恋みたいなやつ 1
たまさんは、世に言う「推し」みたいなものなのかもしれない。最近そう思う。
いや、推しって言葉にもたくさん意味はある。人によって全く違ったりもする。
心身ともに疲れ果てた時、たまさんの優しさに触れて救われた。
ずぶ濡れで、泥沼の中でもがいているところに、雲が晴れて光が差し、力強いツタが伸びて引き上げてくれた。…みたいな、なんかそんな感じ。
いや、向こうは全然そんなつもりなくて、むしろおれをレジ壊し野郎と思ってたらしいけど、でも一人の人間を確かに救ってくれた。
だからあれだね。泥沼の中でおれがもがいてた時にいつの間にか蹴り飛ばしていたものを救うために、邪魔なおれを取り除いたみたいな感じだね。悲しい。
…ともかく。当時は確かに激烈に恋に落ちた。でも最近は、たまさんに対する感情は確かに愛ではあるけれど、恋であるか? と問うと少し疑問に思うようになった。
自分の気持ちを自分で理解するのも結構大変だったりするのだ。
それは置いといて(成功するとは思ってなくても)お見合いを台無しにされたのは今でもめちゃくちゃムカつくけどね。まあサドの申し子にバレた時点で未来はなかったんだけど…。
なんの話だっけ。そうそう「推し」の話。おれの場合は、ちょっとした信仰に近いのかもしれない。ある一人を信仰って場合や程度によっちゃ危険ってのもわかるけど、今回の場合はおまじないを唱えたらいいことがある的なものだ。救ってくれた人を考えるとなんだか気が楽になる。笑顔になる。ちょっと頑張ろうかなって思う。心の支えの一つがたまさんなのかも、みたいな。
これって恋か? となるとちょっと違う。
おれの今思う恋は、もう少し心の距離が近い。
なんて言うかなー。くだらない言い合いをしたいとか、一緒にのんびりしたいとか、笑顔にしてあげたい、みたいな。なんか言葉にすると照れるけど。
本当に微妙な違いなんだけど、でもたまさんへの感情はきっと恋じゃない。
じゃあ誰に恋してるのか?
本当に自分でも理解しきれていないんだけど、おれは…山崎退は、真選組副長・土方十四郎さんに恋をしている。
2
ドゲシ、ボカボカ。
非日常であってほしい、日常の音。
今日も素振りに勤しんでいると、どこから聞きつけたのか(多分原田)、副長がおれの名を叫んで殴り飛ばしてくる。
「テメ、サボってんじゃねェコラ! オイ!」
「すびばせんっふげッ」
予定調和なところはある。殴られるのが心底楽しいと言うわけではない。めちゃくちゃ痛いし。でも、副長が戯れてくれてるって思ってしまってどうもやめられない。
ボコボコになっても、二コマほど進めば大抵治ってるからまあいっかって感じ。職業柄拷問に遭わされる可能性も高いので、このくらいの痛みに慣れておいた方がお得(?)なのだ。鍛えてもらっているということにしよう。
お? そう思うとちょっと楽しいかも。ただのサンドバッグではなく、痛みにへこたれないおれを叩いて蹴って殴って作ってもらっている、とか。これはこれで共同作業かも? そういうことにしちゃおう。
「何ニヤけてんだテメェ、説教の途中で上の空とは上等だ。」
強かに頬を殴られた。痛い…。
ひとしきりおれに戯れると気が済んだのか、フンと鼻を鳴らしておれの上から退き、スタスタと去っていく。
殴られた頬に手を添え、呆然としている情けないおれ。
ひんやりとした土を背に感じて、うーんと伸びる。
「服汚れちゃったな〜…。」
雲と青の比率がかなり好きで、いい空だった。
3
恋かな? って思ったのは、別に副長と相対してる時じゃない。一人でぼんやりしている時に、ポンとその言葉が浮かんだ。
理解できないくせに、ストンと腑に落ちたような感覚がして首を捻ってしまった。
でも、悩むきっかけは二人きりの時の話だ。
◇◇
その日副長は非番だったにも関わらず、いつものように束となった書類と睨めっこしていた。
ワーカホリック極まれり。自分のことを少し棚に上げて、呆れてため息をついた。
どうせそうだろうとは思っていたので、お茶を持ってきて正解だった。
「アンタ非番までそんな難しい顔せんでもいいでしょう。」
「うるせェな。やることねェんだよ。」
「手持ちぶたさんなのは分かりますけど、…ね…」
「……」
するりと、おかしな言葉を言ってしまった。
「手持ち無沙汰、ですね。とにかく!」
どうにか仕切り直そうと語気を強めたが、目の前の上司は静かにくつくつと笑っている。
ああもう、格好がつかない。
「あのですね、副長?」
「ぷっ…、くくく。」
だめだ完全にツボっている。大して面白くもないと思うのだが、多分疲労のせいでハードルが下がっているのだろう。
まあ、難しい顔が一転して笑顔になったので悪くはない。
「手持ちぶたさんそんなに面白いですか?」
「んぶっ、ふっ…くくく、お前の真剣な顔のせいで、余計おもしれェ。」
「もー。笑いすぎですよ。」
「わりィ。…んふ。」
プイッと顔を逸らして口を手で押さえる。
視線が少し上に向かって止まったかと思うと、またくつくつと笑って肩を揺らす。
「手持ちぶたさん」を想像しているのだな…。
「てめェが間抜けな顔してぶたを持ってると思うと、めちゃくちゃおもしれェ。」
「おれかよ。」
なんだかムカつくような照れるような。
「とりあえず、書類はいいですからのんびり休んでくださいね。」
腹だか胸だかがカッカと熱いので、盆を持ってそそくさと立ち上がる。
失礼しましたと障子に手をかけると、「おう、ありがとな。」と笑顔のまま湯呑みを手に取っており、カッカとした熱が全身にやさしく広がった。なんだかポカポカとする。
トン、と静かに障子を閉めて、少し早足で盆を返しにいく。
おれは初めて「手持ちぶたさん」というものに感謝した。
◇◇
手持ちぶたさんの一件から、副長を笑顔にできたらいいな〜という気持ちが、言葉として頭に浮かんではこなくともぼんやりと確かに心に灯った。
狙ってウケが取れるほど面白い人間ではないと自覚しているので、副長が喜びそうなものを自然と目で追うようになった。
ガチャガチャコーナーのリアル調味料系ストラップのマヨネーズとか、マヨリーンのミニフィギュアとか。
赤と黄色が特徴的な服とかアイテムとか。
「最高品質の卵を使用!」と書かれた高級マヨネーズとか。
目につくものほとんど全部マヨネーズ関係だったけど仕方ないと思う。あの人の趣味って仕事かマヨネーズだし。(タバコは依存症)
もう一度笑顔にしたくて、本人も気づいていないような小さな好みに目を凝らした。
「お前にも違いがわかるか!」と驚いてほしくて、彼ほど好きなわけではないのにマヨネーズの食べ比べをこっそりした。
よくやったと微笑んでくれないかなと思いながら仕事を頑張った。
たまさんの時と何が違うのか自分でもよくわからないけど、やっぱり心の距離感としか言いようがない。というか相手によって思いの形は変わるものだし、比べても仕方ない。
真顔、仏頂面、あるいは鬼のような顔、あるいは不適な笑み。おれに向ける表情はこんなものだろうと思いながらずっとそばにいたのに、ぽろっと仕事の顔を外して素の笑顔を見せられたのだ。もっと知りたい見たいと思ってしまっても無理はないはずだ。
それに意識しだすとわかったのだけれど、おれは上司の(いやというほど)よく知る部分も好ましいと感じていた。
正直自分でもマジで? って感じだが、地味で目立たないはずなのにおれがサボってるとわかるとぶん殴りにすっ飛んでくるその律儀さとか、かなり好き。
苛立つと顔がヒクヒクと引き攣るところとかも、全然隠せてなくて好き。
「山崎!」の一声で、おれにいろんなことを語って託して求めて叱って励ましてくれるところも好き。
素直に好意を表すのが苦手で、全然そんなふうに思ってませんけど? まあいいんじゃねェの? みたいなややこしい態度をとるところも好き。
考えれば考えるほどムカつく人だなぁと思うのに、心底愛おしいとも思う。
そんな、副長へのいろんな気持ちをより合わせていくと、「恋」と呼ぶに相応しい糸ができたのだ。
しかし、「恋」と名前がついたところで、特にその後に変化はない。いつも通り仕事をして、いつも通りサボって殴られて、いつも通り布団に潜った。
生活リズムは変動しやすい職業だが、心持ちは変わらない。
今日も一日ご安全に。大事な人たちの大事な居場所を守るために。
そんな日々にほんの少しだけ私情が紛れ込むようになっただけだ。
4
二月六日。家族に何度も祝われたせいでなんとなくその日付を覚えてしまったが、別に「生まれたなぁ」という実感も感慨もない。おめでとうと言われても「ああ、ありがとう」と言うしかない。しかしまあ、ご馳走とプレゼントがもらえるので、子供ながらにお得な日だな〜と思っていた。
なので、故郷を離れてからはとんと祝われなくなり、おれもなんとも思わなかった。何より周りに言ったりなどしていなかったし。
日付の覚えだけはあるが、それ以上でもそれ以下でもないいつも通りの今日。
パタパタと駆け回り、サラサラと事務作業をこなし、副長に結果を報告。
短い相槌を打ちながら、関係資料を目で追う副長。ギュルルルルって頭の駆動音が聞こえてくるかもしれなくて少し耳をすませてみた。
「よくやった。今日はもう休め。」
おや? つい、膝についていた手がずり落ちた。
「え? なんですか急に。」
「誕生日だろ。まあ気にしてる様子は全然ねェのわかってるけど。ちょうどいいから今日くらい楽にしろ。」
「…ありがとうございます。そんじゃお言葉に甘えさせていただきますね。失礼しました。」
「おう。」
好いた人から気にかけてもらえるってのも誕生日がお得な要因の一つだ。
副長に何か買って帰ろうかな。なんて思いながら袴に着替えて外へ出る。
誕生日なのになんでおれに買ってんだよって言われたら何て答えればいいのかな。
アンタの嬉しそうな顔見るのがおれにとってのプレゼントみたいなとこあるんだけど…困ったな。
困った困った。あーどうしよう。
何を買ったら喜ぶだろう。
気がついたら、こっそり副長リストに入れていた高級マヨネーズを会計していた。
いつもは「突然渡しても困らせるだろう」とメモするだけにとどめていたのに、しくじった。
しかし、買ってしまったものは仕方がない。手に入れてしまうと、一刻も早く渡して副長に喜んでほしくなってきた。
さてどうやって困らせずに渡せるだろうか。
小さなエコバックをぷらぷら揺らしながら街を歩く。
ここはやっぱり副長にお夜食と一緒にさりげなく渡すのが一番得策だろう。
よし。そうとなればスーパーだ。でもさっき入ったばかりのスーパーにもう一度入るのはなんだか気まずいので別のスーパーに行こう。
突然気力が削がれてしまったので、これでおしまいです。
ちなみに土方はとっくに山崎のことが好きです。やったー。