もうすぐ死んでしまう私と君のお話 3 甘い香※死ネタを含むオリジナルです。
自己責任でご覧下さい。
何でも許せる方向け。
***
目が覚めると、すぐに違和感に気が付いた。
見慣れない天井と、見慣れない布団。
窓の外はまだ白んでいて、朝を告げるには少し早くて。薄暗い部屋。
でも、見覚えのある部屋だった。
えぇと、昨日。
私はどうしたんだっけ…。
ぼんやりとする記憶を辿りながら重い身体をゆっくりと起こす。
辺りを見ると、ローテーブルの向こう側に背を向けて、薄いタオルケットを羽織って雑魚寝する同級生がいた。
…狗巻棘がいた。
棘くんの部屋だ。
次第に意識がハッキリとしてくる。
昨日招かれた部屋でしばらくたわいない話をして、…そのまま疲れて眠ってしまった。
ベッドに触れた記憶はないけれど、唯はベッドにいて。彼は少し離れた床にいて。
「……うそ…」
小さく口の中で呟く。
疲れて寝てしまうなんて、子どもみたいだ。
否、問題はたぶんそこじゃない。
お…、男の人の部屋で、
一晩を…過ごしてしまった…。
一応確認しておくと、服は勿論乱れていないし、昨日のままだった。唯は急に恥ずかしくなってそのまま布団に疼くまる。
でも、匂いがした。
ーー棘くんの、匂い。
「……?!」
真っ赤になって顔を離す。
いや!
いやいやいや。何考えてるんだろう。
深呼吸をして呼吸を整えて。
唯は棘を見た。
ベッドを取ってしまって申し訳ない。
自分が特別に可愛いとか考えた事はないけれど。男女が一晩同じ部屋、と言う意味くらいは当然知っている。
唯はベッドから降りて立ち上がる。
衣擦れの音が辺りに響くが、棘はぐっすり眠っていて全く動かない。この同級生は、朝が苦手そうだ。そっと、唯が被っていた布団を掛ける。
[ありがとう
部屋に戻ります]
スマホにメッセージを打ち込むと、唯はすぐ側に居る棘に送信して、静かに部屋を出た。
その日緊張して授業に出ると、真希が任務から戻って来ていた。昨日の夜の内に帰って来たらしい。
教室に棘とふたりきりでなくて、ホッとした自分がいる。
棘とは同級生だ。友だちのひとり。
友だちが泣いていたから、助けてくれた。
棘くんは優しいから当たり前の事。
ただ、それだけ。
意識するのも変だし。
実際棘は、登校してきてもいつも通りだった。
いつも通り挨拶をして、3人で話をして。
でも、既読の着いたメッセージに返事はなかった。
***
日常が戻る。
あれから1ヶ月が経とうとしていた。
何をしていても、退学と言う言葉が頭から離れなかった。何を考えていても、やはり頭の何処かではそれはちらつく。
ーー呪術師に向いていない。
ぼんやりと教室から眺める空は今日も青い。
梅雨に入ったと言うのに、今年は雨が少なかった。けれど蒸し暑い日々が続く。
あれからも変わりなく時折唯にも任務のサポートは舞い込んだ。
術式や呪力を使う度に、身体の中から何かがこぼれ落ちて行くような感覚に襲われる。実態のない何かが、なくなっていくような焦燥感。
そして、やがてそれは身体に鉛のような重さを残していく。そんな、気がした。
五条先生とはその後会っていない。担任の日下部先生とは一旦話をしたが、この話は保留となった。
この時に、呪具を受け取った。
刀を一振。サイズは脇差くらいのもので軽くて小柄な唯にも扱いやすい。真希たちが持つものよりもひと回り程小さく、短刀と呼ぶには少し大きい気もした。
実家でも武具の扱いは習っていたので基本として扱えるが、この日以来時間がある時は真希に稽古を付けてもらっていた。
それから、しばらく様子を見て、術式や呪力を使わないようにとの警告も受けた。
そんな自分に、一体何が出来るんだろう。
ーー向いて、いない。
その言葉が、重くのしかかる。
棘と一晩過ごして、良くも悪くも少しだけ気が紛れている。けれどそれはまた、別の悩みだと言うだけに過ぎない。
彼はいつも、何も言わない。
あの日の事は、何も無かったように振る舞う。
忘れた訳でもないだろうけれど。
唯は送ったメッセージを、見返した。
夢ではない。現実だと、改めて思う。
…気を使わせて、
しまっているんだろうな。
*
「棘くん!」
名前を呼ばれて振り返る。
いつも朗らかに笑っていた彼女は、今日も“笑顔”で棘の名前を呼ぶ。
あの日からもそれは変わらない日常で。
変わらない唯の“笑顔”。
その“笑顔”に、時折少しの違和感を感じていた。
張り付いたような。取り繕ったような、
“笑顔”に。
「ツナマヨ〜」
部屋に向かう途中だった。廊下の向こう側から唯は駆け足で近づいて来る。
走る距離でもないだろうに。
「ごめんね、何かコレ。返そびれちゃって」
言って差し出されたのは真っ白なタオルだった。
棘は一瞬よくわからずに躊躇する。
あぁ、…すっかり忘れていた。
棘がハンカチの代わりに貸したタオルだ。
「しゃけ」
白いタオルを受け取れば、その違いにすぐに気付いた。自分の物なのに、自分の物じゃないような何か。
洗剤か柔軟剤か、ずっと彼女の部屋にあったであろうそれは何だかいつもより柔らかくて、唯のふわりとした甘い香りを感じて。
心臓が、ぎゅっとなる。
眠る唯の顔が、頭から離れない。
「あと、これあげる」
笑った唯は、箱に入った小さなチョコレートを差し出した。棘が受け取って持っていたタオルの上に置く。
「しゃけ〜。ツナ?」
「私のオススメ。今月の新作苺チョコだよ」
コンビニでよく見るパッケージだった。期間限定の苺味らしい。
唯は笑う。
「この前は、ありがとう…」
と、少し寂し気な笑顔で。笑った。
「……」
「じゃあね。また、明日。学校で」
唯は手を振って、踵を返す。
告げる言葉も見つからない中、棘はその後ろ姿に手を伸ばしかけて、辞めた。
彼女を止める理由もない。
「ツナマヨ」
と言って、手を振った。
一旦振り返った唯は、もう一度手を振ってくれた。
そのまま唯は振り返る事もなく、足早に掛けて行った。
…おかか。
って、言えれば良かったのだろうか。
棘は部屋に戻り、扉を閉める。
ふわふわの柔らかいタオルは、やはり甘い香りがした。