シュークリーム シティ繁華街を歩いていると、スイーツのキッチンカーを見かけた。歩道を歩いている僕の元まで、甘い匂いが漂ってきたのだ。今日は連休の真っ只中だから、各地で営業をしているのだろう。近くで揺らめいている旗には、大きく『シュークリーム』の文字が踊っていた。
甘い香りに誘われるように、僕はその車の元まで近づいていった。可愛らしいピンク色の車の前には、メニューを並べた看板が立て掛けられている。この店舗は豊富な種類が売りのようで、バニラとカスタード以外の味があるらしい。苺やチョコレートという味が分かるものから、抹茶やカプチーノなどの変わり種もあった。
「いらっしゃいませ」
真剣に看板を見ている僕に、販売員の女性が声をかけてくる。キッチンカーの中は冷えるようで、厚手のコートに身を包んでいた。彼女の声に誘われるように、僕はショーケースの中に視線を向ける。眩いほどのライトに照らされたシュークリームは、表面が美しく光っていた。
こんな光景を見せられてしまったら、もう買わないわけにはいかなかった。両手の数ほど種類のある陳列棚を眺めながら、どの味を食べるかを吟味する。これだけ豊富な味が並んでいたら、どうしても迷ってしまうものだ。見たところ小ぶりに作られているから、二つずつ買って帰ってもいいかもしれない。
しばらく悩んだ後に、僕はようやく販売員に声をかけた。あまりにも真剣に悩んでいたから、二人ものお客さんが買い物を済ませていった。彼らが買っていったものも、定番と変わり種の二種類である。彼らと同じように、僕も二つずつ買うことにした。
まず、定番商品の中から選んだのは、バニラとカスタードだ。シュークリームと言ったらこれというほどの、決まりきったラインナップである。この二つは味が分かりきっているから、絶対に外れにはならないだろう。
次に、僕が自分のために選んだのは、ミックスベリーのシュークリームだった。看板に載っていたラインナップの中で、これだけ味の想像ができなかったのである。専門店で売ってるくらいだから外れはないのだろうが、未知であることには変わりがない。ここまで謎に満ちていると、買わずにはいられなかった。
最後に、ルチアーノのために選んだのは、エスプレッソ味のシュークリームだった。コーヒー味ということもあって、他のものよりも甘さは控えめらしい。甘いものを好まないルチアーノでも、これなら食べられることだろう。別に、無理に食べてもらう必要はないのだが、自分だけ食べるのは気が引けるのだ。
「ありがとうございました」
持ち手付きの箱を受けとると、僕はキッチンカーに背を向ける。冬場は日が暮れるのが早いから、辺りは夜の光景になっていた。ネオンやライトで彩られた大通りを、家路へと向かって歩いていく。箱が前後に揺れないように、しっかりと両手で抱え込んだ。
「今日は、お土産を買ってきたんだ」
夕食を済ませ、流しの中の食器を片付けると、僕はルチアーノにそう言った。弾んだ足取りで席を立つと、冷蔵庫に向かって歩いていく。明らかに浮かれた僕の姿を見て、彼は呆れた声で言った。
「なんだよ。また食い物でも買ってきたのか? 僕には食事なんて必要ないのに」
辛辣な物言いだが、彼の言うことは最もである。機械として産み出された彼には、食事でエネルギーを補給する必要はないのだ。それなのに嗜好品を買ってくるなんて、彼からしたら非合理的な行動なのだろう。
「そんなこと言わないでよ。今日は、珍しいものを買ってきたんだから」
そう前置きをすると、僕は冷蔵庫から出した箱を見せる。この時点では、別の洋菓子屋のものと変わらなかった。訝しそうな表情を浮かべるルチアーノの前で、僕は勿体ぶって箱を開ける。中身を覗き込むと、彼は気の抜けた声で言った。
「なんだよ。ただのシュークリームじゃないか。これのどこが珍しいんだ?」
「確かに、見た目はただのシュークリームだよ。でも、これは中身が違うんだ」
弾んだ声で言うと、僕はシュークリームのひとつを手に取った。僕が自分用に買ってきた、ミックスベリー味のシュークリームである。ひと口齧って皮を破ると、断面が見えるように手を向ける。店舗で見た看板と同じように、中のクリームもピンク色だった。
「ね。変わった色をしてるでしょう」
口の中のものを飲み込むと、僕はルチアーノに向かって言う。初めて食べるベリー味のクリームは、少し甘酸っぱくて美味しかった。無理矢理齧ったから、溢れたクリームで口が汚れてしまう。箱を机の上に置くと、指先で口の周りを拭った。
「変なことするなよ。全く」
目を細めて僕を眺めながら、ルチアーノは箱の中身を覗き込む。何だかんだ言いながらも、僕の買ってきたものが気になるみたいだ。興味津々な仕草に、思わず笑みを浮かべてしまう。
「ルチアーノのために選んできたのは、一番左のシュークリームだよ。クリームにエスプレッソが練り込まれてるから、そんなに甘くないんだって」
僕が言葉を添えると、彼は箱の中のシュークリームを持ち上げる。顔を近づけて匂いを嗅ぐと、恐る恐る生地の端を齧った。破れた生地からクリームが溢れてきて、慌てた様子で舌を伸ばす。静かにそれを咀嚼すると、彼は小さな声で呟いた。
「何が甘くないだよ。十分甘いじゃないか」
拗ねたような物言いに、思わず笑い声を上げてしまいそうになった。すんでのところで息を飲み込むと、彼の方へと向き直る。彼がひと口食べている間に、僕は自分の分のシュークリームを平らげてしまっていた。
「そうなの? 僕が食べたのと比べてみたいから、ひと口ちょうだい」
さりげなく要求すると、彼は不満そうに鼻を鳴らす。ちらりとこちらに視線を向けると、トゲを含んだ声で言った。
「嫌だよ。自分の分は食べたんだろ」
「そうだけど、食べないと違いは分からないでしょ」
ご機嫌斜めな横顔を眺めながら、僕は小さく息をつく。味見さえさせてくれないなんて、相変わらずの横暴さだった。仕方がないから、次のシュークリームに手を伸ばす。僕が手に取ったのは、定番のミルク味だった。
周囲を覆っていた包みを剥がすと、大きく口を開けてかぶりつく。端から溢れ出したクリームは、舌を使ってなんとか舐め取った。シュークリーム専門店が作っているだけあって、定番品も深みのある味わいだ。スーパーやコンビニで売っているものでは、この美味しさは越えられない。
あっという間に二つ目を平らげると、僕はルチアーノに視線を向けた。悪戦苦闘しながらも、なんとかひとつ目を食べ終えたようだ。クリームに翻弄されていたようで、ところどころ手が汚れている。キッチンからウエットティッシュを持ってくると、彼は憤りながら手を拭いた。
「シュークリームってやつは、なんでこんなに食べづらいんだよ」
「確かに食べにくいけど、これがシュークリームの醍醐味なんだよ。シュークリームっていうのは、クリームが多ければ多いほどいい喜ばれるんだ」
乱暴にごみを押し付けるルチアーノに、僕は苦笑を浮かべながら答える。多少食べ方に苦戦するのも、シュークリームの醍醐味なのだ。甘さも食べづらさも否定されてしまったら、シュークリームを食べている意味がない。合理性を求めるルチアーノとは、あまり相性が良くなかったようだ。
食べ終わった後のごみを片付けると、キッチンの水道で手を洗う。給湯器を操作してお風呂のお湯を張ると、ルチアーノの座るソファに戻った。流しっぱなしのテレビを見ながら、何をするでもなく時間を潰す。ふと横顔に視線を向けた時に、僕はあることに気がついた。
「ルチアーノ、ほっぺにクリームがついてるよ」
ルチアーノの右の頬に、茶色のクリームがついていたのだ。恐らく、はみ出したクリームに悪戦苦闘していたときに、頬が汚れてしまったのだろう。彼は気がついていないようで、気の抜けた声で尋ねてきた。
「へ? どこだよ」
「動かないで、僕がとってあげるから」
片手で彼の動きを制すると、僕は彼の頬に手を伸ばす。左手を添えて動きを止めると、指の腹でクリームを拭い取った。指を離すと、そのままの動きで口に運ぶ。口に入ったクリームは少しだけだったが、口内にほろ苦い味わいがした。
「なっ…………!」
僕の隣に座っていたルチアーノが、驚いたように動きを止める。次の瞬間には、頬が真っ赤に染まっていた。あからさまな動揺の仕草に、僕の方がびっくりしてしまう。大きく口を開けていると、ルチアーノは大きな声で言った。
「この、変態…………!」
「えっ…………?」
正面から怒鳴り声を浴びせられて、今度は声を上げてしまう。どうして彼が怒っているのか、僕にはさっぱり理解ができなかった。困惑する僕をよそに、ルチアーノは大きく鼻を鳴らす。どうすることもできなくて、僕は静かに視線を逸らした。