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    piyokko

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    piyokko

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    🎴🌊
    たぬき×リーマン その5
    家事のお手伝いさんとして働く為に都会にやってきた小さなたぬきの炭治郎が、普通のサラリーマンの冨岡さんと仲を深めていくお話
    日常編(秋冬)
    ⚠🌊さんの勘違いで🎴くんがとある女性を慕うような描写があります!

    あなたの主夫になりたくて!その5- 20 -

    竈門家への訪問から二週間ほど経った土曜日の朝。

    「今日は昼から雨が降ります」
    「......八時の天気予報では三十パーセントと言っていたが」

    洗濯物を干すためにベランダへ行っていた炭治郎が戻って来た。耳に下げた飾りがカラリと揺れるのにまだ慣れていない為か、時折気にするような仕草をしている。
    コーヒーを飲んでいた冨岡は不思議そうな顔をして、先程ニュース番組で聞いたままの事を告げた。冨岡の膝上までしかない小さな体は、それに見合わない腕力で抱えていた洗濯カゴを床に置く。

    「雨の匂いがします。今日は外に干せそうに無いですねえ」

    小さな手を顎に添えて何やら考え事をしている様だ。冨岡は少し部屋を見渡してから、炭治郎に向き直る。

    「部屋に干してもいいし...、コインランドリーに行くか」
    「わ...!その手がありましたね!乾かしている間に買い物をしましょう」

    支度しなきゃ、と忙しなく狸の尻尾を振る炭治郎からカゴを渡される。彼は割烹着を脱いで準備をし始めた。先程洗ったばかりの衣類からはほのかに柔軟剤の匂いがした。

    洗濯など一日、二日放っておいても良かったし、量もそこまで無いため部屋に干していても構わなかった。しかし、せっかく洗って貰ったのだから勿体無いと思い、つい提案を出してしまった。すると目の前の小たぬきが目を輝かせるものだから、これは行くしかないと小さな溜息と共に立ち上がる。
    冨岡は洗濯カゴを一旦部屋の端に置き、テレビの電源を切った。いつも通り鏡も見ずに適当に髪を結って、バッグを手に取る。今日は洗濯物に日用品と、いつもより荷物が多いからリュックの方がいいかも知れない。財布と鍵は必須、あとは雨が降るなら傘と上着が必要だろう。


    冨岡は大きめの傘を、炭治郎は体に合った小さめの傘を持って歩く。反対側の手には半分ずつ袋に入れた洗濯物を持ち、目的地へと向かう。

    「コインランドリーってなかなか行く機会が無いですよね。何だかちょっと楽しみです!」
    「確かに、頻繁には行かないな」

    最後に来たのはいつだろうか。炭治郎が来るよりもっと前で...、繁栄期で忙しく家事もろくに出来なかった頃だったか。ごみ屋敷に成りかけていた所でアパート管理人の鱗滝にこっぴどく叱られながら脱ぎ散らかした衣服をまとめて駆け足で向かったのだ。
    ...まあ、炭治郎と出会ってからも一度だけごみ屋敷の危機はあったのだが。彼と家事代行の契約をしてからは快適な生活を送れているのだから有難いことだ。

    コインランドリーに着き入口の自動ドアを抜けると、そこは無人で静かであった。其れもその筈、冨岡とて炭治郎から雨が降ると告げられなければ来る事は無かった。ただ先人は居たようで、低い音を鳴らしながら二、三機ほど動いている。
    炭治郎の「どれにしようかな」から始まる言葉遊びによって選ばれた一番高い位置にある乾燥機に、持ってきた洗濯物を詰め込む。
    硬貨を投入する為に財布から取り出していると、なにやらキラキラとした視線を感じる。

    「......百円玉、入れるか?」
    「いいんですか!?」

    冨岡は小さな体を抱えて投入口まで近付く。もう何度も抱えたものだから力加減や支え方を覚えてしまった。百円玉を数枚入れてボタンを押せば、満足そうに笑った顔がこちらを向いた。

    「えへへ、ふふ...ここに初めてお金入れました」
    「...ここに来たこと無いのか?」
    「いいえ、ありますよ。でも...その時は、危ないからって周りに居た人が代わりにやってくれたんです」

    ここで、冨岡はふと思い出す。この小さな体は、高い所に手が届かなくても、物をそこへ持っていく事は出来るはずなのだ。以前見た禰豆子の脚力を、その兄である炭治郎が持っていない訳が無い。即ち、冨岡がわざわざ体を抱えてやる必要すら無かったのだ。

    「みんな親切にしてくれて優しいから、俺もお言葉に甘えました」
    「...そうか」

    炭治郎が言うならその通りなのだろう。だが、何か違和感が残った気がして顔を覗いてみるも、いつもの様に笑っているのを見て冨岡は小さな体を床に降ろした。
    二人で近くのスーパーへ向かう。その道中は何となく会話が少なかったような気がした。



    「今日は魚が安いですね。鯖に鮭に...」

    鮮魚コーナーで立ち止まる炭治郎。地面スレスレで持っていた買い物カゴをそっと置いて商品を覗き込む。

    「鮭がいい」
    「分かりました!あ、さっき見た大根も値頃だったので、今日はアレを作ります!」
    「!!持ってくる、」

    「アレ」の言葉を瞬時に理解した冨岡は大根を求めて野菜売り場へと向かう。冨岡の好物は鮭と大根を甘辛く煮た料理だ。そして炭治郎が作ったものが冨岡の舌と非常に相性が良く、月に一度は作る約束をしている。表情は相変わらず無ではあるが内心はほわほわと浮き立つような喜びを感じていた。そして並べられたものをじっくり吟味した後に一本手に取り来た道を戻る。

    「炭治郎、これでいいか...」

    鮮魚から少し離れた場所に炭治郎は居た。調味料が並んでいる為、醤油でも見ていたのだろうか。しかし、炭治郎の視線は商品棚ではなく彼の隣に居る高齢の夫婦らしき人物だった。腰を曲げてにこにこと笑っており、何やら微笑ましく会話をしている。最後に手を振って別れた炭治郎はくるりと冨岡の方を向く。

    「義勇さん、いい大根はありましたか?」
    「...匂いで分かったか。これを持ってきた」

    冨岡が大根を持たせてみると「わあ、大きいですね!」と目をきらきら輝かる。

    「...さっきの人達は?」
    「あ、家事代行のお客様です。この前作った料理を気に入ってくださったみたいで、調味料を教えていたんです」

    なるほど、だから此処に居たのか。家の分も既にカゴの中に入っていた。「行きましょう」と歩き出す炭治郎の後ろを着いて歩く。

    「...カゴ、重くないか」
    「え、...大丈夫です!これくらい持てますよ!」
    「そうか、」



    店を出ると見事な雨であった。流石と言うべきか、たぬきの天気予報は的中した。空の色がどんよりと暗く濁っていて空気も重たく感じる。急いでコインランドリーへと戻ると、店内は相変わらずの無人であり、先客が使用した機械の中も空になっていた。

    「あ、乾燥終わっていますね。服を畳んでいる内に雨がおとなしくなるといいけど...」
    「そうだな...。炭治郎、このカゴに入れるから蓋を開けてくれ」

    冨岡は店内にあった備え付けの洗濯カゴを手に取り、乾燥機の下で構える。炭治郎に高い場所での作業をさせてやろうと思ったのだ。どうせ周りに人は居ないし、思うように動いて貰おうと言う気遣いである。

    「お任せくださいっ!行きますよ義勇さん!」

    効果はテキメンだ。楽しそうに助走を付ける素振りを見せる炭治郎に、小さな笑いが漏れた。
    やはり竈門家の者は強者揃いなのだろう。軽々と上段の乾燥機までジャンプし、扉の取っ手に小さな指を引っ掛けるとパカッと蓋を開けた。そのまま中に入っている乾いた洗濯物をカゴにぽいぽい落としていく。

    「あち、あちっ」
    「まだ熱かったか、一旦降りてこい」
    「大丈夫ですよ!これくらいっ、わぁ...!」

    足を滑らせたのか、炭治郎は洗濯物を握ったまま真っ逆さまに落ちる。冨岡は直ぐに小さな体を抱き留めた。

    「......、良かった」
    「えへへ...、ありがとうございます」

    落っこちた本人はケロッとした顔で落ち着いている。高い場所へ行かせた冨岡の責任はあれど、万が一落ちたとしても身体能力で着地しただろうし、下には洗濯物の小さな山がある為クッションとなっただろう。それでも危機感は無いのかと気持ちが心配から軽い苛立ちに変化する。炭治郎の様子を見ると本当に何事も無かったように振る舞うものだから、冨岡はつい、少しやるせないような複雑な心境を口に出してしまった。

    「......余計な親切だったか、」

    冨岡は腕に抱えた炭治郎を床に降ろす。すると大きな目をぱちりと見開いた。

    「つい手を伸ばしてしまった。お前なら一人で何とかなっただろうに...」
    「えっ、...あの、そんなことないです!」

    静かな室内に響く炭治郎の声。驚いて固まったままの冨岡に向かってぴょんと飛ぶと腹にしがみつき、ぐりぐり顔を押し付けて離れない。

    「おい、何して...!」
    「たぶん、父に何か言われたんですよね。俺のこと子供扱いするな、とか...」
    「......、」

    炭治郎の言うことも一理あった。「あの子は大人だ」と忠告を受けてから、なるべく接し方には気を遣っていた。だが、炭治郎にとっては何か違っていたようだ。
    突き放したように見えたのだろうか、冨岡は心配そうに彼の背中を軽くぽんぽんと叩く。

    「...でも、義勇さんがしてくれる事は、ぜんぶ嬉しいんです!むしろ...!」
    「...むしろ?」
    「......む、むしろ、あの...。」

    段々と尻窄みになっていく声。顔を少し上に向けさせると、頬が真っ赤に染まっており耳は狸のものに戻っていた。恐らく尻尾も出ているだろうと冨岡は乾いたタオルを頭から被せてやる。しかし、それもまたお節介だったかも知れないと思い直す。

    「あ、...すまない、つい...」
    「......甘えるのって、かっこ悪いですか」
    「...したいようにすればいい」
    「...はい」

    その後、我に返った二人は赤面しながら慌てて洗濯物を片付けコインランドリーから出る。誰も店内に入って来なかったのが救いだ。
    雨は小降りになっていて、遠くの空は明るい。

    「そう言えば!この傘、新しく買ったものなんですよ」
    「そうだったのか。...どこで買ったんだ?」
    「俺たちのような種族の為にデザインした物を売ってくれるお店があるんです。この傘も、服も全部そこで買っています」

    その場でくるりと回転する炭治郎。片手で逞しく荷物を持ちつつ、傘をぐいぐい見せ付けてくる。
    そう言えば、炭治郎が務める会社では、同じような特殊な者が集まっているらしい。電話で話した、あのおっとりした声の女性も狸や狐などの種族なのだろうか。

    「どうですか!これ!これっ!」
    「...あぁ、似合ってる。いい緑色だと思う」

    ...やっぱり子供のように見えるのは気の所為だろうか。



    - 21 -

    ついこの間まで暖かかった筈なのに、指先が冷えるような時期が今年も訪れた。

    仕事を終えた冨岡は、帰りの電車に揺られてウトウトと半分ほど意識を飛ばしている。
    しかし乗り過ごす訳にもいかず、目を開いて周辺に吊り下げられた広告を見つめていた。どれを見ても赤と緑で、キラキラと輝くような加工のされたポスターばかりである。

    「…クリスマス、か」

    子供の頃は楽しみで仕方がなかった覚えがある。家の中や玄関に飾りを付けたり、今年もプレゼントを貰えるだろうかと期待したり。母と姉がケーキを作ってくれた事もあったな、とぼんやり思い出に浸りながら、最寄り駅に着くのを待つ。
    ふと、炭治郎はどう過ごしているのだろうと思った。実家に帰るのだろうか。丁度明日は水曜日、彼が家事代行で来る日である。その時に聞いてみよう。



    次の日。

    「あの、あの!皆さん今年のクリスマスってどうされますか!?」

    昼休憩、甘露寺に呼ばれたのはいつものメンバー達。

    「今年のクリスマスは平日だから、ちょっとずらしてお休み前の金曜日を予定しようと思うの!今年もお疲れさま〜って感じでパーっと楽しみたいです!それまでにお仕事を何とか片付けちゃいましょうね…!」
    「ああ、甘露寺の為になら余裕だ」

    おー!という甘露寺の掛け声に伊黒も軽く拳を掲げる。

    「そうだなぁ…。行きたい所だが、今年は仕事納めたら直ぐに帰省するんだわ。嫁達を連れて」
    「毎回思いますが、嫁『達』が気になって仕方がありませんね」
    「三人いるからな、『達』で合ってるだろ」

    胡蝶の言葉に答えた宇髄。彼には妻と呼ぶ者が三人も存在する。彼女達は宇髄と同じ出身で、それぞれ違う容姿に性格をしているが仲は良いらしい。冨岡も一度だけ会った事があるが、非常にフレンドリーで一歩引いてしまった。

    「まあ!それじゃあ宇髄さんはご家族で過ごすのね、素敵!」
    「そーゆーことだな。悪いが俺は抜きで」

    ひらひらと手を挙げる宇髄。だがこの場を離れようとせずに椅子に座り続けている。残った面子がどうするのか気になるらしい。

    「皆さんはどうですか?しのぶちゃんは予定とか入ってるかしら?」
    「そうですねぇ…。私はいつも実家でご飯やケーキを食べるくらいしかしないので、特に用事はありませんよ」

    胡蝶はお茶を啜りながらのんびりと答える。どうやら彼女は参加するようだ。

    甘露寺はイベント事が好きだ。特にクリスマスは特別らしく、子供の頃から家族や友人達と過ごしていたとの事。この会社では宇髄がクリスマスの時期に冨岡含む特定の社員をパーティーと言う名の飲み会を開いていたのだが、昨年その幹事を甘露寺が引き継いだ。

    「本当に!?しのぶちゃんが参加してくれたら嬉しいわ!伊黒さんは?」
    「甘露寺と過ごすクリスマスなら喜んで行こう」
    「きゃーっ!カッコイイ!私も伊黒さんと過ごせるなんて嬉しいです!」
    「グッ……眩しい」

    社内で「甘露寺ガチ勢」と呼ばれているこの男なら断るなど有り得ない。伊黒は即答で参加する事となった。

    「冨岡さんはどうですか?」
    「勿論、参加するよな冨岡?甘露寺の誘いを断るなんて人間として認めない」
    「ソレさぁ、俺も人間じゃない事になるんだけど伊黒サンよ」

    睨みを効かせながら冨岡に迫る伊黒。そんな彼をジト目で見ながら宇髄は冷静にツッコミを入れた。
    冨岡は社内行事が苦手だが、毎年気が付けば引き摺られるように強制参加させられている。きちんと断っているつもりなのに彼らには伝わらないらしい。

    「冨岡さん、無理にとは言いません!気分じゃない事もあるでしょうし。…ただ、この前恋人が居ないって仰っていたから、今年も皆でお食事でもどうかと思って」

    甘露寺は覚えていたのだ。あの日、血縁の無い子持ち妻帯者であると言うとんでもない勘違いをして冨岡に迫り、本人に「子供も恋人も居ない」と言わせた事を気にしていたのだった。

    「……あ、」

    冨岡は何か返事をしようとしたが、先に頭に浮かんだのは炭治郎の事だった。

    「…返事は明日でもいいだろうか」
    「えっ?ええ、大丈夫ですよ」

    甘露寺はきょとんとした顔で冨岡を見る。彼女の予想では、断られるような気がしていたからだ。

    「すまない」
    「おい冨岡…そこは『はい』だろうが」
    「まあまあ伊黒さん。冨岡さんにだってプライベートがあるんですから」

    憤る伊黒を胡蝶が宥めるのを最後に、その場はお開きとなった。



    電車から降りて駅を出ると、見慣れた小さなシルエットが見えた。こちらに気が付くとにっこり笑って駆け寄って来る。

    「あ!おかえりなさい義勇さん!」
    「炭治郎?なんで此処に…、家で待っていれば良かっただろ」
    「少し事務所に用があって来ていたんですよ。一緒に帰りましょう!」

    そのまま二人でアパートまで向かう。

    「今日は少し冷えましたねぇ。ご飯の前にお風呂に入っちゃいましょうか!」
    「そうだな。…一気に二人で入った方がいいか」
    「えっっっ!?」

    炭治郎は大声を出すと歩みを止めて冨岡を見る。目を見開いて頬が真っ赤に染まっていた。

    「た、炭治郎…?」
    「な、なんなんなんでですか。そんな、急に…!」
    「…?その方がいいかと思って…」
    「何がでしょうか…!?」


    これは冨岡の言葉足らずによって起きたものである。
    世間では風邪が流行しているのだとニュースを聞いた冨岡は、炭治郎の「冷えた」という言葉を聞いて早めに家に帰そうと気遣い、一緒に風呂に入った方が効率が良いと考えたのだった。どうせ先に入るように促した所で、「お客様より先にお風呂をいただくなんて!」と断られるのは目に見えている。そもそも家事代行の職員が仕事先で風呂に入ったり寝泊まりすることはないのだが、二人にとって今更問題では無い。
    しかし、そんな冨岡の気遣いを炭治郎が嗅覚で感じ取るには些か難しい。いまも赤くフリーズしたまま突っ立っているものだから、冨岡はその小さな体を抱えてアパートへと急いだ。



    「熱くないか?」
    「ひゃい…」

    湯船には青年と小たぬき。
    腕に抱えられた炭治郎は、体に密着している冨岡の肌を感じて尻尾の毛をぶわりと立たせていた。
    先程まではフリーズから抜け出した炭治郎が「お背中流しますよ!」と冨岡に迫っていたのだが、この状態になると再び固まってしまった。

    「あ、あの…そろそろ、風呂から出ます」
    「早くないか?」

    ぐぐ、と尻尾を押し付けて体を離そうとする炭治郎。だが、湯に浸かってから時間は少ししか経っていない。冨岡はもう暫くそのままにした方が良いと思ったが、炭治郎がそう言うのであれば仕方がないと腕から解放した。ぴょんとバスタブから飛び出て見事な着地を決めると、軽くシャワーで流して「夕飯を温めてきます!」と風呂場から出て行った。



    「はぁ…。義勇さんって時々、大胆だなあ…」

    温めた夕飯を皿に移しながら、炭治郎はいまだに鳴り響く心臓の鼓動を感じていた。それはやがて落ち着くものの、頬の赤みは残っている。

    漂う夕飯の匂いとは別に、先程使ったシャンプーの香りが鼻をくすぐる。このシャンプーは、いつも安物しか使わずに髪が傷んでいた冨岡の為に、炭治郎が候補を挙げて二人で選んだ物だ。後でこっそり炭治郎も同じ物を購入した。互いから同じ匂いがすると、炭治郎は非常に満たされた気分になるのだ。
    これは冨岡が友人だからそう思うのか。……いや、きっと違うのだろう。

    同じ匂いが濃くなり足音が近付いて来るのに気付く。炭治郎はハッとした顔で頬をぺちぺち軽く叩くと夕食の準備を再開した。



    「…炭治郎、」
    「はい、どうしましたか?」

    普段、食事中は咀嚼することに夢中になってあまり喋らない冨岡だが、自分から話題を振った。

    「…その、もうすぐ年末だ」
    「…はい、そうですね?」
    「……その少し前に…クリスマスがあるだろ」

    なんとも口下手な人間である。
    少しでも羞恥があるとストレートに言えないタイプで禰豆子曰く「シャイ」な冨岡はもごもごと口を動かす。

    「ああ、クリスマス!お店のチラシや装飾もカラフルになってきましたよね…。そう言えば、竈門家のクリスマスは凄いんですよ!実家の近くの木に好きな物を飾って、母が大きなケーキを作ってくれるんです。次に帰るのは年明けなので、今年のクリスマスはプレゼントを郵送して贈ります」

    そんなシャイボーイとは違って炭治郎はよく喋る。息継ぎのように夕飯を食べており、冨岡は器用だと感心していた。

    「…そうか、今年こっちに来たんだよな」
    「はい。年末は特に仕事が忙しいらしいです…。昨日はケーキ作りを教えて欲しいって頼まれちゃいました。夕方まで手伝ってたらそのまま夜ご馳走になっちゃって…えへへ」

    冨岡は話を聞きながら、壁にかけてあるカレンダーを見た。今年のクリスマスは平日だと甘露寺は言っていたが…、丁度家に来る水曜日であった。

    「…予定通りに行けば、金曜には仕事納めで…。その後数人で飲みに行く事になった」
    「あらっ!忘年会ですか、いいですね!」

    冨岡がぽつぽつと話し、炭治郎は相槌を打つ。

    「……その、クリスマスは…水曜日は、家に来るのか」

    元より水曜は冨岡宅を担当する為、炭治郎が来る予定はある。しかし、それ以上に期待を含めた言い方をしていた。
    視線をカレンダーから炭治郎の方へ移す。真っ直ぐ顔を見る事は出来ず、チラリと覗く程度に彼を見た。

    真っ赤だった。
    赫灼の大きな瞳はこちらを見詰めて、丸い頬は熟れた林檎のように赤くなっていた。
    この小狸の鋭い嗅覚で悟られてしまったかも知れない。冨岡にも知り得ない心情まで見られた気分になって耳が熱くなる。

    「…あの、水曜日、ですよね…」
    「…うん」
    「…何か食べたいもの、ありますか?」




    「甘露寺、参加できそうだ」

    次の日、冨岡は社内で甘露寺を呼び出し飲み会への参加を告げた。

    「本当ですか!?よかったぁ!…あっ、もしかしたら誰かと過ごす予定があるかもと思って、だから良かったって言うのはそういう意味じゃないんです…!」
    「……?」

    甘露寺は瞳を輝かせたかと思えば、何か慌てて口を動かしている。この喜びようでは「恋人が居なくて良かった」と勘違いさせてしまったかも知れないと思ったのだ。

    「大丈夫ですよ甘露寺さん、冨岡さんは鈍感だから誤解する余地もありません」

    冨岡の背後からひょこっと顔を覗かせたのは胡蝶だった。いつの間に居たのだろう。冨岡は自分が鈍感だと言われ口をポカンと開けた。心外だ。

    「えっ?そ、そうなの…?とにかく、今年もよろしくお願いします!宇髄さんが居ないのは寂しいけれど、みんなと一緒に過ごせるのとっても楽しみだわ!」



    「ねぇねぇ、しのぶちゃん。なんだか冨岡さん、いつもと雰囲気が違った気がしたのだけど…」

    部署へ戻る途中、甘露寺は隣で歩く胡蝶へと話し掛けた。

    「…あぁ、そう言えばいつもより軟らかかったような、…ふわふわが増したような気がしますね」
    「しのぶちゃんもそう思った?それにね、最近の冨岡さんって以前より素敵な感じがするの。顔色もよくて健康そうだし、…あっ!この前話していたお手伝いさんが来てからよね?あの子のおかげね、きっと」

    にこにこと笑って話す甘露寺、その様子に胡蝶もつられて笑みを増す。しかしふと、胡蝶は何かを呟く。

    「……もしかして、昨日返事を待ってくれって言ったの…」
    「えっ、しのぶちゃん何か言った?」
    「ふふ、いいえ。…さ、今日も仕事頑張りましょうか」


    - 22 -

    クリスマスまであと二週間ほどとなった。
    浮かれる子供や恋人達がちらほらと見え始めたこの時期に、気持ちが落ち着かず時には奇妙な行動を取る二人がいた。

    「冨岡ぁ〜、これ部署内に回しといて…。何だそのグッズ」

    午前、休憩中。
    いつもの様に無理難題が満載の企画書を持って部署に戻ってきた宇髄は、冨岡の姿を見て目を見開いた。

    「……いや、その」

    冨岡のデスクには、所謂パーティーグッズが並べられていた。恐らく、過去に社内イベントで使用して物置に保管していた物を引っ張り出してきたのだろう。
    そして、その手にはクリスマス用のサンタ帽が握られている。

    「…なぁに。お前、ソレが要るわけ?」

    普段大人しくて影の薄い冨岡が、カラフルなグッズを眺めているのだ。逃す訳にはいかない。
    面白い物を見つけた子供のようにニヤリと笑った宇髄。企画なんて後からでもいいや、と上司でもないのに勝手な事を考えながらスマホを取り出し、メッセージアプリでいつもの面子に招集を掛けた。



    「それじゃ冨岡くんよぉ、話を聞かせて貰おうかぁ」

    いつもの昼休憩…のはずが、目の前にはニヤニヤと意地の悪い顔をした宇髄。隣からはビシビシと感じる視線。冨岡は弁当を手に胃をきゅっと縮こませた。

    「…な、何を」
    「先ずはお前のクリスマスの予定ってヤツだなぁ。イベントに興味が無さそうなお前が机にパーティグッズ広げてたんだぜ?なーんかあるに違いねぇ、さっさと吐け!」

    此処は居酒屋ではなくただの休憩室。酒など入っていないのに酔っ払った雰囲気を装う宇髄の言葉に「そーだそーだ!」とガヤが入る。

    「ご、ごめんなさいぃ冨岡さん…!止めたのだけど無理だったの!」

    甘露寺は両手を合わせて冨岡に謝罪する。彼女は言葉通り、宇髄の招集の理由を聞いて止めに入ったのだろう。しかし相手が強者である上に、胡蝶と伊黒が悪ノリして宇髄に便乗してしまった為、この昼食会が始まってしまったのだった。

    「お前が珍しい事をするからこうして集まってやった訳だ」
    「…甘露寺が止めたのに押し通したのか」
    「ああ、それは私が甘露寺さんをちょっと話に乗せてしまいまして…。私も、ただただ純粋に興味があって来たんです。冨岡さんがクリスマスにご予定があるかも知れないなんて聞いたら、それは気になるでしょう」

    便乗した本人達は、腕を組んでふんぞり返り、また純粋と言うには含みのある笑みを浮かべたりして冨岡の胃を悪い意味で刺激する。
    甘露寺も困った様な顔をしている割には、実際は気になって仕方が無いと言いたげな目をこちらに向けて弁当を口に詰め込んでいる。

    冨岡の予定など、別に知られても問題はない。いつも家に来る家事代行の炭治郎とクリスマスを過ごすだけのこと。彼については以前話しているし、誰かに何かを言われる筋合いもない。

    「……その、この前話をした奴と…」

    冨岡が言葉を発すると即座に刺さる程強い視線を浴び、萎縮して絞り出すような声しか出せなかった。伊黒が「もっとはっきりと話せ」と睨んでいる。

    「この前話してた…って、あの小せぇお手伝いサン?」
    「…そうだ」
    「まぁ!確か炭治郎くん、でしたよね?可愛いお手伝いさんとクリスマス…!とっても素敵!」

    炭治郎の話題となり瞳を輝かせる甘露寺。先程まで謝罪していた事などきっと忘れてしまったのだろう。宇髄よりも食い付きがよく話の続きを促された。

    「そ、そう言うことだ…。当日は家に来るから、二人で過ごす。…たぶん」
    「たぶん、て…。確定させとけよ。ちゃんと相手も了承してんだろうな?」
    「そうですよ、冨岡さん。彼はお仕事として家に来るだけかもしれませんし…。当日にひとりぼっちなクリスマスなんて寂しいですよ」

    ふわふわした冨岡の言葉に、宇髄や胡蝶は心配そうに返す。彼等だって何だかんだ冨岡が大切なのだ。

    「食べたいものを訊かれた。だから…家でケーキでも食べるか、と」
    「あー…大丈夫とは思うけどよ、心配になってくるヤツだわ」
    「念の為、もう一度確認しておいた方が良いと思います」
    「そうする…」

    普段、自分を弄ってばかりの二人がやけに親切にしてくるものだから、冨岡も素直に頷いた。後で炭治郎にメッセージを送っておこう。

    「お家でホームパーティーをするなら、飾り付けとかもするのかしら?」
    「雰囲気は大事ですからね」
    「…やはりそういうのは必要なのか」

    休憩中に眺めていたパーティーグッズを思い出し、何を買うべきかと考える。少々子供っぽい事だとは思ったが、これまでのクリスマス会では必ずオーナメントやライトが飾られていたのだから、雰囲気作りとして必要なのだろう。

    「やーっと本題がきたぜ。その辺はこの宇髄天元様に任せときな!お前でもササッと出来るような派手な飾り付け教えてやるよ」
    「宇髄さんのセンスってとても芸術的ですもんね!冨岡さんのお家はどんな感じになっちゃうのかしら…!」

    派手な事が好きな宇髄と、芸術に敏感な甘露寺が立ち上がる。二人は興奮しながらアレが良いコレも良いと冨岡を挟む様な形で語り始めてしまった。甘露寺に対し全肯定な伊黒は彼女の言葉全てに頷きながらちびちびと茶を煽る。そんな状況の中、胡蝶はラジオ感覚で会話を聞きながら「この人たち、見ていて飽きないなぁ」と弁当をつつくのであった。



    いつもより数本遅れた電車に乗り込んだ冨岡は車内で揺られながら、メッセージアプリを開いた。画面には狸のアイコンとそのトーク内容が映し出される。

    『もう帰っているか』

    そう送って直ぐに既読が付き、ポンと返事の文が表示される。

    『こんばんは!お疲れさまです。先程家に着きました、義勇さんもですか?』
    『お疲れ。俺はさっき終わったばかりで、今は電車の中だ』
    『あら!いつもより遅めだったんですね、年末はやっぱり忙しいなあ』

    炭治郎が、ぐったりした様子の狸のスタンプを送ってきた。何でも狸なんだな、と冨岡は口元を緩める。直ぐに返事がくるのは、友人として大事にしてくれているのかと思いつい嬉しくなる。
    幾つかやりとりをして、その勢いに乗せて訊いてみる事にした。

    『二十五日の話だが、二人でクリスマスを過ごすので合っているか』

    お互いにアプリを開いている為、既読はすぐに付く。しかし、冨岡はその返事を待つ間緊張感に襲われる。宇髄達にこの文章で送るよう指示されていたのだが、いざ文字を打ってみると恥ずかしくなる。これで冨岡の勘違いであれば、暫くの間立ち直れないかも知れない…。

    ポンッ

    『あってます!!!義勇さんとクリスマスすごすのとてもたのしみです!!!れ!』

    これまた随分と勢いのある文章が返ってきた。冨岡は最初の一文を読んで安堵の溜め息を吐く。所々変換のされていない文字や誤字があるものの、炭治郎が楽しみにしている事がよく伝わってくる。

    「……よし、」

    炭治郎とのクリスマスのため、万全な準備をしようと意気込む冨岡であった。


    - 23 -

    「お疲れなのにすみません、義勇さん」
    「いや、大丈夫だ...」

    土曜日の午前8時50分頃。
    炭治郎からの誘いでショッピングモールに来ていた。十二月は何処の店もセール中で、炭治郎はそれを目的に店を見て回りたいらしい。冨岡は昨日の残業で足取りがヨロヨロとふらついていたが、炭治郎からのお願い事など滅多に無い為、欠伸を噛み殺しながら後ろを着いて行く。開店前の出入口には人が疎らに並んでおり、それぞれ目当ての商品を獲得する為に張り切る様子が伺えた。

    「炭治郎の目当ては?」
    「一番の目当ては一階のココです!この店で限定商品が、しかも安く手に入るそうですよ!」

    「よくぞ聞いてくれた!」と言う表情で炭治郎がチラシを見せてきた。小さな指でさした部分には日用雑貨の写真が載っており、彼が言うように通販サイトでしか販売されていない商品が今回に限り店頭に並べられるそうだ。

    「この店の物が一番使い勝手が良いんですよ。義勇さんもどうですか?手に入ったらですけど...」
    「...ウン」
    「ふふ。争奪戦、頑張りましょうね!」



    やがて自動ドアが開き、押し寄せる客の波が店内へとなだれこんでいく。冨岡は炭治郎とはぐれないよう、彼の小さな体を抱え中へと入った。

    「場所は?」
    「東側です!あっち!」

    炭治郎が腕を伸ばして指さした方を向くと、同じ目的であろう客の群れが我先にと足を早める。冨岡も若干小走りになりながら負けじと群れの中へと押し掛けて行った。



    「わーい!買えました!」

    購入した商品を頭上に抱えてにっこり笑う炭治郎。運良く冨岡も同じ物が手に入り、二人してホクホクと喜びを分かちあった。

    「残りわずか、って所で義勇さんが手を伸ばしてくれたお陰です!ありがとうございます」
    「...買えてよかったな」
    「なんだか達成感とか嬉しさで、気持ちがブワーってなってます!」

    落ち着きがなく今にも踊り始めそうな炭治郎。例の舞踊をこの場でされては注目を浴びてしまう。また、最も恐れるのは興奮状態でたぬきの耳や尻尾が飛び出す事である。
    冨岡はサッとその体を抱えて店を去った。

    「わっ...。ぎ、義勇さん、もう抱えなくても...!このお店以外は販売数も多いので大丈夫ですよ!」
    「...お前が落ち着いたらな。次は何処だ」
    「え...えと、あっちの靴屋の隣の...、」



    一通り買い物を終えると、時刻は12時を迎えようとしていた。二人はフードコートで昼食を取る事にした。
    客がセールに夢中になっているお陰で飲食スペースはそこそこ空いており、注文を済ませるとテーブル席に座る。

    「えへ...つい沢山買ってしまいました」
    「そうだな...」

    冨岡はチラリと自分の荷物を見る。大きな買い物袋にみっちり詰まった商品たち。炭治郎の方はそれが二つもある。節約と称して持っていたポリエステル製のバッグ一枚のみでは到底足りなかった。
    どうにもこの子狸に勧められた物が欲しくなって手を伸ばしてしまうのだ。普段物欲の無い冨岡がこんなにも購入するなど、本人ですら驚いている。

    「まあ...自分で全部使うかは分からないから、帰りにでも幾つか持って行ってくれ」
    「ええっ、そんなの悪いですよ。俺も沢山買ったし、義勇さんの家にも置くスペースとか......あ〜...」

    家事代行で冨岡の部屋の中を知っている炭治郎は悟ってしまったようだ。置き場は存在するものの、既にある程度の物が置かれている。あまり詰め込むと見た目も悪く、かと言って床に放置したままでは足を引っ掛ける恐れもある。
    対して、炭治郎の住むアパートの一室は、元々その小さな体に合う服や小物を多く収納している為かすっきりとした綺麗さがあった。冨岡が最初に見た殺風景な部屋から、少しずつ季節感のあるインテリアが並べてあったりと変化しているが、それでも無駄がなく快適な空間を残していた。冨岡はたまに部屋を訪れては「いつも綺麗だな」と感心すると共に自身が汚さないかとそわそわしてしまう。

    「うーん。それなら俺が少し持って帰って、義勇さん家にあるのが減ってきたらまた持ってきましょうか...」
    「...そうして貰えると助かる」

    炭治郎の部屋であれば、多少物が増えても問題ないだろう。そう思い冨岡は購入品の一部を預かってもらう事にした。

    ピピ、ピピピ、

    「あっ、料理できたみたいですね」
    「取ってくるから座っていろ」
    「え!あ、あの......、行ってらっしゃい!」

    冨岡は注文時に渡された呼び出し用の端末を手に取り、店へと向かう。
    コインランドリーの件から、炭治郎は冨岡に甘える事を覚えた。冨岡に対しては「自分で出来るのに」と申し訳なく思う事があまり無くなった。寧ろ、腕で抱えられたり今の様に気遣って貰える事が嬉しいと感じているのだ。



    それは偶然の出来事だった。

    「あ、義勇さん!おかえりなさい。運んで来てくれてありがとうございます!」
    「......たんじろ、横に居るのは...」

    冨岡が二人分の料理を運びながら戻った先には、炭治郎と...物凄く見覚えのある一人の女性が座っていた。テーブルには一人分の食事が置かれており、彼女のものと思われる。

    「久し振りね、義勇。元気にしてた?」
    「...姉さんこそ」

    にこやかに話し掛けるのは冨岡の姉、蔦子であった。少し年の離れた姉弟で、結婚して実家を離れては時々連絡を取り合っている。穏やかそうに微笑むいたって普通の女性であり、成長と共に何故か表情筋が硬くなった冨岡は「弟は姉と違って無愛想だ」と言われいた。しかし彼女はそんな弟を大層可愛がって、「周りの言う事なんて気にしないで、あなたらしく生きればいい」と励ましてくれた。
    そんな姉の事は大切に思っている冨岡であるが、近頃よく質問される「いい人はいるの?」には何も答えられずにスルーしている。

    「さっき雑貨屋さんでも見掛けたのだけど、小さな子と一緒に居るものだから見間違えかと思ったの。でも本当に義勇だったから驚いたわ。それで、この子に声を掛けてみたら知ってる子でまたびっくりしちゃった!」
    「あの時の人が義勇さんのお姉さんだったなんて、俺も驚きました!」

    「ねーっ」と互いの顔を見て笑う炭治郎と蔦子。ほわほわとした空間が辺りを包み、冨岡は呆然としていたが「義勇も食べましょ、ご飯が冷めちゃうわよ」と姉に促され、取り敢えず食事にしようと椅子に座った。


    「二人は知り合いだったのか」
    「はい!...と言っても、一度しか会った事なくて名前も知らなかったんですよね」
    「確か...商店街でバザーがあった日よね?6月くらいだったかしら...」

    蔦子はアクセサリーショップに勤めており、この近くの商店街で定期的に開催されるイベントにもよく出店しているらしい。この日は午前と午後で売り子を交代して、賑わう模擬店を見て回っていた蔦子はある一つの店に注目した。小さな可愛らしい子供が数人、貸出のパイプ椅子にそれぞれ立って接客していたのだ。その背後に保護者であろう蔦子くらいの歳の女性がにこやかに見守る中、一生懸命に声を掛けて商品を売っている。客は子供からお年寄りまで幅広く、特に女性がその愛らしさに心打たれていた。
    その中でも、ひと際輝いて見えたのが炭治郎だったと言う。商品を丁寧に包んで「ありがとうございます!」と明るく声を掛ける、赤みを含む髪色の小さな男の子。少し距離を置いて見ていた筈なのに、気が付くと蔦子は模擬店の前まで吸い寄せられていた。そして目が合って、「こんにちは!」と明るく挨拶されたのだった。

    「色々と買わせて貰ったけれど、どれも生活に役立って助かってるわ」
    「本当ですか!そう言って貰えると俺たちも作った甲斐があります!」
    「...何を売っていたんだ?」

    昼食の温かい蕎麦を啜りながら話を聞いていた冨岡は、そのような経緯があった事に世間の狭さを感じつつ一旦箸を止めて炭治郎に質問を投げかけた。

    「社員の皆と家事のコツを纏めた本や、便利なグッズを作って売りました。グッズの方は家庭ゴミを再利用して作る事も出来るんですよ!」
    「そうか...、お前の職場らしいな」
    「家事に関する事は何でもござれ!です!」

    むふん、と得意げに商品の説明をした炭治郎に胸がきゅっと締め付けられる気がした。毎度思うのだが、これは一体何なのだろう...。

    「あっ、...私ったら今気付いたわ!義勇が家事をお手伝いさんに頼んでいるって聞いたけど、もしかしてあなただったの?」

    蔦子は目をぱちぱちと瞬かせながら、冨岡と炭治郎を交互に見る。

    「はい!義勇さんの家で週に二回ほどお仕事させていただいてます」
    「まあ...!改めて、義勇がお世話になっています。ええっと、お名前は...」
    「あ、炭治郎と言います!」
    「炭治郎くんね。いつも義勇のお世話してくれてありがとう。私の事は蔦子と呼んでね」

    微笑む蔦子に、炭治郎はぽっと頬を赤らめ「こ、こちらこそ...蔦子さん」といつもより小さな声で返した。
    冨岡はその瞬間を見逃さなかった。炭治郎が、姉に...女性に顔を赤くしている。冨岡とてこの意味が分からない男ではない。そして、いつかの疑問が解けたかのような気持ちに包まれた。炭治郎が熱を出したあの日、「気になる人」と言っていたが......姉の蔦子の事では無いだろうか。実際に会うのは二回目らしいが炭治郎が彼女の特徴を知っていたのは、もしかすると先程の会話にあったバザーや他のイベントで何度か見掛けており所謂一目惚れでもしてしまったのではないかと冨岡は推理した。姉としてしか見た事がないが、蔦子は穏やかで優しく、家族を大切にする女性だ。炭治郎だって同じくらい優しくて明るくて家族想いだ。この二人、かなり相性が良いのでは...?

    衝撃と感動により僅かに震えていた冨岡であったが、すぐに大きな問題が炭治郎たちの前に壁として生じる。蔦子は既婚者であり、彼女の左手の薬指には結婚指輪が控えめに輝く。炭治郎には見えているのだろうか、狸族はこの指輪が何を示しているのか知っているのだろうか。せっかく会えた気になる人が既婚者だと知れば、きっと優しい彼は心から祝福してその小さな恋心を手放すのだろう。だが、最近になり僅かに見せるようになった本音の部分は何処へ向かうのか。蔦子の弟である冨岡にも気を遣って口に出さない可能性だってある。そんな妄想まがいの悪い考え事ばかりしてしまう。

    「...義勇さん?どうかしましたか?何だか不安そうですけど」
    「あら、体調でも悪いの?箸も進んでないじゃない...義勇?」

    心配そうに顔を覗き込んでくる二人に、冨岡は何も言えずただ一人冷や汗を流す。自分は大丈夫だから、頼むから左手で腕を揺さぶらないで欲しいなどとは口に出せなかった。

    「...だ、大丈夫。それより、姉さんの時間とかは...、」
    「え?...あっ、もうこんな時間!この後予約してるお店に行くんだった。お話できて良かったわ、ありがとう二人とも。炭治郎くん、また会おうね」
    「はい!お気を付けて行ってらっしゃい!」

    蔦子は軽く手を振ると食べ終えた昼食のフードトレイを持って去っていく。姿が見えなくなると、冨岡は炭治郎に質問をしてみた。

    「炭治郎...、」
    「はい?なんでしょう。...その前に、義勇さんは大丈夫なんですか?すごくつらそうな匂いがしましたが...」
    「そ、それは大丈夫だ。......姉さんの事だけど、その...どう思う?」
    「え?どうって...。素敵なお姉さんだと思いますよ!」

    にっこり笑った炭治郎の丸い頬はまだ赤みを保ったまま。冨岡は己の中で確信してしまった。今後の事を思うとやはり箸は進まなかった。
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