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「あんた、若い子なのに仕事が早くてたすかるわ」
「ありがとうございます。・・・片付けだけが取り柄ですので」
「そうかい。あんた別嬪だから、“あんなモノ”のお付きなんてもったいないとおもうけどねぇ」
「・・・・ありがとうございます」
「じゃあいくわね、智里ちゃん。廊下のお掃除お願いしますね」
ちさと。
それがここでの私の名前。本当の読み方は“センリ”だが、小さい頃からかわれてから名乗るのをやめてしまった。
ここは禪院家のお屋敷。大勢の使用人が働いていて、私のその使用人の一人。
先ほどの人は先輩の原さんで、使用人の中でも年も立場も上だ。
禪院家のヒトらしい、非術師は人に非ずという考え方のヒト。
私が禪院家に連れてこられたのは、両親が大きな猿の様な化物に頭から喰われた次の日のこと。5年前。私が10歳の誕生日を直前に控えた日だった。
母方の先祖が力のある巫女だったこと以外は特別なことは何もない、しがない骨董屋の娘だった。決して裕福な家ではなかったが、それなりに稼ぎのある店だったし、両親は一人っ子の私に愛を注いでくれていた。小さなころから変なものが見えた私を、高名な神社に連れていきお祓いを頼んでくれたり、悪夢にうなされる私にお母さんは眠れるまで寄り添ってくれた。
父さんも眠らない夜に小唄を教えてくれた。
変なものが見えたが、両親が死ぬまでは悪いことなんて起きたことがなかった。化物に襲われることなんてこれまで一切なかった。
そんな日常があの日を境にあっと今になくなってしまった。
私はその日、三味線のお稽古に行っていて帰りが遅くなった。そう。偶々だ。
偶々帰りの遅くなった家にたどり着いた瞬間、私の頭は一瞬現実を見ることを拒否する。
一拍おいて頭で認識できたのは
地震にでもあったかのようにぐしゃりとぺしゃんこに壊れてしまった二階建ての店。
瓦礫の中で“ナニカ”を手に持ちながら無心で首を動かしている、見たことのない大きな毛むくじゃらの猿。
ブチリ、ミチリと喰い千切られ、肉塊となって瓦礫の中に落とされていく“ナニカ”。
ゴロリと私の足元に転がってきたのは、よく見知った父と母の顔だった。
そこからの私の記憶は曖昧だが、私が猿に喰われる前に真っ黒な大人たちが大猿を祓っていた。
大人たちの顔は見覚えがあった。偶に店に来て、買い物をしていった。
もう少し早く来てくれたら、そう思ったこともあったが、もうあきらめた。きっと父さんもお母さんも、喜ばない。
「誰かを恨んだり、悪く言ってはいけないよ」
それが家族のルールみたいなものだった。誰かを悪く言ったり、悪さをすれば必ず報いがある。そうやって育ててくれた両親の娘だから。その誇りみたいなものだけが、10歳になった私の唯一の支えだった。
もちろん、悲しみに浸れる時間も、立ち直れる時間もない。
住む家も、家族もいなくなってしまった10歳の女の子に、取れる手段は少なかった。
救ってくれた真っ黒な大人たち、禪院家の大人たちが提示した道は二つ。
1,衣食住のすべてを提供してくれる代わりに禪院家で住み込みで働くこと
2,親のいない子どもを世話してくれる養護施設に行くこと
2については、また化物に襲われたとき、命の保証はないという注釈付きだったが。
今思うと狡い大人たちにとって、私は恰好なカモだったのだろう。命という大きなもので、半分脅されたようなものだ。斯くして禰古萬(ねこま)智里(せんり)は禪院家の使用人になった。
使用人になって割り当てられた仕事は、同じ年ごろで屋敷にいる男の子のお世話だった。
「お前の顔、ぶっさいくだな」
「あなたなんだかハリネズミみたいな人ね」
「はぁ?」
初対面の人間に対して遠慮なく暴言を、それも真正面から言ってくる人に合ったことがなかった私は、思わず思ったことを素直に口に出した。文字通り面食らってしまったのだ。正直初めて人に対して悪口を言った相手かもしれない。
禪院甚爾。それが男の子の名前だった。
甚爾は家の人間から嫌われているようだった。最初は意味が分からなかった私も二週間が経つまでには嫌でも理由を理解した。
禪院家では呪力がない≪天与呪縛≫という存在であり、呪力がない以上術式を発現させることができず、文字通り何もできない人間以下の存在として一族の中で扱いを受けているようだった。
もちろん使用人たちも禪院家のこの“暗黙の掟”に従うことをまず躾けられる。
それはもう徹底的に。
私が入ったばかりのころ、密かに甚爾の見方をしようとしている人が一人だけいた。とても綺麗な人で、禪院家とは全く関係のないところからお屋敷にお手伝いで来ていた。まだ20代ぐらいで、やさしい人だった。
そんな人が、自殺なんかするわけないんだ。
それも、甚爾や私が見つけやすいところでわざわざ亡くなるなんて。そんな残酷なことができる人じゃないのは、私たちが一番知っている。
「見せしめか」
「ぇ・・・」
「どうでも良いけどな。無駄死にだ」
隣から聞こえる冷めた声。下手人を探そうと思わない。呪い呪われ、そんなことが日常で当たり前の世界だと理解することと、部屋数を覚えるのとどちらが早かっただろう。
「お前は・・・俺の見方になんかなるんじゃねぇぞ」
「え?」
「死にたくなきゃ、な?」
口元に新しく作った生々しい傷をそのままに、甚爾は冷めた声のまま私にそういった。
だから私は言ってやったのだ。
「私は使用人です。それ以上でも、それ以下でもございません。使用人は雇い主に従順に従うまでです。そして私の直接的な雇い主は現在、甚爾様です。私ではどうしようもございませんので」
勝手にしろ、とそういったつもりだった。でも伝わり方が違ったらしい。
「・・・お前も自分に興味が無いやつだな」
「え?なんで私褒められてるんですか?」
「お前これで褒められてると思ったのか?」
「だって、そんな顔じゃ褒められてると思うんですけど」
「はぁ?そんな顔って、どんな・・・」
言った本人にも自覚できたのかもしれない。主たる彼は途中で言いよどんだ。
そして下を向いて、ニッとその笑みを深くしたのだ。
「じゃあお前今から俺のこと名前で呼べよ。ゴシュジンサマの命令だ」
「こ、困りますよ!」
「却下」
ここから私は正式に、甚爾の使用人になった。
彼がこの禪院家を出ていったあとも、私はしばらく“元”甚爾の使用人として、あるいは禪院家の使用人として彼の親戚にあたる双子の女の子たちの世話をすることになるが、
「私、禪院家の使用人をやめさせていただきます」
今日、やめることにした。
ー土蜘蛛ー
「今日のお話は、長かったね。甚爾寝てるところ家長たちに視られなくてよかった」
「あんなうるせー話し合いなんてしてねぇでとっととくたばっちまえばいいんだけどな」
「そういう話はご自分のお部屋に戻ってからした方がいい思うけど」