体操服 シティ郊外の片隅を、光の線が貫いた。それは僕の足元を通り抜け、乾いた大地に直撃する。周囲の地面が穿たれ、土埃が舞い上がった。今回は危なかった。もう少しで、僕の足が消しとんでいたところだったのだ。
土埃に覆われながらも、僕は真っ直ぐに前を睨み付ける。向かい側に佇む男の子に、追撃をする気はないようだった。ゆっくりと時間をかけて、視界を覆うもやが消えていく。目の前には、ルチアーノが仁王立ちで立っていた。
「なんだ。避けられたんだ。良かったな」
他人事のように呟く姿に、僕は顔をしかめた。危うく怪我をするところだったというのに、少しも反省していないのだ。
「死ぬかと思ったよ。もう少し手加減してくれると嬉しいな」
反論すると、彼はにやりと口元を歪めた。甲高い笑い声を上げると、からかうような口調で言う。
「手加減したら練習にならないだろ。当日の相手は、本気で僕たちを葬りに来るんだ。練習も本番を想定してやらないと、うっかり死んじゃうかもしれないぜ」
彼の言い分も、多少は正しいのだ。僕たちが挑もうとしているのは戦争であって、ただのデュエルではない。少しの油断が命取りになる、危険な戦いなのだ。でも、だからといってこれはやりすぎだと思った。
「まあ、今日はこれくらいにしておいてやるよ。大会の前に死なれたら、元も子もないからね」
手のひらで服を叩きながら、ルチアーノはからかうように言う。僕も上着を脱いで、まとわりついた砂を叩き落とした。全身が砂埃に巻き込まれてしまったから、Tシャツやズボンにも砂がびっしりだ。こんなことならジャージを着てくればよかった。
それは、ルチアーノも同じみたいだった。満遍なく身体を叩きながら、服についた砂を払っている。その姿を見て、ふと思い付いたことがあった。
「ルチアーノ、体操服を買わない?」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノはあからさまに顔をしかめた。じっとりとした目で僕を見つめる。
「なんだよ。君って、そういう趣味があったのか?」
「違うよ!」
盛大な勘違いをされていた。慌てて否定したせいで、声が上ずってしまう。ツッコミを入れられる前に、慌てて言葉を続けた。
「デュエルの練習をしたら、服が汚れちゃうでしょう? 体操服を着ておけば、気にしなくて済むかなって」
答えると、彼はつまらなそうに眉を動かした。横目で僕を見ると、淡々とした声色で言う。
「なんだ。そういうことかよ。生憎だけど、僕の服はそう簡単に汚れたりしないんだ。再構築すれば元に戻るんだよ」
「そうは言っても、ぴったりした服だと動きにくいでしょ。やっぱり、運動には柔軟性のある服がいいよ」
「そんなこと、気にしたこともないぜ。いつもこの服を着てるんだから、今さらな話だろ」
「そんなこと言わないで、今から買いに行こうよ。ね?」
無理矢理手を取ると、彼はあからさまに顔をしかめた。不満そうな表情を浮かべながらも、抵抗はせずに僕の後に続く。
「ああもう、嫌だって言っても連れて行くんだろ? 強情なやつだな」
背後からは、ルチアーノの声が聞こえてくる。それが諦めたような響きを含んでいることに、少しだけ嬉しくなった。
ショッピングモールの子供服売り場には、多種多様な洋服が並んでいた。トレンドを押さえたデザインの服から、いかにもと言った感じの子供服、アウトドア用の本格的な服までが、カテゴリーごとに分けられている。その片隅に、体操服のエリアがあった。
体操服と言っても、その種類は様々だ。小学生が着るようなシャツとハーフパンツのセットもあれば、ジャージの上下のようなタイプもある。大きな店舗だから、近隣の小中学校の指定体操服も並んでいた。
「いろいろあるね。ルチアーノはどんなのがいい?」
声をかけるが、隣から返事はなかった。無理矢理連れてきたことで、機嫌を損ねているのだろう。固い表情を浮かべたまま、僕から顔を逸らしている。
「やっぱり、シャツとパンツのセットがいいのかな? 露出を抑えるなら、ジャージタイプもよさそうだよね」
一人で話しかけながら、僕は目の前の体操服を手に取った。シンプルなシャツとハーフパンツのセットで、お値段もお手頃だ。僕が小学生の時に着ていたのも、このようなタイプだった。
「ルチアーノ? 僕が悪かったから、そんなに拗ねないでよ」
「拗ねてないよ」
答える声は、やっぱり拗ねていた。付いてきたはいいものの、ご機嫌斜めといったところなのだろう。彼らしいと言えば彼らしい態度だ。
「だったら、一緒に選んでくれないかな? どんなのがいいのか、ルチアーノの意見も聞きたいんだ」
「僕には、体操服なんて要らないよ。自分の分だけ買ってな」
何度声をかけても、返事は同じだった。勝手に買ったところで、着てくれないのは目に見えている。どうしようもなくなってしまった。
「あれ? ○○○?」
不意に、少し離れたところから声が聞こえてきた。視線を向けると、青緑の髪をポニーテールにした男の子がこちらに向かって歩いてくる。龍亞だった。
「あれ? 龍亞? こんなところで何してるの?」
「体操服が古くなったから、買いに来たんだよ。○○○こそ、こんなところで何してるの?」
そこまで言って、彼は隣に立つルチアーノに気づいたようだった。大きく目を開くと、驚いた様子で後ずさりをする。
「げっ! ルチアーノ!」
「何が「げっ」だよ」
答えるルチアーノも、不機嫌そうな声色をしていた。元々ご機嫌斜めなこともあって、一触即発のオーラだ。喧嘩になるんじゃないかと思って、慌てて間に入った。
「僕は、ルチアーノの体操服を買いに来たんだよ。デュエルの練習をするのに、いつもの服だと動きにくそうだからね。龍亞こそ、龍可と一緒じゃないの?」
「龍可は服を見に行ってるよ。付いていっても女の服なんて分からないから、自分の買い物をしようと思ってさ」
龍亞の答えを聞いて、何となく状況が分かった。彼らは二人でショッピングモールに来て、洋服売り場の手前で別れたのだ。龍亞にとって、女の子の売り場は恥ずかしかったのだろう。
「龍可は、本当は龍亞についてきてほしかったんじゃないかな? 龍亞だって、『かわいい』くらいは言ってあげられるでしょ?」
「なんでそんなこと言わないといけないんだよ。お世辞なんか言っても、龍可だって嫌だろ」
龍亞は言うが、僕はそうは思わなかった。龍可は龍亞のことが大好きなのだ。お世辞だったとしても褒められたいはずである。
そんな話をしていると、横から袖を引かれた。不満そうな顔をしたルチアーノが、僕の腕を引っ張っている。顔を近づけると、不満そうな声色で囁いた。
「何してるんだよ。君は、シグナーの関係者とお喋りをしに来たのかい?」
「違うよ。ルチアーノが服を選んでくれないから、お喋りしてただけだって」
僕たちが話をしている間に、龍亞は体操服を選んでいた。僕たちの言い争いはしょっちゅうだから、彼にとっても日常茶飯事なのだろう。小学生らしいシャツとパンツのセットを手に取ると、タグを見てサイズを確認している。その姿を見て、ふと疑問が浮かんだ。
「アカデミアの生徒も、ショッピングモールで体操服を買うんだね。指定のがあるんだと思ってた」
僕の言葉に、彼は顔を上げた。僕に視線を向けると、当たり前のことのように言う。
「アカデミアの体操服は指定されてるよ。これは、大会の練習着にするんだ。去年買った体操服もあったけど、サイズが合わなくなってたから」
そういえば、彼もWRGPに出場するのだ。ライディングデュエルを扱うから、服が汚れることもあるだろう。学校の体操服を汚したくない気持ちは良く分かった。
「そうなんだ。龍亞くらいの歳だと、成長が早いからね。僕もすぐに小さくなって、買い替えてもらってたよ」
「龍可には、一回り大きいサイズを買わないからだって怒られたよ。だから、今度は大きいのを買うんだ」
そういうと、彼は体操服を抱えた。危なっかしい仕草が気になって、持っていたカゴを渡してまう。僕たちのやり取りを、ルチアーノが冷めた瞳で見ていた。
「じゃあ、僕たちも選ぼうか」
声をかけると、目の前に並ぶ体操服に視線を戻す。龍亞が買っていたセットは、それなりにお値段のするものだった。両親と離れて暮らしているらしいが、仕送りはそれなりにもらっているのだろう。
手に取ってみると、布地は厚みを持っていた。さっき手に取ったものと比べると大違いだ。安いものだと生地も薄いから、これくらいしっかりしていた方がいいのかもしれない。
「この長袖のセットがいいかな。ルチアーノは背が伸びないから、サイズはちょうどでいいよね」
声をかけながら、手に取った体操服を身体に当てる。腕に袖を当てて長さを確認していると、真上から声が降ってきた。
「誰が万年成長しないチビだって?」
その声色は、冷たい怒りに満ちていた。僕に向けられる視線も、威圧するように冷ややかだ。逆鱗に触れてしまったのだと、今になって気がついた。
「そんなこと言ってないよ!」
慌てて否定するが、後の祭りだった。ルチアーノは僕の手を突き放すと、そっぽを向いてしまう。子供扱いされたことも嫌なら、僕が龍亞と話をしていたことも嫌だったのだろう。本当に、気難しい男の子だ。
「ごめんって。機嫌を直してよ」
謝罪の言葉を告げても、彼の機嫌は直らなかった。この調子では、体操服を買うのは無理だろう。子供らしく拗ねた横顔を眺めながら、僕は途方に暮れるのだった。