君と暮らせたら(恋におちたら) 夢を見た。
師匠が小学生で、僕は今と同じ大人のままで相談所にいる。
ドア開けて入ってきた小さい師匠が、初対面の僕に言いにくそうに相談する。
「俺、ウソつきなんだ。本当のことを言ったら相手が怒ったり傷ついたりするなら、ウソを言ったほうが皆にとって得だと思ってウソつくんだけど、なんでかウソをつくと自分のことがだんだん嫌いになってくし、周りの人も遠くに感じる。俺、それが怖いんだ」
師匠が悩んでる。この小さな体で、一人で悩みを抱えてるんだと思うとなんとかしてあげなきゃという気持ちで一杯になる。
でも口を開いても言葉が出てこない。
師匠が僕に言ってくれたような救いになる言葉をかけてあげたいのに…
パクパクと口を必死で動かしてると、小さな師匠がため息をついて帰ろうとする。
「待って!」
なんとか声が出て呼び止める。小さな師匠が振り返る。
「………大事なのは、人間味だから!」
それだけなんとか絞り出すと、師匠は「だな。」とだけ言ってニヤっと微笑んだ。
そこで目が覚めた。
月曜日だ。仕事に行かなくちゃ。帰りにまた部屋に行ってみよう。もし書き置きを読んだ形跡がなかったら、師匠を探さなくちゃ。何かあったのかも知れないし。一応もう一度メッセージを送ってみよう…あれ?返事来てる!?
"メッセージに気がつくの遅くなって悪かった。昨日来てたんだな。入れ違いだったみたいだ。"
それだけだった。無事で良かったという安堵と、僕が来たことをそれほど喜んではくれないんだなという図々しい気持ちへの自己嫌悪に引き裂かれる。僕はなるべく簡潔に、自分の気持ちを伝える文章を書いて送った。
"師匠に会いたくなって昨日は急に部屋に行ってしまいました。僕には師匠が必要です。あんなことを言ってしまってごめんなさい。許してくれるなら帰りたいです。"
すぐ既読はついたけど、返事は夕方までなかった。
定時間際、師匠からのメッセージが来てるのに気づき、会社のトイレに籠もって、そっと開く。
"許す許さないじゃなく、俺はお前の人生から少し距離を置いたほうがいいと思う。お前のことは誰よりも大事だし好きだよ。部屋は解約しよう。"
僕は退勤してから急いで部屋に向かった。
超能力で飛んで行ってしまいたいとも思ったけれど、相談所の終業時間を思い出してあまり意味がないと気づき電車とバスで帰った。それでもつい早足になった。
師匠、ごめんなさい。許して。どこにも行かないで。涙目になって必死でマンションのドアを開けるけど、師匠はまだ帰宅していなかった。
部屋に入り、電気を点けて、昨日の書き置きがテーブルの端っこに寄せられているのに気づく。何故だろう。それを見て、きっともう駄目なんだとわかった。
僕はソファに座って、師匠と暮らしていた部屋の隅々を目に焼き付けた。師匠と僕の暮らしていた場所の匂い…師匠の匂い。この部屋の空気。どうか忘れないでいたい。
ガチャっとドアの鍵を開ける音と共に、師匠がゆっくり入ってきた。
「モブ、やっぱ帰ってたか。おかえり。」
おかえり、なんて言われると期待してしまうのと、これが最後の「おかえり」になるかもという悲しさと、これまで何十回・何百回と聞いてきた師匠の「おかえり」を思い出して、僕は嗚咽した。
「…俺、お前のこと泣かせっぱなしだな」
僕はソファの肘掛けを掴みながら、叫ぶように師匠の言葉を否定した。
「違うんです!僕がっ!バカで、甘ったれで、師匠を人間扱いしないで、弟子の立場を利用して甘え過ぎてたのと、それで師匠を傷つけてたことが恥ずかしくてツラくて…ごめんなさい…!」
「いいんだよ。俺が意志薄弱なんだ。お前の師匠であることが俺の誇りだったのに、お前と暮らす誘惑に勝てなかった。お前にキスされて喜んじまったし、お前のことを全部欲しがっちまった…。こんなんじゃ、もう師匠ヅラできねえよ」
師匠は鍵をカチャカチャと手の中でもてあそびながら、ソファで泣いてる僕とは距離を保ったまま立っている。
前なら泣いてる僕の隣に来て肩を抱いてくれた。ティッシュを出してくれた。今はもうそういう距離じゃないんだ。
「師匠…今さら僕が師匠のことを好きと言っても、パートナーになりたい、影山茂夫としてアンタに愛されたいって言っても、聞いてくれないですか?」
ダメもとですがってみる僕を、師匠は軽く肩をすくめて諭すように受け流す。
「そりゃ本当なら嬉しいよ。でもな、俺もお前に恋したことを良しとはしてないんだよ。俺はお前の師匠でいたかったのに…それを通せなかった自分が許せないし、そういう人間をお前のそばに置いていたくないんだ」
師匠の顔を見つめる。目はいつもより冷静で、でも怒りはなく、優しい。こんな顔は見たことのない気がする。「師匠」じゃない顔、僕の知らない顔だ。
この知らない顔の人が僕を愛したことを後悔しているのだと思うと寂しかった。この人に求められたことをどうして誇れなかったんだろう。どうしてこの人自身のことを見なかったんだろう。霊幻新隆という人を。
「…師匠、弟子としての最後のお願い、ワガママを聞いてもらえますか?」
「ん、なんだ?」
僕はソファから立ち上がって、彼の前に立って目を真っ直ぐに見つめた。
「もう…キスもセックスも絶対に求めないし、一緒に暮らせなくてもいい……だけど……会えなくなるのだけは嫌です。どうか、師弟じゃなくなっても、これからも時々は僕に会ってください」
「…別に、今生の別れってわけじゃないだろ?」
はぐらかしてる。やっぱり、もう会わないつもりだったんだ。
「師匠、これまでの僕の人生が価値あるものだったのは師匠に出会えたからだ。でも、それ全部を師匠に返したっていい。僕の愚かさで差し引いてゼロになってもいい。だけどアンタにもう会えないっていう未来だけは嫌なんだ…!お願いです…一生のお願いです!!」
自分の爪が手に食い込む。震えてしまう。涙こそ止めれたけど、きっと必死の形相になってる。師匠はそんな僕の目を見たまま、何も答えない。
「…僕は、本当は僕のこの先の人生を全部アンタにあげたいんだ。でもきっとアンタは要らないって言う。でも師匠失格だと言うなら、僕も弟子失格です。師匠を師匠の場所から引きずり降ろしたのは僕の責任でもあるんだから。僕のほうが先に、アンタの人生全部を欲しがったんだから」
スッ、と息を吸い込む音がして、師匠が口を開いた。右手を前に出して僕を制する。
「わかった…お前ももう大人なんだし、共同責任ということだな。なら、俺はもうお前のことを弟子として見ない。俺のことももう師匠として扱うな。お前を影山茂夫という一人の成人男性として扱う。…まあそうなると、俺がお前の頼みを聞く理由はもうなくなるわけだが、"弟子としての最後のお願い"だけは受理してやる。ただ、お前の人生はお前のものだ。俺にやると言われても困る。俺は俺の人生を生きるし、お前はお前の人生を生きる。受理する上でこれだけは約束しろ」
「わかりました。…僕の最後のワガママを聞き入れてくれて、ありがとうございます」
睨み合うような、見つめ合うような。互いに視線を外さないままの契約。ガンを飛ばしあうって生まれてはじめてした気がする。
師匠の方が先に、フッと鼻で笑って目を逸らして言った。
「お前…本当に強いよな。負けるわ」
「…アンタが僕をそうしてくれたんだ」
「そっか」
師匠は…霊幻新隆さんは、僕の顔を見て少し困ったように笑って、開けっ放しのカーテンをしめに窓の方へ歩いて行った。
「俺さ…影山茂夫ってやつのことが好きなんだよ。いい男でさ、強くて、かっこ良くて。でも14歳も歳が離れてるし、師匠とかいうオッサンに入れ込んでて俺のつけいる隙がねーんだわ」
カーテンを掴んだまま、窓の外に向かって自嘲気味に呟く。
「…そんなオッサンは全力で排除して、ガンガンいっちゃっていいと思いますよ。アンタこそかっこいいし、優しいし、きっと相手もアンタのこと好きになる」
僕も窓に近寄って、一緒に夜の空を眺めた。雲に隠れてた月が出てきて、隣に立っている神経質そうな男の横顔を照らした。
「…俺、霊幻新隆って言うんだけど、知ってる?」
「はい、さっき知り合えたところです。……僕も、霊幻新隆さんを好きになってもいいのかな」
「ハハ…、好きにしろよ。お前の人生の主役はお前なんだからさ」
あ…、僕この人のことが好きだ。
そう気づいたら、全身に小さな光が灯った気がした。
これが恋なんだ。
完