似顔絵「似顔絵、ですか?」
Z-ONEが尋ねると、女性教師は神妙な面持ちで頷いた。わざわざ、彼を呼び出したくらいなのだ。かなり困惑しているようである。
「そうなんです。図画工作の授業で、家族の似顔絵を描きましょうという課題を出しました。みんな、お父さんやお母さんの似顔絵を描いてたのですが、ルチアーノくんだけは白紙のままだったんです」
ルチアーノは、学内では優等生で通っているらしい。成績優秀、運動神経抜群、話し合いがあればクラスメイトをまとめ、友達から質問をされたら的確な答えを返す。文句無しの優等生だと、教師は口を揃えて褒めていた。。
そんな彼が、授業中に動けなくなってしまったのだ。お題を告げられた瞬間、彼は困ったように周りを見て、鉛筆をもったまま固まってしまった。何かを描こうとしては手を引っ込め、白紙の画用紙と向き合っているうちに、授業の時間が終わってしまったのだという。
教師は困惑した。何を求めても完璧にこなす優等生が、急に手を止めたのだ。心配するし、保護者にも連絡がいく。そんな経緯で、Z-ONEは学校に呼び出されたのだ。
「そうでしたか、それは、ご迷惑をおかけしましたね」
Z-ONEが謝ると、教師は慌てたように手を振った。
「いえいえ。こちらこそ、サポートができなくて申し訳ありません。ルチアーノくんはしっかりしていますし、心配ないと思っていたんです」
確かに、ルチアーノはただの子供ではない。大人顔負けの知識を持っているし、同年代の子供に比べると、いくらか精神も大人だ。しかし、それは本来の性質ではない。後から作られた、偽りの人格なのだ。Z-ONEしか知らないが、ルチアーノは『完璧超人な優等生』という器を演じているだけの、幼い子供なのである。
「ルチアーノは、幼い頃に両親を失っているのです。私に引き取られるまでは、孤児院で暮らしていました。きっと、家族というものが分からないのでしょう」
Z-ONEが語ると、教師は納得したように頷いた。心配は本物であるらしい。困ったように眉を下げている。
「そうだったんですね。私たちも、生徒一人一人の事情までは分かりませんから、どうしたものかと考えていたんです」
「こちらからも、ルチアーノにお話をしておきましょう。似顔絵については、家で描かせる方向でよろしいでしょうか?」
「はい。そのようにお願いします」
話を終えると、Z-ONEは静かに部屋を出た。車椅子を動かしながら、校舎の中を眺める。この時代の学校を見るのは初めてだ。彼の生きた時代は、既にこのようなコンクリートの校舎はなくなっていたのだから。知識でしか知らない過去のネオドミノシティを見ることは、Z-ONEにとって一種の楽しみでもあった。
ルチアーノには、どのように話をすればいいのだろう。プライドの高い彼のことだ。普通に伝えたら拗ねてしまうだろう。
そんなことを考えて、Z-ONEは思わず微笑む。今の自分は、まるでルチアーノの本当の父親のようだ。彼の保護者として振る舞うのは、案外悪くないものだと思った。
洋館に帰ると、Z-ONEはルチアーノの部屋を覗いた。少年は、静かに勉強机に向かっている。どうやら、課題を進めているらしい。
「Z-ONEなの?」
机を向いたまま、ルチアーノは尋ねる。流石は高性能ロボットだ。気配で気づいたらしい。
「悪かったね。呼び出されるようなことをして」
机に向かったまま、ルチアーノは力なく言葉を続ける。行き先は伝えていなかったが、気配で察していたようだ。賢すぎるのも考えものだ。
Z-ONEは、ルチアーノの部屋へと足を踏み入れた。車椅子を動かして、少年の隣へと歩み寄る。机の上には、ドリルが広げられていた。彼らの時代では過去のものとなっていた、宿題という文化だ。
どのように声をかけるべきかを考える。呼び出されたことを知っているのだ。変に誤魔化しても、気を遣わせるだけだろう。そう思って、直接尋ねてみることにした。
「似顔絵は、難しいですか?」
ルチアーノは手を止めた。困ったように表情を曇らせて、手元のドリルを見る。目を合わせずに、覇気のない声で答えた。
「分からないんだ。家族というものが。僕には、家族なんていないから」
ルチアーノは、Z-ONEの造り出したロボットである。命を持たない生命である彼には、血の繋がった他人と言うものは存在しない。彼にとって、家族という枠組みそのものが、理解するのに困難を与えるのだろう。
「私はどうですか? 貴方を産み出した存在ですから、家族とも言えるでしょう?」
誘導するように声をかけるが、ルチアーノは頷かなかった。机の上に視線を向けたまま、拗ねたような声で言う。
「Z-ONEは、僕たちの神だろ。神の家族を名乗れるほど、僕は図々しくなんかないよ」
「では、プラシドとホセはどうですか? 彼らなら問題ないでしょう?」
「あいつらは仲間だろ。家族なんかじゃない」
Z-ONEの提言を、ルチアーノは全て突き放した。彼にとって、イリアステルの仲間は家族とは言えないらしい。Z-ONEとは正反対の考えだった。
「ルチアーノにとって、家族とはどのようなものなのですか? 私にとっては、この世の生きとし生けるもの全てが家族のようなものなのですよ」
滅び行く世界での暮らしは、日々が孤独との戦いだった。孤独を知るZ-ONEにとって、この世に生命を受けたものは、全てが家族のようなものだった。それは、神としての視点だけではなく、人としての視点も含めてだ。破滅に傾く世界で共に生き長らえた仲間たちは、彼にとって家族と呼べるほどに大切な存在だったのだ。それは、ルチアーノのオリジナルである人物も同じはずだった。
ルチアーノは、オリジナルとは別の存在なのだ。事実を突きつけられ、Z-ONEは少し寂しくなる。
「分からないよ。僕は、人間じゃないから」
そう答えるルチアーノの声も、少し寂しそうだった。彼は孤独なのだ。ひとりぼっちで、この世を生きている。
Z-ONEには、ひとつだけ気になることがあった。似顔絵の課題について話をしたときに、教師の語った言葉だ。ルチアーノは、何かを描こうとして手を止めていたのだという。つまり、彼には描きたいと思った人物がいたのだ。
「ルチアーノ」
「なんだよ」
声をかけると、ルチアーノは力なく返事をした。答えを導くように、優しい声で質問を続ける。
「似顔絵の課題を聞いたときに、描きたいと思った相手がいませんでしたか? もしもいたなら、その人を描いてみてはどうでしょう」
ルチアーノは、はっとしたような顔をした。思考を悟られたことに驚いているらしい。Z-ONEに視線を向けると、表情を歪めて言う。
「なんで知ってるんだよ」
「担任の先生から聞いたのです。何かを描こうとしていたと。その人ではいけないのですか?」
再度尋ねると、ルチアーノは眉を寄せた。納得のいく答えが出ないらしい。苦しそうに言葉を探している。
「描きたい人は、いるよ。でも、その人は家族じゃない。全然知らない人なんだ」
「知らない人でもいいではないですか。貴方は、その人を描きたいのでしょう」
「そうだけど……」
「なら、描いてしまえばいいのです。理由は、後からつけましょう」
言い切ると、ルチアーノは呆れたような顔をした。うっすらと笑みを浮かべる。元気が出たみたいだ。
「Z-ONEって、けっこう強引なところがあるよな」
「強引でなくては、神という立場は勤まりませんからね」
「そうかもな」
答えると、ルチアーノは鞄から丸めた画用紙を取り出した。鉛筆を手に取ると、紙へと向かう。その姿を見て、Z-ONEは安心して部屋から引き上げた。
次の日の朝、ルチアーノは画用紙を抱えてZ-ONEの前へと現れた。椅子に座ると、画用紙を机の上に広げる。
「描けたよ」
そこには、黒髪の少女の姿が描かれていた。廃墟のようなグレーの背景の中で、優しい微笑みを浮かべている。荒廃した大地に咲く一輪の花のような、美しい姿だった。
「彼女は……」
Z-ONEは呟いた。その少女の姿に、見覚えがあったのだ。
「知ってるの?」
ルチアーノが尋ねる。自分でも、誰を描いたのか分かっていないのだろう。答えを求めるような声だった。
「彼女は、『エウレア=パステル』。貴方の、大切な人なのですよ」
「僕の、大切な人? 僕は、この人なんて知らないよ」
「今は、そうでしょう。ですが、いずれ理解する日が来ます」
エウレアは、ルチアーノのオリジナルである人物の記憶に存在した女性だった。強く、凛々しく、美しく、花のような姿で、常にその人物を支え続けたのだという。Z-ONEはその女性を知らないが、仲間の記憶の中で何度となく顔を合わせてきた。
ルチアーノは、オリジナルの記憶を封じられているはずである。しかし、彼は家族の絵を描こうとして、エウレアの姿を描いたのだ。彼の想いは、ロックされた記憶を軽々と越え、彼女の姿にたどり着いた。
「そうですか。彼女が、貴方の大切な家族なんですね」
Z-ONEは呟いた。ルチアーノはきょとんとした顔で彼を見つめている。何も知らないと言うことが、今だけは切なく思えた。
「ねえ、Z-ONE。この人は何者なの?」
ルチアーノが尋ねる。その声は純粋に澄んでいて、無邪気な子供のようだ。その無邪気さを守るためには、明かすことなどできなかった。
「まだ、明かせないのです。明かしたら、貴方は貴方ではなくなってしまうから」
Z-ONEの答えを聞くと、ルチアーノは質問をやめた。彼なりに、何か思うことがあるのだろう。黙ったまま、画用紙に映る少女の姿を見つめている。
いずれは、ルチアーノに伝えなければならないのだ。『彼』とエウレアの関係を。そして、エウレアの最期を。
神という立場は、なんて残酷なのだろう。ルチアーノの姿を見て、Z-ONEはふとそう考えた。