煽り煽られある日、ガープは初めてセンゴクにキスをした。寮の部屋で後ろから肩を叩いて、振り向いたところに不意打ちで唇を重ねた。何がしたかったのかと問われれば『好奇心と衝動』と答えるような、突発的な行動だった。
一瞬のその行為を糾弾するでもなく、センゴクは僅かに眉尻を上げると「何だ」と当然の疑問を口にした。てっきり反射で拳の一つでも飛んで来るかと予想していただけに、拍子抜けの反応だった。
先の行為に意味など無いことがわかると、センゴクは捩っていた体を戻して机に向き直り、読書を再開した。照れ隠しでも何でもなく、前触れのないガープからのキスという、まともな人間であれば間違いなく狼狽えるか放心するであろう異常事態を、センゴクは平時と同様の冷静さで掃いて捨てたのだ。
苛立ちはなかった。ガープはセンゴクが殊更に好きであるとか、恋愛対象として見ているというわけではなかったが、その実、間違いなく他の同期とは一線を画す存在として認識していたことをこの時にようやく自覚するに至ったからだ。
二回目はその日の夜だった。就寝のため二段ベッドの下段に潜り込んだセンゴクを追って、ガープもその大柄な体を狭い空間に滑り込ませた。
ちょうど押し倒すような体勢になったが、センゴクはやはり動揺を見せず、眠気で半分落ちた瞼をそのままに「何だ」と同じ疑問を口にした。
この時にはすでにガープの中には確固たる肉欲が存在しており、昼夜を問わず他人が介在する集団生活の息苦しさに狂っての暴挙でないこともはっきりしていた。
単純に、ガープは好意と興味から、センゴクとセックスがしたかった。
包み隠さずにその旨を伝えると、センゴクは目に見えて億劫そうな顔をした。
「お前、男とヤったことあんのか」
「ある」
事実だ。入隊する一年ほど前に、一度だけだが経験した。
何てことはない、体を売って日銭を稼いでいる美しい青年の命を成り行きで助け、その礼にと迫られ一夜を共にしたのだ。
感想としては可もなく不可もなく、女が抱けない時の代用にはなるかといったところだったが、青年は随分とガープを気に入ったようで、やれ他の男では満足出来なくなっただの、自分と一緒にいてくれるなら夜は不自由させないだのと顔を赤らめて宣ったが、ガープからすれば青年と寝たのは青年にせがまれたのが理由であり、確かに同じ男なだけあって口淫は巧かったものの、抱いている最中は常に女のやわらかい体に想いを馳せていたのだから、元々その地に留まるつもりが無かったとはいえ青年の『体』はどう見積もっても首を縦に振る理由にはなりえなかった。
セックスの相手に求めるものとして第一に女体があるはずなのに、なぜ男のセンゴクに欲情しているのか。かつて抱いた青年とは比べるまでもなく肉体的にはセンゴクの方が逞しく、顔に至っては言わずもがなだ。それでも媚びた目で自分を見つめる青年の整った顔よりも、自分を見ることすらせずに壁に掛けられた時計で時刻を確認し、貴重な睡眠時間が削られていく不満からか一層鬱陶しそうに眉間に皺を寄せるセンゴクの渋い顔の方が、ガープにはよほど好ましく思えた。
「センゴクはあるのか?男とヤったこと」
「無い」
「へェ」
そりゃ良い、と口の中で転がす。寝る相手に初物であることを求めるたちではないが、センゴクという稀有な存在に初めての経験を刻めるのは単純に嬉しいと思えた。誰だって仲の良い相手と楽しいことをした思い出は共有したいはずだろう。それがはじめてとなれば尚更だ。いっそのこと自分も最初に抱いた男はセンゴクが良かったとすら思う。
「女は?さすがにあるか?」
「ある」
「惚れた女か?」
これはさすがに立ち入りすぎたかと身構えたが、センゴクは特段気にする素振りもなく答えた。
「惚れてはいないが、惚れられてはいた」
「モテんだな。同情か?お前はそういうの嫌いだと思ってた」
「交際を申し込まれたから断ったんだよ。入隊までもう一ヶ月を切ってた上に、おれはその子のことをほとんど知らなかったからな。で、軍に行く前にせめて体の関係だけでもと迫られたから一度だけヤった。同情というより手切れ代わりだな」
「それだけか?」
「おれもごねられるかと思ったが本当にその一回きりで彼女も身を引いてくれた。他の男と幸せになってほしいもんだ」
「ちげェって。経験だよ。その女だけか?まさか童貞捨てて終わりか?」
「終わりだ」
これには心底驚いた。男との経験が無いのは予想できたが、女相手も一人だけとは。それも好いた女ではなく、求められたから応えただけの、完全なる慈悲の行動だ。
ガープが目を丸くしていると、センゴクは薄く嫌悪を滲ませた目で自分を押し倒している同期を見据えた。
「貞操観念が凝り固まってるわけじゃねェ。単純に……ヤりたいと思える相手がいなかっただけだ。男も女も」
「ん?…つまりおれはお眼鏡にかなったってことか?」
「まァな。単純にお前の余裕の無さが面白ェし」
いたずらっぽく喉を鳴らして笑うセンゴクに下腹が熱くなる。ここまで明確に挑発されては、乗らない方が失礼というものだろう。
ガープは突っ張っていた腕を曲げてベッドに肘をつくと、センゴクとの物理的な距離を縮めた。お互いの体が殆ど重なり合い、ガープの目前には海兵らしからぬ、色の薄い皮膚に覆われた太い首筋が迫った。動脈の色が透けて見えそうなそこを舐めるか噛むかで思案していると、すでに軽く熱を持っていた中心をハーフパンツ越しに膝でぐっと押し上げられ、反射的に腰を引いてしまった。
明確な快感を伴う予想外の刺激に目を丸くすれば、ハハ、という笑い声と共に組み敷いている男の体が大きく揺れた。目が愉快そうに細められ、口許が歪んでいる。それは紛れもなく嘲笑の類の笑みだった。
「猿だな」
センゴクの言葉はわかりきった挑発であり、初めて男に抱かれる状況を夜半の緩んだテンションに任せて楽しんでいるだけだ。
だけなのは理解しているが、ガープの雄としての優秀な本能が『ナメられている』ことに対して過敏に反応するのは責められないだろう。
「…先に確認しときたいんだがよ」
「何を」
「死んでもされたくねェことあるか?一つだけ聞いてやる」
それはガープが性交において守ると決めている最低限の保証だった。性に合うか合わないかで言えば合わない行為だ。セックスぐらいは何も考えずに好きにやりたい。ただ、相手への配慮を欠くというのはそれこそ獣の交わりと変わらない。そしてガープは自分と寝ることをそう捉えられるのを嫌った。
何を言われるか、こればかりは予想がつかない。
怒りとも喜悦とも取れる強い熱を首筋の辺りに感じながら、ガープはセンゴクの答えを待ったが、やはりと言うべきか、ひとつ年上の同期はひとつ年下の同期の配慮を鼻で笑った。
「ねェよ。あったとしてもその都度殴る」
「言いやがったな。もう泣いてお願いしても聞かねェぞ」
「待て、ひとつだけあった」
「ん」
「これ以上笑わせるな。バァカ」
センゴクが再度肩を揺らして笑ったのを合図に、ガープは噛み付くようにキスをした。