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    いとさら/ittosara ずっとマスクをしている鬼と大学生の天狗の少し不思議な現パロです。「俺様は俺様のやり方で人間から尊重を勝ち取る!」「この角もっと派手にしようぜ!」な鬼はいないので解釈違いに気を付けてください。
    支部に投稿していたものと同じものです。

    カブトムシを探して倒れていたらしい 最寄りはどこかと聞けばないと答える。一ヶ月姿を見せないからもう二度と会わないのかと思ったら、一ヶ月と一日目に急に飛び出してきて、大学内のどこに行くにもべったべたに付き纏われた。在校生ではないらしい。単位も入らなければ履歴書にも書けない活動に熱心だ。平日、一限から講義室に潜り込んで聴講しているのを見るに、もしかしたら大学生ですらないのでは? 停学中か通信制の大学の生徒なら話は別だ。しかしわざわざ聞くほど男に興味はなかった。興味を持つのが癪だった。不審者とさして変わりないので彼のことはあまり好きではなかったが、単位を稼ぐためだけに履修登録して、出席したらあとは寝るような学生よりもよっぽど話を聞く意欲があるから、彼のその授業態度は好きだった。

     講義室の後ろの方の席を取ると全てが最悪だ。寒すぎるエアコンと会話をする人。こちらは教授の話を聞きに来ているのであってお前らの話はノイズでしかない、どうせ出席登録はしてあるんだろう、部屋から出ていけ! 出入り口に近いし、遠くの席からでもスライドやホワイトボードを見れる視力があるので後ろの席を毎度取っていたが、やがて人が少ない前の方の席なら静かに話を聞けると気がついた。教授の近くの席、それも最前列を取る人なんて相当意欲のある人くらいだ。目立つ白髪の男はいる時といない時があったが、いる時はいつだって最前列の真ん中の席にいた。
     真面目で熱心な生徒だと思ったのだ。だから休み時間に講義室の外の椅子で熟睡しているのを見た時、遅刻しては可哀想だから起こしてやったのが全ての始まり。

     彼は真面目な生徒どころか不法侵入者ではないのか?

     法律に詳しい久喜忍は現在留学中。鹿野院平蔵はとっくにこの男に気がついてるかもしれないが、むしろ歓迎しそうなタイプだ。
     悪いやつではない。むしろ性格はいい方なのは見ていればわかる。困っている人を見かけたら助ける、目を見て話を聞く、質問には答えを返す。どれも人間が五歳までに教えられて、二十歳になる頃には殆どが忘れることだ。そのどれもが男はできる。素直でまっすぐで明るい男だがとにかく私とは反りが合わなかった。

    「おォ、ありがとよ! ……んああ、あぁ? この俺様の名前を知らない!? 覚えて帰れ! 俺様は荒瀧・唯我独尊・一斗!」

     初めて話しかけた時にされた自己紹介をまだ覚えている。空気の揺れを感じるレベルの大音量もだ。この男、常にマスクをしているが、喉は枯れているどころか非常に調子が良いらしい。外しているところを一度も見た事がなくて、つまり春も夏も装着して過ごしていた訳だ。秋も冬も来年の今頃も、ずっとマスクを付けて過ごすのかもしれない。季節が絡む風邪や花粉症対策という線は薄いだろう。第二の可能性はマスク依存性? 醜形恐怖症? まさかこの男が? 唯我独尊一斗が? こんなに見た目も性格も派手な男が顔にコンプレックスを抱えているとは考えにくい。けれど他に理由も見つからないから、とりあえずマスクには触れないようにするしかなかった。



     一方的につるまれるようになってから知ったが、男には放浪癖があった。家がないらしいのでフットワークが軽いのも遠出への抵抗感が薄れるのも当然と言えば当然だが、講義が終わった後バイトをすればシェアハウスで自分のための畳でも手に入るだろうに。本人が「家を借りたい」と言った訳じゃないし、彼の勉強への意欲を削ぎたくなかったので言わなかったものの、本当なら大学に来ないで日中もバイトしているのが一番の近道だと思う。普段はどうしてるのか聞けば、銭湯行ったらネカフェかカラオケでやり過ごすことが多いとか。友人の家を転々としたこともあるらしい。部屋を借りた方が安上がりのように見えるが、それより、銭湯? もし彼がマスク依存性なら極力行きたくないスポットだろう。やはり一旦バイトに集中することをオススメしたい。教授が退職さえしなければ来年も同じ講義が開講されるのだから。マそれはどうでもよくて、つまり何が言いたいかと言うと、彼はバイトを詰めてまで家を借りたい人じゃなかったということだ。
     金がないとネカフェもカラオケも入れないし、携帯の料金も毎月払っているらしいので最低限のバイトはしていて恐らく銀行口座もあるのだろう。一時期口座すら持ってないのではと疑っていたので安心した。会話の節々からは金欠なりにも貯金のことも考えて生活していることも伺える。
     実家に帰ったらどうだと言うほど無神経な人間ではないつもりだ。追い出されたのか自分から出ていったのか他の理由があるのかいちいち知らないが、彼は実家というものと縁がない事はここまで来たら誰だって分かる。これは彼の生き方で私は彼と全く関係がないので、心の中で男に前科と余罪がないことと、まだ家に上がり込ませてくれる友人がいることを願うしかなかった。



     一ヶ月会わないことはあった。だが季節が移り変わっても姿を見ないのは今回が初めてだった。秋が終わり、冬を越して、春が来たらついにどこかで野垂れ死んだかと頭の中を過ぎったが、縁起でもないので考えるのをやめて、彼は新しいお気に入りの講義室をもっと都会の学校で見つけたという想定で過ごすことにした。もしくは案外田舎の方がお気に召すかもしれない。私が通っているこの大学は都内にあるが二十三区外。最寄り駅には十分毎に電車がやって来るが、そこからキャンパスまではかなり歩く。最寄り駅の名が「どこどこ大学前」なんて言われてる大学に通う荒瀧一斗を想像して……やめておけ、都会は一人カラオケなんてしたらすごい勢いで金が飛ぶんだから。銭湯だって見つけるのは一苦労だ。それとも、自分のためのワンルームを見つけたのか。都会の家賃は馬鹿にならないのだからやはりやめておけ。でも彼なら防犯の心配はほぼないだろうな。近所付き合いも得意だろう。
     講義室の前方は私だけの席になった。

    ♢

     真夏の午後2時に公園の砂利の上で行き倒れる人を見たことはあるか? 助けを呼ばなければと思って近づいたら、見たことある顔だったことは?
     見たことある顔といっても上半分だけだ。はだけた上半身と違ってマスクはやはり顔に張り付いている。最高気温が35度を超える猛暑日にそんな事をするから倒れるのだと言ってやりたい。狼狽えて、マスクを外させるか悩み、右手がおかしく宙を彷徨う。自分の鞄にまだ冷えている水筒があることを思い出してまず先にと首に当てた瞬間、バチンと男が目を開けた上明るく話しかけてきたものだから声の掛け方を忘れた。

    「ッお……あんたか。九条の……」
    「え、みず、からだ、は? おい」
    「くぅ〜ッ冷てェ! 生き返るぜ!」
    「動くな荒瀧一斗、おい、救急車は呼ぶか!?」
    「いんや? あァ〜でも待ってくれよ! 俺様をメシに連れてってくれ! この通り!」
    「は? あっ、いや、は?」

     この状況で店まで歩く気かというのがまず先に来て、次にお前は人前で食事ができるのかという疑問が降りてきた。無理しなくても木陰で休んでくれれば今すぐ人を呼んでこれるしペットボトルも買える! そう主張するも、「キンキンの蕎麦食いてぇ、蕎麦」と男は勢いよく足を振り上げて腹筋の力で立ち上がった。普通ならありえない。服に付いていた砂を払って何も無かったかのようなしっかりした足取りで公園の出口へ向かうから、先程倒れていたのは眠っていただけなのではと疑いかけた。もしそうなら紛らわしすぎるのでベンチで眠っていて欲しい。実際のところ彼の顔の上半分は真っ赤で、これで起きないのはおかしいと思える時間と量の熱気を浴びていたようなので気絶と見て良いはずなのだが、では彼は何故元気なのか。遠慮もなしに首や頬に人の水筒を当てている男へ追いつき、もう一度提案をする。

    「動くな、立っているのも辛いはずだ、すぐそこの日陰で休もう」
    「俺様をなめるんじゃねェ! これくらい平気だっての」
    「馬鹿野郎命に関わるぞ!!いいから!私に!引っ張られてろ!」
    「くわしーこたぁ蕎麦食ってからだ! 俺様は嘘はつかねぇ漢だ! だから病院はやめてくれ!」

     子供か。簡単に負けるはずだと思って引いた手をいとも簡単に拒まれる。ただの強がりではとても出せない力だ。やはりありえない。不審に思って彼の顔を改めて観察すると、多少の汗はかいているものの既に赤みは引いていた。


     ランチタイムのピークを過ぎた蕎麦屋にはスムーズに入れた。お好きな場所に座ってくださいと案内され、荒瀧一斗が率先して席を確保しに行く。目立ちたがりの彼は珍しく人目が気になるようで、キョロキョロと周囲を見て人目につかない端の席に座り込んだ。仕切りもあって開放感を感じない。もしかして目隠しが欲しかったのだろうか? よっぽどマスクの下に隠されている何かがコンプレックスのようだ。しかしそれなら何故私と食事をする気に? 彼が一方的にうざったらしく絡みに来ていただけで、秘密の共有をする程の仲ではない筈だ。少なくとも私の中では彼は未だに不審者である。
     店員が水を運んできて、注文をして、そしてその注文した蕎麦が二人分運ばれて来るまで。店員が次に席に近づいてくるタイミングが無くなるまで、荒瀧一斗はマスクを外さなかった。ざるの上に乗るきらきらした氷とそばと海苔、別皿にネギ、天ぷら、深い器にめんつゆ。昼飯はもう食べたとか蕎麦は気分ではないとか理由はいくらでもあったのだから、自分は注文をしなければよかった。席を離れにくい。今更どう気を遣うべきかも分からず正面の男を見ると、今まさにマスクを外すところだった。

    「あ」

     見てもよかったのかと声をかけたり、目を逸らす隙もなかった。男は笑っている。綺麗な歯並びが見える。

     その歯の中には上下二対の牙が紛れていた。

    「角は綺麗に折れるし、俺様となれば顔にも派手な模様が入ってるんだが、それは街を歩くだけなら誰も気にしてこねぇんだよ。銭湯に入るのは一苦労だけどな! でもこいつは誤魔化しきれねぇ」

     犬歯と言うには大きすぎるそれを舌で舐めながら指し示す。マスクを付けていた理由も、公園で倒れてからの回復が異様に早かった理由も一度で説明しきった男は待ちきれなかったように割り箸を割った。
     あまりに呑気すぎる。この男は今、自分が鬼であることをカミングアウトしたのに。

    「何故それを私に教えた」
    「だってお前、俺と同じで妖怪だろ? 天狗さんよぉ」

     ようやく驚いた顔をした私を見て鬼は嬉しそうに笑う。

    「人間に混ざって生活してもすぐ誤魔化しきれなくなって拠点を転々としてたんだけどよ。ようやく初めて俺様以外の妖怪を見つけたんだ、ヘヘッ俺様は運がいいぜ!」

     さらに聞くところ、見た目が派手すぎてそもそも友人ができにくい上、大きな体格と鋭い目付きで怖がられ、コミュニティに入っては追い出されを繰り返していたらしい。次の拠点はどこにするかと思案していたところに偶然私を……天狗を発見したのが去年の春の話だとか。「ちょうど強いカブトムシが手元になかったから手に入れてからお前に話しかけようと思ってたんだぜ? まさか九条の天狗から話しかけてくるとはな」と何だか訳の分からないオマケ話もついてきた。

    「お前が人間に完全に混ざって生活してるのを見て、俺様もお前の真似をすればいいんだって思ったんだ、中々の出来だっただろ?」
    「確かに気付かなかったが悪目立ちしていた! しつこい上に部外者しかも途中から学校中で私の事を探し回ってただろう!」

     それの何が問題なのかという顔で男は歯を見せて笑っていた状態から口角を下げる。今までならいくら表情を変えられてもどうも思わなかった。だがマスクがない今、その簡単な動作で鋭い牙が分かりやすく存在を主張してくる。彼にそんなつもりがなくてもだ。

    「お前は人間の『妖怪なんて迷信だ』という思い込みに助けられていただけで、かなり傾奇者だぞ」
    「ハッ、傾奇者! まさに俺様にぴったりの言葉じゃねえか」
    「悪い意味だ、バカ! 口元を隠すのも角を削るのもいい事だが、普段からあまり目立つことをするといずれボロが出るぞ」

     彼はいずれ山に帰るつもりだったのだろうか。違う。彼は彼なりに文明に適応しているし、街から街へと移動して都会に来るまでにいくらでも山に帰るタイミングはあった。彼が人間に交ざりたいのは本当なのだ。
     荒瀧の表情はほんの少し、ほんの少しだけ寂しそうになった。自分の未来を想像したからかもしれないし、ただ蕎麦を食べきってしまった事が惜しかっただけかもしれない。

    「そん時はこの街からは出ないとなァ」

     自分が何かを口走ったせいで、この男が姿を消すまでのタイムリミットが大幅に早まったように見えた。別に私の生活から、街から出て行けと言いたかった訳じゃない。妖怪を見つけて興奮していたのはこちらも同じなのに。今までの自分なら喧しい男が消えても何も気にしなかった。秘密の共有なんてするから。
     一瞬黙ってしまい返事をするタイミングを永遠に逃した。彼の寂しそうな返しは寂しそうな独り言になって、もう目の前の鬼はこちらの余った天ぷらを取り上げることしか考えていない。
     人生で一度も人間に交ざるための苦労をした事がない。先に天ぷらに齧り付いて、人のものに手を出すなと喋るふりをして口を手で抑えた。ただ小さな歯が大人しく並んでいるだけの、人と変わらない歯並びだ。歯医者に通ったこともあるが、医者にだって一度も何も疑われなかった。口内が空になっても噛んでるふりを続ける。出て行くなと簡単な言葉すら言えない口が、今はどうしても憎かった。
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