ヤリたいことをヤらないと出られない部屋! 決してマンネリとかではない。ちょっと、その、俺が物足りなくなってしまっただけで。
源氏の重宝、膝丸だ。俺は兄者と恋仲の、側から見れば順風満帆な個体である。
今でこそ閨事はなんの苦痛もなくできるが、最初の頃は緊張してカチカチになり、痛すぎて兄者のが入らず行為を中断させてしまうなんてことがザラにあった。申し訳なくも懐かしい思い出だ。
当時は申し訳なさすぎて、いっそ俺のことなど無視して好きにしてくれと兄者にねだったものだ。
結果どうなったかというと、俺は自分の言ったことを激しく後悔しながら悲鳴を噛み殺し、痛いだけの思いをしながら揺さぶられたのであった。
それまで何度もお預けを食らっていた兄者は歯止めが効かなくなっていて……終わった頃には俺は唇を食い破っていて、尻は裂け、正気に返った兄者に手入れ部屋へと担ぎ込まれた。
俺の自業自得だというのに優しい兄者は深く反省し、それ以来はまるで姫子を抱くように俺に触れてくれた。
それはそれは優しくされたので、次の行為からはちゃんと兄者を受け入れられたし、徐々に快楽も得られるようになった。
……で、だ。
人の体とは欲深いもので、気持ちいいことを覚えたら癖になってしまうし、その先も求めてしまう。
付き合って二年。肌を合わせてからは一年と八ヶ月。
なにが言いたいかというとその……あれだ。俺もだいぶ行為に慣れた。もう少し激しくされても問題ないというか、むしろもっと強引にしてみてほしいというか……。
きっかけは髭膝交流サイトであった。どこかの髭切様が管理するサイトで、数多の本丸の兄者と俺が掲示板で交流したりできる。そのサイトの最下層に、髭切と膝丸ならば答えられる質問がパスワードに設定されたリンクが貼られていた。
その先に広がっていたページはそれまでとは趣が異なり……数多の本丸の髭膝の、行為中の写真や動画が投稿されていた。いわゆるハメ撮りというやつだ。
ページの先頭には「愛情の記録」とタイトルが書かれていて、下にはいくつかの注意事項の記載があった。ここのパスワードは誰にも教えないこと。撮影、投稿するならきちんと相手の了承を得ること。などだ。
このページの趣旨は主に髭切様方によるうちの子可愛いでしょ自慢。そして閨事に悩む兄弟への助けになれば、ということで存在しているとも書かれていた。
閨事に悩む……いや、悩みというほどではないが、その、うむ。
まずは見てみようではないか!
と、目についた動画を見始めたのが運の尽きだった。画面の向こうにいたのは俺と兄者の行為が児戯に思えるほどの上級者揃いで、「はわわわわわ」、「あばばばばば」、と、声に出さぬものの俺はのぼせ上がってしまったのだ。
どこかの本丸の俺が大変気持ちよさそうに乱れ、喘いでいる様子に己を投影して自分で致してしまったし、こんな過激なぷれいを己の兄者にもされてみたいと思ってしまった。
兄者が遠征に行っている間に俺は様々な俺たちの動画を見た。はっきり言ってかなり興奮したし、兄者に過激な愛情を注がれる他の膝丸たちをとても羨ましいと思った。
しかし、それを素直に伝えられないのが俺の個性、個体差である。
閨事の話となると俺は途端にもじもじしてしまって、うまく話ができなくなるのだ。口に出すのが恥ずかしい。それに、好き者と思われて嫌われたらどうしようだとか、兄者は俺が痛がったから優しくしてくれているのに、その優しさを無為にするのはどうなんだと思ったりだとか。
うじうじと考えては結局いつもと同じ優しい……もはや単調とさえ取れるまぐわいをしてしまう。それでも気持ちいいのだが、それさえ俺は恥ずかしくてなかなか口には出せない。
そんな悶々とした日々を送っていたある日、俺は万屋街に買い物に出向いた。
厨当番に言いつけられた砂糖と醤油を買って、まだ夕食の準備には時間があったので神社通りへ向かった。
万屋街の中に、様々な神を祀る小さな社が並ぶ通りがあるのだ。御神刀に人気の通りで、審神者の間では祠並木とも呼ばれていた。並木のように小さな社が両サイドに続くので、そう例えたくなる気持ちもわからなくはない。
八幡宮、と立て札のある社の前にきた。買い出しの荷物を足元に置き、参拝する。
(いつも兄者にご加護を与えてくださり感謝する)
日頃の感謝、兄弟仲良くあれることの感謝を心の中で伝えてから、少しだけ願掛けをしてみた。
(ときに俺は兄者と大変良い仲ではあるのだが、もう少し素直になって、もっと仲良くできたらと思っている。俺自身もできることはやってみるゆえ、見守っていただけるようお願い申し上げる)
神社というのはむやみやたらにお願いをする場所ではない。こういうことをやる、という宣言と、お願いというよりは見守ってもらえたら幸いだ、くらいの気持ちで参拝する方がいい。神に宣言したのなら、その方が当人もよしやるぞ、という気になるというものだ。そういう者にこそ、神も手を差し伸べよう。何もしないのにやれ恋人が欲しい、金品が欲しいというのは他力本願が過ぎる。
俺もいつまでも閨事でもじもじしてはいられない。俺の兄者はとても優しいが、髭膝交流サイトにいる兄者たちはその、だいぶ容赦なく弟にがっついている様子だった。もしかしたら、俺の兄者は我慢をしているのかもしれない。だとしたら申し訳ないことだ。
よし、さっそく誘ってみるぞ。
「あ、あの……兄者……」
もじもじ、おどおど。
どうしてこうなんだと自分でも呆れるが、俺はこと閨事においては言葉が拙かった。
「今夜、その……」
本丸に帰り、厨当番に買い出しの品を渡してから自室に戻った。すでに着替えてくつろいでいた遠征帰りの兄者へ声をかけるも、閨事へ誘おうと思ったら全然言葉が出てこない。
(言え、俺。言え! せっかく願掛けしてきたのだぞ)
そう思うもその先がどうしても言えなかった。
「今夜?」
内番着姿の兄者は座卓の前に座っていて、俺を見上げて首を傾げた。きゅるん、という効果音が聞こえそうなほど、その仕草は可憐だった。愛らしい。実に愛らしい。
俺の兄者はすごく愛らしい個体なのだ。そりゃあ閨事の最中は雄の色香もすごいのだが、それでも俺を気遣って優しく丁寧に抱いてくださる。
(言えるか? その兄者に、もっと強引にしてほしいだなんて。兄者自身が我慢している説もなくはないのだが、いやいやこんなに可憐な兄者が、他の髭切様のように獰猛に俺を貪りたいと思うなんてこと……)
もじもじしてばかりで、俺は結局関係ない言葉を紡いだ。
「今夜の夕飯は肉じゃがだそうだ」
「おお。それは楽しみだねえ」
目を輝かせて喜ぶ兄者に、俺もまた笑い返した。
今日もまた言えなかったー! と内心で叫ぶも、ほとんどいつものことである。
俺はなんというか、妄想癖がすごい。
兄者にあんなことやこんなことをされてみたいだとかの方面で特に。しかし恥ずかしくて口にはできない。
結局いつものサイトの最下層にある「愛情の記録」にて、よその俺たちの過激なあれこれの様子を見ながらよその膝丸を羨むだけだ。
サイト内の膝丸交流版を流し読みすれば、俺と同じように「優しい兄者に激しくされたいと言えなくて困っている」という膝丸の書き込みがあった。すぐに他の膝丸からリプがきて、内容は「臆せず言ってみろ」というものだった。できないから悩んでいるのだが⁉︎ そう憤る俺を置き去りにぽんぽんとレスが進む。その中に気になる投稿があった。
『このサイトに長くいるが経験上、対の兄弟の場合性癖が似ている可能性が高い。つまり君のされたいことは兄者のしたいことだ。我慢はお互いに良くないぞ』
えっ、と思わず声が出てしまった。
まあ、我らは確かに対の兄弟なのだから、似ていたり、そうでなくともしっくりと噛み合うような感覚はある。戦場でも日常でも……閨事、でもだ。
しかし性癖が? 俺のされたいことが兄者のしたいこと? 本当にか? 俺は結構とんでもないことをされたいと思っているのだが、兄者も俺にそれをすることを望んでいる?
疑問符しか浮かばないが、意外にもその答えに賛同する膝丸の書き込みが続いた。自分のところがそうだとか、知り合いの兄弟がまさにそれだというのだ。
こうも意見が多いと、本当かもしれないという気にはなる。なるものの、俺の兄者はきゅるんで可憐な兄者なのだ。俺のような汚れ切った思考の弟など、不釣り合いにも程がある!
自分が兄者にこれ以上あんなことやこんなことをされたいと望んでいると知られたらドン引きされてしまうかもしれない。怖くてとても言えそうになかった。
だって(ピー)とか(ピー)とか(自主規制!)されたいなんて、そんな、恥ずかしくてとてもとても言えはしない。兄者に幻滅されて振られたらと思うと余計言えないのだ。
意気地なしの俺は今日も、悶々としたまま過ごしていた。
八幡大菩薩に願掛けして、ちょうど一週間後のことだった。
「ねえ弟。起きて起きて」
「んん……?」
朝、兄者に起こされて、起きてみたら部屋が変だった。
「は?」
起き上がって見回した部屋は、見慣れた和室ではなかったのだ。
「どこだここは……」
思わずそんな声が漏れる。
部屋は洋室だし、別々の布団に入って寝たはずの俺と兄者は一つの大きなベッドの上で目を覚ましたらしい。掛け布団や敷布は白だが、二つ並んだ枕は桃色でどでかく描かれたハートマークの中に「YES」と書かれていた。裏返してみると「はい」だった。なにが?
見回す部屋の中は、ベッドの頭側の壁は一面が鏡張りで、はだけた浴衣姿の俺と、俺よりは着崩れが少ない浴衣姿の兄者が映っていた。俺は寝相が悪いらしく、朝になるとかなり浴衣が乱れている。恥ずかしく思って整えている間に、兄者がベッドから紅梅色の絨毯が敷かれた床に降りた。
「兄者。得体の知れない部屋で動き回らないでくれ」
朝起きたら違う場所だったなんて、人間業とは思えなかった。いくらなんでも誰かに連れ去られたなら起きるはずだ。昨日はなにも変わったこともなかった。一緒に風呂から上がって部屋に戻り、布団に入っておやすみを言ったところまでちゃんと記憶がある。
にも関わらずまったく知らない場所で起きたのだから、これはもう人智を超えた怪異かなにかの仕業としか思えなかった。
そんな部屋でずかずかと歩き回る兄者はさすが豪胆というかなんというか。
「でも嫌な感じはしないんだよね。お前もわかるだろう?」
「む……そう言われれば」
「でも、あまり趣味のいい部屋ではないかも」
「なにが……えっ」
兄者がついと指差したのは、ベッドの足元側の壁だ。ベッドから畳一畳分くらい先のそこにあったのは、巨大な毒々しい赤いバツ印の板で、ちょうど人を磔にできそうな位置に手錠や足枷がついている。
他にも部屋の中にポツポツと存在するのは三つの穴が空いた……おそらく首と両手首を固定するのだろう木製の板を載せたギロチン台のような器具。あるいは肘掛けどころか足置きまである……ただし枷がジャラジャラと下がっている椅子。
「まるで拷問部屋だね」
兄者はそう呟くが、俺は自分の心音が外に漏れそうなくらい違う意味でドキドキし始めた。
「ありゃ。テーブルになにか置いてある」
ベッドから少し離れたところに置いてある大きな四角いテーブルに、なにか黒い紐の束みたいな物と、その隣には段ボール箱がどんと置いてあった。
兄者はまず、その黒い紐の束を手に取って、ビシッと引っ張ってみた。
鞭だった。
「ぶホァッ……」
俺は盛大に鼻血を噴いてひっくり返った。
あ、兄者(鞭装備)……やばい。この絵面はやばいぞ。俺の可憐な兄者にそんなものを持たせたら、見た目が完全にエッチなお姉さんではないか。
「え、弟。大丈夫?」
優しい兄者はすぐに駆け寄って、ベッド近くのサイドテーブルからティッシュを取って俺の鼻に当ててくれた。
「だ、大丈夫だぞ。この部屋が暖かいゆえ少しのぼせてしまった」
慌ててそう言い訳すれば、確かに室温が高めだねと兄者が頷く。
兄者は、ベッドから見ればテーブルの向こうに目を移した。小さな冷蔵庫がある。その横に、ドアがあった。
「よくわからないけど、出られるなら出ようか」
「そうだな」
鼻をティッシュで押さえたまま頷いて、ベッドから降りた。先に行く兄者の後について、兄者の開けたドアの先を覗き込む。そこにあったのはトイレと洗面所が一緒くたになった部屋だった。その隣にすりガラスのドアがあったので開けてみたら、並々と湯を湛えた風呂があった。洗い場も広くて、シャンプーやらなにやらのボトルも置いてあるが、窓がなく、出口はない。
……髭膝交流サイトに飽き足らず二次創作まで読み漁っている俺は理解した。間違いない。「出られない部屋」だ。
わかっていない様子の兄者はどうやって出たらいいんだろうと首を傾げていた。
「危険な気配はないのに置いてある物は拷問具みたいでなんだかちぐはぐだ。出たいのに出口もない。本当、なんだろうね?」
言えない。おそらくラブホみたいな内装の出られない部屋だろうなんて。
浴室の湿気のせいか、兄者の髪が膨張し始める。とりあえず部屋に戻ろうと促すと、兄者は頷いてくれた。
一緒に部屋に戻ると、そのタイミングでベッド横の壁に文字が浮かんだ。
『八幡大菩薩プレゼンツ・お互いがヤリたいことをヤらないと出られない部屋』
はあ? うん、いや、えっ?
混乱のあまり兄者を見ると、不機嫌を絵に描いたような表情をしている。
「どういうつもり?」
俺よりも八幡大菩薩と交流があるからか、兄者はいっそ露骨に不満の声を上げる。白い壁に浮かんだ文字が一回消えて、また新しい文字が湧いた。
『老婆心』
「はっ倒すよ?」
宣言通り壁に向かって張り手でもしそうないい笑顔である。俺の兄者は怒っていても笑っている場合があるのだが、この笑顔は爆発寸前だ。
しかし壁の文字はつらつらと続く。
『髭切はもっと激しく膝丸を求めたいことを隠している』
「ちょっと!」
えっ、と俺が思う間に、兄者が跳躍して壁に拳を叩き込んだ。俺の兄者は極の練度六三。打撃百三十だ。普通の壁なら穴が空いている。
しかし文字を浮かべる白い壁は、ヒビ一つ入らなかった。
壁の文字が消えて、また浮かぶ。
『膝丸ももっと激しく髭切に求められたいことを隠している』
「わーっ!」
慌てて俺も鼻を押さえていたティッシュを捨てて壁に突撃した。しかし兄者に練度も打撃も劣る俺が、兄者でも傷をつけられぬこの壁をどうにかすることはできなかった。
殴りつけた拳の痛みを感じるばかりで、ここは本当に出られない部屋なのだと実感しただけだった。
『お互いがヤリたいことをヤらないと出られない部屋』
壁の文字が最初に戻ってしまった。しかしその右下に「27」という数字が追加されている。なんの数字だろう。