裏切り(仮)……試合は散々だった。降下地点での戦いで早々に味方二人をなくし、絶好調のシアとレイスにそれはもう執拗に付け狙われ、ろくなダメージも与えられずに敗北した。いつもなら反省を生かすために訓練場にでも籠るところだが、どうにもやる気が出ずぶらぶらしている所を、ミラージュに捕まった。慰みに酒でもどうかと言うのだ。断ってもよかったのだが、なんとなく興が乗って、人のいないラウンジのカウンター席に腰掛けているのが、今。
「お前のために一時間早く店を閉めたんだ。注目されるのはお好きじゃなさそうだしな。俺とは違って。ま、試合のことは一旦忘れよう。楽しく一杯やろうぜ……ご注文は?」
「任せる」
「ほう?ほうほう……いいね、そうこなくっちゃ。ミラージュ様特製カクテルを作ってやるよ。特別だぜ?あー、一応聞いとくが、苦手な酒とかは」
「ない」
酒棚の前でグラスを拭いているデコイの肩を、ミラージュがリズミカルにポンポンと叩くと、デコイは大袈裟に肩を竦めてから、ゆらゆらと揺れて消えてしまった。酒瓶を一本、お気に入りのおもちゃでも見せびらかすように大仰に取りだして、ご機嫌で語り出す。
「ほら、見てくれよ!新作のジンさ!つい昨日仕入れてきたばかりなんだ。ラベルが最高にイカしてるだろ?特にこの色!キンキンの黄色はいいよな、とにかく派手だし、目立つ!」
「大事なのは、見た目より味だろう」
「んだよ、俺の母さんと同じこと言うんだな。ボトルも味のうちだよ。目で味わうって言うだろ……っと。ほぉら、いい香りだ」
キャップを開けた途端、ジン特有の香りと共に、レモンの爽やかさが鼻を抜けていった。
【ここにいい感じの酒の話】
淡い紫の液面に、大ぶりの花弁が一枚浮かんでいる。
「いいだろ。母さんが育てたダリアだよ。綺麗なもんだろ?毒はない。安全だ。当たり前だけどな。そのまま食っていいぜ。美味いかどうかは分からないが……」
【この間になにかしらを埋める】
「フレーバーがついてるんだが、レモンがいい具合だろ?ブルームーンにするのが一番だと思ったんだよ。バイオレット・リキュールはなかなか甘いし、クリプちゃんにはレモンが強いくらいがちょうどいいんじゃねえか?」
「ジンね……」
「な、なんだよ。お任せでいいって言ったのお前だろ」
「いや。別に悪いわけじゃない。いい味だ。ただ、色々と……思い出しただけだ。気にするな」
「へえ……そうかよ。ま、お前が超絶秘密主義者なのは今に始まったことじゃないしな。聞かないでおいてやる。別に、知りたくもないしな……」
「いい歳こいて拗ねるんじゃない。……カクテルはちゃんと美味い。安心しろ」
【なにかしらを埋める その2】
「なあ、これは例え話だが……崖から落ちそうな人が二人いたとして……クリプト、お前なら家族と友達、どっちを助ける?」
「そんな状況にならないよう気を配る」
「おいおい、例え話のこんぽ……こん……、前提を揺るがすのはナシだぜ?俺が聞きたいのはどっちを助けるのか、だ。とんちを聞きたいんじゃない。分かるよな?」
「……まあ、そうだな。俺なら……家族を選ぶだろう」
「だよな。お前ならそう言うと思ってた。俺も同じ気持ちだしな。お陰で自信が持てた。俺は間違っちゃいないってな……ありがとよ。クリプト……いや、テジュン」
カウンター越しのウィットの顔から、いつもの軽薄そうなニヤニヤ笑いが消える。銃口がこちらを向いた。咄嗟に持っていたグラスを投げつけるが、避けられる。客から癇癪を起こされるのは慣れているのだろう……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。頭上を掠めた銃弾が椅子のクッションに突き刺さり、古く黄ばんだ緩衝材がそこらじゅうに飛び散る。
「ウィット!?どういうつもりだ!」
「悪く……思わないでくれよ。こうするしか……」
「冗談でも笑えないぞ。早くその銃をしまえ!」
「お前が俺の冗談で笑った瞬間があったか?いや、そんなことはどうでもいいな。どうでもいい……」
「待て、待てウィット。説明をしろ。今ならまだ許してやる」
「……今崖に俺の母さんがぶら下がってるんだ。それを支えてるのは俺の右手と、神の左手だ。どちらか一方でも欠ければ落ちてくだろうな。俺はいつまでだって母さんの手を握ってるよ。でも……カミサマはそうもいかねえだろ。そう言われたんだ。だからだよ」
「全く意味が分からん!」
【ここにいい感じの戦闘シーン】
「騙されたな」
背後からの声と共に首筋に強い衝撃を感じ、――そこで意識は潰えた。
程なくして、店の前にトラックが停車した。人一人詰めてもまだ余裕がありそうな大きな箱を台車に乗せ、偽の運送会社の制服を着た男が数人、こちらにやってくる。
「そこに」
床に転がしてあるクリプトを手で指し示す。男たちは粛々とそれを持ち上げ、箱に入れて蓋をした。カモフラージュのためのコンテナが運び込まれ、入れ替わるように箱はトラックの中に戻っていく。
「こちらでお品物お揃いでしょうか?」
「ああ、問題ない」
「ありがとうございます。こちら受領書です」
「どうも」
それらしい会話をしながら、差し出された封筒を受け取る。中身を確認して頷いてみせると、男たちは姿を消した。トラックのエンジン音が遠く離れていく。
封筒の中にあったのは、約束通りの薬の束だ。六ヶ月分ある。認知症に効く薬……それも、進行を遅らせるのではなく、認知症そのものを治すことができる、魔法のような薬だ。だが、まだ一般には認可されていない。胡散臭いにも程があるが、効き目は俺の母さんが証明している……。流石は世界一の製薬会社といったところか。なんとも素晴らしい薬だが、完治するまでに年単位での服用を必要とする。まあ仕方ない。その上、治療途中で断薬してしまうと、すぐ元の状態に戻ってしまう。元の状態で留まっていられるならまだいい方で、酷いと前よりも症状が進行してしまうこともあるらしい。精神薬のようなものだ。
【ここにいい感じの独白】
「エリオット!そろそろ店じまいの時間だと思って、電話したの。」
「……エリオット。何かあった?声に元気がないけど……」
「あ、いや!そんなことはないさ。ただちょっと……疲れただけだ。試合後に店をやるんだからな。すぐに帰るよ。母さんの美人な顔を見たら、疲れなんかすぐ吹き飛ぶぜ!」
「あらやだ、また馬鹿なこと言って!なんにせよ、気をつけて帰っておいで。……母さんは、いつでもあんたの味方だからね」
電話が切れる。
「俺も、いつだって母さんの味方だよ……」
だからこれは間違っちゃいない。