好きって言って 眠る準備を済ませて部屋の電気を消すと、そこからは夜の時間だ。ベッドの上で肩を並べると、僕たちは布団の中に潜り込む。いつからか、こうして二人で夜を明かすことが、僕たちの習慣になっていた。彼の方に顔を向けると、僕はゆっくりと手を伸ばす。
こうして一緒に眠る時、彼はいつも背を向けてくる。僕の方を向いてくれるのは、僕が彼に背を向けた時だけだ。顔を合わせて眠るのは、観察されているみたいで恥ずかしいのだろう。とはいえ、スキンシップを取る時にはこちらを向いてくれるから、僕としても不満はなかった。
彼の背中に手を触れると、優しく上下に動かしてみる。少し骨張った背中の感触が、僕の手のひらに伝わってきた。今度は背中の中央に指を這わせて、背骨の上をなぞってみる。指に伝わる感触は人間と変わらないが、身体を支えているのは金属の骨組みだ。傷ひとつないしなやかな皮膚も、人の手によって作られた表面装甲でしかない。
そんな作り物の身体を撫でていると、時々不思議に思うことがある。生物の感情というものは、どこから生まれてくるのだろうか。彼は機械を詰め込まれて作られたアンドロイドだが、人間らしい感情を持っている。彼の顔に浮かぶ喜怒哀楽の色彩は、到底作り物とは思えなかった。
でも、だからこそ、僕は不安に思ってしまう。彼が浮かべている表情は、彼の本当の感情なのだろうか。どれだけ人間そっくりに作られていても、神の望んだように動く傀儡でしかないのだろうか。こうして僕と一緒にいてくれるのも、人間の言葉に従っているだけかもしれない。
そんなことを考えているうちに、無意識に手が止まっていた。ルチアーノの背中に手を当てたまま、ぼんやりと目の前の光景を見つめる。急に動きを止めた僕を見て、彼は不思議に思ったらしい。背中に手を当てられた状態のまま、僕に声をかけてきた。
「どうしたんだよ」
彼のその言葉で、僕はようやく我に帰った。再び緩やかに手を動かすと、今度は頭に手を当てた。
「なんでもないよ」
しかし、どれだけ意識を逸らそうとしても、疑問は溢れてきてしまう。彼は、本当に自分の感情で、僕のことを好いているのだろうか。作り物の感情に従って、好意を向けているだけではないのだろうか。一度考え始めてしまったら、その思考はぐるぐると脳裏を巡った。
「ねえ、ルチアーノ」
気がついた時には、口から言葉が零れていた。思ったより大きな声になってしまって、自分でびっくりしてしまう。ルチアーノはというと、小さく身じろぎをしただけだった。少しの間を置いてから、淡々とした声で返事をする。
「なんだよ」
「ルチアーノは、僕のこと好き?」
僕の問いを聞いて、彼は呆れたように溜め息をついた。ちらりとこちらに視線を向けると、冷めた声で言葉を吐く。
「なんだよ。その面倒な女みたいな質問は」
「だって、ルチアーノは好きって言ってくれないでしょ。ちゃんと自分の言葉で言ってくれないと、僕には分からないんだよ」
さらに言葉を続けると、彼は少しの間黙り込んだ。気まずそうに身体を揺らすと、微かな声で言葉を発した。
「そんなの、わざわざ言わなくても分かるだろ。僕は、誰とでもタッグを組むわけじゃないんだ」
やはり、返ってきた言葉は、愛の言葉などではなかった。神の代行者として人の上に立つ生活をしてきた彼には、素直に愛を語ることができないのだろう。でも、そんな遠回しな言葉では、僕の不安を抑えることはできなかった。
「それは分かってるよ。でも、それだけじゃ足りないんだ。僕は、ルチアーノの言葉で好きを知りたいんだよ」
なんとか説得を試みるが、彼はそっぽを向いたままだった。布団に身体を沈めたまま、沈黙を保っている。恋人のお願いだとしても、意地でも愛の言葉は語りたくないらしい。僕が諦めかけていると、向こうから声が聞こえてきた。
「それなら、君が先に愛を語れよ」
「え?」
突拍子もない言葉に、僕はぽかんと口を開けてしまう。まさか、そんな返事が来るなんて、思ってもいなかったのだ。何も答えられずにいると、彼は催促するように言葉を続けた。
「愛の言葉がほしいなら、自分から語るのが定石だろ。挨拶だって、自分からするものって言われてるじゃないか」
「そうなのかな……」
畳み掛けるような言葉を聞いていると、なんだか納得できる気がしてきた。確かに、相手から言葉を引き出したいなら、自分から語るべきだろう。ルチアーノの背中に手を回すと、僕は耳元で囁いた。
「好きだよ」
僕の腕の中のルチアーノが、気まずそうに小さく身じろぎをする。自分から要求してきたのに、聞いてて恥ずかしくなったのだろう。布団の中に顔を埋めると、彼は小さな声で言う。
「もういいよ。そんな恥ずかしいこと、よく言えるよな」
「だって本当のことだもん。ほら、僕は言ったから、今度はルチアーノの番だよ」
寄り添うように身体をくっつけると、僕は彼の耳元で囁く。僕に愛の告白をさせたのだから、このまま逃がすつもりはなかった。ルチアーノも分かっているみたいで、もぞもぞと身体を動かしている。しばらく恥ずかしそうに俯いた後に、絞り出すような声で答えた。
「…………好きだよ」
消え入りそうなほどに小さな声に、僕は口角を上げてしまう。その、無理矢理絞り出したような声が、彼にできる精一杯だったのだ。こんなに可愛らしい仕草を見たら、もう一度聞きたくなってしまう。彼の頭を撫でると、僕は再び催促した。
「聞こえないよ。もっと大きい声で言って」
そんな僕の企みは、彼にはお見通しだったらしい。不満そうに鼻を鳴らすと、尖った声で吐き捨てる。
「絶対聞こえてただろ。僕はちゃんと言ったんだ。二度目は無いからな」
ここまで辛辣な態度で突き放されたら、これ以上の催促はできなかった。彼の身体をなぞりながら、次の言葉を考える。一体どんな誘導をすれば、彼から愛の証を引き出せるだろう。しばらく考えて見たが、答えは見つからなかった。
結局、僕にできるのは、単純な質問だけなのだ。遠回しに言葉を引き出すような芸当は、僕には到底できそうにない。諦めて正面から聞くことにした。
「ねえ、もっと聞いていい?」
執拗に言葉を並べる僕に、彼はさらに苛立った仕草を見せた。さっきよりも大きく鼻を鳴らすと、トゲのある声で尋ねてくる。
「今度はなんだよ」
「僕のこと、どれくらい好きなの?」
「はあ?」
さすがに、質問を重ねすぎただろうか。普段の僕なら、ここまで愛の証を求めたりしないのだ。少し不安になることはあるけれど、口には出さずに抑え込んでいる。彼がそのような振る舞いを嫌がることは、普段の仕草からお見通しだったからだ。
「ごめんね。本当は、こんなことを聞くつもりはなかったんだ。でも、ルチアーノのことを見てたら、ちょっと不安になっちゃって。ルチアーノは、本当に僕のことを好きなのかなって」
言い訳をするように言葉を重ねると、彼は呆れたように溜め息をついた。少し首を動かすと、半ば冷めた声で呟く。
「君にも、不安になることがあるんだな」
「そりゃあ、あるに決まってるでしょう。僕だって人間なんだから」
何気なく口に出してから、僕は少し後悔した。ルチアーノにとってこの言葉は、コンプレックスを刺激するものかもしれない。これから降りかかるであろう言葉を想定して、全身に力が籠る。
「そうか。そうだよな」
どんな言葉が飛んでくるのかと覚悟したが、彼は気に止めていないみたいだった。納得したように呟くと、しばらくの間黙り込む。何か声をかけようかと迷っていると、彼は不意に言葉を発した。
「君が好きだよ。全身に傷を刻み込んで、苦しむ顔を見たいと思ってしまうくらいに。人間が僕たちから受け取る痛みを、僕にも教えてほしいと思うくらいに。君にはあり得ないことかもしれないけど、僕にとってはそれが愛の証なんだ」
彼の語る言葉からは、嘘の気配は感じられなかった。彼は心から僕を愛して、傷つけたいと思っている。それは世間から見たら間違っているのだろうけど、僕たちにとっては正しい愛の形だ。愛とは、お互いが愛だと実感していれば、どんな形でも正しいのだから。
「良かった。ルチアーノが僕を好きでいてくれて」
小さな声で呟くと、ルチアーノは怪訝そうに眉を上げた。首だけでこちらに視線を向けると、呆れたような声で呟く。
「今ので良かったのか? こんなの、愛の言葉じゃないだろ」
「愛の言葉だよ。ルチアーノが、僕のために語ってくれたんだから」
僕が答えると、彼はさらに呆れを露にした。小さく笑みを溢すと、吐息混じりの声を上げる。
「君って、本当に変なやつだよな」
彼から飛んでくる言葉に、僕は一切反論できなかった。だって、僕は自分でも分かるくらいに、変わった恋愛をしているのだ。人ではない男の子を好きになってしまうなんて、普通の感性ではあり得ないだろう。でも、僕たちはそれでいいのだ。紛れもない僕たちが、幸せを感じているのだから。