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    多々野

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    多々野

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    どこかの世界の泡とヴィタ
    マーラの口が悪い

    ##小説

    愛と破滅とさよなら「たすけて……お願い、誰か…………」
    死の匂いと硝煙が立ち込める町。瓦礫の隙間から幼い声が微かに響く。声の主はコンクリートブロックの下で、誰かの応答を期待し必死に耳をすませた。救助に来てくれた兵隊、あるいは町の生き残りの足音を聞き逃さないように。しかし残酷にも、鼓膜を震わせるのは自らの細い息の音だけだった。まさか、ほかに生きている者はおらず、自分は一人きりでここに残されてしまったのか――そんな絶望に襲われ、最後の気力を失いかけたそのとき、突如『救い』が降ってきた。
    「もう大丈夫だよ。助けてあげるからね」
    場にそぐわない明るい声が聞こえた後、今まで身動きを封じていた、下半身にのしかかっていた重みがなくなった。恐る恐る目線を上げると、そこにはワンピースを着た、グレーの髪とピンク色の眼を持つ誰かがいた。知らない人だ。服装はこの国によくある格好だったが、どこか異質に感じるのはこの状況のせいだろうか。
    瓦礫を軽々と持ち上げた救助者は、「立てそう?」と覗き込んでくる。
    問われて腕や足を少し動かしてみると、力がうまく入らないが、痛みはそうでもない。時間はかかりそうだが、きっと歩けそうな気がした。
    「うっ……、うん」
    頷くところを見ると、その人は「よかった」と言って微笑んだ。
    「それじゃあ、ごめんね。僕は先に行かなきゃいけないから。気をつけて逃げるんだよ」
    それだけ言って去ろうとする恩人に、助けられた子供は呆気に取られたが、それでも礼だけは言おうと、
    「あの、あ、ありがとう!」
    背中に呼びかけると、その人はちらりと振り返り、口元に微笑みを浮かべ去っていった。




    「余計なことを」
    ヴィタを迎えたのは刺々しい言葉だった。清掃員仲間のマーラだ。見た目は自我のない他の清掃員と似ているが、マーラのことはすぐ分かる。
    「やあ。さっきの、見ていたんだね」
    ヴィタはマーラに片手で挨拶し、いつも通り横に並んで立った。
    「何を怒ってるの? べつにあの者は気づかないし、気にしないでしょ」
    収穫対象の泡に含まれる命の一つや二つ、海のように大きなあの者にとっては微小生物と同じだ。あの者の大きな目はいちいち微小生物の生き死にを見ていないし、見たとしても一切気にも留めないはずだ。
    そんなことは知ってるわ、とマーラは吐き捨てる。
    「悪趣味だって言ってるのよ。今助けたところで、こんな世界じゃどうせ数日やそこらしか生きられないってのに」
    ヴィタはマーラを横目に見下ろすと、口元に指をあて、くすりと笑った。
    「分からないよ? 彼女は生き残って、この世界を再建するかも」
    マーラはチッと舌打ちする。
    「思ってもないことを言わないで。気持ち悪い」
    「ひどいな。僕はいつも奇跡を信じてるのに」
    「あなた……。いよいよ悪魔じみてきたわね」
    声を低くするマーラに対し、ヴィタは眉を上げ、口をとがらせた。
    「悪魔だなんて、そこまで言わなくていいじゃないか。そりゃあ僕だって善人か悪人かでいえば後者にあたることくらい自覚してるけど、それは君も同じだよね?」
    「少なくとも私は、一時の気まぐれで助かりもしない命を拾い上げたりしないわ
    ヴィタの表情が、ふざけた駄々っ子の顔から、すっと綺麗な微笑みに戻る。最も標準的で、登場頻度の高い表情だ。
    そしてしばらく沈黙が続いた。

    会話は終わりかと思われたそのとき、ヴィタが再び口を開く。
    「僕はね、人の願いを叶えるのが仕事なんだ」
    正確には、実際に願いを叶えているのはあれが埋め込んだ「願いの規則」であって、ヴィタ自身ではなかったが。ヴィタは人々の願いの方向を後押しするだけでよかった。簡単なことだ。大抵は少しつついただけで、人々は自ら規則に取り込まれていく。
    「それで、今回も僕はたくさん感謝されたよ」
    ヴィタが人々に『新しい資源』の使い方を教えてあげると、みんな喜んだ。文字通り降って湧いた、人々が夢見た理想の資源を利用しない手はない。願いの成長を妨げるストッパーはどこにもなかった。それが悪魔の果実なのだと人類が知ったときには、既に大地も大気も汚染され、食糧危機が発生し、人々は勝手に争い始める。
    「……ここでの仕事は終わったわ。さっさと船に乗りなさい」
    マーラが冷たく言い放つ。ヴィタの感傷に付き合うつもりはないと言うように、マーラはその場を去ろうとした。そして思い出したかのように振り返ると、
    「一応言っておくけど、それ、着替えて来なさいよ」
    それだけ言うと、今度こそマーラは去った。

    ヴィタは視線を落とし、着ているワンピースの布をそっと持ち上げた。この世界で作られた、全身に繊細な刺繍が施された若草色のワンピース。
    「……気に入ってたんだけどなあ」
    もうこの星で、ブティックの新作を買い求める機会はない。青い屋根のうつくしい街並みを歩くことも、休日にナメクサとアオウリのパイを食べることもない。そういったこの星の文化は全て、今日までに途絶えた。文明は破滅したのだ。
    丁寧な縫い目を見ると勿体ないとは思うものの、この世界の服を来ている最後の存在が、外からやってきた清掃員だというのは、やはり少し失礼かもしれない。傲慢な簒奪者のように、獲った首を壁に飾る趣味はないから。

    ヴィタはワンピースを脱ぎ捨て、いつもの姿に戻ると、船の方へ歩き出す。最後にこの世界を見ておこうと思ったが、搾取された後の世界はどこも似たような景色になってしまってつまらない。ヴィタは仕方なく空を見た。空だけはここへ訪れた頃から変わっていないように思えた。
    「そうだ、僕からも言っておくね。……今まで『ありがとう』」
    荒れた地をヒールで歩きながら、誰にともなく感謝の言葉を口にする。それを聞く者はいない。
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