ファーストフラッシュ「はいこれ! ひゅーいさんに!」
「お、おう」
まつりから受け取る紙袋は、手に持った瞬間ずしりと重みを感じた。店番をしている最中、奥から出てきたまつりにひゅーいの不在を告げると落ち込んだ様子だったが、どうやら贈り物を渡したかっただけらしい。代わりに渡しておくよと伝えると、想像よりも大きい紙袋を渡されたものだから困惑するのも当然だろう。
「みゃむと作りすぎちゃったの。でもひゅーいさんなら喜んでくれるかなーって!」
中身を覗くと、確かに個包装されたお菓子が見える。ラインナップを聞くと、その下にケーキも入っているらしかった。
重さの理由が分かって納得すると同時に、橙真の疑問は更に深まった。ひゅーいはまつりより少食で、甘い物は好きでもこんな量を食べきれるとは思えない。だからといって、橙真と二人で食べるにしても多いだろう。
「これ、保存効くのか? ひゅーいだってさすがにこんなには食べれないだろ」
「何言ってるの、ひゅーいさんならペロリだよ! 見てて気持ちいいぐらいたっくさん甘い物食べるじゃん」
その言葉にあんぐりと口を開ける橙真と裏腹に、まつりはさっさと店から去っていった。
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「……って言われて受け取ったんだけど」
「へ、へぇ~まつりちゃんからね……」
店番が終わった橙真は、リビングでポットにたっぷりの紅茶を作って部屋に戻った。今日は元々夕方までと伝えてあったから、ひゅーいに目立った予定が無ければきっと部屋に来るだろうと見込んでいた。
紅茶が蒸れる頃合いを見計らっていたように窓ガラスがコンコンと鳴り、目論見通り楽し気なひゅーいが顔を覗かせる。夏ももうすぐ終わるというのにひゅーいはデニム生地のノースリーブで、慌てて鍵を開けて部屋に招いた。中に入った瞬間充満するダージリンの香りに目を輝かせたひゅーいは、定位置になりつつあるローテーブルとベッドの間に置いた水色のクッションの上に腰を下ろす。けれどまつりから受け取った紙袋を見せた途端、気まずそうな表情のまま橙真から目線を逸らしていった。
「確かに、ちょっと多いね。た、食べられるかな~」
「見ていて気持ちいいぐらい沢山食べるって聞いたぞ」
「…………も~、まつりちゃんってそういうところ、ほんと腹立つ!」
貸して! という言葉と共に、紙袋を奪われる。中に入っていたのは、スコーン、シフォン、クッキー、マフィン。それらを全部机の上に並べたあと、紙袋の底に埋まっていた白い小さな箱を取り出して可愛いハートのシールを剥がせば、チーズケーキが二切れ入っていた。横から覗くと、どうやら一つはもう片方の倍のサイズがあるみたいだ。
「せっかく橙真が紅茶淹れてくれたし、食べないわけにいかないよね」
カードを出して呪文を唱えれば、ぶわりと風が巻き起こる。何の変哲もなかったローテーブルに赤チェックのマットが敷かれ、ラップに包まれたお菓子も箱に入ったケーキも綺麗にお皿の上に並べられていく様は、まるで映画のワンシーンのようだ。
あっという間にカフェのアフタヌーンティーに様変わりしたテーブル上を、ひゅーいは何食わぬ顔でスマホの写真に収めている。角度を変えて何度も押されるシャッター音を聞きながら、橙真は女子だらけのパーラーへ来た気分になって背筋が伸びた。
「いただきまーす」
「……いただきます」
一通り写真を撮ったひゅーいは、手当たり次第にお菓子を頬張っていく。橙真が目の前に置かれた細い方のチーズケーキを一口食べその程よい甘さを舌で転がしているうちに、ひゅーいはあっという間にシフォンを食べ尽くしていた。続くスコーンは半分に割って、いつの間にか用意されていた蜂蜜をたっぷりかけている。口いっぱいに頬張ると薄い頬がまん丸に膨れ上がって、まるでチムムみたいだ。幸せそうに綻ぶその顔は見たことのないぐらい満面の笑みで、橙真の胸にはじんわりと不安が広がっていた。
「もしかして、いつも食べるの我慢してたのか?」
「え!」
カップに入ったダージリンを一口飲んだ頃合いを見計らって素直に疑問をぶつけると、ひゅーいは大袈裟なまでに声をあげた。手に持ったままのフォークを置いたひゅーいは、崩していた足を折りたたんで正座になる。狭い室内で触れてしまいそうな距離感にあったそれが遠ざかると、橙真は少し残念に思った。
「……だって、女の子って小食な方が可愛いし」
「そうなのか?」
「すぐ太っちゃうし」
「むしろ、もっと太った方がいいと思うぞ」
ひゅーいは異性の橙真から見てもかなり痩せている。現にノースリーブから覗く肩は骨が浮いているし、よく着ているショート丈のトップスから見える腹は橙真の両手で覆い隠せそう、と考えてしまうほど。とはいえ、そんな風に考えていることを知られたくなくて、すぐに目線を外してしまうけれど。
ただ、橙真の言葉を受けたひゅーいの顔は梅干しを初めて食べた時のようにぎゅっと険しくなる。常々みるきからデリカシーがないんだお、と言われている橙真は、慌てて弁解を始めた。
「瘦せすぎて不安になるより、我慢せず食べてくれた方が安心するから」
「でも、まつりちゃんはこんなに食べないよ」
「? なんでまつりの話が出てくるんだ?」
純粋に疑問を投げかければ、ひゅーいは口をまごつかせて黙ってしまう。今度は頬を空気で膨らませて恨めしそうに橙真を見上げるひゅーいに、どきりと心臓が音を立てた。
「女の子は、好……男の子の前では可愛くいたいの」
悔しそうに伏せられた長いまつ毛に覆われた目は、本来の綺麗さを隠してしまっている。ひゅーいは出会った時から十分綺麗だ。それなのに橙真や他のプリマジスタと過ごすうち、どんどん化粧もおしゃれも身に着けて、毎日可愛いも綺麗も更新し続けている。
それなのに、当の本人はまだ足りないとでも言うのだろうか。橙真はこれ以上魅力的にならないでくれとさえ、思うのに。
「ひゅーいはいつでも可愛いと思う、けど」
「ッ橙真のわからずや!」
顔を真っ赤にしたひゅーいが、橙真の食べかけのチーズケーキを奪い取る。ただ橙真はものの数口で胃袋に消えてしまったチーズケーキのことを憂うより、グロスの落ち切った唇でまたスイーツを頬張るひゅーいに夢中だった。