「あの、ドクターにお伺いしたい話がありまして。ドクターはシルバーアッシュ家に、いつ頃お嫁に行くのでしょうか」
オーロラの問いを聞いた瞬間、ドクターの隣の椅子に座っていたsharpが勢いよく茶を噴いた。
その気持ち良く分かる。
唐突なる質問をしたオーロラは、自隊の隊長らしからぬ行動に、いつもより慌てながらハンカチを差し出していた。
「…突然なにを言い出すんだ、オーロラ」
むせるsharpの背を撫でてやりながら、呆れ半分の恐怖半分な溜め息をドクターは吐く。
「すみません、ドクター。でもここのところ、イェラグのシルバーアッシュ家領内で噂になっていまして…」
「失礼だけど、シルバーアッシュ領内の人って暇なの?」
オーロラは困ったように苦笑した。
茶を噴水のように吐き出したsharpは、オーロラから受け取ったハンカチで丁寧に髭を拭いている。
「あぁ…今までのどんな仕事よりも一番驚いた」
これまた同感だ。色んな任務経験があるsharpがいうと説得力が違う。
という事は、現在とんでもない状況なのか、とも推察できる。
「隊長、すみません」とオーロラは、深々と頭を下げた。
そして色素の薄い睫毛を伏せる。
「でもこれは大切な話なので、本人の意見を参考にさせて頂いたほうが良いとアドバイスを頂きまして」
思わずドクターとsharpは同時に「アドバイス」と呟いてしまった。
「そうです。こんな大切なこと、我々みたいな外野が話をしたらいけないと、実家の隣に住んでいるお姉さんから聞きました。そこでドクターご本人の話を伺いたかったんです」
「本人も何もね、私はシルバーアッシュと何もないよ」
sharpは借りたハンカチで口元を拭いつつ、くっくっと笑いを殺している。
「もうプロポーズされてて、ドクターの返答待ちのような話だな」
ドクターは手を組みながら乾いた笑い声をあげた。
(…それがされてるんだな~)
そう発言したら、みんなひっくり返るだろうか。案外と肯定されたりしても困ってしまうが。
勿論ながら答えはNoだからだ。とはいえ渦中の本人であるシルバーアッシュは、一ミリも諦めてなさそうなのが怖い。
そのうち涼しい顔で結婚指輪でも持ってきそうだ。
「エンシオディス様は、きっと色々お考えがあるのだと思います。領内の者が、ドクターの事を伺ったところ嬉しそうにされていたと。好意をお持ちだとも答えたそうで、領内ではドクターがいつシルバーアッシュ家に来るのかと、噂で持ちきりですから」
うっとりした様子で話すオーロラを見ていたら眩暈がして額を抑えた。
ハンカチを握ったまま、硬直しているsharpを横目に、ドクターは小声で訊ねる。
「好意ってどういう種類か、エンシオディス様に問いただしてみる?」
「…止めとけ、確実に地雷踏み抜くやつだぞ。ソレ」
嬉々としてるオーロラには、この恐怖を理解しがたいだろう。
オーロラはシルバーアッシュを尊敬しているので、sharpと共にドクターはなんとか愚痴を飲み込んだ。
本音としては出来ることならば、あの澄ました顔を一発殴ってやりたい。
ただ本気の真銀斬を食らう危険性が高いけど。
「sharp…私お家に帰りたいよお」
「残念ながら、ここはロドスだ。しかしドクターともうすぐお別れとは寂しいなぁ」
芝居がかったsharpの泣き真似を笑い飛ばしてやりたいが、シルバーアッシュが絡んでる以上は妙にリアルさが増す。そんなの無理だろうと言い切ることが不可能だ。
普段は頼りになる楽しげな鋼の肉体を、肘で小突いてやる。
「よ~し、決めたぞ!私がシルバーアッシュ家に、また行くときはsharpを護衛隊長にしようっと!」
「げっ、嫌だね!俺の仕事の範疇を越えているぞ!」
sharpと問答しているとオーロラが両手をあわせて、そわそわと身体を揺らしているのに気づいた。
「で、ドクター。いつ?」
食い気味に訊ねられ、ドクターは苦笑いするしかなかった。
「それは決まってるさ」
考えるまでもない。答えは一つしかないだろう。
「行きません。私ではシルバーアッシュ家のお世継ぎを産めませんし」
「そりゃあ、そうだろう。っておい、これ意味ある質問なのか?」
訝(いぶか)しんだsharpの前でオーロラは突然立ち上がって頭を抱えた。
「tskr!!」
思わずsharpと顔を見合わせてしまった。オーロラはこんなテンション高い子だっただろうか。
「たすか?へ?なんて?」
「あぁ、ドクター!tskr!助かるです!!お姉さん、私たちの推しはツンでしたよ!」
高速でまくしたてるようにオーロラに言い切られて、男二人で肩をつい寄せる。
「あの、オーロラ、ごめん。私もsharpも、全然ついていけてないんだが…」
オーロラは嬉しそうにリズミカルに身体を揺すっていた。
話をまるで聞いてない。
「それにね、まぁシルバーアッシュは放置したとして。妹二人の意見も大切だよ?私では子孫を残す事も出来ない訳だし、あの子達に負担がかかる。それに素性も良く分からない男を嫁にしたら、家柄として不味いだろう」
「…随分とガチめな反対意見を出してきたな」
「当たり前だ、こっちは婚姻届にサインさせられる危険があるんだからね」
髭を触りながら次期護衛隊長は、うなずいている。
やっぱり危機感を抱いてるのはドクターだけじゃなかった。
「大丈夫です!ドクターなら、なんとかすれば子孫を残す事も出来ますよ!それにご心配なく。お嬢様方は、ドクターを好んでいらっしゃいますから!」
熱量高めな説得は全く安心できない。
そもそも何もない事にしてるのに、オーロラの揺るぎない熱量は何処から来るんだろう。
「sharp。どうやらこの子に、おしべめしべの話から始めなきゃダメみたいだ」
「安心しろ、それは俺がやってお―」
皆まで言い終わらぬうち、今度はsharpがドクターの腕を小突いた。
「なに」
疑いつつ顔を上げると目の前には、シルバーアッシュ家の末娘であり、オペレーターのクリフハートがスマートフォンを片手に此方を撮影していた。
ピロンという固い電子音の直ぐ後に、クリフハートは極上のスマイルでスマートフォンを耳に当てる。
「あ、お兄ちゃん?見てくれたの?そう、ドクターがね。うんうん、分かったぁ!ヤーカおじさんに…うん。あっ、そうだね!分かったよ!またね、うん…バイバイ~」
クリフハートが電話を終えた瞬間、ザッと嫌な汗がドクターの背を伝った。
「s…sharp?」
しかし時既に遅し。隣には空いた椅子がぽつんと残るだけだった。
「この、裏切り者ぉッ!」
毒づいてみたが、自分がsharpの立場でも逃げているだろう。ロドス側に事態を報告してると思いたい。
(…なんてこった!)
つい叫んでしまいたくなる状況下。
さてさて、ここに来て最大級なピンチ突如到来。
本当にシルバーアッシュがロドスに来たら、何されるか分からない。
友になりたいと言う割に、距離感が大分おかしいのだから冗談が通じる訳もなかった。
さも当然のように、嫁に来いとか、あの澄ました良い顔で言いそうだ。
「ドクター!あのね、お兄ちゃんが今から直ぐに行くから、待っ―」
「来 な く て 良 い!!!!!!」
クリフハートの返事を食い気味になりつつ切れ切れに叫んで、椅子から転がり落ちる勢いで立ち上がる。
「会わないぞ!シルバーアッシュが来ても会わない!!帰ってもらうからね、今日は!!」
と、慌てるドクターを余所に、クリフハートはオーロラに深く頭を下げていた。
「あっ、お兄ちゃんがお礼を言ってました。ありがとうございます。シルバーアッシュ家の為にドクターを説得してくれて」
「とんでもない!エンシオディス様のお役に立てたなら光栄です。ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ…」
お互いにサラリーマンのような挨拶を交わす女子二人を横目に、そろりそろりと部屋を出る。
こうなれば執務室に帰り、立てこもるしか道はない。そこからアーミヤに連絡を取り、どうにか戦況を打破しなければ。
下手を打ったらイェラグまで直行便にのせられて、シルバーアッシュ家のお屋敷に速達お届け間違いなしだ。
後ろ歩きで部屋のドアまで来たとき、肩を優しく掴まれた。見なくても分かる。
カランド貿易からオペレーターとして参加中のマッターホルンだと。
「あっ、ヤーカおじさん!お兄ちゃんがドクターをよろしくって」
クリフハートの無邪気な笑顔を、今日ほど恐ろしいと思ったことはない。
完全アウェーの状況に肌寒さすら感じる。ドクターはもう振り向く事さえ出来なかった。
***
いつも使用している書類の山だらけの執務室。大半はここで仕事をしており、見慣れた景色な訳だが、今日ばかりは勝手が違う。
部屋の外では、マッターホルンが門番をしている。確認をしてないが、オペレーターとしてロドスの作戦に参加しているカランド貿易の皆さんがココを取り囲んでると想定ができた。
シルバーアッシュなら…いやドクター本人でもそうする。
となると、もう牢屋にぶち込まれてる状況と何も変わらない。
鳥肌が止まらないが、そう怯えていても事態は悪くなる一方だ。
執務室が駄目なら、何処に隠れれば良いんだろう?
ふと目についたのは、ドクターの自室件、寝室だった。
寝室に入る前にセキュリティパスワードを変更したら、多少時間を稼げるのではないか。
恐ろしいことにシルバーアッシュは既に寝室のパスワードを知っているので、変更しなくては意味がなかった。
立てこもるには狭いかもしれないが、四の五の言ってられない。
ドクターはデスクを荒らす。引き出しを引っ張りだし、中身全部を床にぶちまけて、セキュリティパスワード変更用のパスを探す。
「あった!」
薄いカードを掴んだところで、シュンと無機質な音をたてて、部屋のドアが開く。目の前にはドヤ顔のシルバーアッシュが立っていた。
【ドクター終了のお知らせ】
だが、ここで如何にも不満そうな態度を出したら、すぐ掴まると直感で判断。
「やあ!シルバーアッシュ!」
元気に挨拶をし、手にカードを忍ばせる。
「待たせて悪かったな」
さも当然のように微笑まれたが、待ってません。これっぽっちも。
「全っっ然!気にしないで!」
明るく言い放ち、じりじりと寝室のドアに近づく。ここで寝室に入り、なかのパソコンで開閉ドアのパスワードを変更すれば、任務完了。
デスクのタブレットでも変更できるが、バレた時に距離がある。なんせシルバーアッシュには真銀斬という武器があるのだ。
「ところで何故、床に物が落ちているんだ」
「んっ?ちょっと捜し物をねっ!」
じりじり、寝室に向かって後退。気取られてはいけない、何せ相手には高い跳躍力と破壊力がある。
「盟友」
「ん?」と言いながら、ちょっと可愛げを出すために小首を傾げてみた。
「余計な真似はしないほうが身のためだぞ」
その一言でサーッと血の気が引く。
しかし、ここで大人しくしていたらイェラグ直行しか手札が選べない。それは絶対に嫌だ。
ハイパワーで逃げたら、なんとかなるんではないか…という期待を込めてシルバーアッシュに背を向ける。
「南無三!」
思いっきり走り出したつもりなのに、秒でシルバーアッシュの逞しい腕に捕獲された。
上半身をジタバタと動かして抵抗したが、両腕で抑えつけられてドクターは何も出来なくなる。
「盟友、大人しくしろ。そうしたら何もしない」
「マフィアみたいだ~そんな事いうの!怖いよ、離してよぉ!」
悲痛な声を上げても、シルバーアッシュの腕は力が弱まらない。
同情を買う作戦は失敗だったようだ。
「イェラグに今すぐ行くか、あらゆる手順を済ましてから行くか…どちらが良いだろうか」
「結局一個しか答えがないじゃないか、離せっ!」
「私としては問題を解決してから、お前を招きたいと思っている。もう少し時間が欲しいというのが本音ではあるが…」
ドクターは必死に前のめりに身体に力を入れていたが、悲しいかなビクともしない。
「ぐぐぐぐっ…なら今イェラグに行かなくていいじゃないかっ!早く離せっ!」
「なら、その手に持っているパスワードリセットカードを私に渡すんだな」
「嫌だねっ!誰が渡すかっ」と、啖呵をきったまでは良かった。
ガッと音がしそうな勢いで顎を掴まれ、強制的に上向きにされる。
普段から愛想のない顔はそのままなのに色素の薄い瞳が怒りに染まっていた。
「…嫌だ?」
シルバーアッシュのワントーン落ちた声にドクターは固まった。
飽きてしまい、これまたイベント終わりから放置してました。オーロラちゃんのテンションおかしくて本当に申し訳ないです。