そのキスで、始めようカート大会を終えたその夜。
出場者一同はピーチ城の大広間で、打ち上げという名目の立食パーティを楽しんでいた。
マリオも姫達もクッパ軍達も皆和気藹々としている中、ワルイージだけは不機嫌そうな顔でグラスを傾けている。
というのも、彼は一戦も上位入賞できずに終わってしまったからだ。
レースが終わり、マリオ達が勝ち誇った顔をして表彰台に上るのを見た時、彼はあまりの怒りから思わず壁を殴ってしまったほどだ。
ワルイージはまだ微かに痛むその手を庇いながら、新しいグラスを手にひとりテラスへと足を運ぶ。
殺気すら纏うその後ろ姿を、気がかりな様子で見つめる視線があった。
その主は、ロゼッタだった。
ロゼッタはそっとワルイージに近づいていく。
そして、背後にふわりと立ち、声をかけた。
「ワルイージさん」
振り返り、彼女を視界に入れると、ワルイージは不機嫌そうな声で言った。
「……何か用か?」
「あまり良くない飲み方をされているようですから」
ロゼッタは心配そうに見つめながら言う。
そんな彼女に、ワルイージはさらに苛立ちを募らせたような口調で言う。
「今夜は飲みてぇ気分なのさ」
しかし彼女は引かなかった。
さらに一歩詰め寄ると、真剣な表情を浮かべながら口を開く。
「いいえ。顔色もよくありませんし、これ以上はおすすめしません」
「うるせぇな!オレ様は疲れてるだけだ!」
「本当にそれだけですか?……もしや、あの方に負けたことが悔しいのでは―――」
図星を言い当てられ、ワルイージの顔色がサッと変わる。
その反応を見て、ロゼッタは彼の心中を見透かすように、その瞳をまっすぐ見つめる。
まるで彼女の目には、ワルイージの心の中の葛藤が全て見えているかのようだ。
積年の宿敵であるルイージ。今日のレースでワルイージは、彼を一度も追い抜くことさえできないまま終えてしまった。
普段ならこんなことで落ち込んだりしないのだが、今回は何故か調子が悪すぎた。
ロケットスタートを失敗し、アイテムを拾えず、ショートカットも見誤る。
いつもはしない凡ミスを頻発したことにより順位を落としてしまい、優勝を逃すばかりか入賞さえもできなかった。
いちばん許せなかったのは、表彰台の上でルイージにしたり顔をされたように見えたことだ。
ルイージの性格を考えればそんなことはしないと分かってはいる。だが、そんな風に見えるほど、ワルイージの精神状態は荒れていた。
「確かに今日は、貴方の調子がいつもより良くないことは分かっていました。けれど、それはあくまでいつもと比べたらの話です」
ロゼッタは諭すように静かに語りかける。
彼女が言っていることは間違いではない。
だがそれでも、彼の中のプライドがそれを認められなかった。
原因の一つには、ロゼッタの存在もあったかもしれない。
彼女の存在があるせいで、彼女と出会わなければ、もっと上まで行けたかもしれない。
……ふたりの間には、皆には言えない秘密があった。
それは、ふたりが恋仲ということだ。
きっかけは些細なことだった。
ワルイージが冗談めかしてロゼッタに一輪の赤い薔薇を差し出したところ、ロゼッタはそれを愛の告白と捉えてしまった。
ロゼッタはそれ以来、事あるごとにワルイージへの想いを口にするようになった。
最初は鬱陶しく思っていたものの、次第に彼女に惹かれていく自分に気づいていった。
やがてワルイージはロゼッタを受け入れたのだが、未だにそのことを誰にも打ち明けられずにいた。
理由は単純明快で、彼がロゼッタとの立場の違いを意識してしまっているからだ。
星を司る姫と、卑屈な小悪党。
本来ならば釣り合うはずもない二人だ。
だから、ワルイージはなかなか素直になれず、つい憎まれ口を叩いてしまう。
……その事実を思い出したことで、ワルイージの心に迷いが生じる。
自分の不甲斐なさを認めたくないという気持ちから、ついロゼッタに強くあたってしまう。
―――やれやれ、彼女のもとにいる星の子ですら、こんな駄々っ子はそうそういやしないだろうに。
ワルイージは自嘲する。
しばらく沈黙が続いた後、やがてロゼッタは小さくため息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「なにより…私が、貴方のそんな顔を、見ていたくないだけなのです……」
寂しげな笑みを浮かべながらロゼッタは言う。
それはきっと本心だろう。
しかしワルイージは、彼女の優しさをどうしても受け入れることができなかった。
だからこそ、余計なお世話だと言わんばかりに突き放す。
「……いいからもう、オレ様のことはほっといてくれ」
そう言ってロゼッタの横を通り過ぎようとした時だった。
突然ロゼッタはワルイージの腕を掴むと、そのまま引き寄せた。
そして、驚く彼に構わずその唇を奪う。
短い時間だったが、確かな熱を感じさせた。
突然の出来事に、ワルイージはただ呆然と立ち尽くす。
普段は物静かで思慮深いロゼッタが、まさかこんな大胆なことをするとは思ってもいなかった。
そして、これがふたりにとっての初めてのキス。
今までロゼッタは、ワルイージに好きだとは伝えてきたが、それ以上のことは求めてこなかったのだ。
それが、何故急にこんな真似をしたのか。
やがてロゼッタが唇を離す。
「ごめんなさい…今の貴方には、言葉では届かないと思ったから……」
引き寄せた手を離してそう口にすると、ロゼッタは頬を染めそのまま俯いてしまう。
ワルイージの胸は高鳴っていた。
ロゼッタの潤んだ瞳を見つめながら、彼は思う。
―――この女は、どうしてこんなにもオレ様を掻き乱すんだ………!
瞬間、ワルイージは無意識のうちに彼女の手を引いていた。
そして、先ほどのお返しとばかりにロゼッタの唇を奪った。
今度はロゼッタが驚き固まる番だった。大きな翠眼をさらに見開いて、されるがままになっている。
ロゼッタの唇は柔らかく、温かかった。
その感触はワルイージの心をさらにざわつかせる。
……どれだけの時間、そうしていただろうか。
やがて、ワルイージは唇を離し、ロゼッタの細い体をきつく抱き締め、呟いた。
「……アンタのせいだ」
その声は、微かに震えていた。
ロゼッタは何も答えない。
ただ、優しくワルイージの背中を撫でていた。
まるで、幼子をあやすように。
ワルイージはなお続ける。
「アンタのせいで……アンタがいるから、オレ様は……!!」
そこまで言ったところで、ワルイージはハッとして言葉を止める。
ロゼッタはそっとワルイージを引き離し、そして静かに語りかけた。
「……えぇ、分かっています。全部、私のせいにしてください」
ロゼッタはワルイージの頬に手を添えると、彼の目をまっすぐ見つめる。
神秘的な翠の色に吸い込まれそうになる。
ワルイージはもう何も言えなかった。
ロゼッタは、いつものように穏やかな表情で微笑んでいる。
その顔を見た途端、ワルイージは心の中にあったわだかまりが溶けていくような気がした。
ロゼッタの手に自分のそれを重ねると、ワルイージは改めて思った。
――オレは、彼女が好きだ。
そして彼女も、オレを想ってくれている。
……なら、もう迷うことはない。
意を決したワルイージは、再びロゼッタを抱き寄せ、告げた。
「……好きだ、ロゼッタ」
ロゼッタは驚きつつも、その腕の中で小さくこくりと頷く。
そして、ワルイージの耳元で囁くように言葉を返した。
その声は、微かに揺れているように感じた。
「…やっと、貴方から言ってくれましたね」
体を離し、ロゼッタは微笑みを返す。
そういえばそうだったな、とワルイージは思う。
これまで何度も気持ちを伝えてきたロゼッタに対して、ワルイージはなかなか素直になれなかった。
身分の差や、ちっぽけなプライドが邪魔をしていた。
けれど、今は違う。この想いを認めた今なら……。
ふと、お互いの視線が重なる。
ロゼッタは少し恥ずかしそうにしながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
その意図を理解したワルイージは、緊張しながらも、彼女に顔を近づけていった。
月夜のテラスで、ふたりの影がひとつに重なる。
先程の強引なものとは明らかに違う、優しい口づけ。
心まで解けて、優しくなれるような……。
ふたりはしばらくの間、互いの存在を確かめるかのように、ただ唇を重ね続けた。
やがてどちらともなく顔を離すと、ふたりとも小さく微笑みあった。
「……と、とんでもないもの見ちゃったわ…!!」
柱の影で、驚きのあまり顔を強ばらせている人物がいた。
デイジーだ。
ワルイージとロゼッタがテラスで話し込んでいるのを見かけ、こっそり覗き見していたのだ。
―――まさか、あのふたりがそんな仲だったなんて。
慌ててその場をあとにするデイジー。
ふたりが寄り添っている姿を思い出し、デイジーは思わず赤面する。
「……これは大スクープよ……!!」
デイジーは足早にパーティ会場へと戻っていった。
しばらくして会場へと戻ったワルイージとロゼッタが、参加者一同から冷やかしと祝福の混じった質問攻めに遭うのは、また別の話。
《fin》