目配せ ギラギラと輝く太陽の日差しが、僕の頭上に降り注いだ。その場に立っているだけなのに、額からは滝のような汗が流れてくる。手の甲を伸ばして汗を拭うが、あまり意味をなしてはくれない。汗でデュエルディスクが水没しないかと、不安になってしまうくらいだ。
自分のターンが回ってくる前に、近くに置いていたペットボトルを手に取る。手札が見えないよう気を付けながらキャップを開けると、中に入っていた液体を口に流し込む。それは少し薄めに希釈した、溶かすタイプのスポーツドリンクである。塩分と糖分を同時に取れるから、僕はかなり重宝していた。
喉を鳴らしながらペットボトルを傾けていると、相手がターンエンドを宣言した。慌ててキャップを締めると、目の前のデュエルに意識を戻す。
何度かそれを繰り返していたら、ペットボトルの中は空になってしまった。どれだけボトルを傾けても、中身は少しも出てこない。もう一本作っておけば良かったと、心の底から後悔する。おかげで、デュエルが終わる頃には、僕の喉はカラカラになってしまった。
こんなに暑いというのに、ルチアーノは涼しげな顔をしている。人間の身体を持たない彼には、暑いという感覚が無いのだろう。少しも汗を垂らしていないし、タオルすら持っていなかった。
「で、次はどこに行こうか。旧サテライトエリアの郊外まで行けば、もっと骨のあるデュエリストがいるかもな」
にやにやと笑みを浮かべながら、ルチアーノは楽しそうに言う。今にも、僕を引きずって行きそうな気配だった。せめて水分補給だけはしておかないと、この場で倒れかねない。ルチアーノの手を引っ張ると、建物の影へと引っ張っていった。
「移動する前に、ちょっと休憩しない? 良かったら、そこでジュースを買ってくるよ」
僕が指差したのは、デパートの前に出展しているキッチンカーだ。生の果物をミキサーにかけて作る、砂糖不使用のフルーツジュースらしい。砂糖はスポーツドリンクで過剰摂取しているから、飲み物での摂取は避けたかったのだ。果物が詰め込まれていることで、お腹が膨れるのもありがたい。
「そういえば、人間には休憩が必要だったな。僕の分は、ぶどうジュースを買ってきてくれ」
ルチアーノに顎で指図されながら、僕はキッチンカーの列へと並ぶ。やはり暑いからか、店舗は大繁盛だった。ミキサーを回す機械音が、車の中に響き渡っている。ミキサーはフル稼働しているようだが、列はなかなか捌けなかった。
僕がジュースを買う頃には、十分ほどが経過していた。両手にジュースのカップを抱えながら、通りを歩いてルチアーノの姿を探す。ぶどうのみのジュースがなかったから、選んだのはベリーとのミックスだ。ジュースを溢さないように気を付けながら、僕は人混みに足を踏み入れた。
ルチアーノの姿は、すぐに見つかった。植え込みの前のベンチに腰をかけた状態で、セキュリティに声をかけられている。周囲の視線の流れを追っていたら、彼の姿があったのだ。
セキュリティの青年は、ルチアーノに何かを話しかけている。ルチアーノは瞳を吊り上げて、不機嫌そうな表情をしていた。二人の話し込む姿を見る限り、職務質問か何かのようにも見える。でも、こんな小さな子供に、職務質問などするだろうか。
少し心配になって、僕は歩を進める足を早めた。近頃、シティ繁華街では、子供が犯罪に巻き込まれるケースが増えているのだという。中には、犯人がセキュリティに扮していることもあったというのだ。
「だから、僕は子供じゃないって言ってるだろ。こっちが素直に答えてるんだから、素直に聞き入れろよ」
近くまで歩み寄ると、ルチアーノの甲高い声が聞こえてきた。相当機嫌が悪いようで、その声は鋭く尖っている。近づいてくる僕の足音に気がつくと、彼はくるりとこちらを向いた。
「あ、お兄ちゃん!」
子供のような声色を作ると、彼は一際大きな声を上げた。急に声をかけられて、僕はカップを落としそうになってしまう。ルチアーノの緑の瞳は、真っ直ぐに僕を見つめていた。彼の行動に釣られたのか、セキュリティも僕へと視線を移す。
「えっ?」
状況が掴めなくて、僕は間抜けな声を上げてしまった。ルチアーノの緑の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめている。その澄んだ瞳は、確実に何かを訴えていた。彼の意図が読めなくて、僕は一瞬考え込む。
彼は、一体何を求めているのだろう。普段であれば、お兄ちゃんという呼び方をする時は、恋人ごっこを求めている。でも、今のルチアーノは、恋人のふりをしたいようには見えない。ついさっきまで、相手に自分が子供ではないと主張していたのだ。
考えた結果、僕はひとつの答えを導きだした。明確な意図が分からないのなら、どんな場面にでも通じる言葉を返せばいいのだ。大きくなっている息を吸うと、こちらを見ている男に言葉を返す。
「この子に、何か用ですか?」
ハキハキとした受け答えに驚いたのか、セキュリティの男は少し怯んだ様子を見せた。上から下まで僕を眺めると、気を取り直したように口を開く。
「君は、この子の保護者かな?」
「親戚です。今日は、叔母さんに頼まれてデュエルの付き添いをしてるんです。何か問題でもありましたか?」
はっきりと言葉を返すと、相手はさらに気圧されたようだった。一歩後ろに下がると、慌てた様子で弁明した。
「保護者が付き添っているならいいんだ。最近、この辺りでは傷害事件が多発していてね。一人で歩いてる子供を見かけたら、声をかけるようにしていたんだ」
答える男の姿を眺めながら、僕は少し疑っていた。そう語る彼自身が、セキュリティに扮した犯罪者なのではないかと思ったのだ。犯罪を取り締まるふりをして近づくなんて、いかにも犯罪者がやりそうな手口だ。
「そうですか。でも、心配は要りませんよ。この子は、そこらの大人よりもデュエルが強いですから」
疑いの目を向けながら続けると、男は明確に距離を置いた。僕たちの言動を見て、これ以上関わらない方が良いと判断したのだろう。自分から声をかけてきたのに、失礼な態度だった。
「とにかく、気をつけてくださいね」
念を押すように語ってから、彼は通りの向こうへと去っていく。後ろ姿が見えなくなってから、ルチアーノは見せつけるようにため息をついた。
「全く、しつこいやつだったぜ。僕は子供じゃないって言ってるのに、帰れ帰れって繰り返してさ」
面倒臭そうに吐き捨ててから、僕の座るスペースを開けてくれる。隣に腰を下ろしながら、僕は彼に尋ねた。
「大丈夫だった? 何かされてない?」
その質問を待ってましたとばかりに、ルチアーノはにやりと笑みを浮かべる。いたずらをする子供のような表情を浮かべると、囁くように言葉を発した。
「何もされてないぜ。それに、何かあったとしたら、傷つくのはあいつの方だろ。明らかに僕の方が、デュエルの腕が高いんだから」
平らな胸を張ると、彼はいたずらっ子のようにくすくすと笑う。その横顔を眺めながら、僕は手にしていたジュースを差し出した。
「そうだね。とりあえず、何もなくてよかった」
ぶどう入りのミックスジュースを受け取ると、ルチアーノはストローを口に咥える。力一杯吸い上げると、一気に半分ほどを飲み干した。
その姿を見届けてから、僕もストローに口をつける。ちなみに、僕が選んだのは、バナナベースのジュースだった。バナナはスポーツマンに愛好される食料だと言うから、試しに選んでみたのだ。中身もどっしりしているし、お腹も膨れてくれるだろう。あまり水分補給にはならないが、軽食の代わりにはなりそうだった。
適度に冷えたジュースの感触が、火照った身体に染み渡る。熟したバナナは思ったよりも甘くて、スイーツを食べているようだった。好物の甘味を口にして、さっきまでの疲れが吹き飛んでいく。
ふと隣に視線を向けると、ルチアーノはとっくに飲み終わっていた。ただ待つのは退屈なのか、ストローの端を噛んでいる。無意識にしているのだろうが、子供のような仕草だった。
「あのさ」
ふと思い出したことがあって、僕はルチアーノに声をかけた。言葉を発するために、彼はストローから口を離す。退屈そうにこちらを見ると、気のない声で返事をした。
「なんだよ」
「さっきのアイコンタクトは、どういう意味だったの?」
僕が尋ねると、ルチアーノはぽかんとした表情を見せる。僕の方を見上げると、呆れた様子でため息をついた。
「なんだ。分かってなかったのかよ」
「分かんないよ。いつものルチアーノだったら、女の子の格好をしてる時しかお兄ちゃんなんて呼ばないでしょう。子供扱いされるのも好きじゃないわけだし、どうしていいか分からなかったよ」
僕が答えると、彼は再びため息をつく。瞳を細めて僕を見上げると、投げやりな様子で言葉を続けた。
「あれは、『適当に合わせてくれ』の意味だよ。そんなに難しく考える必要はないんだぜ」
彼の言葉を聞いて、僕は拍子抜けした気分になった。ルチアーノのことだから、求めている答えがあるのかと思ったのだ。そんなことはなくて、何を答えてもよかったらしい。
「そうだったんだ。てっきり、何か答えがあるのかと思ったよ」
小さな声で呟いてから、僕は再びストローに口をつける。残っていたジュースを飲み干すと、ゴミを捨てるために席を立った。隣に座っていたルチアーノも、僕に合わせてベンチから腰を上げる。二人で肩を並べると、繁華街の大通りを歩き始める。
「君って、変なやつだよな。いつもは何も考えてないのに、変なところで考え込むんだから」
ルチアーノの呆れ声が、僕の耳を揺さぶってくる。かなり失礼なことを言われているけれど、今の僕には反論ができなかった。結局、僕はまだまだなのだ。まだ、ルチアーノの真意を理解できるほどに、彼のことを知っているわけではない。
いつかは、僕にも分かる日が来るだろうか。『あれ』だけで会話をする熟年夫婦のように、アイコンタクトだけで気持ちが通じるような関係に、僕たちはなれるだろうか。隣を歩くルチアーノの姿を眺めながら、僕はそんなことを考えた。