隠し持った花束 ここでもない、あそこはもう探したんだ。ああ、何処にあるのだろう。
そうわざとらしく呟きながら、私室の収納を意味もなく開けたり、閉めたりを繰り返す。職業柄嘘に基づいて振る舞うことには慣れているものの、鋭い視線が突き刺さりながらのこの行動は恐らく、彼にとっては大層滑稽に映るのだろう。しかし手を止めることはできない。小さな願いを無意にすることなど不可能であるのだから。
痛む股関節や重苦しい眠気を引き摺りながらも、ドクターは最低限の服類が詰まった引き出しに手を入れ弄る。しかし何も探してはいないのだから、その脈絡の無さはあまり長くは続かない。指先には薄厚入り混じった布が触れるのみだった。
エンカクが朝部屋から出て行こうとした時、プレゼントを無くしてしまった、と抑揚のない声に引き留められたのだ。ドクターは相変わらず部屋中の収納を見てはあからさまな溜息を繰り返している。夜間から暖房が点けられたままの部屋は心地よいものの、目の前の行動は何とも目に余る。ベッドに腰掛け数分が経過したところで、エンカクは溜息混じりに口を開いた。
「俺を引き留めたいんだろう」
「バレたか」
目の前で無意味な行動を繰り返した手を止め気まずそうに暫し目線を逸らしたあと。ドクターはぴたり、と本棚から資料を引っ張り出す作業を止めた。
「なら5分……いや、10分ほど遅れると連絡してくれないか、……いや、連絡は私がする」
「いいだろう、だが1つ条件がある」
「何だい、私が答えられるのなら」
「お前の動機が汲めない」
返答を告げぬまま、機嫌良さそうな軽い足取りでカップを取り出す。いつもエンカクが訪れた際に使っているものだ。
ドクターは食器の詰まった小さな扉を開く。今回は明確な意思を持った違和感のない手付きだ。
「誕生日の君を少しの間だけでもね、独り占めしたいんだ」
つい思惑に本音を混ぜてしまった。伏せられた睫毛の奥、ぼんやりと窓を見つめる瞳はエンカクを写していない。否、気恥ずかしさ故に目を合わせて発言することが難しかったのだ。遂にベッドで寛ぎ始めた男はそれに気が付かず、天井を見てから目を閉じた。
エンカクは寝返りを打ち背を向ける。仮眠故に毛布はかけられていない。このままうんと暖かくしてやれば寝てしまうだろうか、自分はその寝顔を眺めて、結晶のない方の頬を撫でながら暖かさを享受するのだろうか。腕の中に潜り込んで一緒に夢の中へ向かうのも良いだろう。
コーヒーを啜り終えるとポケットの端末が通知を知らせる。コートに触れさせていた指先に微かな振動が渡った。
どうやら“彼女ら”の準備は整ったようだ、今頃庭園には彼を祝福する者たちが控えているだろう。時間稼ぎを頼まれたのを良いことに、ドクターは束の間の束縛を楽しんでいた。彼女らは彼を万全の状態で迎えられる、自分は誕生日の想い人と共に過ごせる。なんと利点に満ちた取引だろう。彼女らはドクターの思惑など知らないのだろうが。
九つ尾の彼女が贈り物の相談をしてきたのを思い出す、どうやら私は彼の理解者だと思われているらしい。
「夜に来る」
「はいはい」
ひらひらと振った手の首を掴まれる、折れそうなほどの力ではなく柔い力だった、このようにして触れられるようになったのは一体いつからだったか。
分厚い掌は一旦離れ、そのまま振り返った腰と後頭部に両手が添えられる。この流れるような口付けには慣れない、瞬時に脳髄を沸騰させられる。感情を逃がそうとして出た吐息は、かさついた唇によって喰らい尽くされた。
「日付が変わらないうちに、だ」
次会うときはそれを渡せ、とデスクの引き出しを指差される。唯一奥まで探さなかったそこには、彼のために用意したプレゼントが眠っている。僅かに湿った唇が存在を主張する。満腹でもないのに腹の芯が暖かい。
続いて、それがいいんだろう、と一言置いて彼は廊下に出た。重苦しい扉の音と、遠ざかるブーツの足音が聞こえる。
“お見通し”だった。何も言えないのも相まって置いて行かれたという実感のみが残る。ドクターはベッドにどかりと腰掛け、やがて細い指先を眉間に添えた。やがて耐えきれず、横になり壁を見つめる。奇しくもその体勢は先程の彼と似ていた。やけに壁のつなぎ目が気になって、仕方がない。
ドクターが求めていたのは皆に祝福を受けるエンカクではない。勿論他人との関わりを持ちたがらない彼が明るさの元に立っている風景は頬が緩むものだが、根を張った恋慕はドクターだけから祝福を受けるエンカクを望んでいた。この素敵な一日をほんの少しだけ独占したい、という欲求は許されないのだろうか。仕方がないじゃないか、他でもない君なのだから。惨めな思慕を肯定されることには、いつまで経っても、慣れない。
「……狡いな」
不運なことに今日一日はオフだ。自分はこれから期待に満ちた時間を過ごすのだろう。そうして夜に帰ってくる彼を出迎えて、それからは。
緩む頬を毛布で隠す。誰も見ていないのに、ああ……。