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    なつゆき

    @natsuyuki8

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    なつゆき

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    【まほやく】ネロの親愛ストのネタバレと、独自解釈があります。二部後の東の魔法使いが、依頼を解決する話。

    #まほやく
    mahayanaMahaparinirvanaSutra

    馬鹿じゃない「シノ。満点だ」
     ファウストはたっぷりと慈愛のこもったまなざしで微笑んだ。
     魔法舎の東の国にあてがわれた一室で、授業の最初に「先日の試験の結果を返す」と、そう厳かに宣言された後の一言だった。
     窓から入ってくるあたたかな日差しに負けず劣らず柔らかな物腰で、試験用紙が差し出される。シノは頬を染め、少し誇らしげに、しかし平素の態度を保ってファウストからそれを受け取った。ヒースは口を開け驚きながらも瞳を輝かせ、ネロは気まずげに己の用紙をこそこそと隠しながら、しかしシノを見る目は優しかった。
    「すごい、シノ! すごいよ!」
    「いつものように満点取ってるヒースもすごいけどな。……参考までに、コツとかあんの? シノくん」
     ヒースの興奮した声の後にネロが問いかけた。シノは少し考えると口を開く。その様子に気負いはなかった。
    「この間の一件がきっかけではあると思う……でも、ファウストやネロが死にかけたから心を入れ替えたとか、そういう話でもない気がする」
     ぽつぽつと言葉が紡がれるのを、周囲の三人はじっと聞き入る。シノも考え考え話しているようだった。
    「あの地下水路で、ファウストにオビスの儀式を行えと言われたとき、オレはそれが何かわからなかった。説明されたら思い出せたが、もしすぐわかっていれば、と後から思った。儀式の効果を考えればあそこが東の国じゃないとわざわざ言われずともすぐにわかったはずし、もちろん説明し直させた分だけ時間がかかった」
     あの地下水路での戦いを思い出すと、他の三人にも眉間にシワが寄った。未だに振り返ってもひやりとする記憶だったが、シノはしっかりした口調で続ける。
    「今まで、ファウストがどうして筆記試験をさせるのか納得いってなかった。百歩譲って儀式のやり方なんかは覚えていて損はないかもしれない。けれど、その儀式の名前や、儀式を考案した者の名前を覚えて何になる? でも、オビスの儀式という言葉と内容を、少なくともオレたち四人が共通認識として持っていれば、情報の伝達が最低限で済むんだ。そう気づいたら、試験にも意味があると思って、勉強が苦じゃなくなった」
     しばし落ちた沈黙の後、はあー、とネロが珍獣を見る目でシノをみた。その様子にヒースはくすくすと笑い、ファウストもふっと息を吐いた。
    「まあ、きみは儀式なしでも労なく魔法が使えるかもしれないが、もう少し頑張ってくれよ」
    「面目ないねえ。いや、俺だって他国で魔法使うのは多少違和感あるよ……」
     ファウストの指がネロの背後に隠された用紙を指さす。彼は頭をかきながらぼそぼそと呟いた。ヒースが首を傾げる。
    「ネロは、多少とはいえ国が違っても魔法をうまく使えるの?」
    「そんなたいそうなものじゃないさ。あちこち行ってたからなんとなく、国ごとの精霊へのお願いの仕方がわかってて使い分けてるだけだよ。慣れればお前らにもできるさ。あの手この手を使って座りのいいところを探して……最終的にゴリ押ししちまうときもあるけど」
    「なんかそれ、北っぽい理屈だな……咄嗟のときに困るだろ、次の試験は頑張れよ。共通の用語がわかっていないと仲間と連携できないだろ」
    「うーん、そっか、そうだよなあ。五年前のあのヤマのときと同じ作戦で、とかで済ませてたからなあ……」
    「まあ、通じるならいいのかな……?」
    「駄目だ。オレができたんだから、ネロにだってできる」
     ヒースが控えめに言うが、シノは強硬な態度を崩さない。ネロは苦笑する。
    「まあ、シノにできたからってわけじゃあないが、俺も努力はしてみますよ」
     はは、と笑うネロに、シノは満足そうに頷く。一方ヒースは、少し驚いたような顔をしていた。
     ふいに、ファウストが手を打ち鳴らす。
    「さあ、では今日の授業は……」
     しかし言いかけた言葉を遮って、「すみません」と申し訳なさそうな声がした。見ると、部屋の入り口に賢者が立っている。
     どうした、と四人が声をかけると、賢者は言った。
    「東の国に、ついさっき急ぎの依頼が来たんです」


     依頼は、東の国の、あまり著名ではない地方からのものだった。
     奥深い森の中、川を挟んで位置する二つの村は、お互いの存在以外にめぼしい集落を周囲に持っていなかった。かなり古くからある二つの村は、両方とも名前がない。自分たちの村か隣の村、と呼んでいるらしいし実際それでことたりてきたという。よって、外から来た者たちは川の下流から上流を向いたときの位置関係で、東の村と西の村と便宜的に呼んでいる。
     依頼は西の村からだという。遠いが西側に進むと街道があるため、まだ外界の情報が入って来やすい環境で、厄災や魔法舎について聞いていたらしい。
     曰く、川の水が減っている、というのだ。
     二つの村はかつては川の水を共同利用し、助け合って暮らした時代もあったらしいのだが、数世代前に諍いが起こり、それ以来一日おきに川を使用するという取り決めがされた。あまり顔を合わさずに暮らしているという。
     西の村は川の水の減り具合を見て、東の村が水を使い過ぎたのだと考えたが、池でもない、何せ川なのである。天候不順があったわけでもないし、いきなり水が少なくなるというのはおかしい。隣村の嫌がらせだという声もあったが、川の水源は森をさらに奥に行った険しい山で、簡単に分け入ることは難しい。何かの細工をするなどできないはずだし、そもそも、水がなくなって困るのは東の村だって同様なのだ。
     そこで西の村は、これも厄災のもたらす異変なのではないかと考え、魔法舎に手紙を出したのだ。


     四人が箒を使い西の村に降り立つと、村は異様に浮き足だった雰囲気だった。余所者を咎める視線もなく、あたふたと人が行き交っている。
     戸惑いながらも声をかけると、村長だという壮年の男が出て来て突然怒鳴った。
    「あんたたちが賢者の魔法使いかっ。来るのが遅いじゃないか!」
     む、としたシノが何かを言う前にファウストがすっと前に進み出る。
    「何かあったのか?」
    「おかげで村のやつらは死にかけたんだ!」
    「なんだって?」
     一度怒鳴ると少し冷静になったらしく、村長は事情を説明した。
     今日は西の村が川を使う日だったが、水を飲んだ村人たちが次々に倒れたらしい。腹痛や嘔吐で動けなくなる者が続出し、家畜もやられた。村長の家には井戸があったため川の水を飲んでおらず助かり、またそこから原因が川の水ではないかという結論に至った。詳しい者がいないので、一体何が水に含まれているのかはわからないという。
    「二手に別れよう。僕は川の水を調べる。ネロ、東の村は昨日、水を使用しているはずだ。こちらの村同様に体調不良者が出ていないか聞き取りをしてきてくれないか」
     ネロが頷き、ファウストが少し考えて「ヒースは僕と一緒に」と言いかけた。するとシノが「待て」と声をかける。
    「オレも川の調査がいい。ファウストが調べる様子を見たい。ついでにやり方を教えろ」
    「教わる態度が大きいな……まあいい。わかったよ。ヒース、ネロと一緒に聞き込みに回ってくれるか」
    「はい。シノ、先生に迷惑かけるなよ」
    「ふふん。主君の飲むものが毒入りでないかどうか、見極められるようにならないといけないからな」
     四人は再び箒に乗って飛び立ち、シノとファウストは川辺で降りた。ネロとヒースクリフは川を越え、そのままさらに東へと進む。
    「悪いな、ヒース。先生と組んで川の調査の方がよかったろ」
     ふいに言ったネロに、ヒースはえっと声を上げた。
    「ええと、聞き込みは得意ではないけど、任務なんだからそんなこと言ってられないよ」
    「得意不得意って言うよりか、先生は調査ならヒースが助手の方が適任だって思ったんだと思うぞ」
    「ふふ、ネロって本当、気遣いが上手だよね。俺は大丈夫。……たぶんシノ、今はまだ先生から離れるの、少し不安なんだと思う」
     ぽそりと付け加えられたヒースの言葉に、ネロは瞠目する。
    「気づいてたか」
    「まあ……学びたいって気持ちが出てるのも本当だろうけどね」
     ヒースクリフの苦笑を見て、ネロはにたりと笑う。
    「嫉妬しねえの?」
    「えっ?」
    「主君ほったらかしてそれでも従者か、とかさ。あと、ヒースはだいぶ先生に恩を感じてるだろ? 俺の方が出会ったの先なのに、とか俺の先生なのに、とか」
    「なっ……そんな子どもみたいなこと思わないよ!」
     ヒースクリフが頬を赤く染めて抗議し、ネロは磊落に笑う。
    「まあ、今日のところは俺で我慢してくれよ」
    「そんな、ネロを代わりみたいに思ってないよ」
     ふたりは会話を交わしながら、上空から集落を目に留めた。頷き合うと箒を眼下に向け降下していく。
     東の村は静まり返っていた。西の村が騒がしかったのに比べるとやや不気味なほどだ。
     ネロとヒースクリフは手近な家を訪れるが、ドアも開けられず顔も見せない。質問にも黙り込むばかりだったが、なんとか村長の家の場所を聞き取る。
     村長の家に向かって歩いている間も、皆、余所者を警戒しているのか人っ子一人顔を出さない。ネロは表情を渋くし、ヒースクリフの顔色は悪くなっていく一方だった。
     やがて辿りついた村長の家では、壮年の男が応対に顔を出した。尋ねると村長自身だという。
     西の村から聞いた依頼内容と、今日起きた異変について話す。しかし村長はやたらと質問を繰り返した。まずは厄災の異変と賢者の魔法使い、魔法舎の説明から始めなければならなかった。
     どうやら西の村よりもさらに辺境にあるこちらの村では情報が入って来にくく、外界の変化もほとんど把握していないらしい。
     話が何度も前後しながらもなんとか事情を説明しきった後、村長は不自然に大きな声を出した。
    「はあ! それで、この村でも何か起きてやしないかと、それをお聞きになりたいわけですね」
    「あ、ああ」
    「そういうことなら、います。昨日、汲んできた川の水を飲んで体調を崩している者が」
    「本当ですか?」
    「ええ、僕たち家族の一番下の妹です。妹がやめておいた方がいいと言うので、他の家族は水を飲まなかったので僕たちは大丈夫だったんです。一応、村の他の人にも伝えて、ことなきを得ました。とはいえ、水は関係ない、妹一人の体調不良かもしれませんので、確かなことは言えません」
    「そうか」
     ネロは少し考えると、「妹さんと今話せるかい?」と尋ねた。村長は室内をちらと見ると、「大丈夫です」と答えた。
     室内には、他にも村長の家族がいた。ざっと十人ほど、村長の妻とその子どもらしき幼い少年や少女、村長の兄弟姉妹たちがじっとネロたちを観察している。ヒースクリフは汗が背中を伝うのを感じた。
     奥の部屋で、少女がベッドに上半身を起こしていた。
     やわらかな茶色の髪を持つ少女だった。顔の左右の横にある髪を三つ編みにして後ろでまとめている。下ろされた後ろの髪が肩にかかっていた。モスグリーンの服の上に、エプロンドレスを着ている。
    「妹のエズメです」
     村長の言葉に、少女は軽く頭を下げた。灰色の瞳がネロとヒースクリフを映す。たいていの少女はヒースクリフを見ると頬を真っ赤に染めて俯くか、輝いた瞳で必死に見上げるものだったが、エズメは人の造形というものに興味が全くないようだった。ネロは店を仕切っていた頃の人好きのする笑みを浮かべる。
    「体調を崩したって聞いたんだけど。それはどうしてだかわかるか?」
    「……川で汲んだ水を飲んだから」
    「どうしてそう思った? 他の原因は考えられない?」
     少女は困ったように口をつぐんでしまった。ヒースは彼女がぎゅっと布団の端を掴む様子を見つめていた。部屋の入り口には村長が立ち、ふたりの様子を見ていた。
     ネロはあきらめずにエズメの言葉を待った。やがて根負けしたように、消え入りそうな声で彼女は言った。
    「……わからない。私、馬鹿だから」
     ネロは「そうか」と返すとそっと呪文を唱える。背後にいる村長には聞こえないほどの音量だった。ヒースクリフはさりげなく、村長の視界にネロが入らないよう身体を動かした。
     やがて、話を聞かせてくれてありがとう、と言ってふたりは村長のを辞した。


     ネロとヒースクリフは川辺に戻り、ファウストとシノに合流した。辺りに人影はなく、誰にも聞かれる心配はなさそうだった。
    「……東の村はそんな感じ。そっちは?」
    「川の上流を辿って、水源まで行ってきた」
     人間には難しくても、魔法使いにとっては山の中まで行って水源を確認することは容易かった。水源の水と村人が採取した川の水を魔法で比較したところ、後者には前者にはない成分が含まれていたという。
    「毒だ。植物から取れる珍しくはないもので、致死量ではないが、体力のない老人や子ども、病人が飲めば死んでもおかしくはない」
    「あと、川の水の量が減った理由もわかったぞ。水源近くに魔法生物の群れがいた。子どもが生まれたばかりの様子だったんだが、この魔法生物は子育て中大量の水を飲む性質がある……とファウストから聞いた」
    「どうやら、厄災の影響で突然変異して、魔法生物たちのサイズがとんでもなく大きくなっていたんだ。それであまりにも多くの水を摂取したんだろう」
    「へえ。それ、退治したのか?」
    「いや。この魔法生物は水をたくさん取り込む代わりに、雨雲を呼ぶ性質があるんだ。倒してしまえばむしろ、その後のこの辺りの天候に影響が出る。川の水は減ったとはいえ枯渇しているほどでもないし、子育てがひと段落すれば元に戻る。厄災の影響を受けているとはいえ魔法生物たちは何もしていないんだし、山の中に村人たちは入ろうとしないからお互いに遭遇する可能性も低い。退治するいわれはないだろう」
     ファウストが言って、シノも同意するように頷く。違いねえな、とネロは頭をかいた。
    「これで水不足の方は解決か。まあ、村の連中が納得するか、魔法生物を退治しろって言い出さないかは気がかりだけど……」
    「そこは僕がうまく話そう。一応、魔法生物が村の方へ寄らないように結界も張る」
    「問題は毒の方だな」
     ネロとヒースクリフは視線を交わした。
    「あのエズメって子、たぶん何か知ってるよね?」
    「そうだな……」
     東の村に行ったふたりが考え込んでいると、西の村へ赴いたふたりが雑談をし始めた。 
    「シノ。最近、あれはなんだこれはなんだとしつこいぞ。余計な時間がかかって仕方ない」
    「熱心だなと褒めていただろう」
    「はあ……時と場合によるんだ」
     ヒースクリフがちらりとファウストとシノを見遣る。ネロは「あー」と声をあげた。
    「今夜は俺、ちょっと東の村に行くわ」
    「え?」
    「三人は魔法舎に戻ってても、西の村に泊まってもいーよ。西の村には宿屋があるらしいし」
    「ネロ」
     ヒースクリフはネロを呼び止めて「俺も行きたい」と言った。
     ネロは少し困った顔をする。
    「たぶん、楽しいことにはならないぞ」
    「わかってる」
     ファウストとシノがふたりがそれでいいなら、と頷いた。


    「あの子の手、あかぎれだらけだったね」
     深夜、宿屋を東の村の奥の森を歩きながらヒースクリフが言った。ネロが何も答えないので、ヒースクリフは淡々と続ける。
    「他の家族の手は綺麗だった。たぶん、あの子だけが家事や雑事をやらされているんだと思う。体調を崩したっていうのもたぶん嘘だ、髪型がきちんとしていたもの。昨日からベッドで寝ていたなら、あんな複雑な髪をしているはずがない。俺たちが尋ねてきたから村長は慌てて、その内容を室内の人間に知らせて、具合が悪いふりをさせたんだ」
    「西の村だけに毒の影響があったとなると都合が悪い。つまり、東の村が何かしたってことだな」
    「でも、最初からわかっていたならもっとうまく誤魔化してきてもいいはずだよ。つまり、西の村で何が起きたかまでは村長たちは知らなかった……」
     厄災の光も届かない暗い夜、その闇に埋もれた鬱蒼とした木々の中、ランプの灯火をかざしてネロが声をあげた。
    「咄嗟にでも誤魔化せたってことは、村長たちは『何かが起きることは知っていた』んだ。そしてすぐにエズメに誤魔化す役を振ったってことは、エズメが関係していたということ。……村長たちに西の村に何かをしろって指示されたんだろう、エズメ?」
     呼びかけた先には、幽鬼のようにぼうっと立つエズメがいた。
     昼に見たのと同じエプロンドレスは、よく見るとみすぼらしくくたびれていた。灰色の瞳がぼんやりと、ネロとヒースを映す。
     話をしたとき、最後にネロは呪文を唱えた。それは、ベッドの周りの声を聞こえないようにする魔法だった。
     ヒースクリフが唇の動きが村長に見えない位置に身体を動かし、ネロは早口で言った。
    「あんたは馬鹿じゃない」
     その言葉に、エズメは伏せていた目を上げた。
    「どうしてだか知りたいか? だったら今夜、村の森の奥に来るんだ。あんたは来るだけでいい。今魔法をかけたから、俺はその痕跡を追って見つけるから」
     そうしてエズメはやってきた。森の中に、夜、たったひとりで。
    「こんばんは、エズメ。毒は何を使ったんだ?」
    「この木」
     エズメは言って、傍らの木にそっと手を置いた。
    「この木の実は水に溶けて、毒になるの。知ってるのは私だけ。村の人たちは不気味がって森の中に入らないから。村長の家に伝わる歴代の記録に、この実のことが載っていて……お兄ちゃんやみんなの機嫌が悪いとき、ときどきここへ逃げてきていたら偶然この木を見つけたの」
     木には黒い小さな実がなっていた。それだけ見れば害もなさそうに見えるが、ネロもヒースクリフもファウストの授業でその実の名前を知っていた。
     ヒースクリフが恐る恐る尋ねる。
    「……ご家族には、なんて言われたの?」
    「このまま水が減り続けたら、西の村と一日ずつ使うなんて悠長なことを言ってられなくなる。何でもいいから、西の村の連中が、この土地から離れようって思うようにしろって」
    「だから、川に毒を……?」
     エズメがこくりと頷いた。ヒースクリフは青白い顔で少女に問う。信じたくない、という風に。
    「でも……! 誰かが死んだらどうしようって、思わなかった?」
    「私、馬鹿だから。わからないわ」
     エズメがぼんやりした瞳のまま言う。何を問いかけても、同じことしか繰り返さないだろうと思わせるような口調だった。
    「……でも、お前さんはここに来た」
     ネロは一歩前に踏み出した。ヒースクリフと異なり、平素と変わらない表情をしていた。
    「わかったんだろう? 俺たちが来たからには、自分のしたことは何もかもバレるって。本を見て、この実が毒だと知っていた。俺たちに下手な芝居で誤魔化しがきくわけがないって理解できた。ほら、お前さん、馬鹿じゃないよ」
     ネロが一歩ずつエズメに近づく。何も映していないように見える少女の瞳に、理性の輝きがあることにネロは最初から気づいていた。近づくごとにその光は確実に大きくなっていく。
    「馬鹿って言葉は魔法だ。人間にも使える魔法なんだ。馬鹿だって、そう言えば、何もかも許されるように思える。仕方ないって納得できる。最悪な村も、家も、親も、きょうだいたちも。自分がこんな環境に生まれたのも、言われたことに従っているのも、何も考えられなくても、何も決められなくても、馬鹿だから仕方ない。それがどんな罪だって、言われたから仕方ない。やると決めたのは自分じゃない。自分にどんな価値だってない、自分を助けなくてもいい。だって馬鹿だから。そう思うことを、自分に許せるようになる。でも、俺は言うぞ。お前は馬鹿じゃない。なあ、今日初めて会っただけの俺の言葉に、どうして反応した? どうしてここに来た?」
     なあ、わかってるんだろ?
     ネロが少女の眼前に立った。そう断罪するように言ったネロの言葉に、少女は目を伏せなかった。
    「……私、どうしたらいいの?」
     途方に暮れたように言う少女の瞳を見つめたまま、彼女の手にネロが両の手を乗せた。呪文が唱えられると、少女の荒れた手は綺麗になっていた。
    「それを決めるのはあんただ。だって、あんたは馬鹿じゃないんだから」
     そう言って少女の頭を撫でるネロの表情は、ヒースクリフには見えなかった。


     次の日、東の村の村長の家族が苦しんでいるのが見つかった。
     原因はあの毒で、家族たちはエズメの用意した食事を何の疑いもなくいつも通りに食べて倒れた。あまりにも彼女に何もかもやらせるのが普通になりすぎて、彼女が自分たちに危害を及ぼすなど意識の外だったのかもしれない。そう、ヒースクリフは思った。
     エズメの姿は忽然と村から消え、足取りを辿るものはどこにもなかった。
     東の村の人間たちは何も知らないと言って、だんまりを決め込んだ。その代わりに、エズメを捉えて罰してくれという訴えも起こらなかった。エズメの家族たちも、そんな人間がいたことを忘れることにしたらしい。
     何もかもなかったことにしたい、というのが村人の総意のようだった。西の村は当然憤ったが、そこまでは賢者の魔法使いの範疇ではない。依頼は終了となった。


    「ヒース、なんで今回、最後に俺についてきたんだ?」
     ようやっと魔法舎に戻り、食事の支度をしながらネロは問いかけた。ヒースクリフはまだ少し、元気がないようにネロの目には映ったし、たぶんその原因は自分と自分が引き起こした状況にあるのだろう、とわかっていた。
     ヒースクリフは皿を出していた手を止めて、首を傾げた。
    「なんでって?」
    「いや……やっぱり楽しいことにはならなかっただろ? それにヒース、ファウストとシノのこと気にしてたしさ、ふたりと一緒の方がいいかなって思ったんだけど」
    「またそれ……本当に俺、そんな子どもじゃないからね」
     ちょっと睨みつけるヒースクリフに、ネロがごめんごめんと軽く謝る。ヒースクリフは表情を崩すと、微笑んだ。
    「確かに、楽しいなんてことはなかったけど……ほら、テストを返してもらったときに」
     ヒースクリフの言うのがいつのことかわからなくてネロはきょとんとした。ヒースクリフは苦笑しながら続ける。
    「俺たぶん、シノがネロもできる、なんて言ったときに……ネロが『俺は馬鹿だから勉強ができない』とか、そういうことを言うんじゃないかって思ってたんだ。でも言わなかった。不思議に思ってたんだ。あくまでも今考えるとって話で、そこまではっきりと考えてたわけじゃないんだけど」
    「ああ……?」
    「ネロは自分が馬鹿だって言わないんだって、そう思ったんだ。あの子と話していて」
     それがどうしてなのか、きちんと知りたかったから、だからついていったのかもしれない。
     ヒースクリフの瞳の中には、エズメの中に見た理性と同じ輝きが見てとれた。ネロは照れたように頭をかいた。
    「そんな、たいそうなものじゃないさ……」
     ネロはもごもごと口を動かす。ヒースクリフが自分を見る目に、彼がファウストに対するときのような、自分よりも年長である者、経験の多い者から何かを得ようとするようなきらめきがあることに面映い気持ちになる。
    「正直、俺なんか、とか俺なんて、って思ってるよ。ヒースも似たようなこと考えがちだろうけどさ。ヒースが俺から何かを知ろうとか得ようとか思うなんて恐れ多いさ。ただ……昔、思ったことがあるんだ。俺は馬鹿じゃないって」
     馬鹿だと思ってたやつが、馬鹿じゃなかった。
     その小さく早い呟きはヒースクリフには届かなかったが、ヒースクリフは目を逸さなかった。
    「本当は、あかぎれだらけの手を治すだけで終わるんじゃなくて、あいつの手を引いて家族の中から連れ出して、助けてやるべきだったんだろうな」
    「……うん。俺も少し、それを考えた。でも……」
    「ああ、俺たちだって永遠に面倒は見られない。そして川に毒を流したのはあいつ自身だ。それをどう考えるのかも、これからどうしていくのかも、自分で決めなくちゃいけない。自分は馬鹿だなんて言葉で終わらせるんじゃなくてさ」
     大丈夫さ、と言ってネロは持っていた野菜を一旦台所に置いた。
     すっと虚空に描いた彼の指には一片の紙が挟んであった。
    「それは?」
    「あの村から出るときに、毒の実のなっていた木にちょっと寄ってみたんだ。そこの枝に括りつけてあった」
     ネロはその紙を魔法を使って広げた。ヒースが覗き込む。そこには短く、こう記してあった。

     私は、馬鹿じゃない。
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