「おやすみ」足を投げ出してベッドに背を預け、スマホを眺める彼の横。唯もぼんやりとその手元を眺めながら過ごす任務も学校もない、土曜の午後だった。温かい日差しが大きな窓から入り込む、もう見慣れた狗巻先輩の部屋。
スマホに映っていたのは、唯が気になっていた映画のインタビュー動画。見つけた狗巻先輩に手招きされて、隣に座ったのはもう20分程前の話。
隣に座れば感じる狗巻先輩の体温に、ほんの少しだけ頬を染めて。
ふと見上げれば、視線が絡む。微かに目を細めて笑うその綺麗な瞳がゆっくりと近付く。いつもはマスクで隠している呪印の入った口元を唯の唇に重ねた。軽いリップ音が辺りに響いて、唯は思わずはにかんだ。
動画から流れる映像に、初めは興味津々だったけれど。
午後の実技に、2年生との合同の夕練。疲れたはずの昨夜は遅くまで眠れずにいたから、唯の眠気は次第にその思考回路を奪って行った。心なしか身体も重い。
「…………」
折角誘ってくれた狗巻先輩に何だか申し訳なくて。眠いとは言い出せずに、唯はこっそりと瞳を閉じた。
温かくて。
ふわりと香る大好きな狗巻先輩の香り。
ゆっくりと背中から回された腕は、優しく唯の髪に触れる。頭をひと撫でした手は、そのまま唯の身体を引き寄せた。
唯の頭が先輩の肩に触れて。体重を掛けるようにもたれ掛かる形になって、急に意識を呼び戻された。
「…ぁ…、す…すみませ……っ」
唯は目を擦りながら、まだぼんやりする頭を起こす。
「おかか」
けれど、それは唯の頭に添えられたままの狗巻先輩の手に阻まれて。ほんの少し力を入れて引き寄せられれば、もう一度その肩に倒れるように寄りかかる。唯よりもひと回り大きな先輩の身体に触れて、ドキドキと心臓が鳴るのを感じた。
「ツナ?」
問われて唯は小さく頷いた。
「なんだか眠くなっちゃって…」
「しゃけ」
ただ静かに、狗巻先輩は唯の頭に触れた。何度か唯の頭を優しく撫でて、時折髪に指を絡ませて。その温かい掌に、唯はまた瞳を閉じる。
目線はたぶんスマホに向けたまま、先輩が僅かに首を傾ければ、唯の頭には柔らかい髪が触れた。
授業や任務とは違う。みんなといる時とも違う。穏やかに流れていく休日の時間。
「ツナツナ?」
狗巻先輩が小さく呼び掛ける。
薄く瞳を開くと、先輩は唯の顔を覗き込んだ。
「………?」
その顔を目が合えば、狗巻先輩は笑って唯を見た。
「しゃけ〜」
さっきまで優しく唯を撫でていた片腕に力が入り、その腕に包み込まれる。
「…………っ?!」
バランスを崩して倒れ込む唯は、思わず目を瞑る。けれど、受け止められるように落ちた柔らかな感触に。それが彼の膝元だと気付くのは一瞬だった。
理解した途端に顔に熱が昇る。きっと唯は耳まで真っ赤になっている。鼓動も早い。ドキドキと鳴る音が伝わってしまいそうで。
「明太子」
目を開いて仰ぎ見れば、唯を覗き込む狗巻先輩。確実に、わざとだろうと思ってその表情を伺うが、いつもの悪戯な狗巻先輩はいなくて。紫色の瞳が目を細めて優しく笑う。
「狗巻先輩…?」
「ツナマヨ」
呟いて、腰を折った狗巻先輩の顔が、ゆっくりと唯に近付く。唯だけを映す深い色の瞳にその目を逸らせずにいると。
その頬に、口元に。先輩の唇が啄むように軽く触れた。
「たかなー?」
屈んだ腰をそのままに、眠たげな唯に問うた狗巻先輩の吐息が掛かる。何度も感じた事のある、でも慣れないくすぐったくて焦ったい距離感。
昨日は遅くまで起きていた。それを知っているこの人は、ふと笑ってもう一度だけ唇を重ねた。
狗巻先輩は身体を持ち上げて、またゆっくりと離れて行く。
手を伸ばして、唯の頭をそっと撫で付けた。大きくて温かい狗巻先輩の掌。男性にしては細くて長い指先は、それでも少しごつごつしていて、唯の掌よりも大きい。
唯は身体を捻り、狗巻先輩の膝元に顔を埋めて重たい瞼を閉じる。頭上からは動画の音が微かに聞こえた。恥ずかしくて、顔を上げる事は出来ないけれど。
ふわりと香る大好きな彼の香りと。
温かな優しい掌には安心感があって。
狗巻先輩を、こんな風に独り占めしている事が嬉しくて。
「 」
音のない空気が揺らぐ気配を感じた。
きっとそれは、優しい狗巻先輩の声。
End***