フェチ 夏になると、ルチアーノも衣替えする。長袖のTシャツやカットソーはタンスにしまって、半袖のシャツやブラウスを引っ張り出すのだ。ズボンも膝下丈が多めになるから、足元は白い靴下が見えている。いつもは全身を白装束に包んでいるから、露出された手足は珍しかった。
とはいえ、衣替えという人間都合でしかない行事を、あっさり受け入れてもらえる訳ではなかった。彼はあまり露出に慣れていないのか、半袖を着ることを嫌がるのである。梅雨が開け、シティが眩い太陽に照らされるようになっても、長袖のシャツに身を包んでいた。こんな季節に長袖を着ているなんて、服を買ってもらえない子供みたいだ。慌てて半袖を引っ張り出すと、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「いいだろ。夏に長袖を着てたって。僕は人間と違って、暑さを感じたりはしないんだから」
半袖の服を突き返すと、ルチアーノはいつもの理屈を繰り広げる。彼の言うことは、あながち間違いではなかったのだ。機械であるルチアーノに、人間のような温度感覚はない。しかし、そんな理屈では、人間社会は納得してくれないのだ。
「そんなこと言っても、夏に半袖を着てるなんて、おかしな人だと思われるよ。ルチアーノだって、人間に変な人とは思われたくないでしょ」
「そんなの、僕は気にしないぜ。そう思うやつがいるなら、思わせておけばいいんだよ」
なんとか説得しようと試みるが、彼はなかなか折れてくれない。こうなったら、最後の手段を使うしかなかった。頭の中で言葉を組み立てると、僕はルチアーノに向かって告げる。
「これは、ルチアーノだけの問題じゃないんだよ。子供っていうのは、世間の大人からも見守られてるんだ。こんな時期に長袖で歩いてたら、服を買ってもらえない子だと思われちゃうかもしれないよ。もしかしたら、お兄さんたちのところに連絡が行くかもね」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノは不快そうに顔をしかめた。なぜかは分からないが、彼はお兄さんたちに自分の行動を知られることを嫌がるのである。彼を説得するという意味では便利だったが、少し罪悪感を感じてしまう。
「…………分かったよ。半袖に着替えればいいんだろ」
僕の手から服をむしり取ると、ルチアーノは洗面所へと向かっていく。無理矢理従わせてしまったみたいで、少し申し訳ない気持ちになった。とはいえ、この町にだって、児童の健康を守る組織はあるのだ。僕の言ったことも、全くの嘘というわけでもないだろう。
そんな経緯で、隣を歩くルチアーノは、今日も半袖半ズボンの軽装に身を包んでいた。髪が長いと首周りに熱が籠るから、髪型も爽やかなポニーテールである。揺れた髪からうなじが覗く度に、僕は少しドキドキしてしまう。普段であれば彼の首の後ろは、僕だけが覗ける秘められた部位なのだ。
しかし、髪を結んだことで、彼は動きづらくなったようだった。重たそうに髪を揺らすと、大きな仕草で両手を動かしている。ディスクからカードをドローするだけなのに、大きく腕を振り上げている。ふと彼の方に視線を向けて、僕は息が止まりそうになった。
左腕を振り上げた勢いで、袖の布地が捲れ上がっていたのである。ふわりと持ち上がった布の隙間から、細い腕が姿を覗かせている。少し離れた場所の僕からでも、腋の窪みがはっきりと見て取れた。作りのゆったりした服を着ているから、いつもよりも見える範囲が増えているのだ。
その事に気づいてしまうと、もうデュエルに集中することなどできない。対戦相手と対峙している間中、僕はずっと上の空だった。何度か小さなミスをしてしまって、チームを勝ちから遠ざけてしまう。なんとか勝てはしたものの、ライフポイントの差はギリギリだった。
「おい、どういうつもりだよ!」
デュエルを終えると、ルチアーノは僕の方へと詰め寄ってきた。いかにもなお怒りモードだったが、僕はそれどころではない。彼に上着を着せることで、頭がいっぱいいっぱいだったのだ。強引に手を引くと、建物の影へと引っ張っていく。
「なんだよ。話も聞かずにこんなところに連れ込むなんて、何を考えてるんだ?」
尚も詰め寄るルチアーノを無視して、僕は鞄の中をまさぐった。隅でくしゃくしゃになっていたパーカーを取り出すと、彼の前へと差し出す。
「とりあえず、これを着て」
「はあ?」
話の流れが分からなかったようで、ルチアーノは甲高い声を上げた。伝わっていないのは分かっていたが、僕にも上手く説明ができない。理由を語るためには、不埒な視線を注いでいたことを告白しなければならないのだ。最大限に言葉を選びながら、なんとか理由を説明した。
「ルチアーノ、いつもよりも大きな身振りをしてるでしょ。袖の隙間から、中が見えちゃってるんだよ」
僕の話を聞くと、ルチアーノは表情を変えた。さっきまでの不機嫌が嘘のように、冷めた瞳でこちらを見ている。言葉を選んだとは言っても、露骨すぎるくらいに露骨なのだ。怒らせたんじゃないかと不安に思ったが、彼の反応は予想外のものだった。
「ふーん。君は、そういうのが好きだったんだな」
「え?」
今度は、僕が声を上げる番だった。彼の言葉の意味が分からなくて、ぽかんと口を開けてしまう。含むように笑みを浮かべると、ルチアーノはわざとらしく腕を上げた。
「つまり、君は僕の腋を見て動揺してたんだろ。次に同じことをされたら困るからね。ここで気が済むまで見ていけよ」
袖口の布地がふわりと揺れ、中の白い肌が姿を現す。至近距離で見た彼の肌は、艶やかできめ細かかった。腋の窪みや影に至るまでが、計算されたように整っていて美しい。体内に淡い熱が生まれて、慌てて彼から視線を離した。
「ダメだよ。そんなもの、人前で簡単に見せたら……!」
必死に下を向く僕を見て、ルチアーノは甲高い笑い声を上げる。静かに腕を下ろすと、呆れたような声色で言った。
「こんなもの、見せたところで減るもんじゃないだろ。繁華街を歩いてる女なんかは、袖の無い服を着てるじゃないか」
「そうかもしれないんだけど、ルチアーノはダメなんだよ。そんなに露出の多い服を着てたら、危ない人に目をつけられちゃうかもしれないでしょ!」
全然取り合ってもらえなくて、僕の声は大きくなってしまう。我ながら滅茶苦茶な理屈だとは思うのだが、そうとしか言いようがなかったのだ。そういう無防備な子供ほど、悪い大人の餌食になってしまう。それに、女の子のタンクトップ姿だって、僕からしたら同じくらい無防備なのだ。
「危ない人っていうのは、君みたいなやつのことかい? 君は、マニアックなフェチをたくさん持ってるもんな」
狼狽する僕を横目に、ルチアーノはにやにやと笑う。反省するどころか、からかいモードに移ってしまったみたいだ。擦り寄るように僕へと近づくと、耳元で甘い声を出した。
「それにしても、胸や足だけじゃ飽きたらず、腋にまで興味を示すとはな。…………この、変態」
「違うよ。違うんだって!」
大きな声で否定すると、僕は慌ててルチアーノから離れた。このまま耳元で囁かれたら、彼の手のひらの上で転がされてしまうだろう。それに、僕は特殊なフェチを持っているわけではないのだ。誤解されたままでいるのも、なんだか気分が悪かった。
「何が違うんだよ。さっきだって、腋をじろじろ見てただろ? ここに証拠があるんだぜ」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは自分の目を指差す。彼の機械の頭の中には、さっきの光景も記録されているのだろう。僕の人としての尊厳は、彼の一存でどうにでもできるのだ。そんな危険な状態で、放っておけるわけがない。
「違うんだよ。いや、腋を見てたのは本当だけど、僕はそういうフェチじゃないんだ。その、なんというか、ルチアーノだから見ちゃっただけなんだよ……」
言い訳のようになりながらも、僕は必死で言葉を紡ぐ。あまり要領を得ていないが、これが僕の素直な気持ちなのだ。僕がルチアーノの身体を見てしまうのは、その部位にフェチを感じているからではない。ルチアーノの身体が綺麗だから、ついつい見てしまうのだ。
「ふーん。つまり君は、僕の身体だから見てるんだ。機械の表面装甲に欲情するなんて、とんでもないド変態だな」
にやにやと笑いながら、ルチアーノはさらに僕を煽る。ここまできてしまったら、もう逃げ場などなさそうだった。どれだけ言い訳を並べたところで、僕がルチアーノの身体に興奮してしまうのは、逃れようのない事実である。頬を赤く染めると、僕は小さな声で答える。
「仕方ないでしょ。ルチアーノは綺麗なんだから」
「まあ、君が気になって仕方ないって言うなら、その上着を着てやるよ。余所見して勝ちを逃すなんて、神の代行者の沽券に関わるからね」
散々僕をからかったことで、ルチアーノは満足したようだった。甲高い声で笑うと、僕の手から上着を引ったくる。片手で広げると、腕を通して肌を隠す。
「ほら、行くぞ」
上着の裾を翻しながら、ルチアーノはくるりとターンした。僕と彼には身長差があるから、裾は太ももまで届くほどに長く見える。ひとつに結ばれたポニーテールが、真っ白なパーカーの上で揺れていた。置いていかれないように、僕も慌てて足を踏み出す。
それにしても、ルチアーノは本当に綺麗だ。身体を隠すほどに長い髪も、髪の間から覗くうなじも、芸術作品のように美しい。服に隠されたきめ細かい肌や、すらりと長い大人びた足、胸元の小さな膨らみまでが、僕を魅了する魔性の肢体である。しかし、それは僕のフェチではなく、ルチアーノの身体だからなのだ。
結局のところ、僕はルチアーノが好きなのだ。彼のことが大好きだから、その全てに魅了されてしまう。僕が彼に惚れている限り、ずっと弱味を握られ続けるのだろう。それは嬉しいようで、少し困ることでもあるのだった。