町の裏山に住んでたらしいんだ。ただ、地滑りか何かで住んでたあたりがまるっと崩れちゃって、代わりになるものを作ってほしいって村の人間に頼みに来た。今でこそ町って言えるくらいの人がいるけど、昔は村だったんだよ。そんで、その神様は、代わりを作ってくれたらその周り一帯を護り、暮らす人間たちに可能な限りの加護を与えよう、なんて条件まで付けた。当時の人達がそれを聞いて、はい喜んで!って感じで作ったのが今ある神社の元なんだそうだ。山が崩れて住処がなくなったって聞いて、山神様なんだろうって思ったんだと。云百年前じゃ、今みたいにハウス栽培なんてできないだろ? 作物が上手く育たないときは山の恵みが貴重な命の源だったから、御加護で食いっぱぐれることのないようにしてもらおうって魂胆だ。で、その神様はお社に移り住んだ。珍しくって言うと失礼かもしれないけど、神様はちゃんと約束を守るタイプで、お社ができあがってから村の作物はぐんぐん育つようになった。すると周りの村にも、あそこの村はよく育つって噂が回って、色んな人が移り住んで来るようになった。そうして今の町の原型ができていった。
人が集まれば、その分の蓄えが必要になるし、気が大きくなる。その日暮らしで有難みを覚えていたのが、明日も、明後日も、来年も……って欲深くなっていっちゃって、あるとき代表者を立てて神様にお願いした。もっと沢山作物が採れるようにしてほしい。そしたら神様は、じゃあそこの家系から一人、婿を寄越せと言った。たぶん、これ以上贅沢するのはどうなのって遠回しにお断りしたんだと思うんだけど、その人は散々唸ってからわかりましたって言っちまった。それから代表者の家系は、神様のお社の近くに今で言う社務所みたいなのを作って、そこに婿を住ませることにしたんだ。それがいつの間にか宮司さんになって、そこの家系は代々男を一人神様の婿に出して、今年も豊作にしてくださいってやるんだと。いや、そんなにおっかないもんじゃないよ。最初の頃がどうだったかは知らないけど、俺らが聞いてる話じゃ毎月捧げものをお社に届けて、お社を掃除するだけ。外で結婚して子どもを作ったっていうのが出始めても特に神罰とかそういうのは起きなかったから、とりあえず婿になりますよーっていう契約さえしちゃえばいいんじゃね?って伝わってる。
【町民の話①:神の成り立ち】
神様について? ここの土地神様のことですか? 宮司さんかそのご家族が一番詳しいと思うんですけど? ……はあ。地元民みんなから……学者さんも大変ですねぇ。うーん……土地神様について、ですか。例えば、どんなことが聞きたいんです? いや、何から話せばいいのかわからなくて。……成り立ち?成り立ちかぁ。成り立ちといっても、そんなに大した話じゃないんですけど。いいんですか? なら、立ち話もなんですし、どうぞ。お茶をお出しします。
さて、何て話せばいいのか。わざわざ聞きに来たくらいですし、下調べみたいなのはしてきたんですか? へえ、人伝に。じゃあ、簡単にでもいいですかね? えっ、全部? はあ……わかりました。
この町で祀られてる土地神様は、その名の通りこの町を護ってくれているんです。ほら、向こうに山があるでしょう? 大昔にあの山が地滑りを起こしたそうで。幸い民家に被害はなかったらしいんですけど、その晩になって村の人達がみんな同じ夢を見たんですって。『地滑りで住処がなくなってしまったから、新しい住処を作ってほしい。もしも作ってくれたなら、しばらくこの村に逗留して恵を授けよう』。姿かたちは見た人によって違っていたらしいんですけど、内容はみんな同じで。丁度その時期は作物が不作だったから、これは神様のお告げに違いない、なんて信じきって、材料になりそうなものを村中から掻き集めて、ひとつのお社を作ったそうです。ええ、そうです。そのお社が今の神社の元です。当時から何度も建て直しているらしいですよ。もう見ましたか? まだなら是非見に行ってみてください。とっても綺麗に保たれているので。
それで、そう、土地神様の成り立ちですね。たぶんお社を作ってあげたから住み着いたんじゃないですかね? 不作で冬を越えられるかどうかっていうくらいだった村が、山の恵みだけで生き長らえたらしいですし。そうして神様を信じた村の人たちが、ずっとここにいてください、なんてお願いしたんじゃないですかね?
【町民の話②:婿入りについて】
えっ? 婿入りの伝統について? あー……土地神様の? しかも昔の? 宮司さんとか、その辺の人に聞いた方がいいと思うんだけど。……はあ。物好きな学者さんだねぇ。いや、いいけどさ。昔のってなると、俺は又聞きになるからなぁ。そう。俺らのじいちゃんばあちゃんくらいが最後らしいぜ。欲張りすんなよって言いたかったのに婿取ることになった話。
ここの土地神様は所謂山神に近いタイプなんだと思うけど、結構羽振りが良かったみたいでさ。ここに住み着いてから田畑もよく肥えて、山の実りも豊富になったんだって。で、あそこで畑を作れば豊作だぞ! みたいな噂が広まったらしくて、人が移り住んで来たんだと。それで今くらい人が増えていったらしいんだけど……どんなに実りが多くたって、人が増えれば取り分が少なくなるだろ? それで代表者を立てて、もうちょっと増やしてくれませんかってお願いしに行ったら、じゃああなたのところから一人婿に寄越せって。土地神様的には畑が豊かになったって担い手が減ったんじゃ意味ないだろ、みたいなつもりだったらしいんだけど、その人おっけーしちゃってさ。ついでに捧げものとかなんかも持たせて、息子を婿に出したんだ。こんなになるなんて思ってなかった土地神様は驚いて、とりあえず捧げものの中からおにぎりだけ貰って、次の日に息子と一緒に村に返した。で、そのとき帰ってきた息子曰く、婿入りは村と土地神様との契約の形で、その代の婿が死んだら同じ家系からまた婿を送れだとか、村とお社は好きに行き来していいだとか、捧げものはこんなにいらないだとか。まあ、色々と言伝を預かってきたもんだから、婿は神様のお言葉を伝える者にもなっちゃったらしい。
それからは言い付け通りにして、捧げものは量を減らした分数を多めにみたいなことを考えて月が変わる毎に、婿は一代目が死んだらその下の代からまた一人、みたいな感じになったんだってさ。初めの頃は一妻一夫で、でも多妻一夫になっても許したっていうから、土地神様はめちゃくちゃ優しいよなぁ。ああでも、一回だけめちゃくちゃ怠惰な奴が婿になっちゃって、土地神様を怒らせたこともあったらしい。まあ、優しさに胡座をかいて神様との契約ってことを忘れてたから起きたことなんだろうけど。
そうそう。これでもちゃんとした契約だったんだ。だから婿入りした奴が務めをサボるとすぐ土地に表れて、作物の育ちが悪くなったり、獣たちが姿を隠したりする。逆にちゃんと務めを果たしていれば、たくさんの実りと恵みが齎される。そういう意味では、婿殿は成るべくして成ったってやつなんだろうな。
あれ、知らない? てっきりそのことについて調べてるのかと。婿入りの伝統は俺らのじいちゃんばあちゃんくらいが最後だって言ったろ? その最後の代に婿入りしたのが婿殿だ。
あっ駄目だぞ。今『婿』ってメモ取ったろ? この婿殿は他の婿入りした奴とは違うから、絶対に『婿』って呼び捨てにしちゃ駄目なんだ。怒られるとかそういうのじゃないんだけど、とにかく駄目だ。ついでに聞くけど、さっきの話のとき『一夫多妻』ってメモ取ったか? 熟語としてはそっちの方が正しいけど、ここじゃあ皆土地神様の庇護下にいさせてもらってる立場だから、婿を指す言葉が先に来ちゃいけないんだ。婿は土地神様のお世話をする人、くらいに思った方がいい。……付け上がって無体を強いた婿もいたらしいけど、そいつ、目も当てられない最期を遂げたっていうしな。
それじゃ、話を戻すか。婿殿は、とにかく真面目に務めを果たしたらしい。まあ、婿殿にとっては務めじゃなかったんだろうが。婿入りした奴は、とりあえずその善し悪しをおいて、皆それぞれ死んでいった。ほら、自宅でーとか、病院でーとか、そういう感じ。でも、婿殿はお社で死んだんだと。日本人の宗教観はめちゃくちゃだーってよく言われるけど、死ってだいたいいいイメージないだろ? ここもそういう考えを持ってて、死に目が近くなった婿はお社に行かせなかった、なんて話もあるくらいなんだ。それなのに、婿殿はお社で死んだ。それだけ聞くととんでもない罰当たりに聞こえるだろうけど、これにはちゃんと続きというか、訳があった。
婿殿は確かにお社で死んだ。そんでもって、弔われていた。
誰が、なんて聞かなくてもわかるだろ? 土地神様に、だよ。それまでの婿は死んでも何もなかった。生きてる間に加護のひとつふたつ貰ったりはしてたかもしれないけど、少なくとも死んでからについては土地神様は見向きもしなかった。それが、婿殿だけは丁重に祀られて、弔われた。
当時の宮司さんがその場を見たらしいけど、俺たちは話しか知らない。でも、そのあとから婿入りする奴がいなくなって、代わりに捧げものには酒が加わった。それまで捧げものはそのまま皿ごと置いていくような感じで、なくなってても動物が取って行ったかな、くらいにしか思わないんだけど、酒なら入れ物に入ってるから誤魔化しようがない。となれば、気になるだろ? 当時の町の奴らも気になって、何人かで次の日こっそり見に行ったらしい。そしたら、な。
なくなってたんだと。一滴残らず。一升瓶が一本あったらしいんだが、開けた跡はなかったのに、中身がすっからかんになってたって。ん? ああ、そうか、悪い。その婿殿な、町中に知れ渡ってるくらいの大酒飲みだったんだ。新年に開けた樽酒を殆ど一人で飲みきるくらいの酒飲みで酒好きだったっていうから、とんでもねぇよなぁ。
だから、その酒瓶を見たときに、町の奴らもみんな納得したらしい。あの婿は本当に婿入りしちまったんだってな。
【宮司の話:口伝の移り変わり】
どうも、こんにちは。ええ、ここの宮司は私です。今は、ですけれども。しかし、他所から人が来るなんて珍しいですね。こんな辺鄙なところにわざわざどんな用で? ……へえ? 土地神様の婿取りについて、ですか。それはまた懐かしい話を……。はい、仰る通り、土地神様の婿取りは百年ほど前になくなりました。よくご存知でしたね? ああ、皆さんが……確かに、喜んで喋りそうです。それで、当事者たる家にも話を聞きたいと? 本来なら取材はお断りさせて頂いているのですが……これも何かの縁。お話しましょう。
私たちの家系では代々『婿入り』というものがありまして、世代ごとに男子をひとり婿として土地神様に捧げるのです。と言っても、実際はお社の清掃や供物の運搬などを行う程度で、婚姻関係としてはとても希薄なものでした。他家に伴侶を作った者もたくさんいました。土地神様もその状況を黙認して下さって、務めさえ果たせば恵は約束されていました。ええ、お恥ずかしいことに、務めすら放り出した愚か者もいまして……しばらく不作が続くからとお社を訪ねたら酷い有様だった、という話が残っています。目には目を、歯には歯を、というものです。土地神様は確かにお優しいですが、約束事には厳しい神様なのですよ。
さて、話を戻しましょう。『婿入り』は世代ごとに男子をひとり、という習わしでしたが、基本的にはお社を管理する本家筋から選出していました。はい、最後の婿殿も本家の血筋です。確か、次男だったかと。
婿殿は、他の婿入りした者たちのように、外に家を設けることはありませんでした。契りの日から毎日欠かさずお社に通い、掃除を怠らず、土地神様のお言葉に耳を傾け、身を寄り添わせ続けたそうです。お社に泊まることも多く、晩年はもはやお社に住んでいるような状態だったのだとか。最期のときを迎えたのもお社だったと言いますから、よっぽどだったのでしょうね。
はい、婿殿はお社で息を引き取ったそうです。当時の宮司が夢を見て、それがどんな夢だったかは思い出せないものの胸騒ぎを覚えてお社へと向かうと、丁重に祀られた婿殿の遺体があった、と。そう、祀られていたのです。土地神様の住まうお社の前に。この家のものとも、他家のものとも、仏教のそれとも違う方法で弔われ、祀られていたそうです。土地神様によるものだと当時の宮司は確信しました。おそらく私が見ても、そう判ずると思います。
しかし、いくら既に弔われたようであるとはいえ、人間としてもしっかりと手順を踏んで送り出さなければなりません。そこで宮司は婿殿の遺体をここまで運んだのですが、酷く軽かったそうです。婿殿は二メートル近い身長で、筋骨隆々とした方だったのですが、本当に肉の重さかと疑わしくなるほど軽かったのだとか。いえ、本当のところは何とも。ただ、婿殿の健康診断の結果表などは現物として残っていて、その数字を見る限りでは確かに体格が良く、それに見合うだけの体重もありました。病によるもの、というだけでは推し量れないものだった、と言われています。
ふたりの最期については定かではありません。愚かな人の情に応えて下さったとも、よくよく尽くしてくれる人の子が手放し難くなったとも、どちらともとれますし、どちらでもないかもしれません。ただ、婿殿の葬祭の後、宮司は再び夢を見たそうです。今度こそは忘れまいとしたのでしょう。その宮司はわざわざ日記に詳細を認めておりました。
曰く、婿はこの先ずっといらない。
曰く、代わりに毎月一升、年明けには一樽の酒を用意してほしい。
話し言葉のような書き方でしたが、きっと土地神様のお言葉をそのまま記したのでしょう。お役目に任ぜられていた次の世代の婿候補が半信半疑でお社に伺ったところ、底冷えするような恐ろしく低い声で追い返されたそうですから。けれどもあとから振り返って、あれば伯父の声だった、と言うものですから、なるほどあの人は神様に成ったのか、と納得するしかありませんでした。神と人との契約の証としてではなく、土地神様にとっての本当の婿に成られたのだ、と。
その話はあっという間に町中に広まりまして。それ以降、こう言われるようになったのです。
ここには土地神様の夫婦がいらっしゃる、と。