もうすぐ死んでしまう私と君のお話 9 ごめんね※死ネタを含むオリジナルです。
自己責任でご覧下さい。
何でも許せる方向け。
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「茗荷先輩の術式、初めて見ました」
恵に言われて、胸に仕えていた何かが落ちた。
「狗巻先輩の呪言に似てますね」
棘の中で、絡まった線が解けて一本に繋がっていく気がした。
授業が終わるとその足で、唯のいる医務室に足を運ぶ。
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「ツナー?」
声が聞こえてカーテンを振り返る。聞き慣れた同級生の声だ。
「…棘くん。どうぞ」
眩しいくらいの日差しを遮光カーテンで遮って、する事もなくベッドで何となくスマホを触っていた唯。
顔色は昨日に比べると遥かに良くなっている。
まだ身体が鈍く重いけれど、身体を起こして座った。
「こんぶ?」
いつも通りの制服で、棘は唯のベッドの隣に立つ。
「うん。もう大丈夫だよ。微熱があるんだって。でも元気いっぱいでお昼ごはんも足りないくらい」
笑って見せると、棘はそれに応えて静かに頷くだけだった。いつもと少し違う雰囲気の棘に、唯は少し狼狽える。
「…棘くん…?」
「ツナ?」
「…昨日は、ありがとう。棘くんが…助けてくれたんだよね?」
『唯』と、名前が聞こえた気がした。
あれは棘の呪言だろうか。唯に通じる道を作ったのか、それとも結界を破ったのか。何にしろ、キッカケをくれたのはたぶん彼だ。
首を傾げる唯を見て、棘はわずかに目を見開いた。
「おかか」
すぐさまそれは否定される。
肯定される事しか考えていなかった唯は、その言葉に戸惑う。
棘は唯を指差し「しゃけ」と、自分を指差し「おかか」と。
「ツナツナ、明太子」
それは自分ではなくて、唯がやった事だと言う。
唯自身の術式だと。
棘の言葉に唯は驚き、そして俯く。唇を噛んだ。
唯はあの時、自分のミスでみんなに迷惑を掛けた。何も出来なくて、ただ泣いて。助けてと乞うだけの情けない自分。
いつまでも何も出来ない弱い自分を、唯自身が一番よく知っているから。
「違う」
ただ、自分を否定する。
「違う、よ」
微かに震える声で、唯は絞り出すように呟いた。膝に掛けていた布団を力一杯握りしめる。
「違うよ。棘くんと違って、私は弱い。足りない。全然足りないの…」
「おかか」
「…どれだけ頑張っても、みんなに追い付けない…。同じ道に、私じゃ進めない…」
「おかか」
「…怖くて、ただ泣くだけで…。役立たずで、情け無くて…」
「おかか…」
「みんなにも、たくさん…たくさん、迷惑掛けて…。本当、馬鹿みたい…。何してるんだろ…私」
声がだんだんと尻すぼみに小さくなっていく。
「…私は、出来ない…から。何にも、出来ない…。私なんかじゃ…足りないの…。なれな、い……」
胸が苦しい。重いものが黒く広がっていく。
言葉と一緒に、涙がひとりでにぽろぽろと溢れ落ちた。唯は顔を上げる事が出来ない。
「……私…は、呪術師に…なれない…」
唯の言葉に棘は目を見開く。
膝に掛けた布団をぎゅっと握り締めてうずくまる小さな肩が、震えている。その背中に、棘は見覚えがあった。
いつも朗らかに笑う彼女が。
肩を震わせて泣いていた、あの日。
あの日、差し出す事が出来なくて、隠した右手をその肩に伸ばす。
「ツナ」
腰を屈めて、ゆっくりと頭を包み込むように抱きしめた。線の細い華奢な身体は、抵抗する事もなく棘を受け入れる。
「………っう、…ぅぁぁあっ」
唯は棘の制服をぎゅっと握り、火が付いたように泣き出した。嗚咽を漏らして涙を流す唯の頭をそっと撫でる。
ガラス細工のように壊れてしまいそうな彼女を。
今にも消えてしまいそうな彼女を。
この場に繋ぎ止めるように、抱きしめた。
棘は目を伏せる。
「 唯 」と、何度も心の中で呟いた。
ついそれを音に乗せてしまいそうになる。
…らしくもない。
「狗巻先輩の呪言に似てますね」
棘は言葉を放つ。
唯は言葉を作る。
それが強い呪力を率いて使う高騰な術式じゃない訳がない。
自分が一番知っていたはずなのに。
それを使う唯はたぶん、幼い頃から呪術師として並以上の力があるのではないだろうか。
それを隠している?
だとすればそれは何故?
何故それを使わないのか。
否、使えないのか?
棘の中で、一抹の不安が過ぎる。
昨日痛めた喉がほんの少し、微かに痛んだ。
唯は棘の制服から握っていた手を離す。
真っ赤になった目で顔を上げて棘を見れば、その視線は紫がかった瞳と交わる。
棘はもう一度、唯の頭を撫でた。髪を梳くように滑り、名残惜しそうにその手を離す。
まだ目元から滲む涙を、唯は自分の袖で拭いながら棘から離れていく。
「こんぶ」
あの日聞けなかった事を尋ねる。
なんで泣いているのか、何があったのか、と。
唯はその言葉に棘から目を逸らした。
その純粋で深い瞳を、見る事が出来ない。
きっと私は、もうすぐ死ぬ。
そう告げたら、この優しい同級生はどうするのだろう。
…怖い。
何も出来なくて。何も出来ないまま。
何も無くなってしまうのが、怖い。
この人にそれを知られてしまうのが、怖い。
呪術師を諦めた所で、そんなに先はない。呪力を使わない分ほんの少し、時間が稼げるだけ。
それは他でもない自分が一番よくわかっている。
俯く唯の手に、棘の手が重なるように触れる。
「いくら」
その場にしゃがんで、棘は俯く唯を見上げるように目線を合わせた。覗き込んで唯を見る。
「高菜」
微かに目を細め、けれど真っ直ぐに、目を逸らす事なく唯だけをその瞳に映す。
目頭がまたじんわりと熱くなった。
「棘くんは、やっぱり優しいね」
「しゃけ」
「いつも、優しいから。すぐに甘えたくなっちゃう」
「ツナマヨ」
「棘くんのそう言う所、私好きだよ」
不意に、真希の言葉を思い出した。
「棘なら、唯の痛みもわかってくれるんじゃねぇの?」
唯は息を吐き、口元を緩める。
わずかに逡巡して、重い口を開いた。
「棘くん、私ね…、
…私、もうすぐ…死ぬんだ」
「ごめんね」