三日月宗近のことはよくわからない 2少し立ったまま考えた後、顔を上げ、「三日月の部屋に行こう」と思った。多分さっき三日月は自室へ戻るところだったのだろう。
「三日月?」部屋の前で呼びかけると
「どうした?」と中から声がする。
「話があるんだけど。」
「入っていいぞ。」と言うので障子を開け、中に入ろうととして私はギョッとした。
三日月は着替え中だった。
「えっあっ、タイミングが悪かったらそう言ってくれればよかったのに...!」慌てて顔を逸らしたが、三日月の上半身が私の脳裏に焼き付いてしまった。
三日月は「はっはっは、脱いではみたものの、内番服がどこにあるか分からん。いつも人の手を借りる。オシャレは苦手でな。」
いや、そうゆう問題ではない。
三日月を直視しないように部屋を見回すと葛籠箱がある。「失礼」と言って部屋の中に入り葛籠を開けると、綺麗に畳まれた内番服が入っている。他の刀剣がきちんと用意してくれたものだろう。ため息をして振り返り、「手伝おうか?」と言うと三日月は「すまんな。」と言ってにっこりと笑った。
たしかに、戦装束は組紐や留め具など細かい装備品もあり脱ぐだけでも一苦労な上、私が来るまで本人が適当に脱いでしまっていたのでさらに混乱した。気恥ずかしさもあって私は「何これどうなってんのよ」と何度も口にした。その度に三日月は「わからん」「世話されるのは好きだ」などと明るい声でいちいち返してきた。
三日月の肌はやっぱり美しかった。夜空に浮かぶ三日月のようにふんわりと光っているように見える。服を着ていると華奢に見えていたが、全身に無駄なく筋肉がついているのが分かる。腕も逞しく、巧みな刀捌きの礎として、それは納得のいくものだった。
三日月が自分を「じじい」と称するのはある意味牽制なのかも知れない。
そして桜の香り。
私はこの美しさと香りに魅了されながら「ここに長く居てはいけない。」とも思った。
ようやく内番服の作務衣の紐を結ぶところまできた。最後に頭に手拭いを巻けば完成だ。
180cmある三日月の頭に立ったまま手ぬぐいを巻くのは難しかったので、三日月に座ってもらい、私は後ろに回る。
“じじい”には少々派手な鮮やかな黄色い手拭いを結びながら「でも、これは迷子だったら良い目印になりそうだ。」と思った。そうしていると私は不思議な感覚に陥った。
「以前もこんなことがあったな。」
思わず口にして
「うん?」と三日月が言う。
「あ、ちょっと子供の頃のことを思い出してね。こんな風に世話を焼いてあげた男の人がいたなと。」
「ほう?」
「うちは母子家庭なんだけど、子供の頃、母が仕事で家を留守にするときにベビーシッターを雇うことがあって、色んな人がベビーシッターに来たけど、その中の一人が全く子供の面倒を見れない男の人で。というか、自分の事もままならない人で、子供の私の方が逆にお世話してあげたくらい。」と言いながら思わず私が笑うと「そうか」と言って三日月も笑った。
「顔も名前も覚えていないけど、母もその人が結構気に入ってたみたいで、たしか何日かうちに泊まった気もするな。もう、どこにいるのかもわからないけど、今も誰かに世話をされながら元気でやってるかしら。」
と言ってから、刀剣にこんな話してもつまらないかも知れないと思っていると、
「きっと元気にやっているさ」
と三日月が返してくれた。続けて
「主の母君は息災か?」と聞いてきた。
不意に母の事を聞かれて少し驚いたが
「うん。少し前にステキな人と再婚して今は幸せに暮らしてる。」と答えると
「そうか、何よりだ。」と言って少しだけこちらに顔向けた。良くは見えなかったがとても笑っているように感じた。
「そうだよね。」と私は言う。
私が成人して母もホッとしたのか、恋人を作ってその人と結婚した。その結婚に私もホッとしたし、とても嬉しかった。でも、正直どこか心に隙間みたいなものができていたと思う。私がこの不思議な世界で審神者をやる事を割と抵抗なく受け入れたのも、無意識にその隙間を埋めるのに丁度良いと思ったからかも知れない。この世界の前提にある「歴史を守る」という行いは、実のところ私がこの世界と関わる目的からは少し離れたところにあるように感じている事を、今初めて思った。
突然、「主の母君が幸せならば、一層歴史を守りたいと思うぞ。」と明朗な声で三日月が言った。
その言葉に私はハッとした。
刀で戦う戦乱の世をへて、戦わなくてもいい時代に母や私は暮らすことが出来ている。歴史が変われば、ずっと戦国時代のように戦に振り回される生活だってあり得るのだ。それどころか母や私が存在しないということや、三日月に出会わないということだって...。そう思ったら鳥肌が立って急に体が冷えるのを感じた。
でも手元が何故か温かい。
手拭いを結び終わり手持ち無沙汰になった私の手は、いつの間にか三日月の肩を揉んでいたのだ。これじゃあ、本当におじいちゃんと孫だ...。私は少し脱力した。三日月は気持ちよさそうに肩を揉まれている。
私は気を持ち直し
「三日月、話したかったのは、近侍になって欲しいという事なんだけど」と、やっと本題に入った。