ふれていたい 師匠と一緒に暮らすようになって半年ほど過ぎ、ようやく師匠との距離感が自然になってきた。
中学生の頃まではあんなに気軽にスキンシップしてくれてたのに、僕が高校に上がってからは「もう子供扱いでぺたぺた触られるとイヤだろ?」と急にやめてしまってから、師匠と僕はめったなことでは身体が触れ合うことがなくなっていた。
もちろん、危険な除霊作業の時はフラついた師匠を支えたり肩を貸すこともあったけど、そのたびに「あれ、この人って、こんな小さかったっけ」と、自分との体格差が縮まっていくことに驚かされるほど、互いの身体を近づけることは少なくなってしまった。
でも最近は、僕が歯を磨いてる後ろで洗濯機を使う師匠と背中が触れ合ったり、寝ぼけた眼で冷蔵庫の中身とにらめっこしてると「電気がもったいない」と頭を軽くチョップされたり、ソファに座ってスマホで動物の動画を観てたら、後ろから師匠が首を伸ばして無言で僕の肩に顎をのせて覗き見たりする。ちなみにその時に僕が観てたのは犬の動画じゃなくてカワウソだったので、「ふーん、かわいいな」の一言ですぐ立ち去ったけど。カワウソはそんな刺さらないですか?
そんなふうに、僕が子供だった頃と変わらない近しさを取り戻し、一日中同じ部屋で過ごす日も増えてきて気がついたけど、そういえば一緒に暮らし始めてしばらくは、僕が休日で家に居る日には師匠は必ず予定を入れて出かけていた。師匠とは休日がそんなにかぶらないんだけど、相談所がお休みの日でも「ちょっと散髪に行ってくるわ」「芹沢の買い物に付き合うんで出かけるな」「相談所のビルの消防点検の立会いにいってくる」とかなんとか言って。
けどそれは初めて他人と暮らす僕のために、一人の時間を確保しようとしてくれてたんだと、今になってわかる。
そんなことしなくても師匠と居て気疲れなんてしないのにな…って風にも思うけど、でもそれは結果論というか、もしかしたら師匠のそういう見えない優しさがあったからこそ、師匠と共に過ごす時間が安らげるものになったのかも知れない。
それに気づいてから師匠のことが前よりも愛しく思えてきて、「もっと優しくしたい、感謝を伝えたい、幸せにしたい、僕にできることならなんでもしたい…!」という思いがどんどん湧いて、僕から師匠へのスキンシップは自然に増えていった。
「あ、牛乳買っておいてくれたんですね!ありがとうございます」
「おー、ちょうど安売りしてたから。あとイチゴも野菜室にあるぞ」
「え!嬉しい!師匠、ありがとう!」
チュッ
僕は師匠にハグして、頬に軽いキスをした。
師匠は驚いたのか目をパチパチさせて僕を見たけど、フッと笑って「そんなに嬉しかったか?」とはにかんでくれた。
可愛いな。
師匠はスーパーでも八百屋さんでも僕のことを考えてくれてたんだなって思うと、「ありがとう」って言葉だけじゃ伝わらない喜びが溢れた。
師匠だけじゃない、たとえば、お母さんだって「自分のことは自分で出来るように」って、小さい内から食器洗いや自分の部屋の掃除は自分たちでやるようしつけられたけど、僕ら子供たちだけじゃ足りない部分はそっとフォローしてくれてた。
律は僕が悩んでるといつも気づいてくれて「僕にできることがあったら言ってね。相談にのりたいんだ」と声をかけてくれる。ちゃんとそばで見てくれてるだけでも有り難いのに、それを言葉で伝えてくれる。すごいことだ。
ツボミちゃんも定期的に僕のことを気にかけて連絡してくれるし、励ましやアドバイスもくれる。
エクボも、僕のことお見通しかと思うとプライバシーを尊重してほっておいてもくれるし、必要なら僕の耳に痛い意見もしっかり言ってくれる。
花沢くんは僕が無茶なお願いをしてもいつも全力で向き合ってくれる。(中学の球技大会バスケの時は…本当に申し訳なかったな…)
芹沢さん、トメさん、武蔵部長や、部活のみんな。
色んな人が、言葉や態度、行動で僕を人生を補ってくれている。僕一人では足りない部分を、周りの人が作ってくれて今の僕が出来たんだ。
なんでも一人で出来ちゃうことは便利だろうけど、助け合うことが出来る方がずっと良い。
"僕以外の人が僕のことを考えてくれる"…それってすごい恵まれてることで、僕はすごく幸福な人間だ。師匠の優しさを通してそれに気がついて、改めて感動してしまった。
超能力に悩んでた時は自分だけがこの世で一番禍々しく惨めで弱い人間のように感じてしまうこともあった。けど、師匠と出会ってからは超能力を持った自分ごと受け入れられるようになった。
師匠は僕にとって特別だ。師匠がいるから、僕の世界は今こんなに輝いてるんだ。
ああ、嬉しい。身体中から光が漏れ出るみたいに、幸せな気持ちと感謝の念がこみあげて、僕は師匠にもっともっとそれを直接伝えたくなった。
超能力者じゃない師匠には感情や記憶を直接送り込むことはできないから、スキンシップが親愛の気持ちを伝えるのに一番適している。
なので、僕はそれから毎日、師匠に沢山触れるようになった。
ありがとうのキス、
おかえりなさいのハグ、
おやすみなさいのキス。
これらを繰り返してるうちに、最初は驚いたり照れくさがったりしてた師匠の身体もだんだん逃げなくなって、ある日僕が「口にもキスしていいですか?」って聞いても、「…ん、いいよ」と顎を向けてくれた。
チュッ
…チュッ
…チュッ
師匠の唇はさらさらしてて柔らかくて気持ちよくて、何度もついばんでしまう。
「…コラコラ、そのへんにしとけ」
「あ、失敬…へへ。師匠の唇、柔らかいなって」
「ちょっ!そういうこと言うのはやめなさい!!変な気持ちになるだろ!」
「変な気持ち…?」
「つまり…その…なんかちょっとドキドキしちゃうっていうか、アレだろ?モブは別に、俺と暮らしてることに、パートナーとか恋愛とかそういうのはないんだろ!?」
「そうですね、そういうのは特に考えてないですけど…師匠がこんなに優しくて可愛い人だなんて一緒に暮らすまでわかんなかったし…」
「え…、か、かわ…いい?」
「師匠もよく、散歩中の犬とかにキスしてるじゃないですか、ちょっとああいうかんじというか」
(※よそ様の飼い犬との接触は飼い主と犬の同意を得てからにしましょう!また、動物の唾液を介した病気もあるので注意しましょう!)
「え、…あぁ、そういうかんじなの?俺はてっきり、最近のモブのスキンシップの多さは赤ちゃん返りかなんかかと」
「いや、さすがに赤ちゃん返りする歳じゃないですよ…あれ?そうなのかな?たしかに小さい頃は律のほっぺによくキスしてたって聞かされてたし、キス魔なのかな…僕」
と、自問自答しつつも、怪訝な顔でこちらを見てる師匠の顔を見ていたら、また吸い寄せられるように唇に目がいってしまう。
最初は感謝の気持ちや親愛を伝えるためにしていたスキンシップだけど、たしかに今は自分の欲求からしている気がする。
師匠の肌に触れるとホッとする。師匠の匂いを直接吸い込んで、体温を感じて、身体の厚みや硬さを確かめるたび、超能力とは違う何かが師匠と僕の身体の中を行き来して巡っていき、生物としての原初的な歓びを感じてしまう。
唇はたくさん細かい神経が通ってるから、触れた時に多くの情報を得られるって聞いたことがある。
僕は師匠のことを唇で確かめてるんだ。今日も師匠が僕を大事に思ってくれていることを。師匠が僕の大事な師匠であるということを。
「…僕、やっぱりキスが好きなのかも…もう一回していいですか?お願いします」
ジッと目を見て頼み込むと、師匠は口をムニムニさせ、考え込むように顎を掴んで少しうつむくと、
「まあ…お前がしたいなら」
と許してくれた。
その後、僕らがキスより先に進むのも自然なことだった。
了