Halloween10月31日。
珍しく誰も欠けていない昼休みだった。
1年生だけでなく、2年生もまた任務に出た話は聞いていない。
野薔薇ちゃんの呼び掛けで、何となくの仮装をしてみて2年生の教室を覗く。
と、言ってもそれ程こだわるものでもなくて。
野薔薇ちゃんは魔女…かな。黒の大きな帽子を被っている。首元の赤いリボンに黒のワンピースは可愛いけれど、足元はいつもの制服のスカートだった。
唯も自前の簡単な衣装を着ている。
伏黒くんと虎杖くんなんかは、100均で買ってきた感じの適当なハロウィンカチューシャだ(野薔薇ちゃんが用意して来た)。
勿論ノリノリの虎杖くん。でも伏黒くんは…野薔薇ちゃんに無理矢理押し切られる形で、着けてくれただけでも良い方か。何だかやや不機嫌そうだ。
しかもあれ?…今に至ると、いつの間にかカチューシャは消えている。
でもちゃんと着いてきてくれてるし、やっぱり優しいなって思う。
手元にはオレンジのジャックオランタン風の小さなバケツ(これは唯と野薔薇ちゃんで用意した)。中には少しだけお菓子が入っていた。
唯が配る様に用意した数枚のソフトクッキーと、さっき職員室に寄って、高校にしては数が少ない教師人に「トリックオアトリート」と言ってみた所、五条先生は笑顔でいくつかの高そうなお菓子をくれた。横にいた家入さんは小さな小袋のガム。ついでにあまり関わりはないが日下部先生は棒キャンディー。
まぁ、それでも結構な収穫なんじゃないかと思うんだけど。
覗いた2年生の教室は何度か立ち寄った事もあって割と見慣れていた。
足音を控えて静かに近付いてみた。
しかし、普段から任務で鍛えているであろうこの人たちには、こっそりなんて言葉はやはり通じない。
教室を覗いた瞬間に振り向く2人と一匹と目が合った。
「「「 トリック オア トリート 」」」
野薔薇ちゃんを筆頭に虎杖くんと唯が続く。最後に伏黒くん。
「あ、ハロウィンか」
興味なさ気に最初にぼやいたのはパンダ先輩だった。まぁ、俺は仮装の必要もないけどな、と付け足す。
その向かい側には、私たちよりも更に雑なカボチャメガネの仮装(??)を今今鞄から取り出して着けたであろう狗巻先輩。
隣には足を組み、机に座る普段通りの真希さんがいた。
真希さんが唯たち1年生を見て頬杖を付く。
「何してんだお前ら。…んな菓子なんか一々用意してねぇよ」
面倒臭さそうに言って、けれどニヤリと笑う。
「まぁ、先輩に菓子集ろうってんなら、昼練で私らから一本取ってみろ」
人差し指をわざとらしく立てて挑発する。
それに乗ったのはやっぱり虎杖くん。
「じゃあ、一本取ったら何か貰えるんっスか?!」
「ん?ああー、そうだな。何か買ってやってもいいぜ」
わくわくしたように笑顔で応える。
何かが違う…。
唯も胸の中で呟いたが、そんな心の声が漏れているように野薔薇ちゃんは眉を顰めていた。
ふたりのやり取りを眺めながら、パンダ先輩は唯たちを見る。
「まぁ、お菓子はやらんでもない。ここにあるのなら持ってってもいいぞ」
パンダ先輩は机に広がったポテトチップやらのスナック菓子を指した。
「否、持ち帰れないんですけど」
パーティ開けされたそれらのスナック菓子に野薔薇ちゃんが冷静に迅速にツッコミを入れる。
事前に示し合わせた訳でもないイベントだ。用意がないのは仕方がない。
「んじゃ、今から昼練?」
真希さんが焚き付ければ、虎杖くんが思い出すように燃える。
「よっしゃ!じゃ、先輩たちから一本取るしかないっスね!」
拳を握ってファイティングポーズをするけれど。
それにやや楽し気な声が割って入る。
「おーかーかっ」
真希さんと虎杖くんの会話を止めるように、もう聞き慣れたおにぎりの具が挟まれる。
「狗巻先輩?」
それに虎杖くんが向き直る。
「ツナツナ」
カボチャメガネを人差し指で持ち上げ、それっぽさを主張する狗巻先輩。唯たちもそちらに向き直れば、狗巻先輩は自分の鞄をごそごそと探る。
期待を込めて見守る1年生。
狗巻先輩は鞄のポケットから、キャンディーやクッキーをいくつか出して机に置いた。オレンジや紫の限定パッケージもある。
「明太子っ!!」
両手を広げて、その場にいた後輩を見た。
「…えっ!?貰って、いいんですか?!」
押し掛けたのは私たちだけど。
目を丸くする野薔薇ちゃんが尋ねれば、狗巻先輩親指を立てて力強く返事をする。
「しゃけ!」
虎杖くんは素直に喜ぶ。
「えぇ?!ありがとうっ!狗巻先輩優しー!!」
「ツナマヨ」
伏黒くんは呆気に取られたようにそのお菓子を受け取る。
「ありがとうございます」
野薔薇ちゃんも次に受け取り、嬉しそうに礼を言っていた。
最後に残った唯に、狗巻先輩は腕を伸ばす。キャンディーをひとつ、その掌に乗せた。紫色と黒のハロウィンらしい包紙。
ありがとうございます、と言い掛けたその言葉は、
「じゃあ!!」
言った虎杖くんの声に掻き消されて止まる。
狗巻先輩も唯も顔を上げて声の主を見た。
受け取ったクッキーやキャンディーをバケツに入れて、虎杖くんは真希さんとパンダ先輩を見た。
「俺らは、真希さんとパンダ先輩から一本取ればいいんですね?!」
虎杖くんの言葉に真希さんが立ち上がる。
「…お前ソレ、まだ続いてたのか」
「約束は約束ですから」
その会話にパンダ先輩が首を傾げた。ややあってふたりを睨め付ける。
「ん?っつーか巻き込むなよ!俺はそんな約束してないからな!?」
わいわいと騒ぐ楽しげな同級生と先輩たち。
唯もそれに、自然と笑顔が溢れた。
今から昼練と言う流れだろうか?
…なんて苦笑いをする。
「ツーナ?」
袖口を、指先で軽く引かれる。
その違和感に気付いて、唯は椅子に座ったままの狗巻先輩を見た。
オレンジ色のカボチャメガネの奥にある、瞳が笑う。
「あ、キャンディー、ありがとうござい、
「おかか」
細くなった目は、悪戯に唯を見た。
ーー……?
見覚えのあるわくわくした子どものようなその顔。
首を傾げる唯の掌に、狗巻先輩は再び手を伸ばす。
手渡されたばかりの紫と黒の包みを、するりと奪い取っていく。
「………なん、」
ーー何で、と言い掛けた言葉を唯は飲み込んだ。
それは元々狗巻先輩の持ち物。さっきまで確かに狗巻先輩の鞄にあった物だ。
狗巻先輩は唯をちらりと見上げて、キャンディーの包みを解くと、ネックウォーマーを軽く下げる。
「高菜」
口元の呪印。ペロリと出した舌には牙。
キラキラと綺麗なオレンジ色のキャンディーを、口に入れる。
「…………?!!」
口角を上げ、口元に弧を描く狗巻先輩。
両の掌をこれ見よがしに広げる。
「すじこっ」
なくなっちゃった、と茶化す狗巻先輩に、唯は意味が分からなくて。
「……あ。え、えぇぇ…?!」
素っ頓狂な声を上げる。
けれど、唯の声は盛り上がる同級生の声に掻き消されていった。
狗巻先輩は人差し指を一本立てると口元へ運ぶ。
「明太子〜」
悪戯好きでノリのいい狗巻先輩。
唯も負けじと口をへの字に曲げる。
「……私には、お菓子くれないんですか…」
「しゃけ」
意地悪に肯定を呟く狗巻先輩は、カボチャのふざけたメガネに指を掛けた。ズラして唯を見上げる瞳は、アメジストのような紫色。
「ツナツナ」
言って伸ばされた片腕は、唯の腕に優しく触れた。
瞬間、ぎゅっと握られた手首。抵抗する間もなく、勢いよく引っ張られて、唯の身体は前のめりになる。
「…………っ?!」
声すら出ないまま引き寄せられた身体は、あと数センチの距離で止められた。
目の前には綺麗な紫の瞳。
色素の薄い柔らかな髪が揺れていた。
ふわりと香るのは、甘いキャンディーの匂い。
心臓がどっと急に心拍数を上げていく。
目を細めた狗巻先輩は、至近距離から唯だけ見る。
その吐息が顔に掛かるわずかな空間。
「ツナマヨ、高菜?」
“どんな悪戯してくれるの?”
言って、引かれた唯の腕を強く握る狗巻先輩。
逸らしたくても、逸らす事の出来ない深い色の瞳はただ真っ直ぐに目の前の唯だけを映していた。
笑っているようで、笑っていない狗巻先輩の表情に、上手く感情を読み取る事が出来ない。
「後輩口説くんなら、他所でやってくれないか」
「…………っ!!」
真希さんの声に、唯は慌てて真っ赤な顔を上げる。握られていた手首はいつの間にか離れていた。
「…おかか」
狗巻先輩も顔を上げる。
何人かが此方を見ていた。
…見られていた……。
はぁ、と一旦面倒そうに溜息を吐くと、真希さんは狗巻先輩を見る。
「今からグラウンドで昼練するけど、お前らはどうする?負けた奴はコンビニにパシりな」
「………え?」
さっき聞いていた話と少しずつ違っている。最早ハロウィンとかそんな問題でもない。
ちらりと見た狗巻先輩はキャンディーを舐めながら唯を見上げていた。
目が合うと、その目元は優しく微笑む。
顔がまた、熱くなっていく。
「い、行きます!!」
唯は真希さんに向き直り、勢いで返事をする。
午後は実技もあるし、グラウンドに出ていた方が後々の為だ。
それから…、
今此処でふたりきりにされたら身が保たない。
……気がした。
「んじゃ、棘も参加だな」
「しゃけ〜」
気が付けば、パンダ先輩始め男性陣は既に机を片付けて廊下に差し掛かっていた。
「じゃあ、着替えてグラウンド集合な」
短く要件だけ告げて踵を返す真希さんは、野薔薇を誘って歩き出す。
…あれ?私も参加する事になってる?
速攻で負けそうだ…。
真希さんと野薔薇ちゃんの背を見ながら、苦笑いする唯。
唯の後ろからカタン、と椅子が引かれ立ち上がる音が聞こえた。
「ツナ」
「私たちも行きましょうか。体術は得意じゃないですけど、頑張ります」
唯のその肩に、大きな掌が乗る。
「高菜」
肩を押し引かれ、唯の意思には関係なく身体ごと振り向かされれば。
ーーふわりと香る甘い匂い。
柔らかな感触に、唇を塞がれる。
「…………?!」
驚いて見開いた唯の目には、距離のないそこに、狗巻先輩の伏せた長い睫毛が映った。
引いた唯の背に手を回し、逃げ道を断たれる。
「…………っん…、ふ、ぁっ」
僅かに開いた唇に、硬いものが当たる。
そこから舌先で押し込まれるそれは丸くて硬い小さなキャンディー。
ぬるりとした温かな感触と一緒に、口いっぱいに広がるの溶け出すような甘さだった。
唾液が混ざり水音を立てて、ゆっくりと離れて行く舌先は糸を引いていた。
「いくら」
あげる、と小さく囁かれた声に、肩で息をしながら唯は真っ赤な顔を伏せる。
思わず口元を両手で覆った。
離れて行った狗巻先輩の顔を、直視する事が出来ない。
「ツナマヨ」
再び伸びた狗巻先輩のその手に、唯はビクリと肩を震わせる。
ふっと笑う、柔らかな空気が聞こえた。
狗巻先輩は、唯の着ている服に触れる。制服とは雰囲気の違うハロウィンの仮装。
首を傾げて背を屈め、覗き込んだ顔が優しく笑った。
“ か わ い い ”
声を乗せずに動く唇が、短い言葉を告げる。
どくどくと煩い胸。
狗巻先輩は呆然として動けないでいる唯の手に触れる。その掌に滑り込み、合わさる自分の掌を重ねてそっと握った。
握られたその手は、やっぱり温かくて。
「高菜」
行くよ、と短く告げた狗巻先輩がその手を引いた。
口の中で転がるのは、小さくなった甘いキャンディー。
End***