おかえり徹夜明けでふらふらする頭を抱えながら寮に戻る。
昨日の夕方、急な任務で出てようやく帰る事が出来たのは朝の6時を過ぎた頃だった。職員室には少しだけ常駐する人がいて、白紙の報告書を手渡される。
負傷した腕を起き抜けの家入さんに治療してもらった。黒の制服は血の色を隠すけれど、乾いた血糊は不自然にもうそこにはない怪我を主張してくる。スカートの裾も不自然に切れていた。
ーー…情けない。
任務は元より体力を消耗するけれど。
思い掛けず手こずってしまった一晩の徹夜で、こんなに身体に出てしまうなんて不甲斐ない。
もう治療も済んで痛む事もない腕をぎゅっと握って。乾いて固まった血糊に触れた。こちらもやはり、少しだけ制服が切れている。
……はぁ、と小さく溜息を吐いて。
唇を噛んで。
ーー…今日はもう寝よう。
今日は徹夜の任務明けで、学校は休みの許可も出ている。“学校は”なので、万一任務が入れば勿論出なくては行けない。
万一のその時は万全に備えられるように。
唯はぼんやりする頭に霞む視界の目を擦る。
今からお風呂に入って、ご飯はもうどっちでもいいかな。余裕があったら食堂に朝食をーー、と。
考えながら踏み出した一歩が、ぐらりと揺れた。
「…っ!ツナっ?!」
「ーーー……う、あぁっ!?」
バランスを崩し掛けた身体に伸びた白い腕が、唯の肩口から胸に回って。背中に温かいぬくもりがぴたりと触れる。ぎゅっと包み込まれるように、唯の前のめりに崩れた身体を抱き止めて支えた。
ふわりと不意に香る彼の匂いに見開いた視界の端には、見覚えのある色のサラサラとした綺麗な髪が映った。
「ツナ」
ほっと息を吐くように、耳元で小さく声が囁かれる。背中から顔を出して覗き込まれたその顔は、やっぱり綺麗な紫色の瞳。眉をひそめて、心配そうに唯を見ていた。
振り返り目が合えば、間近に見えるその綺麗な瞳に胸が煩く鳴り出す。
「……す、すみません…っ!!」
「明太子」
言った狗巻先輩は微かに目を細めた。
そんな先輩の顔に、何とも言えない気持ちでいっぱいで。
唯は目線を逸らし、身体を起こして重心を整え立ち上がる。その動きに察したようにぎゅっと胸元に組まれた腕が静かに緩んだ。
けれど、唯を離す事なく抱き止めたまま動かない。
「こんぶ?」
首を傾げて唯の目線まで下りて少し屈んだ腰。紫色の瞳が唯を写して微かに揺れた。
「…だ、大丈夫です」
唯は努めて笑顔で狗巻先輩を見る。
「ちょっと、眠くって。足がもつれちゃいました」
でも、先輩の瞳は深い色を湛えたまま、笑顔もなく唯をただ静かに見ていた。
「おかか」
組んでいた腕を離して、その片手が唯の頬に触れた。確かめるように、労わるようにそっと撫でて。
額に掛かる髪をそっと掻き分ける。
瞳を閉じてその刹那、首を傾けてこつんと唯の額に自分の額を重ねて触れた。
触れた狗巻先輩の額は温かい。微かに先輩の柔らかな髪が唯の頬をくすぐる。
「ツナマヨ」
ゆっくりと、閉じた瞳を開くと、すぐ目の前に狗巻先輩の紫色の瞳があって。
ほんの少し緩んだ目元に額が離れて行った。
人差し指で少しだけ下にズラしたネックウォーマー。屈んでいた腰を伸ばして、離れたばかりの額にそっと口付ける。
何も言えずに固まるだけの唯に、優しく弧を描く唇は微笑んで。唯の肩に手を触れて、小さな身体を正面に向ける。
「ツナツナ、明太子?」
ちょっとは元気になった?と、悪戯に首を傾げて尋ねる狗巻先輩。唯は真っ赤になって小さく頷く。
その反応に狗巻先輩も頷いた。
唯よりもひと回り大きな掌が、固まった血糊に触れて。伏せた瞳に、暗い影を落とした。
ーーたぶん、彼は何も言わない。
狗巻先輩はやっぱり何も言わずに、唯の背に腕を回した。力一杯抱き締める。力強くて、痛いくらいに。
「明太子」
頑張ったね、と耳元で囁くように優しく告げられた狗巻先輩の低い声。ズレたネックウォーマーからは、小さく息を吐く音が聞こえた。
唯はぎゅっと、狗巻先輩の黒の制服を握る。俯いて、先輩の肩口に顔を埋めて。静かに小さく肩を揺らして。
ゆっくりと、触れた唯の頭を、梳くように狗巻先輩の掌が撫でた。
「 おかえり 」
End***