Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    流菜🍇🐥

    @runayuzunigou

    文章や絵を投げます

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💕 🍇 🐥 🍣
    POIPOI 432

    流菜🍇🐥

    ☆quiet follow

    ルチ&ゾーン。潜入先の学校で将来の夢を発表することになったルチが何を発表するのか悩む話です。アポエウ要素や過去の記憶を思い出すルチの要素があります。

    ##ルチ&ゾーン

    僕の夢──ねぇ、✕✕✕は、大人になったら何になりたいの?
     僕の瞳を見つめながら、少女は優しい笑顔でそう尋ねた。背後に広がるのは荒廃した町並みで、遠くからは銃声が聞こえてくる。空は真っ赤に染まっていて、まるで世界の終わりみたいだ。
    ──僕は、強くなりたいよ。強くなって、エウレアを守りたい
     少女の目を見つめ返して、『僕』は答える。その言葉は、強い決意に満ちていたけど、彼女の心には届かなかった。答えを聞くと、面白がるように笑い声を上げる。
    ──そんなの無理よ。今だって、私の方が強いんだから
    ──すぐに追い越すよ。僕は男の子だから、もっと背が伸びるし、力も強くなるんだ。そうしたら、僕が君を守るよ
     『僕』の真剣な言葉は、彼女には届かなかった。むきになって言い返しても、簡単にあしらわれてしまう。それもそうだ。その頃の『僕』は、小さくて弱虫な子供だったのだから。
    ──そう。いつかきっと、私を守ってね
     根負けしたように、彼女は言う。その姿に少し影があるように見えるのは、きっと気のせいだろう。この頃の『僕』は、彼女の未来なんて知らなかったのだから。
     彼女は、これから数年後に命を落とす。結局、『僕』は、彼女を守ることができなかったのだ。

    「ルチアーノ」
     名前を呼ばれて、意識は現実へと引き戻された。周囲には、薄暗い空間と瓦礫の山が広がっている。神の居城、アーククレイドルだ。
     神は、慣れた手付きで僕に繋いだコードを外していた。巨大な両腕で、器用に細いコードを扱っている。
     自由になると、僕はそっと身体を起こした。両手を前に伸ばして、まじまじと見つめる。見慣れた、機械の指だ。人間のものではない。
    「どうかしましたか?」
     神が、怪訝そうな声で僕の様子を窺った。僕の行動が不自然に見えたのだろう。静かに、僕を見下ろしている。
    「なんでもないよ」
     そう答えて、僕は検査台から飛び降りた。下手なことを言えば、待っているのは再検査だ。それだけは避けたかった。
     それに、言えるわけがなかったのだ。機械が、夢を見ていたなんて。

     ●

     狭い教室の中に、カツカツと鉛筆の擦れる音が響く。子供たちは誰もが真剣に机に向かっていて、手を止める者などひとりもいない。僕だけが空っぽだった。
     目の前には、くすんだ色をしたコピー用紙が広がっている。上部には『僕の・私の将来の夢』という題字が存在感をひけらかしていた。小学校によくある、将来の夢の発表というやつだ。こんな無意味なことを子供にやらせて、何の意味があるというのだろう。
     将来の夢。そんなもの、僕にはあるはずがなかった。この世に夢や希望なんてない。あるのは絶望と、破滅の未来だけなのたから。未来を知っている僕には、子供のように能天気に考えることなどできなかった。
     とは言え、白紙で提出するわけにはいかない。ここは学校で、教師は正しい答えというものを求めているのだ。クラス一の優等生の座を保つには、彼らに褒められる答えを書くしかない。白紙を前にして、僕は頭を抱えていた。

    ──僕は、強くなりたいよ。強くなって、エウレアを守りたい

     そんな言葉が脳裏をよぎって、思わず息を呑んだ。そんなの、僕の将来の夢じゃない。だって、彼は夢の中の人物じゃないか。 夢の中の人物が語ったことを書いたって、誰も理解なんかしない。
     どうして、僕は彼のことを思い出してしまうのだろうか。彼と、彼の愛した少女のことを。その記憶は、僕には関係のないものなのに。
     首をぶんぶんと振って、なんとか思考を巡らせる。教師の好む言葉ならいくつでも出てくるが、相変わらずプリントは白いままだ。思い付く言葉はどれも薄っぺらで、発表できるほどの中身を伴わなかったのだ。
     珍しく手を止めている僕を見て、教師が不思議そうに首を傾げた。顔が合わないように、真っ直ぐにプリントを見つめる。将来の夢を書けないなんて、優等生としてあるまじき事態だ。
     プリントと睨み合っていると、チャイムの音が聞こえてきた。授業が終わったのだ。担任の教師が、書けていない生徒は家での宿題となる旨を告げる。提出していく生徒の背中を眺めながら、僕はプリントを机の中にしまった。

     洋館の中は、今日も静まり返っていた。だだっ広い家の中を歩くと、階段を登って自分の部屋へと入っていく。シンプルな家具だけが置かれた僕の部屋は、優等生の部屋らしく無機質で、子供らしさは少しもなかった。
     勉強机の椅子に腰をかけると、ランドセルからプリントを取り出す。机の上に広げると、置物を乗せて重石にした。提出期限は明日までだ。それまでに、なんとしてでも空欄を埋めなければならない。自分の意志というものを持たない僕にとって、これは何よりも難しい問題だった。
     研究室に向かい、小型モーメントの様子を見ていると、セキュリティが何かを検知する気配がした。システムに接続して映像を見ると、車椅子に乗った老人の姿が映し出される。僕たちの神、Z‐ONEだった。
     僕は、洋館の入り口までワープした。ZONEの近くに歩み寄ると、車椅子の後ろに回る。持ち手に手をかけると、神が柔らかな声を発した。
    「わざわざ出迎えてくださったのですか? ルチアーノはいい子ですね」
    「僕は神の代行者なんだから、これくらい当然のことだよ。それより、ずいぶん早い帰りだったね」
    「今日は、早く帰らせてもらったのです。虫の知らせがありましたから」
     何もかもを見透かしたような声で、神は語る。僕は、何も答えずに車椅子を押していた。建物の中に入ると、神の手足を清める手伝いをし、食堂へと案内する。既に使用人への手配が済んでいたようで、食事は二人分用意されていた。向い合わせで席に座ると、食前の挨拶をして食器に手を付けた。
     神との食事は久しぶりだ。改めて顔を合わせると、僕は何を話していいのか分からなくなる。任務についての話ならいくらでもできるが、祖父と孫としての会話となると、何を話していいのか分からなくなるのだ。僕は、黙って食事に手を伸ばすことしかできなかった。
    「ルチアーノ」
     しばらく沈黙が続いた後、神は口を開いた。窺うような二つの瞳が、真っ直ぐに僕を捉える。気まずさを感じて、僕は微かに目を逸らした。
    「学校はどうですか?」
    「まあまあだよ。子供の集まりなんて、あんなもんだろ」
     答えながら、心に引っ掛かるものを感じる。課題として持ち帰ってきた、将来の夢のプリントのことだ。僕は、正しい小学生の姿を演じられているのだろうか? 将来の夢を書けない小学生は、この世に存在しているのだろうか。
     そんなことを考えて、不意にあることを考えた。神は、夢を持ったことがあるのだろうか。僕は神の代行者として間近に使えているが、一度も過去の話を聞いたことがない。僕たちを製造する前に、神はどのような時を過ごしていたのだろうか。一度気になったら、聞かずにはいられなくなった。
    「ねぇ、Z‐ONE。Z‐ONEは、将来の夢を持ったことはある?」
     尋ねると、神は表情を和らげた。慈しむような顔で僕を見下ろすと、優しい声で語りかける。
    「私は、常に夢を持っていますよ。人々をより良い方向に導き、この世界を救うという夢が」
    「そういうのじゃないよ。もっと、小さくて非現実的な夢だ。子供が語るような、『大きくなったら○○になる』ってやつだよ」
     そこまで話して、僕はあることに気がついた。神様には、幼少期というものがあるのだろうか? 僕が目覚めたときから、神はずっと老人の姿をしている。幼少期など無いかもしれないのだ。
    「…………神様って、子供だったことあるの?」
     尋ねると、神は若々しい笑みを浮かべた。いたずらをする子供のように笑いながら、含みを込めた声で言う。
    「それは、秘密です」
    「なんだよ」
     僕は頬を膨らませた。神は、にこにこと笑いながら僕を見つめている。子供を相手にするようなその態度が、少しだけ癪に触った。

     ●

     僕は、童実野町の中を歩いていた。既に見慣れてしまった町の中を、当てもなく歩いていく。学校の前を歩き、公園の中を横切り、ゲーム屋の前を通り抜ける。歩を進めるごとに周囲の景色は変化していき、やがては未来のネオドミノシティになった。
     僕は、とある建物の前で足を止めた。目の前には、門に囲まれた洋館が建っている。僕たちが拠点としている洋館と造りは似ているが、建物の外装は全くの別ものだった。
     僕は、まじまじとその建物を見つめた。初めて見るはずなのに、妙に見覚えがあるように感じる。何かと似ているとかではない、魂に刻み込まれた感覚だった。
     僕は、門の中へと足を踏み入れた。自分の家ではなかったが、少しも抵抗は感じなかった。花の咲き乱れる庭を通ると、玄関を目指して進んでいく。
     不意に、ガチャンと音がした。玄関の扉が開き、中から赤い髪を靡かせた少年が現れる。彼は、僕を視界に捉えると、にこりと笑みを浮かべた。
    「やっと、会いに来てくれたんだね。待ってたんだよ」
     僕は、何も答えられなかった。目の前に立っている少年が、何者なのかに気づいたからだ。燃えるような赤い髪に、光を湛えた緑の瞳。後ろ側の布が長い奇妙な服装は、きっと未来のものなのだろう。柔らかい声で話をするその姿は、僕が何度か夢で見た少年そのものだった。
    「ねぇ、君は迷ってるんでしょう? 自分が何者なのか分からなくて、自分の夢を見つけられなくて。だから、僕のところに来た。そうなんでしょう?」
     少年は語る。彼は、僕の抱えている問題を知っているようだった。優しく語られるその言葉は、僕を導こうとしているみたいだった。
    「君は、何者なの? どうして、夢のことを知ってるの? 」
     尋ねると、彼は口元に手を当てた。いたずらをする子供のような笑みを浮かべると、からかうような声色で言う。
    「それは、教えられないよ。君が、自分で思い出さないと」
     少年の態度は、妙に僕の心に引っ掛かった。こんな風に話をする存在を、僕は知っている。しかし、思い出そうとしても、頭痛に襲われるだけだった。
     少年は、再び僕に笑いかけた。諭すような、導くような声で、僕に向かって語りかける。
    「君は、もう分かってる。自分が何をしたいのかも、何をするべきなのかも。君は、一人で空を飛べる存在だから」
     それだけを告げると、彼はドアノブに手をかけた。重そうな扉が、ゆっくりと少年の姿を隠していく。吸い込まれていく後ろ姿に、僕は必死で問いかけた。
    「待ってよ。ひとつだけ教えて! 君は誰なの? どうして、僕の夢に出てくるの?」
     少年の身体が、ピタリと動きを止めた。くるりとこちらを振り向くと、目元を動かして笑みを浮かべる。真っ直ぐに僕を見ると、一言だけ言葉を発した。
    「そんなこと、君はもうとっくに分かってるでしょう?」
     それが、彼の最後の言葉だった。扉はゆっくりと閉まり、少年の姿を隠してしまう。玄関の前に取り残されて、僕は一人で途方にくれた。

     ●

     気がついたら、自分の部屋のベッドの上にいた。明け方の弱々しい光が、部屋の中をうっすらと照らしている。目覚まし時計に視線を向けると、午前五時を指していた。
     変な夢だった。不思議な洋館で、不思議な男の子に出会うなんて。しかも、あの少年は、かつて見た夢の中に出てきた男の子だった。自分の作り上げた人物と、夢の中で話をするなんて、僕はなんて夢見がちなのだろう。
     瞳を閉じると、意識をスリープモードに移行する。身体機能を最小限に絞ることで、地下に設置されたモーメントからエネルギーを補給するのだが、この日は既に満単になっていた。こうなってしまえば、眠ることに意味は無い。ゆっくりと身体を起こすと、一階の洗面所へと向かった。
     蛇口を捻り、顔を洗おうとして、僕は思わず息を呑んだ。目の前に映る自分の姿を見て、とんでもないことに気がついてしまったのだ。どうしてあの時に気がつかなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。
     夢の中に出てきた男の子は、僕に瓜二つだったのである。腰まで伸びた赤い髪も、額を晒す前髪も、宝石のような緑の瞳も、僕と全く同じだ。あの少年は、僕のオリジナルに当たる存在なのだと、心のどこかで悟った。

    ──僕は、強くなりたいよ。強くなって、エウレアを守りたい

     あの言葉が、再び脳裏に蘇る。僕にとって、それは自分とは無関係な言葉のはずだった。遠い世界の、知らない場所に生きていた幼い少年の、幼いがゆえに現実を知らない哀れな夢。子供ではない僕には、叶うことが無いと分かりきっている愚かな夢。
     人間に、人間を守るなど不可能だ。科学によって産み出された兵器は、絶対的な力で人間を捩じ伏せる。直撃したら確実に命を落とすし、庇ったら自分がその立場に変わるだけなのだ。強くなるなどという曖昧な目標で、その少女を守れるわけがない。
     僕は、蛇口から流れる水を手のひらに掬った。パシャパシャと音を立てながら、冷たい水で顔を濡らす。水を止め、乾いたタオルを手に取ると、柔らかい布地て顔を押さえた。
     タオルをカゴの中に放り込むと、僕は来た道を引き返した。階段を登りながら、夢の中の少年の言葉を反芻する。

    ──君は、もう分かってる。自分が何をしたいのかも、何をするべきなのかも。君は、一人で空を飛べる存在だから

     あんなもの、夢だなんて言えない。ただの子供の世迷い言だ。実際に、彼は少女を守れなかったのだ。そんな人間の言葉に、なんの意味があるのだろうか。
     そんな思いとは裏腹に、足取りはどんどん早くなっていった。長い廊下を駆け足で通り抜けると、勉強机のある部屋の扉を開く。置きっぱなしになっていたプリントを引き寄せると、逸る気持ちで鉛筆を走らせた。

     発表を終えると、壇上の少年は堂々とした態度でお辞儀をした。講堂に集まる大人たちが、彼の言葉に絶え間無い拍手を贈っている。少年は誇らしげな表情を浮かべると、ゆっくりと壇上から降りていった。
    「次は、ルチアーノくん」
     担任の女教師が、甲高い声で僕の名前を呼んだ。背筋を伸ばして席を立つと、階段を上って壇上に上がる。ずらりと並ぶ大人たちを見下ろすと、大きく息を吸ってから言葉を発した。
    「僕の将来の夢は、科学者になることです」
     ここは、学校の講堂だった。今日は、将来の夢を発表する会の日だったのである。舞台の前には椅子が並べられ、生徒たちが発表する順番に座っていた。その後ろには、保護者が並べられた座席に座っている。
     僕の言葉を聞くと、保護者たちは僅かにざわついた。これまでの男の子たちは、スポーツ選手やパイロットのような、子供らしい夢ばかりだったのである。優等生の語る大人びた夢に、彼らは面食らったようだった。
    「僕は、物心ついたときから戦場にいました。人と人が戦う音を聞きながら、子供たちと遊んで過ごしていたんです。僕には血の繋がった家族というものがありません。お父さんもお母さんも、戦争で死んでしまったんです。それだけじゃありません。僕の大切な友達も、戦争で死んでしまいました」
     僕が言葉を告げる度に、講堂内が静まり返る。遠い外国の重い話に、どう反応していいのか分からないのだろう。平和な国の住人は、戦争をしている国のことなんて考えないのだから。
    「両親を無くした僕は、今のおじいちゃんに引き取られました。おじいちゃんは、科学者として世界中の研究に協力しています。世界をより良い方向に動かすために、毎日研究を続けているんです」
     人々は、黙って僕の演説を聞いていた。悲しい話で人々の同情を誘うのは、人心掌握の常套手段だ。まあ、今回は悪いことをするわけではないのだけど。
    「だから、僕は思ったんです。僕も、戦争を止めるための科学を追求したいと。おじいちゃんみたいに、人々を幸せにするための研究をしたいと。一人の力では、戦争を止めることなどできない。それなら、多くの人々の心を動かすような成果を残したい。それが、大切な人を救うことに繋がるから」
     語り終えると、僕は過剰な態度でお辞儀をした。一瞬の間を開けて、人々が盛大な拍手を返す。完璧だ。周囲を圧倒した優越感を感じながら、僕は壇上から降りたのだった。

     ●

     その日の晩、僕は夢を見た。この前と同じ、童実野町の中を歩いていく夢だ。先へ先へと進むごとに、景色は未来へと変化していく。前回と違うのは、これが夢だと知っていることだけだ。
     歩き続けると、あの時の洋館が見えてきた。周囲を門に囲まれ、美しい庭を備えた、僕たちの拠点に似た建物だ。ここは、僕のオリジナルが住んでいた家なのかもしれない。妙な見覚えを感じながら、僕はそう思った。
     門を開けると、花の咲き乱れる庭を通り抜ける。玄関の前に立っても、例の少年は現れなかった。チャイムを鳴らし、中から人が出てくるのを待つ。
     しばらく立っていると、玄関の扉が開いた。中から、赤い髪の少年が姿を現す。少年は僕を見ると、美しい笑顔で微笑んだ。
    「こんにちは。待ってたよ」
     改めて見ると、本当に僕にそっくりだ。赤くて長い髪に、額を露出した髪型。ぱっちりと開いた瞳は、宝石のような緑色だ。まるで、鏡に映したかのように瓜二つだった。
    「やっと、分かったよ。君が何者なのか」
     僕が言うと、少年は寂しそうに笑った。玄関の扉を開くと、僕を中へと案内する。
    「それなら、僕からも話をしないとね。さあ、上がって」
     僕は、建物の中へと足を踏み入れた。外見の雰囲気は僕たちの拠点に似ていたが、内装は少しも似ていない。少年に先導されながら、シンプルな廊下を歩いていく。
     案内された先は、シンプルな応接間だった。少年が座ったことを確認してから、机を挟んで並べられたソファに腰を掛ける。
    「じゃあ、まずは自己紹介から始めようか。僕は、✕✕✕。君の名前は?」
    「ルチアーノだよ。イリアステル三皇帝のルチアーノ」
     僕が答えると、少年はにこりと笑った。自分と同じ顔を見せられて、奇妙な気分になる。
    「いい名前だね。三大テノールだ」
     彼は、僕の名前の由来を知っているようだった。僕たちの名前をつけたのは、未来の彼自身なのかもしれない。そんなことを考えていると、彼が口を開いた。
    「まずは、お礼を言わないとね。君は、僕の夢を継いでくれたんだから」
     少年の無邪気な声が、僕の心を撫で付ける。気分の悪さを感じて、言葉が鋭くなった。
    「礼なんて言われる筋合いはないよ。僕は、君の人生を借りてるんだ。君の姿を乗っ取って、夢を利用しようとしてるだけなんだよ」
    「そんなことないよ。君は、自分の意思で僕の夢を継いでくれた。君は、僕の代わりに戦ってくれることを選んだんだ。弱かった僕とは違う、強い子として」
    「違うよ。僕は…………」
     その続きは、喉の奥につっかえたまま出てこなかった。自分でも、自信がなかったのだ。僕が彼の意志を継いだのは、誰の意思なのだろうか。それすらも分からないほど、僕の意識は、彼の記憶と統合されつつあったのだ。
     少年は、真っ直ぐに僕を見上げた。キラキラと輝く両の瞳が、真正面から僕に迫る。
    「君は、僕の希望なんだよ。僕の夢を叶えてくれる。たった一人の存在なんだ。だから、僕は君を信じてる」
     僕は、何も言えなかった。ただ、目の前の少年を見つめ返す。その瞳の輝きだけは、僕とは似ても似つかなかった。彼は、どこまでも無邪気だったのだ。キラキラと輝いた瞳で、真っ直ぐに未来を見つめている。僕が当の昔に失ってしまった煌めきに、僅かな羞恥を感じた。
    「……希望なんかじゃないよ。僕は、君のような美しい心なんて持ってない。僕にあるのは、心を覆う絶望と、その苦しみを避けたいと願う心だけだ。君のように美しい夢なんて見られない」
    「だからだよ。君は、現実を知っている。そんな君だからこそ、僕は信じられるんだ」
     少年に畳みかけられ、僕はまた言葉を失ってしまう。彼は『強い』。僕の魂は、彼に逆らえないのだ。
    「ねぇ、約束して。君が、僕の夢を叶えてくれるって。君が、僕の代わりに飛んでくれるって」
     少年は語る。その言葉は、真っ直ぐに僕を貫いた。僕の中に潜む少年の残滓が、僕の心を侵食していく。彼の祈りは、僕のシステムに染み付いているのだ。彼のコピーとして存在している限り、僕は彼の想いを捨てられない。
     大切な人を守りたい。ひとりぼっちにはなりたくない。たったそれだけのことが、ずっと僕たちを縛っている。僕が、そして彼が救われるには、このような夢を叶えるしかないのだ。
    「分かったよ。僕が、君の夢を継いであげる。君の代わりに強くなって、この世界を守ってあげる」
     僕は答えた。少年が花のような笑顔を見せる。その美しい笑顔も、僕には絶対にできないものだった。
     本当に、僕に叶えることができるのだろうか。オリジナルにも叶えられなかった、子供のような望みを。疑念はある。それでも、彼の切実な願いだけは、裏切ることができなかった。
     僕は、僕の人生を生き、そして戦うのだ。いつか、彼との約束を守るために。

     ●

     階段を降りて食堂へと向かうと、神様が席に着いていた。昨日も遅くまで研究をしていたのに、わざわざ僕を待っていたらしい。変なところで律儀な人だ。
    「おはようございます。よく眠れましたか?」
     神は言う。他意はないと分かっているが、咎められたようで癪に障る言い回しだった。いつもの僕なら寝坊なんてしないのに。全部、あの変な男の子のせいだ。
    「眠れたよ。それはもう、ぐっすりと」
     答えながら、僕は反対側の席に着く。机の上には、まだ湯気を放つ朝食が並べられていた。カトラリーを手に取ると、神に倣って食事を口に運ぶ。
    「それは良かったです」
     そこで、僕たちの会話は途切れた。食事の時間は苦手だ。祖父と孫としての会話なんて、僕たちにできるわけがない。普段ですらそうなのに、神は昨日の僕の発表を見ているし、今日の僕は朝食に遅刻しているのだ。余計に気まずかった。
    「ルチアーノ」
     僕が黙っていると、神様が口を開いた。僕に視線を向けると、優しい声で言う。
    「昨日の発表ですが、とても良かったですよ。貴方があのようなことを願っていたとは、知りませんでした。」
     一番言われたくないことを言われてしまった。あれは、僕の考えた夢ではないのだ。他人の言葉で誉められても、嬉しくもなんともなかった。
    「あんなの、他人の言葉を借りただけだよ。本当にそう思ってるわけじゃないぜ」
     突き放すように答えるが、神様はにこりと笑った。孫を見守る祖父の笑みを浮かべると、弾んだ語調で言う。
    「それでも嬉しいのですよ。偽りであったとしても、私の研究を憧れとして語ってくれたことが」
     そんなことを言われたら、僕は答えに困ってしまう。僕は別に、神様に憧れている訳ではないのだ。神を慕うようにプログラムされているだけで、この感情は作り物でしかない。
     そう思うしかないのだ。僕という、とある少年のコピーは。
     結局、僕は何も答えられなかった。黙ったまま、ひたすらに手を動かす。幸いなことに、神も会話を急かさなかった。

    ──ねぇ、約束して。君が、僕の夢を叶えてくれるって。君が、僕の代わりに飛んでくれるって

     夢の中で聞いた少年の言葉が、僕の脳裏に蘇る。彼の言葉はどこまでも真っ直ぐで、僕には無い輝きを秘めていた。あの少年から僕が生まれたなんて、自分のことなのに信じられない。
     彼は、望みを叶えられずに死んだ。大切な人を守ることも、世界を救うこともできずに、命を落としていった。僕は、彼の願いを叶えるために、神によって産み出されたのだ。
     叶えなければ、と、思った。それが神の望みであるなら、僕の望みにもなるはずだ。神の望みを叶えるのが、神の代行者である僕の責務である。
     僕たちに、世界を救えるのかは分からない。神ですら知り得ないことなのだから、僕に叶えられるわけがない。それでも、僕は諦めたくなかった。彼と、約束をしてしまったから

    ──大丈夫。君の夢は、僕が引き継いだよ。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works