you need not to be a man like me, Piers Nivans.キス、粘膜を擦る、絡み合わせる指、興奮にあがる息、もどかしそうな手つきで落とされる下着、女の香り、クンニに感じてかん高い声が上がる、俺の髪を摑むマニキュアが彩る指、早く来て!俺も我慢ができなくなり、ベルトに手をかける――
「もしかしたら死ぬのかもしれねえ」
ロッカールームのベンチに座って下着姿で呻くピアーズに、「は?」とベンが訊いた。
「俺、EDだわ」
深い絶望に顔を覆う。
とっくに支度も終わって、後は飲みに行くだけという状態のベンは、明らかに引いた声で「はあ」と気のない相槌を返してくる。
「昨日も、一昨日も、全然勃たねえ。どこかやばい病気に決まってる」
「――まあ、むしろたまにはそういうときもあった方がいいだろ、お前は」
おい。なんて言い草だ。本当に友達か。
「早く着替えろよ。皆待ってるんだぞ」
飲みに行こうと騒ぐ仲間の声が遠い。
あいつらは勝手に行って勝手に始めるだろ。
どうせ行きつけはいつも同じだ。追いかければいい。
「誰とやってもダメなんだ。いざとりだしてみると全然勃ってねえの。だめだ。やっぱり俺は死ぬんだ」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと服を着ろよ」
いかにも面倒だという態度で、ベンがロッカーから俺の服を投げる。
「お前、俺がEDでもいいのかよ!」
クシャクシャに丸まったシャツを頭から被りながら言うと、「それぐらいがちょうどいいんじゃねーの」と言いやがる。友達甲斐のない奴だ。
「俺の遺伝子が残らないかもしれないんだぞ。真剣に憂えよ」
「いっそその方が世のためだろ」
ひどい言いぐさだ。
この前女との写真を送って以来、どうもピアーズに対する態度がよろしくない。
クリスの元カノ(というほど固定的に付き合ってはいなかったようだが)を抱きまくっていたという、我ながら黒歴史な態度に気づいて軌道修正を試みて一週間。
ピアーズはすっかり男としての自信を失っていた。
いざ、と盛り上がったタイミングで勃っていない。
頑張っても勃たない。
心が弱かったらとっくにセックスがトラウマになっていたことだろう。
スナイパーとしてメンタルを鍛えておいてよかった。
「先に出てるからな」
背を向けた友を、荷物を掴んで慌てて追いかけた。
ほどほどにメンバーが出来上がったころ、「キャプテン!」と誰かが声を上げた。
扉に目をやると、クリスが入ってきたところだった。
出張帰りそのままの姿で現れた我らが隊長は、相変わらず忙しそうだ。
レセプションから他の支部に招聘されての訓練、B.S.A.A.の顔であり最も優秀な兵士である彼が関わる仕事は多岐にわたる。
「楽しそうにやってるな」
今日はおごり決定だ。隊員たちが歓声を上げた。
アルファのリーダーは人気者だ。盛り上がるメンバーに囲まれたクリスだったが、疲れがあるのか途中からは一人でグラスを傾けながらカウンターから皆を眺めていた。騒ぐ隊員を楽しそうに見る彼は、いつの間にか居眠りを始めていた。夜も更けてきて、隊員たちがちらほら帰り始める。
「ピアーズ、お前はどうする?」
二軒目に誘われたピアーズは、無意識にカウンターを見た。
「行こうぜ。たまにはあいつがいない方がいい女がまわってくるだろ」
ベンが肩を組んで皆を誘う。
変な気をつかいやがって。
急に静かになった店内で、カウンターに並ぶ。
今回の出張は3週間、どこかの支部の強化訓練に招聘されていたはずだ。
壁に背を預けた男の目元に影が落ちる。
飽きずに眺めていると、カウンターの上のグラスで溶けた氷が音を立てた。
うつむいていたクリスの顔が上がる。
瞼が開くと思ったよりも距離が近く、思わず瞬いた。
適切な言葉を探している間に、青みがかった瞳が焦点を結ぶ。
「――お前か」
座りなおしたクリスが上体を起こしたため、ピアーズも身体を話す。
眠気覚ましか、クリスが手にしたグラスを傾ける。
ゆるく頭を振り、カウンターに肘をつく。
「時差ぼけがきつい。年だな」
ため息をついた相手に、ピアーズは肩を竦める。
隊員たちが出て静かになった店内で二人カウンターに並んだ。
「今度は大人しくしていたようだな」
低い呟きにクリスを見ると、唇の端を僅かに上げてこちらを見ていた。
「あれは……反省しています」
羞恥にカウンターの上に置いた拳を握る。
先日クリスに指摘された、彼の過去の女に手を出していたという話は、思い出すだけでも耳が赤くなる。
Mr.B.S.A.A.ともいわれるクリス・レッドフィールドは交友関係を隠すことができない。彼はB.S.A.A.の顔であり、機密の塊でもあるからだ。彼が誰と話し、誰に心を許したかは全て記録されている。だから、「彼女ら」は秘密でも何でもなかった。
隊員たちからすればそれは目の前にぶら下げられた勲章のようなものだった。彼は伝説であり、憧れの対象だった。中には無謀なことをする輩も出る。
ピアーズもその中の一人になったわけだ。しかも、ぶっちぎりで。
「お前は若い」とクリスは言う。
「人生を楽しめ」
肩に手を置かれる。
分厚い手のひらの重みと、微かな苦みが鼻腔をくすぐった。
微かに気分が高揚するのを感じる。
クリス・レッドフィールドはピアーズにとっても英雄だ。
あんなことでぎくしゃくしてしまったが、今ようやくそれらが解消するのを感じた。
「イエス、サー」
クリスの手が肩を掴み離れていく。
隣を見ると微かな笑みが返ってきた。
店にはベンの車で来た。盛り上がっているのか、連絡がつかないためタクシーでも呼ぼうとしたところ、「ついでだ」とクリスが送ってくれることになった。
出張帰りの足でバーに来た彼は、まだ基地に仕事が残っているらしい。
前も乗ったスポーツカーの助手席で街の明かりが流れるのを眺める。
閉め切った車内の空気を取り込むと、クリスの香りがした。
「キャプテン、立ち入ったことを伺ってもよろしいでしょうか」
少し緊張したピアーズの問いに、視線を振ったクリスが「許可する」と応えた。
「何故特定の恋人をもたないのですか」
不躾な問いにクリスが肩を竦める。
「俺がもてると思うか?」
嘘だ、とピアーズは思った。
あなたなら素晴らしい女性を選べる。
家族を持っても良いはずだ。
だが、彼には妹が一人しかいないと聞いている。
だが、クリスはそれ以上この話を続けるつもりはないらしい。
ハンドルを握って進行方向を見るクリスを眺める。
次々通り過ぎる街灯が照らす横顔を飽きもせずみていると、「なんだ?」と訊かれた。
いえ、と首を振る。
「いい男だな、と思いまして」
ピアーズの言葉にクリスが破顔する。
「さすが色男は違うな」
からかうクリスに、「本当のことですよ」と言ったが信じてくれそうにない。
ため息をついたピアーズを、クリスは面白そうに眺めた。
事務棟に行く前に、クリスの車は隊員たちの部屋が集まるエリアに向かった。
「走って帰ればすんだのに、すみません」
恐縮するピアーズに、クリスは肩を竦める。
「隊員の健康管理も俺の仕事だ。しっかり休め」
助手席に身を乗り出したクリスが開けた窓越しに言う。
「イエス、サー」
直立のピアーズは、上官がしばし自分を眺めるのを感じた。
姿勢を崩さずにいるピアーズを見ていたクリスが視線を落とす。
「――誰かを待たせるのは柄じゃない」
夜の静けさの中でなければ聞き逃してしまいそうな低い声だった。
「お前は俺を目指す必要はない、ピアーズ・ニヴァンス」
こちらを見るクリスの瞳が微かな月の光を映していた。
「自分の人生を楽しむんだ」
もう一度繰り返し、窓を閉める。
「おやすみ」という挨拶がピアーズに残された。
エンジンがかけられ、車が進み始める。
基地内の通りを抜ける銀のシルエットをピアーズは言葉もなく見送った。